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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)294号 判決 1999年6月30日

甲事件原告(原告番号1)

甲野春子

外五一名

乙事件原告(同Ⅱ―1)

乙川夏子

外六名

丙事件原告(同Ⅲ―1)

丙山秋子

外二名

甲・乙・丙事件原告ら訴訟代理人弁護士

内田剛弘

羽柴駿

小谷恒雄

近藤彰子

水島正明

山嵜進

勝木江津子

井上智治

池永朝昭

桜井健夫

長谷一雄

的場徹

甲事件原告ら訴訟復代理人兼乙・丙事件原告ら訴訟代理人弁護士

笹浪恒弘

友部富司

城戸浩正

富永敏文

幣原廣

千葉景子

成田茂

右笹浪恒弘訴訟復代理人弁護士

高瀬靖生

甲・乙事件原告ら訴訟代理人

清水徹

横谷瑞穂

高原誠

乙事件原告ら訴訟代理人

相澤光江

渡辺栄子

成田光子

(ただし原告番号Ⅱ―3の丁田一郎、丁田二郎の訴訟代理人は、

弁護士内田剛弘、同羽柴駿、同水島正明の三名のみ)

甲・乙・丙事件被告

破産者A破産管財人

新井岩男

甲・乙・丙事件被告

破産者B破産管財人

細田初男

甲・乙・丙事件被告

C

右訴訟代理人弁護士

細田貞夫

甲・乙・丙事件被告

D

右訴訟代理人弁護士

山下良章

甲・乙事件被告

E

右訴訟代理人弁護士

神谷咸吉郎

甲・乙・丙事件被告

F

右訴訟代理人弁護士

舟橋一夫

甲事件・乙・丙事件被告

亡G訴訟承継人

G1

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

石川博臣

甲・乙・丙事件被告

医療法人芙蓉会

右代表者理事

C

右訴訟代理人弁護士

細田貞夫

甲・乙・丙事件被告

埼玉県

右代表者知事

土屋義彦

右訴訟代理人弁護士

和田衛

右指定代理人

小川正

外二名

甲・乙・丙事件被告

右代表者法務大臣

陣内孝雄

右訴訟代理人弁護士

和田衛

右指定代理人

岩田光生

外五名

主文

一  (被告医療法人芙蓉会、被告C、被告D、被告E、被告F、被告G1、被告G2及び被告G3に対する請求について)

別紙第二「認容金額目録」中の各被告欄記載の各被告は、連帯して、これに対応する同原告欄記載の各原告に対し、同認容金額欄記載の金員及びこれに対する同起算日欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  (破産者Aの破産管財人に対する請求について)

別紙第二「認容金額目録」中の原告欄記載の各原告が、それぞれ、破産者Aに対し、これに対応する同認容金額欄記載の金員及びこれに対する同起算日欄記載の日から平成六年九月一五日(破産宣告日の前日)まで年五分の割合による金員の破産債権を有することを確認する。

三  (破産者Bの破産管財人に対する請求について)

別紙第二「認容金額目録」中の原告欄記載の各原告(ただし、同目録中の被告欄に被告Bの記載がない原告らを除く。)が、それぞれ、破産者Bに対し、これに対応する同認容金額欄記載の金員及びこれに対する同起算日欄記載の日から平成六年九月一五日(破産宣告日の前日)まで年五分の割合による金員の破産債権を有することを確認する。

四  (原告らのその余の全請求について)

原告らの被告埼玉県及び被告国に対する請求の全部並びにその余の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、被告埼玉県及び被告国に生じた費用は全部原告らの負担とし、原告らに生じた費用の四〇分の一を被告G1の負担とし、原告らに生じた費用の各八〇分の一をそれぞれ被告G2及び被告G3の負担とし、原告らに生じた費用(ただし、被告Eについては丙事件の訴え提起費用及び訴状送達費用を除く。)の三分の一を右被告五名を除くその余の被告らの負担とし、被告G1、被告G2及び被告G3に生じた費用(被承継人であるG分を含む。)の四〇分の三八並びに右被告三名、被告埼玉県及び被告国を除くその余の被告らに生じた費用の三分の二を原告らの負担とし(ただし、右のうち被告Eの分については甲事件原告ら及び乙事件原告らのみが負担するものとする。)、その余の費用は各自の負担とする。

六  この判決は、右主文第一項につき、仮に執行することができる。

【略称関係】

一  原告らについては、別紙当事者目録記載の原告番号のみで特定することがあり、甲事件の原告につき「1、2、3、……58」という番号を、乙事件の原告につき「Ⅱ―1、Ⅱ―2、Ⅱ―3……Ⅱ―7」という番号を、丙事件の原告につき「Ⅲ―1、Ⅲ―2、Ⅲ―3」という番号を付して表示する。例えば、乙事件のⅡ―2の原告<氏名略>につき、単に「Ⅱ―2」ないし「原告Ⅱ―2」などということがある。

原告12、同13、同47、同49、同51及び同Ⅱ―6は、平成一〇年一月二八日付けで訴えを取り下げており、原告18は訴え提起の当初から欠番であった。

原告58の<氏名略>は原告42の<氏名略>の夫であり、次の訴訟承継を除いて患者でない原告は同人のみである。原告Ⅱ―3の<氏名略>については、その死亡(平成四年七月四日)により、原告丁田一郎及び原告丁田二郎が訴訟手続を受継している。

患者本人を示す場合には「患者原告」と表示することがあり、患者原告全体を併せて「患者原告ら」ということがある。

二  元被告A及び元被告Bは、いずれも平成六年九月一六日に破産宣告を受け、それぞれ弁護士である破産管財人(前者につき新井岩男、後者につき細田初男)が訴訟を受継しているが、便宜上、右破産の前後を問わず、元被告A、元被告Bをそれぞれ単に「被告A」、「被告B」という。また、元被告Gについても、その死亡(平成四年一〇月一四日)により、被告G1、被告G2及び被告G3が訴訟を受継しているが、元被告Gを便宜上「被告G」という。

加えて、被告医療法人芙蓉会を「被告芙蓉会」、被告芙蓉会の開設に係る芙蓉会富士見産婦人科病院を「富士見病院」、被告Cを「被告C」、被告Dを「被告D」、被告Eを「被告E」、被告Fを「被告F」という。そして、当時医師であった被告B、被告C、被告D、被告E、被告F、被告Gを併せて「被告医師ら」といい、被告医師らに被告Aを加えて「被告Aら」という。ただし、「Aらの主張」という場合には被告芙蓉会の主張をも含めているものである。なお、被告Eのみは、丙事件の被告となっていない。

三  被告埼玉県を「被告県」といい、同被告及び被告国を併せて「被告国ら」といい、富士見病院に勤務していた臨床検査技師のHを「H」ということがある。

四  患者原告らが富士見病院において受けた手術を併せて「本件手術」、卵巣の一部を切除する手術を「卵巣整形」、子宮及び両側付属器(卵巣及び卵管。ただし、既に片側の卵巣等がない場合には片側のみの場合がある。)の摘出手術を「全摘手術」、当時の富士見病院の超音波断層診断装置を「ME」、同装置を用いて実施する超音波検査を「ME検査」、被告Aが患者に対し病名等を告知し入院・手術を承諾させる過程(ただし、その実態については当事者間に争いがあり、本件の基本的争点である。)を「コンサル」ということがある(右「卵巣整形」以下の呼称は、当時の富士見病院における呼称にならうものである。)。

五  【証拠関係の略称】等は、後記「第三の一」の冒頭記載のとおりである。

事実及び理由

第一  請求

一  (被告Aの破産管財人に対する請求)

別紙第三「請求金額目録」中の記載の原告欄記載の原告らが、各自、被告Aに対し、同請求金額欄記載の金員及びこれに対する同起算日欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員の破産債権を有することを確認する。

二  (被告Bの破産管財人に対する請求)

別紙第三「請求金額目録」中の記載の原告欄記載の原告らが、各自、被告Bに対し、同請求金額欄記載の金員及びこれに対する同起算日欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員の破産債権を有することを確認する。

三  (その余の被告らに対する請求)

別紙第三「請求金額目録」中の被告欄記載の各被告は、同原告欄記載の原告らに対し、連帯して、同請求金額欄記載の金員及びこれに対する同起算日欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

五  仮執行宣言。

第二  事案の概要

本件は、被告芙蓉会が開設した富士見病院において、昭和四九年二月から昭和五五年五月までの間に(以下、「当時」ないし「本件当時」というのは、文脈から別の時期であることが明らかなものを除いて、特に留保しない限りこの期間をいうものである。患者原告ら中では、37の<氏名略>が最初で、Ⅲ―2の<氏名略>が最後である。)、被告医師らから、①子宮及び両側付属器(卵巣・卵管等)の摘出、子宮及び片側付属器の摘出、片側卵巣摘出及び片側卵巣一部切除、若しくは、両側若しくは片側卵巣の一部切除等の手術を受け(次の②及び③の原告を除く患者原告ら)、②頸管縫縮術(16の<氏名略>)若しくは人工妊娠中絶の手術(31の<氏名略>)を受け、又は、③被告Aから虚偽の診断を告知され、入院・手術を強要された(57の<氏名略>及びⅡ―7の<氏名略>)と主張する患者原告ら(なお、Ⅱ―3の<氏名略>については、本件訴訟中に死亡し(平成四年七月四日)、夫の原告丁田一郎及び子の原告丁田二郎が訴訟手続を受継している。)と、42の<氏名略>の夫である58の<氏名略>において、

A  (被告Aらに対して)

本件当時富士見病院では、被告Aらが共謀の上、又は、暗黙裡に意思を相通じて、医師等の資格を有しない被告Aにおいて、ME検査をし、それによる出鱈目な判定などに基づき、被告医師らの指示に基づくことなく自らの判断で患者の入院及び手術を決定し、患者にこれを承諾させており、被告医師らは、被告Aの右診断及び入院・手術の決定をそのまま受け入れて、右①については、正常な子宮・卵巣等の全部又は一部を患者原告らの有効な同意なくして摘出したものであり、右②についても、患者原告らの有効な同意なくして不要不適な手術をしたものであり、右③については、患者原告が被告Aらの言動に不審を覚え、他の病院を受診したことから入院・手術を免れたものの、右虚偽診断の告知と入院・手術の強要という違法行為により精神的苦痛を被らせた旨主張して、被告Aらに対して、共同不法行為(主位的に医療行為に名を借りた共謀の故意による手術等の傷害行為、予備的に暗黙裡に意思を相通じた右手術等の傷害行為。ただし、右③については傷害の結果は発生していない。)に基づく損害賠償を求め(ただし、被告A及び被告Bについては、前記のとおり破産宣告を受けていることから、訴訟を受継した破産管財人に対する破産債権確定の訴えに変形している。また、被告Gについては、その死亡(平成四年一〇月一四日)によりその訴訟承継人である妻の被告G1、子の被告G2及び被告G3に対する法定相続分(二分の一と、各四分の一)に応じた請求に変形している。)、

B  (被告県及び被告国に対して)

右Aの主張を前提とした上で、厚生大臣及び被告県知事は、被告Aの右無資格診療及びこれを基本とする被告Aらの右共同不法行為の存在を知り得たのであるから、医師法及び医療法上の必要な調査をしかつ必要な行政処分をするなどして各権限を適正に行使し、患者原告らの被害を未然に防止すべき義務を負っていたにもかかわらず、これをせず、漫然と右不法行為を放置していたものであり、この不作為により患者原告ら及びその夫に対して右Aに係る損害を与えたものである旨主張して、被告県に対し国家賠償法一条一項、三条一項に基づき、被告国に対し同法一条一項に基づき、右Aの場合と同様の損害賠償を求めている事案であり、

C  (請求金額等について)

各原告の具体的な請求金額は第一の「請求」記載のとおりであって(ただし、Ⅱ―3の<氏名略>の請求については、その承継人である原告丁田一郎及び原告丁田二郎が右請求金額の各二分の一を請求し、また、被告Gに対する請求については、前記のとおりその承継人である被告G1、被告G2及び被告G3に対し、その法定相続分(二分の一と、各四分の一)に応じた請求をしているものである。なお、弁護士費用として、各請求金額の一割を主張し請求しているものである。)、附帯請求は不法行為日以降の民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めているものである。

一  争いのない事実等(証拠上明らかに認められる事実を含む。)

1 当事者等

(一) 原告ら

患者原告らは、いずれも富士見病院において診療を受けた患者であり、58の原告<氏名略>は42の患者原告<氏名略>の夫である。原告丁田一郎及び原告丁田二郎はⅡ―3の患者原告<氏名略>の死亡(平成四年七月四日)により、その法定相続分(各二分の一)に応じてその権利義務を相続したものである。

(二) 被告Aら

(1) 被告芙蓉会

被告芙蓉会は、昭和三三年三月二五日に設立された、中心の診療科目を産婦人科とする医院を経営する医療法人である。なお、登記簿上、その目的は、「病院を経営し科学的で且適正な医療を普及し特に婦人と子供の健康維持並びに福祉増進に役立つことを目的とし、次の病院を開設する。埼玉県所沢市西所沢<番地略>芙蓉会富士見産婦人科病院」と記載されている(ただし、昭和五一年一二月二四日変更、昭和五二年二月二五日登記のものである。)。

被告芙蓉会は、昭和四二年八月九日に病院開設許可を受け、同年九月一日芙蓉会富士見産院を埼玉県所沢市西所沢<番地略>に開設し、翌昭和四三年九月九日に診療所の開設許可を受けて、同月一〇日同市緑町<番地略>に芙蓉会産婦人科医院を開設した。その後、被告芙蓉会は、昭和四六年六月一七日に右富士見産院を「芙蓉会富士見産婦人科病院」と改称し、昭和五四年一二月一三日に右芙蓉会産婦人科医院を「芙蓉会富士見産婦人科病院分医院」と改称した(以下、この改称の前後を通じて、この「分医院」を単に「分院」といい、これと対置するときに右「芙蓉会富士見産婦人科病院」を「本院」ともいうが、単に「富士見病院」というときは、右各改称の前後を通じて、分院と本院とを併せたものをいうものとする。)。

(2) 被告A

被告A(大正一四年六月生)は、右昭和四二年の富士見産院の開設と同時に被告芙蓉会の理事長に就任し、被告芙蓉会を統轄してきた者で、右富士見産院の開設資金(敷地の購入、病院建設費等)、その後の富士見病院の増改築資金、運営資金などは専ら同被告が単独で工面していたものである(甲タ一、二、五ないし九)。同被告は、平成六年九月一六日破産宣告を受け、破産管財人新井岩男が本件訴訟を受継している。

(3) 被告B

被告B(大正一五年三月生)は、産婦人科を専門とする医師で、被告Aの妻であり、右富士見産院の開設当初より、被告芙蓉会の理事、富士見産院の管理者(院長)に就任し、右昭和四六年の改称後も院長として同病院の管理運営をしていた。同被告も、平成六年九月一六日に破産宣告を受け、破産管財人細田初男が本件訴訟を受継している。

(4) 被告C

被告C(昭和三年三月生)は、産婦人科を専門とする医師であり、昭和四六年八月一六日から昭和五〇年七月一四日まで分院の管理者(分院長)を務め、以後、富士見病院に医師として勤務していた。なお、昭和四七年一〇月一〇日以降は被告芙蓉会の理事でもある。

(5) 被告D

被告D(昭和三年四月生)は、産婦人科を専門とする医師であり、昭和四六年一〇月一日から富士見病院に医師として勤務しており、昭和五〇年七月一四日には分院の管理者(分院長)となった。なお、昭和四九年七月三〇日以降は被告芙蓉会の理事でもある。

(6) 被告E

被告E(大正一三年三月生)は、産婦人科を専門とする医師であり、昭和四七年一二月ころから富士見病院に医師として勤務しており、昭和四九年七月三〇日から昭和五一年一一月一五日まで被告芙蓉会の理事の地位にあり、そのころまで富士見病院に勤務していた(原告らは、被告Eが同日に被告芙蓉会の理事を退任した後、同年一二月一日まで富士見病院に勤務していた旨主張するが、同月二日に被告Aが退職願いを受理した(戊サ三の第六項)としても、同年一一月一六日以降は医師として勤務していなかったと見るのが相当である。この点は、35の<氏名略>(同月二六日手術)との関係でのみ問題となるところ、当裁判所は、後記のとおり同原告について被告Eが医師として何らかの関与をしたことが認められない(原告らも証拠上明らかでないと主張している。)ことから、被告Eの責任を認めないものである。したがって、同被告が同年一二月一日まで富士見病院を勤務していたかどうかは、結局本件の結論を左右しないことになる。)。

(7) 被告F

被告F(昭和一三年一〇月生)は、産婦人科を専門とする医師であり、昭和五一年六月七日以来富士見病院に医師として勤務しており、同年一二月二四日以降は被告芙蓉会の理事である。

(8) 被告G

被告G(大正八年一〇月生)は、産婦人科を専門とする医師であり、昭和五四年一月四日から昭和五五年一一月七日まで富士見病院に医師として勤務していたが、その死亡(平成四年一〇月一四日)によりその訴訟承継人である妻の被告G1、子の被告G2及び被告G3が法定相続分(二分の一と、各四分の一)に応じてその権利義務を承継した。

(9) なお、被告Aおよび被告医師らの在職期間を便宜一覧表化すると、別表「富士見病院における被告Aらの在職期間」のとおりとなる。

2 富士見病院に係る行政処分等について

(一) 埼玉県知事は、昭和五五年一〇月一六日及び一七日、被告芙蓉会の診療報酬不正請求の疑いについて監査(調査)をし、被告Aの無資格診療等の事実を確認し、同年一二月三日、①被告芙蓉会に対する保険医療機関の指定の取消し(健康保険法四三条の一二)及び療養取扱機関の申出受理の取消し(同法四八条)、②被告B、被告C及び被告Gに対する保険医の登録の取消し(同法四三条の一三)、被告F及び被告Dに対する戒告並びに被告B及び被告Gに対する国民健康保険医の登録の抹消(国民健康保険法四九条。なお、被告Cに対しては東京都知事により同じ処分)を発した。

(二) 埼玉県知事は、富士見病院の開設者たる被告芙蓉会の理事長である被告Aの無資格診療が、医師法に違反し、富士見病院の管理者(医療法一〇条)である被告Bの加功が保健婦助産婦看護婦法に違反するとして、昭和五六年二月二五日、被告芙蓉会に対して六か月の病院閉鎖命令(同法二九条一項三号)及び管理者変更命令(同法二八条)を発した。

二  主たる争点

1 本件当時の富士見病院における診療システムはいかなるものであったか。

すなわち、原告らの主張のとおり、被告Aらは、共謀の上、被告Aによる出鱈目なME検査及びコンサルを通じて、患者原告らに手術の承諾をさせて、手術に名を借りて患者原告らに対して故意に傷害行為をし若しくはしようとしていたものか。被告医師らは、あるいは、暗黙裡にそのように意思を相通じて本件手術をし、又はしようとしたものか。

2 患者原告らに対して現実にされた本件手術や(57の<氏名略>及びⅡ―7の<氏名略>につき)実際にされようとしていた手術は無用なものであったか。

3 原告らの損害額。

4 被告国及び被告県が富士見病院に対して医療法及び医師法に基づく権限を適正に行使しなかったという不作為の違法性及び原告らに対する損害賠償責任(主として、富士見病院における右診療システムについての認識ないし予見可能性の程度が問題となる。なお、被告国らは、医療法及び医師法に基づく厚生大臣や埼玉県知事の権限は、個別の国民に対する法的義務法を構成するものではなく、かつ、右権限行使につき専門的見地等からする広い自由裁量権が認められるので、原告らの被告国らに対する請求はそもそも失当である旨の主張もしている。)。

三  争点についての当事者の主張

【原告の主張】

1 富士見病院の診療システム

(一) ME検査とコンサル

富士見病院では、超音波断層診断装置を「ME」、同装置を用いて実施する超音波検査を「ME検査」と称し、また、被告Aが患者に対し病名を告知して入院・手術を決定し患者に承諾させる過程を「コンサル」と称していた。

同病院では、昭和四六年六月ころ超音波断層診断装置(ME)を購入し、ME検査を同病院における診療上の特色とすることにした。しかし、当時、同病院で同装置を扱える者は誰もおらず、昭和四七年二月まで臨床検査技師のHがこれを操作し、その後は新たに就職した被告Cが半年位これを操作したものの、同被告が同装置の扱いに不慣れであり、また、同被告が外来兼務で負担過重であったことなどから、被告AがME検査に手を出すようになり、遅くとも昭和四八年ころまでには、被告Aが富士見病院の医師を完全に排除してME検査をし、以下のように、入院手術の決定及びコンサルを行う診療システムが確立していた。

(二) 外来初診

富士見病院を訪れた患者は、まず医師により問診内診等の診察を受けるが、これはいずれも短時間でかつ形式的なものであり、患者はその診断の結果を告げられることもない。そして、患者が婦人科的疾患を疑わせる症状を有しているか否か、内診の結果、子宮や付属器の大きさ、形状等に異常所見が認められるか否かにかかわらず、医師は例外なく患者をそのまま被告AのME検査とコンサルに回していた。

(三) 被告AのME検査とコンサルによる入院・手術の決定

被告Aは、医師・看護士・臨床検査技師などの資格が全くないのに、白衣姿で医師であるかのように装って、被告医師らがME検査に回してきた患者に対し、下腹部を露出させてMEを操作した。被告Aには、医学的知識がなく、しかもME検査につき膀胱充満法などの正しい検査方法を採らなかったので、ME検査によって正確な画像を得られるはずもなく、かつ、右画像を医学的に正しく判読することも全くできなかった。

それにもかかわらず、被告Aは、右のようなME検査の後、右検査で判明したとして、各患者につき、ほぼ一様に「子宮筋腫・卵巣嚢腫」との診断を下し、患者の入院・手術を決定し、引き続いてコンサルを行い、患者に対し、右診断を告知しながら「放っておくと癌になる」とか、「このままでは死んでしまう」などと申し向けて患者を畏怖・錯誤の状態に陥れ、もって、富士見病院において入院・手術をすることを「同意」させた。

(四) 入院及び手術

被告Aは、ME検査による所見や診断を被告医師らに伝達したが、その所見や診断は非医学的で、ME検査で判るはずのないことが頻繁に記載されているものであったから、産婦人科の医師にはそれが出鱈目な診断で、出鱈目な入院・手術の決定であることが明白であった。それにもかかわらず、被告医師らは、被告Aの右診断や決定にそのまま従い、あるいはこれを利用して、患者原告らを入院させ、手術を強行した。

富士見病院における患者は、右の経過で入院してくる関係上、入院時にはほぼ術式までが決定されていた。そして、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者には「術前A検査」、卵巣の一部を切除する手術(富士見病院独特の呼称である「卵巣整形」)を予定した患者には「術前C検査」と称する定型的検査コースが設定され、実施された。

これらの検査は、通常は手術の要否を判断するために、しかも多くは外来通院の形で行われるものであるが、富士見病院においては、患者を入院させ、かつ手術することを決定した後に、形だけ行われており、手術は、この検査結果を待たず、あるいはこれと関わりなく行われたものである。

(五) 退院及び退院後

退院に際しては、被告Aから手術結果についての説明が行われるが、その内容は、ME検査後のコンサルと同様に非医学的なものであった。

そして、退院後も、患者をつなぎとめるための措置がとられた。まず全摘患者には、卵巣を摘出したのでホルモン注射が必要であると強調し、多い場合には週一回、少なくとも月一回の割合で通院させた。全摘手術以外の手術(例えば卵巣整形)を受けた患者については、不妊の治療などを継続して富士見病院につなぎとめていた。

2 富士見病院における本件手術がいずれも不要・不適なものであったこと

患者原告らに対してされた本件手術ないしされようとした手術は、いずれも全く無用なものであり、被告Aらは出鱈目な診断によって何ら手術の適応が認められない正常な子宮や卵巣等につき、本件手術をし、又はしようとしたものである。以下、その一般論を述べる。

(一) 子宮筋腫について

(1) 子宮筋腫は、そもそも良性の腫瘍であり、特に、小さい筋腫は婦人にかなりの頻度でみられ、身体に何ら悪影響を及ぼさず、また妊娠又は閉経により消滅してしまうことも多く、臨床上特に問題となることは少ない。

もっとも、相当程度進行すると、月経過多、月経困難症、異常出血等を起こし、全身に貧血等による悪影響を及ぼしたり、また肥大して周辺器官を圧迫し、その機能障害を生じさせたりするので、これらの症状を放置できない場合には手術を行うことがある。しかし、その場合も、内診結果や症状を経過的に観察して判断を下すのが原則である。

しかるに、被告医師らは、かかる症状の有無とその程度に関わりなく、これを正確に調査もせず、一律に手術適応の判断を下している。

(2) また、子宮筋腫の大きさに関する手術の適応基準は、一般に①手拳大(長経一二センチ)以上で適応、②症状のあるものは手拳大以下でも適応とされているが、患者原告らはもちろん、その他の患者もほとんど右要件を満たしていない。

(3) 通常の臨床医は、子宮筋腫を疑わせる症状(性器出血、月経過多、生理痛、不妊等)があった場合、まず内診をして子宮の大きさ・形状を見、筋腫の有無種類を診断し、さらに、術式の決定やより診断を確実にするため、次の措置として子宮卵管造影やME等の検査をする。その結果、子宮内部の形態異常や筋腫核が認められて、その症状からこれを放置できない場合にのみ、手術の決断を下すことになる。また、仮に子宮肥大が発見されたとしても、当該部分の病理検査により、それが悪性の腫瘍であるかどうかの診断を下して初めて術式が決定される。

被告医師らは、手術することを決定した後に右のような検査をしているが、それは順序が逆である。

(4) 子宮筋腫の手術には、筋腫核出術(当該腫瘍部分のみの摘出)、膣上部切断術及び単純全摘術があるが、後二者では将来の妊娠が不可能となるので、患者に妊娠の希望がある場合には、可能な限り原則として右核出術により子宮を保存すべきである。しかるに、被告医師らの手術は全摘手術一本槍である。

(二) 卵巣嚢腫について

(1) 卵巣嚢腫自体は良性腫瘍であるが、子宮の場合と違って、組織検査の措置を術前にとることができないため、悪性腫瘍であるかどうかの判断が術前に確実にできない点に特徴がある。したがって、内診等の結果卵巣が相当程度に肥大しておれば、茎捻転等の危険のほか、癌等の悪性腫瘍の疑いがあるということで、臨床上何らかの対応を迫られることになる。

他方、卵巣は排卵とホルモン分泌の器官であって、その機能は一卵巣のごく一部でも維持できるものであるから、悪性の腫瘍以外では卵巣の一方又は一部分を残すのが通例である。すなわち、これを全部(双方)摘出してしまうと、排卵はもちろん、ホルモンの分泌が停止され、女性の身体に様々な障害を生じるので、閉経後の婦人を除いて極力避けるべきとされている。

(2) 卵巣について考えられる手術には、子宮について述べたのと同様の部分切除術のほか、多嚢胞性卵巣(PCO)について排卵促進のための楔状切除があるが、富士見病院が呼称していた「卵巣整形」などという手術は医学上存在しない。

被告医師らは、患者に不妊の訴えがあると「卵巣整形」術を行っていたようであるが、右不妊の原因が何であるかを調査していない。

そもそも、基礎体温表その他で無排卵であることを確認しなければ、その原因が卵巣にあるとはいえないはずである。さらに、卵巣の機能障害が疑われる場合でも、排卵誘発剤やホルモン剤の投与など、手術を決定する前に行うべき各措置があるのであって、明らかなPCOであることを診断することなく、やみくもに手術を行う合理性は全くない。逆に、不要な手術は癒着や感染等の合併症を誘発し、卵巣についていえば卵管閉塞の遠因になることが考えられる。

(3) 卵巣嚢腫は、下腹痛、月経痛等の症状を伴い、内診で触れる卵巣の大きさと右症状更には年令とのかねあいで手術の要否が決せられることになる。

その大きさに関する手術適応基準は、一般に①鵞卵大(鵞鳥の卵で、鶏の卵より一回り大きい。)以上が適応、②症状のあるものについては鵞卵大以下でも適応とされているが、子宮と違って卵巣の大きさは個人差が大きいことに注意すべきである。

(三) その他の中絶手術、頸管縫縮術等の手術について

富士見病院において患者原告らに対してされたその他の手術もいずれも何らその必要がないのにされた全く無用なものであった。

3 被告芙蓉会及び被告Aらの責任

(一) 違法な権利侵害

原告らは、被告Aらから、概ね次のとおり違法な権利侵害を受けた。

(1) 前記のとおり、富士見病院では、被告Aが医師等の資格を有しないのに、患者に対し、ME検査を実施した上、被告医師らの指示に基づくことなく、自らの判断で入院及び手術を決定し、これを承諾させていた。被告医師らは、被告Aの右診断及び入院・手術の決定をそのまま受け入れ、患者に対し、子宮・卵巣等の全部又は一部を摘出する手術を敢行していた。

(2) 患者原告らは、次の(3)及び(4)の患者原告らを除き、被告医師らから、子宮及び両側付属器(卵巣・卵管等)の摘出、子宮及び片側付属器の摘出、片側卵巣の摘出及び片側卵巣の一部切除、又は、両側若しくは片側卵巣の一部切除等の手術を受けた。しかし、右手術はいずれも、正常な子宮・卵巣等の全部又は一部を摘出したものである。

(3) 16の<氏名略>は頸管縫縮術を、31の<氏名略>は人工妊娠中絶の手術を受けたが、これらの手術も不要・不適なものであった。

(4) 57の<氏名略>及びⅡ―7の<氏名略>は、被告Aから虚偽の診断を告知され、入院・手術を強要された。同原告らは、入院前に被告Aらの言動に不審を覚え、他の病院を受診したことから、入院・手術を免れたが、右虚偽診断告知と入院・手術の強要という違法行為により精神的苦痛を被った。

(5) なお、右各手術について、患者原告らの有効な同意はなかった。

(二) 故意(傷害の共謀)

被告Aらは、患者原告らの子宮・卵巣等が正常又は手術の必要性がないことを少なくとも未必的に認識しながら、本件手術をし、又は右手術や手術までの診察、検査等に関与していた。そして、被告Aらは、それぞれ右のような認識を持ちながら、互いに同様の認識を有していることを察知しており、不要・不適の手術を行うことについて、少なくとも暗黙裡の意思の連絡があった。

(三) 責任

被告Aらは、それぞれの在職期間中に本件手術を受けた患者原告らに対し、共同不法行為者として、連帯して損害賠償責任を負う。被告Aらの責任について、共同不法行為における関与の態様・程度に即して敷衍すると、次のとおりである。

(1) 被告医師らのうち、外来初診を担当した者は、同時に入院時の主治医又は受持医となった者であり、患者原告を被告AのME検査とコンサルに送り、入院・手術を決定させた者として、また、その決定に従って入院させ、手術を受けさせるプロセスを進めた者として、当該患者原告に対して責任を負うのは当然である。

(2) 被告Aは、患者原告らの全員に対し、診断を告知し、入院・手術を決定・告知してこれを「同意」させ、違法な権利侵害を決定付けた者であって、共同不法行為の中心(傷害罪の主犯格)であるから、全原告に対して責任を負う。

(3) 被告医師らのうち手術において執刀した者は、遅くとも開腹した時までに不要不適の手術であることを知ったはずであるから、手術を中止すべき義務があったもので、被告Aとともに共同不法行為の中心人物(傷害罪の実行行為者)として、当該患者原告に対して責任を負う。

(4) 被告医師らのうち手術の際に助手や麻酔医を担当した者は、遅くとも開腹した時までに不要不適の手術であることを知ったはずであるから、執刀医に手術を中止させるべき義務があったもので、これを怠ったことは、幇助的地位とはいえ共同不法行為の現実的な実行者(傷害罪の実行共同正犯)として、当該患者原告に対して責任を負う。

(5) 被告医師らのうち入院中に診察(回診を含む)、検査、処置(膣洗浄を含む)を担当した者も当該患者原告に対して責任を負う。なぜなら、その被告医師は、当該患者原告の入院から手術までの診療プロセスに具体的・現実的に関与し、カルテの記載に接することや自らの診察等から当該患者が不要不適の手術を受けようとしていることを知り得たのであるから、医師として、同患者に真実を告知し、右手術を回避させるべき義務があり、これを怠ったからである。右の作為義務は、医師に要求される適切な診療をなすべき義務と、前記二の診療システムを知っていることから当然に生じる不要不適な手術の予見可能性とが相俟って導かれるものである。

(6) 被告医師らのうち患者原告らが診療を受けていた時期に富士見病院に在職していた者は、基本的に右(5)によって全員が責任を負うものであり、仮に当該患者原告に具体的、現実的に接しなかった場合でも責任を負う。なぜなら、前記のような診療システムを知って富士見病院に在職している以上、適切な診療をなすべき義務を負う医師としては、受診する患者が不要不適の手術を強行されることを防止するため、前記のような診療システムを改めるべき義務があるというべきだからである。仮にそれが不可能または至難であれば、富士見病院を退職すべきだったのであり、在職し続ける以上、右診療システムをその一翼となって支えることとなるのであるから、責任を免れない。

(7) 被告芙蓉会は、被告医師らの使用者として、かつ理事である被告Aらの不法行為を理由として、さらに、診療契約上の債務不履行を理由として、被告Aらと連帯して損害賠償責任を負う。

(四) 損害

(1) 被害の実状

患者原告らは、被告Aから「子宮が腐っている」「卵巣が腫れてぐちゃぐちゃだ」「放っておくと癌になる」「このままにしておくと破裂して命取りになる」などと告げられ、かかる不安を煽る言動により、家族も含めて大きな衝撃を受けた。

また、患者原告らは、自己の症状・治療方法等について合理的な説明を受けることなく、手術の可否について自己決定権を奪われたまま、女性にとってかけがえのない臓器である子宮・卵巣等の全部または一部を失った。

原告らは、不要な入院・手術のため、高額な医療費を支払わされ、その上、卵巣を摘出した患者原告らは、ホルモン注射を受けるため、長期の通院を続けざるを得なかった。

子宮又は両側卵巣を摘出された患者原告らは妊孕性を喪失し、子宮を摘出した患者原告らは、手術による癒着、膣・膀胱・直腸などの脱落又は下垂、膣炎や膀胱炎に罹患しやすくなり、性交痛があり、他方、両側卵巣摘出をした患者原告らは、膣炎や性交痛などの局所症状や一種の自律神経失調症を来し、のぼせ、めまい、動悸、不眠、発汗、頭痛、肩こり、腰背痛、便秘、イライラ、記憶力の減退、易疲労感、全身倦怠、毛髪の異常(脱毛、白毛増)等の障害に悩まされている。

片側卵巣の全部、両側卵巣の一部、片側卵巣の一部などと摘出した患者原告らの場合も、開腹手術一般の弊害・後遺症のほか、卵巣摘出の悪影響と思われる腰痛や頭痛あるいは脱力感や易疲労感などの後遺症に悩まされてきた。

(2) 損害額(慰謝料)

ア 子宮及び両側付属器を摘出された患者原告の肉体的精神的苦痛を慰謝するには三〇〇〇万円が相当である。(別紙第三記載のとおり、原告ら中には四〇〇〇万円の支払を求めている者がいるが、実質的に請求を減縮したものと認められる。)

イ 片側卵巣の全部、両側卵巣の一部、片側卵巣の一部等を摘出された患者原告の精神的肉体的苦痛を慰謝するには、一〇〇〇万円が相当である。(原告らの中には、右手術につき一〇〇〇万円を超える請求をしているが、前同様である。)

ウ 人工妊娠中絶を受けた31の<氏名略>の精神的苦痛を慰謝するには、七〇〇万円が相当である。

エ 頸管縫縮術を受けた16の<氏名略>の精神的苦痛を慰謝するには、二〇〇万円が相当である。

オ 手術を免れたものの、不要・不適な手術を強要されたことによって57の<氏名略>及びⅡ―7の<氏名略>が被った精神的苦痛を慰謝するには一〇〇万円が相当である。

カ 原告42<氏名略>の夫である原告58<氏名略>は、右<42>との間に自らの子をもつ可能性を奪われ、また、夫婦関係にも多大の影響を受けたものであり、その精神的苦痛を慰謝するには八〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用

弁護士費用のうち、各原告に認められる慰謝料額の一割を被告らは負担すべきである。

(4) 請求金額

原告らは、右各自の慰謝料額の概ね内金一〇分の九を慰謝料請求額とし、同一〇分の一相当額を弁護士費用として請求するものである。(裁判所註・原告らの中には、両側付属器を含む全摘手術につき四〇〇〇万円の請求をしている者がおり、また、片側卵巣の全部、両側卵巣の一部、片側卵巣の一部等の切除につき一〇〇〇万円を超える請求をしている者もいるが、右の原告らの最終的主張からして、実質的に請求の減縮をしたものとうかがわれる。しかし、法的には「請求の減縮」はされておらず、各原告の請求金額は別紙第三記載のとおりである。)

なお、Ⅱ―3の<氏名略>については、本件訴訟中に死亡し、本件に係る損害賠償請求権については、夫の原告丁田一郎及び子の原告丁田二郎が各二分の一の割合で相続したので、これによる金員の支払を求める。

4 被告国及び被告県の責任

被告国及び被告県(以下、併せて「被告国ら」ということがある。)は、国家賠償法一条一項、三条一項により(県知事の医療法による事務が国の機関委任事務であるので、被告県につき同法三条一項による。)、いずれも原告らの前記損害について賠償責任を免れない。

(一) 厚生大臣及び県知事の医療行政に対する権限

(1) 厚生大臣は、医師に対し、免許を与え(医師法二条)、医師が医事に関し犯罪又は不正の行為を行った場合は、医師免許を取り消し又は医業停止を命ずることができ(同法七条二項、四条三号)、公衆衛生上重大な危害を生ずるおそれがあり、危害防止に特に必要がある場合は、医療又は保健指導に関し、医師に対し必要な指示をすることができる(同法二四条の二)。また、病院に対しては、必要に応じてその開設者又は管理者に報告を求め、当該官吏に立入検査を行い、診療録等の検査を行わせることができ、そのための医療監視員をおかなくてはならない(医療法二五条一項、第二六条)のである。

(2) 県知事は、国の機関委任事務として、病院に対し、開設許可を与え(医療法七条)、病院の開設者・管理者に犯罪又は医事に関する不正行為があった場合は開設者に管理者の変更を命ずることができるほか、開設許可を取り消し又は閉鎖を命ずることができ(同法二八条、二九条一項三号)、必要に応じ報告の聴取・立入検査・診療録等の検査(同法二五条)をする権限を有しており、医療法人に対しては、その設立を認可し、医療法人が法令に違反し又は県知事の命令に違反した場合は設立の認可を取り消すことができる(同法四四条、六六条)。

(二) 厚生大臣及び県知事の権限不行使による違法

(1) 医療行政に関する公務員の権限不行使により国又は地方公共団体について国家賠償法一条一項の責任が問われるためには、①国民の生命・身体に重大な危険が迫っており、かつ、これを予見することが可能であったこと、②権限を行使することにより結果の発生を防止することができること、③他に危害防止の手段が容易には見出し難く、権限行使が可能であって期待されること、という三つの要件が充足されることで足りる。

(2) 右①の要件についてみると、本件は、医師ではない被告Aと被告医師らによる病院ぐるみの傷害行為であり、富士見病院においては、遅くとも昭和四八年ころまでには、被告Aが超音波診断をし入院手術の決定をするという診療システムが確立し、被告医師らが不要・不適の子宮卵巣摘出手術を重ねていたものであり、患者原告らを含めその被害者は数知れず、国民の生命身体に対する重大な危険が切迫していたことは明らかである。そして、後述するとおり、右につき予見可能性もあった。

右②の要件についてみると、厚生大臣は、医療行為に名を借りた被告Aらの傷害行為を防止するため被告医師らに必要な指示をし、さらに被告医師らの医業停止あるいは免許取消の措置をとることができた。また、本件は富士見病院管理者たる被告Bの主導のもとに行われた犯罪行為であるから、被告県知事は、同病院の開設者たる被告芙蓉会に対し、管理者の変更を命じ、さらに、同病院の開設許可取消をすることができたのであり、以上の権限を含む各種行政権限を行使することにより、患者原告らを含め、莫大な被害者の発生を防止することができた。

右③の要件についてみると、被害者である患者原告らは身体の不調を訴え、不安をもっている患者であり、加害者である被告Aらは医療専門家あるいは医療専門家たる仮面を被っていた者らである、という本件の特殊性に鑑みれば、被害者らが自らの判断力で被害を回復する可能性は期待できない。

(3) 被告Aらの無資格診療を中心とする本件不法行為についての予見可能性

ア 富士見病院における乱診乱療の徴表

まず、厚生大臣及び被告県知事は、ことさら積極的にその権限を行使しなくても、医療行政の制度上当然に届けられる情報として(例えば病院報告)、又は地域医療に深く関わる保健所活動を通じて、乱診乱療の徴表というべき以下のような各事実を知っていたはずである。

第一に、厚生大臣及び埼玉県知事は、病院報告(医療法施行規則一三条に基づき各病院が入院患者延べ数、入退院新生児数、病床数等について、毎月所轄の保健所に提出を義務付けられているもの)により、富士見病院では入院患者延数が外来患者延数に比べ異常に多いこと(特に昭和四七年以降前者が後者を上回る事態が発生していること)、すなわち他の同規模産婦人科病院に比べ手術を受けた患者の割合が異常に高いことを客観的データの上で認識していた。

第二に、富士見病院に関しては、被告Aの無資格診療にかかる「ニセ医者」疑惑や、病院ぐるみで健康な子宮や卵巣を不法に摘出している疑いが、噂(風評)として、地元所沢市周辺住民、地元医師会の医師ら並びに埼玉県や東京都周辺の病院・診療所等で、早くも昭和四〇年代から流布していた。昭和五二年一二月に所沢市内に新設された防衛医大病院では、富士見病院の診断に疑問を抱いて訪れた患者を診察した経験から、開設後わずか数か月で、同病院では健康な臓器を不法に摘出しているとの疑いを持ったとされる。

所沢保健所は、地域医療情報に精通している機関として右風評を知っていたはずであり、さらに、単に風評を耳にしたにとどまらず、地元医師会と緊密な関係にあることから、医師の間に流布している右の医学的判断に基づく信憑性の高い疑惑を知っていたはずである。

第三に、富士見病院に関する苦情の申出には、昭和五〇年より前から、既に「診療費が高い」旨の苦情にとどまらず、「超音波検査をしているA理事長というのは、本当に医者なのか」などという疑問の申出も含まれていた。昭和五〇年以降になると、違法手術を指摘する苦情が増加し、特に昭和五三年以降は同種の苦情申出が相次いでいた。

イ 厚生大臣及び埼玉県知事が知り又は知り得た事実

厚生大臣及び埼玉県知事は、被告芙蓉会の理事長が医師でない被告Aであることを、昭和四二年八月九日の富士見病院開設許可の当初から知っていた。また、同病院の物的、人的規模の顕著な増大は医療監視等により、外来及び入院患者数の顕著な増加は病院報告により、刻々に認識していた。したがって、富士見病院が「もうかっている病院である」との認識はあり、次に述べる事情などと考え併せて、医師でない理事長の下で営利追及に走っているのではないかとの疑いを抱いたはずである。

富士見病院では、昭和五一年一一月に「芙蓉会友の会」を組織し、著名人を利用するなどして宣伝に力を入れていた。また、超音波検査(ME検査)を他の病院にない特色として喧伝していた。これらの事実は、地域医療に関する情報に精通している保健所を通じて、埼玉県知事、さらには厚生大臣が知っていたはずであり、あるいは、医療監視の際に富士見病院外来待合室等に置いてあった右「芙蓉会友の会」の案内・勧誘文書や「入院案内」パンフレット等を見ることにより、当然に知り得たはずである。

厚生大臣及び埼玉県知事は、健康保険診療報酬の請求に対する審査・支払を通じて、富士見病院においては、大多数の患者について超音波検査関係費用の請求があること、他の病院と比較してもその件数が著しく多いことなどを知っていた。

そして、富士見病院の臨床検査技師で婦人科手術に助手として立ち会っていたHが、昭和五〇年春ころ、所沢保健所のP計画課長(なお、右保健所計画課は医療監視を担当していた。)に面会を求め、患者一〇人のリスト等の資料も用意して、被告Aが無資格でME検査を行っている事実を告発した。これによって、被告Aが無資格診療をしていた事実は、所沢保健所の知るところとなったのであるから、同事実は、厚生大臣及び埼玉県知事の知り得た事実である。

T所沢保健所長においては、富士見病院に関する苦情を認識し、また、富士見病院で異常と診断されて手術を勧められたが他病院で再度診察を受けた患者の全員が、他病院では正常(少なくとも手術の必要がない)と診断されたことを認識していた。すなわち、四件の苦情や富士見病院に対する医療監視による資料だけでなく、富士見病院の違法手術を免れ、防衛医大や国立西埼玉中央病院や都立府中病院に駆け込んだ患者の具体的情報を把握していたものであり、防衛医大に駆け込んだ患者二二名についてはそのカルテ等を収集していたのである。したがって、同事実は、厚生大臣及び埼玉県知事の知り得た事実である。

(4) 被告国らの主張に対する反論

ア 被告国らは、事件発覚当時、元患者らはもとより、国民の多くから、厚生大臣及び埼玉県知事が被告Aの逮捕前には同被告の無資格診療を摘発も阻止もできず、したがって富士見病院における違法手術を約七年もの長きにわたって防止し得なかったことに対し、強い怒りと批判が集中したことには言及せず、また、本件発覚当時、厚生大臣及び埼玉県知事が真相究明のための調査や同種事件の再発防止のための施策を、元患者ひいては国民に約束したことについても言及していない。しかし、被告国及び被告埼玉県は、医療行政上の規制権限不行使について責任を問われているのであるから、刑事事件の顛末もさることながら、厚生大臣及び埼玉県知事の事件発覚前後における富士見病院への対応についてこそ、言及して然るべきである。被告国らが右について言及しないのは、厚生大臣および埼玉県知事が事件発覚当時に約束した前記の調査等を怠った事実に目を向けられたくないからであろう。

厚生大臣および埼玉県知事が前記の調査を尽くしておれば、患者らの所沢保健所等への苦情申出の実情やその処理の実態などについても、一層明らかとなり、よって、厚生大臣及び埼玉県知事が富士見病院の違法手術について予見し又は予見し得たことが一層明らかとなったに違いない。しかし、厚生大臣も埼玉県知事も、右調査を怠った。

被告国らは、厚生大臣および埼玉県知事が右調査を怠ったからこそ多くの重要な事実が明らかにならなかったのが実情であるのに、このことを棚に上げ、厚生大臣および埼玉県知事には富士見病院の違法手術について予見も、予見の可能性もなかったと主張しているのである。これでは、みずからの約束違反に依拠して自らの責任を否定するに等しいといわざるを得ない。

イ 被告国らは、医療法及び医師法上の規制権限について、それが個別の国民に対する義務を定めたものではないとか、裁量に委ねられているなどと主張して、右権限不行使による国家賠償責任が肯定される余地を、ほとんど皆無に近いものと結論付けようとしている。

なるほど、医療法も医師法も、厚生大臣及び都道府県知事の権限について、個別の国民に対する義務の定立という規定形式をとっていないことは事実である。しかし、医療法は、「この法律は、……国民の健康の保持に寄与することを目的とする。」(同法一条)と定めており、医師法は、同法の目的を定める条項は置かないものの、医師の任務について「医師は、……国民の健康な生活を確保するものとする。」(同法一条)と定めており、この趣旨からは、医師の資格を規律することによって医療法と同一の目的を達成しようとするものであることが明らかであって、いずれも、国民の生命・健康を守るための法律であることは論を待たない。

したがって、医療機関又は医師によって現に国民の生命・健康が害されようとしているときには、まさに医療法及び医師法の存在目的そのものが問われるのであって、そのような時にまで、権限を行使するか否かが挙げて自由裁量に委ねられているとは到底いえない。

ウ 被告国らは、被告AによるME無資格操作を摘発しても本件不法行為を防止できなかったかのように主張するが、これは、本件不法行為の本質を全く理解しない主張である。

富士見病院の診療システムは、被告AのME診断なくしては成り立ち得ない。すなわち、前記のとおり、同診療システムの骨格は、被告芙蓉会の理事長である被告Aが、医師・看護士・臨床検査技師などの資格が全くないのに、患者に対し、超音波検査を実施した上、被告医師らの指示に基づくことなく、自らの判断で病名・病状を告知し、すなわち診断をし、さらに自らの判断で入院及び手術を決定してこれを「承諾」させるというものである。被告医師らは、被告Aの右診断及び入院・手術の決定をそのまま受け入れ、患者に対し、子宮・卵巣等の全部または一部を摘出する手術を敢行していた。したがって、厚生大臣及び埼玉県知事が、被告Aの右無資格診療に対する行政処分を行っていれば、それ以降の本件不法行為は一〇〇パーセント防止できたのであり、被告国らの前記主張は明らかに誤っている。

エ 厚生大臣及び埼玉県知事は、被告Aによる無資格診療を根拠に、被告らの医師法違反、医療法違反、保健婦助産婦看護婦法違反、健康保険法違反等を認定し、病院閉鎖命令、医業停止等の行政処分をし、その結果として、被告Aらの本件不法行為が終わったものである。すなわち、傷害罪による起訴や民事裁判の判決がなくとも被告らの不法行為を終わらせることが可能であったことは、何よりも右事実が証明している。

被告国らは、刑事摘発や民事裁判の判決がなければ、被告らの本件不法行為を終わらせるための行政処分ができないかのように主張するが、被告Aによる無資格診療を根拠に、早期に右各行政処分を行うことが可能だったのであり、被告国らの右主張は誤っている。これを敷衍すれば、以下のとおりである。

オ 被告Aが何らの資格もないのにME検査を実施し、更には診断を下し入院・手術を決定していたことは、警察等よりも保健所の方が、より早くかつ的確に知り得たはずである。なぜなら、警察は、その捜査権限を発動するためには厳格な証拠に基づくことが要求され、かつ、特別の手段を講じなければ関連情報が入ってくることもないのに対し、保健所には病院報告や医療監視を通じて恒常的に情報が入ってくる仕組みとなっており、かつその調査権限発動には、警察に対するような厳格な規律はないからである。

被告国らは、昭和五〇年以前の時期においては被告Aの無資格診療等を知り得なかったとし、病院報告は右事実を知りうる資料たり得なかったと主張する。しかし、病院報告だけを切り離して主張するのは失当である。富士見病院の病院報告に表れた患者数等の統計数値は明らかに異常であり、この事実と患者の所沢保健所等への苦情申出や地元医療機関等で広がっていた評判等を総合すれば、厚生大臣及び埼玉県知事は、少なくとも右異常な統計数値や右苦情及び右評判等の原因を解明するための調査をすべきであった。そして、この調査をすれば、厚生大臣及び埼玉県知事は、被告Aの無資格診療、さらには被告Bらの違法手術を知り得たはずである。

被告国らは、T保健所長が「昭和五四年一月末日ころには、富士見病院では、手術の必要のない患者に手術を施しているのではないかとの疑念を抱いたこと」は事実であると認めており、かつ、T保健所長が右の疑念を抱いたのは、患者の苦情申出に接し、これを発端として防衛医大などを調査した結果であったことも認めている。すなわち、所沢保健所が、昭和五〇年以前においても、T保健所長がしたのと同様に、患者の苦情申出に接して真摯に調査を行っておれば、T保健所長と同様の認識に至ったはずである。厚生大臣及び埼玉県知事が昭和五〇年以前には右認識に至らなかったとすれば、それは、病院報告や患者の苦情等に接していながら、なすべき調査をせずに放置したからにほかならない。

カ 被告国らは、Hの告発は被告Aの無資格診療や本件不法行為に関するものではなかったと主張し、壬第一二号証及び第一三号証を援用しているが、右証拠は、昭和六一年一一月二〇日に、本訴において埼玉県が被告となったところから、本訴に備えるため、元所沢保健所職員であったP及びSから事情聴取をした結果を記録したものである。すなわち、右はHの告発(昭和五〇年)から一〇年も経っているので記憶鮮明とは言い難く、しかも、PやSは被告県の立場を配慮して発言していると考えられるから、信用性に多大の疑問がある。これに対し、昭和五五年一二月二五日付け朝日新聞の記事(甲サ三)は、事件発覚直後にH(右新聞記事の「Aさん」)及びP(右新聞記事の「B課長」)から取材した結果に基づいたもので、両者とも未だ記憶が鮮明であり、しかも富士見病院事件が社会的に大きな関心を集めている中で、同事件に直接・間接の関わりある立場の者として襟を正して発言した内容なので、その信用性は高い。以上のとおり、Hの告発は被告Aの無資格診療や本件不法行為に関するものであったことは明らかで、被告国らの主張は失当である。

キ 被告国らは、前記のとおり、T保健所長が昭和五四年一月末日ころには富士見病院が本件不法行為が行われているとの疑念を抱いたことを認めているが、厚生大臣及び埼玉県知事が右の時点以降も被告芙蓉会や被告医師らに対する行政処分をしなかったことについて、処分は慎重にしなければならぬとか、処分の前提となる事実の確定には医学的な専門知識をもとにした相当程度の事実関係の確認の積み重ねが必要であるなどと述べ、両被告の責任を否定する根拠としている。しかし、厚生大臣及び埼玉県知事に求められた処分は、いうまでもなく民事・刑事の責任を根拠とする処分ではないのであって、医療法及び医師法上の行政処分なのであるから、不要不適の手術すなわち傷害行為が行われているとの事実確定は必要でない。行政処分の前提となる事実は、被告Aが無資格でME検査を担当し、更には診療行為を行っている事実であった。これらの事実の確定は、診療内容の医学的当否にまで立ち入るわけではないから、「医学的な専門的知識」が不要であることはいうまでもないし、警察・検察による捜査結果を待つことも不要であった。そして、厚生大臣及び埼玉県知事は、違法手術すなわち傷害行為が行われているとの疑念を抱いた以上は(ただし、この疑念にかかる傷害行為それ自体を処分の前提事実とするものではないこと前述のとおりである。)、医療法及び医師法の存在目的が関わる事態であるから、なお処分に慎重でなければならぬ理由など存在しなかったものであり、厚生大臣及び埼玉県知事は、一刻も早く行政処分を行い、もって富士見病院の診療システムを瓦解せしめ、本件不法行為を終焉させるべきであった。

ク 被告国らは、厚生大臣及び埼玉県知事の行政処分が、H保健所長の前記認識の時点(昭和五四年一月末日ころ)から遅れること甚だしく被告Aの逮捕の後である昭和五五年一二月以降になってしまったことについて、通常必要とする期間内の不作為であって違法にならないと主張するが、H保健所長の右認識の後速やかに処分を行うことが可能かつ必要であったことは、右に述べたとおりであるから、被告国らの右主張は失当である。

(5) 賠償責任

以上のとおり、被告Aの無資格診療及びこれを要とする本件不法行為の存在を知り得た厚生大臣及び被告県知事は、必要な行政処分をするなど、各権限を適正に行使すべき義務があったにもかかわらず、これらの権限を行使せず漫然放置した点に不作為の違法があり、この不作為により、原告らに前記損害を与えたものであるから、被告国らは、国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ損害賠償責任を負うものである(なお、前記経緯に照らして、被告県については、同県知事の費用負担者として同法三条一項に基づく請求も選択的にされているものと認める。)。

(6) 消滅時効が完成していないこと

被告国らは、患者原告らのうち、原告<Ⅲ―1>、同<Ⅲ―2>、同<Ⅲ―3>の三名については、いわゆる富士見産婦人科病院損害賠償請求事件(本件訴訟)の第三次訴訟(丙事件)として昭和六二年一月に訴訟提起されたことにつき、時効の完成を主張し、これを援用している。

しかし、右原告らのカルテ等の重要資料は、富士見病院に係る前記の各刑事事件との関係で、長らくこれに関係する裁判所、検察庁、県警本部の手元にあり、右原告らは、これを検討することができず、右刑事事件が終わった後の平成二年に本件訴訟における証拠保全決定に基づく検証が実施され、その結果によって初めて右カルテ等の内容を知り、これを検討することができるようになったにすぎないのであるから、それまでは、右原告らは「損害及び加害者を知った」ことにならないものである。したがって、被告国及び被告県の消滅時効に係る主張は失当である。

【被告芙蓉会、被告A及び被告Bの主張】

1 富士見病院の診療システムについて

(一) ME検査とコンサル

(1) 人体の内部臓器を直接観察する機械としてはレントゲンが存在していたが、このレントゲンでは、人体の軟部臓器を見ることはできず、せめて、造影剤の使用によって胃や子宮・卵管の内腔状態の写真が撮れるだけであった。これに対し、超音波断層診断装置(ME)は、子宮や卵巣、胎児、胎盤などの映像を直接キャッチできるものであり、その出現は内診指の感覚の向上が第一義と考えられていた産婦人科の診療技術に革命的変化をもたらすものであった。

MEは診断装置ではなく、医師の診断補助装置であり、必ず医師の指示・管理下に置かれるのであって、常に医師のチェックを受けるものである。富士見病院のME指示票に二名の医師名があるのはそのためである。

昭和四六年、富士見病院がMEの第一号機を導入したときは、日本ではMEそのものがまだ珍しい機械であり、メーカー側も「別に操作に資格は不要です。外国では秘書たちがどんどん操っています。」と教えていた。さらに、富士見病院では、保健所に何回か操作資格の件について問い合わせていたが、保健所から無資格者が操作することが違法であるという回答は一度もなく、保健所による年一回の病院検査でも、一度として注意事項とされず、当時のT保健所長が、昭和五四年二月一五日、被告AのME操作を直接見学したが、被告Bは、医療責任者として、保健所から何らの注意や警告受けたことはなかった。

MEの映像は動画であるから、これから所見を得る作業は、ある意味では勘とイマジネーションの世界である。本質的に、この作業においては、動いている臓器の映像から疾病や異常を発見することができればよいということに尽きる。富士見病院では、ME検査の際、病巣を分かりやすく絵に描いて考えられる病態を記し、なお、数カットの写真も添附していた。そして、被告Aは、担当医師のME指示に基づいて機器を操作し、決して他の病院に負けないME所見を出し、それを医師が自分の診断の参考にしていた。

(2) 富士見病院には、昭和四五年ころから、コンサルと呼び慣わした医事相談課の制度が存在した。

このコンサルの制度とは、外来患者を診察した医師がもし患者の一人一人に納得のゆくまで説明をしていたとしたら、すぐに三〇分や一時間が経ち、その間、診察待ちの患者を何時間も待たすことになるため、医師が患者を入院させたい場合に、その人の疾病の状態、治療方針等を医事相談課用紙に書いて医事相談課に回し、医事相談課では、右メモに基づいて必要な入院日数や費用、治療の方法等を説明し、患者側からも医師に対するよりはもっと自由な気持で、自分の家庭現況、夫・子のこと、経済事情等を語ってもらい、そのことを通じて病院と患者とのコミニュケーションを深めようと言う趣旨のものであった。

そして、このコンサルを被告Aが担当した。被告Aが、コンサルを担当するようになった経緯は、次のようなものであった。すなわち、かつて富士見病院の患者に、再手術をしないと生命が危ぶまれる状態が生じたが、当該患者とその家族はどうしても再手術に応じようとしなかった事態が発生した。そこで、困り果てた担当医が、被告Aに右家族への説得を依頼し、同被告の懇切な説明により、ついに右患者と家族から再手術の承諾を得ることに成功した。それ以来、医師たちは、被告Aの説得力に信頼を置くようになり、また、被告A自身も、コンサル制度を自分が進んで担当することで、医師は本来の医療そのものに専心できることを評価して、進んでその役を買って出るようになったものである。

(二) 外来初診

初診患者を迎えた担当医は、まずカルテを作り、問診・内診等の診察を行う。この問診・内診は各患者に対し必要にしてかつ十分な時間をかけて行われる。次にME検査を必要とする患者については、担当医自らME指示表を書いて、ME検査に回す。ME検査で得られた所見は必ず外来に戻ることになっており、担当医は、ME検査の所見と他の臨床的診断の結果とを総合して診断し、入院の必要な患者についてのみ、医事相談課用紙に記入してコンサルに回す。なお、コンサルの結果、すなわち被告Aと患者との話合いの内容の要旨は、必ずその日のうちに担当医に戻してチェックを受けることが義務付けられている。

特殊なケースとして、内診だけで既に入院による検査又は治療の必要性がはっきりと出ており、あるいは、患者の家が遠方にあったりした場合、担当医の記載したME指示表とコンサルのためのメモが、同時に被告Aに回ることがある。その場合、被告Aは、ME検査の所見を出すと同時に、医師による診断の結果を患者に伝えることになる。

(三) 被告AのME検査とコンサル

MEを操作して所見を出すためには、もちろん女性器に関する解剖学的知識が必要である。被告Aは当初、被告Cとの共同作業の中で、機械の操作と医学的所見との関係を学び、自らも文献を読んで勉強した。被告AのME検査所見の適確率(手術所見とつき合わせて、対象の形、大きさなどがどの程度適合していたかの割合)は、七五から八五パーセントであり、かなり信憑性のあることを示している。そして、残りの一五から二五パーセントの誤診率は、医師の立場からME検査所見を訂正したことを意味するものである。被告Aが担当したコンサル、MEの操作、ME検査所見の提出は、医師らの厳密な管理の下にあった。

なお、膀胱充満法は、子宮の位置がなかなか発見できない場合、その位置を定めるために膀胱を充満させて、まず膀胱の位置を決定し、その裏に所在する子宮を確かめるための方法である。したがって、膀胱を充満させなくても位置が分かる時は、患者に余計な負担をかける膀胱充満法を採用する必要はない。膀胱充満法はMEが婦人科領域に導入された初期には機械もまだその所見を得るのに十分な精密度がなかったため便宜的に行われたものであり、MEの機械が初期より性能が優れて、極めて明瞭な画像を簡単に得られる現在では採用する必要性がない。むしろ膀胱を充満してしまって、その裏に存在する子宮や卵巣が膀胱に圧迫されて、変形し、あるがままの姿で所見のとれないこともある。したがって、膀胱充満法をとるかどうかはケースバイケースである。

(四) 入院及び手術

すべての患者に対して、診断及び治療方針としての手術を決定したのは、被告医師らである。

通常手術の要否を決するために行われる諸検査等が、手術決定後に形だけ行われるとの原告らの主張は否認する。例えば、ME検査によれば、子宮外妊娠の所見が得られた患者について、被告医師らは、開腹手術をする前に腹腔内穿刺や内腹掻爬を行ったり、妊娠反応を調べたり、当然様々な検査を医師の立場から試みているのである。

また、患者原告らは、各手術に承諾していた。すなわち、医師は、患者の入院後、検査・回診その他で患者と毎日接触している。したがって、医師は手術の内容・方法・予後等について説明し、挙児希望の有無も含めて、十分患者の意とするところを確かめている。他方、患者の方も、入院後、手術までの間に何回となく執刀医及び主治医の回診を受け、質問する機会を与えられている。もちろん、患者の中には「万事おまかせします」と言って、ほとんど質問しない人もいるが、質問しないのもまた、ひとつの患者の意志であり、手術承諾は立派な成人である患者自身の意志である。

2 富士見病院における手術等が不要・不適な手術であったとの原告らの主張は否認する。

【被告C及び被告芙蓉会の主張】

原告らの主張中、違法な権利侵害に関する、①被告Aの行うME検査が民法上違法であること、②被告Aが被告医師らの指示に基づかず自らの判断で患者の入院・手術を決定していたこと、③被告医師らが右Aの決定をそのまま受け入れて手術を敢行していたこと、④本件手術が不要不適なものであったことを、いずれも否認する。また、傷害についての共謀の事実も否認する。

1 被告Aの行うME検査の適法性について

昭和四八年当時MEは最新鋭の医療器具であり、国、埼玉県、保健所もME検査の実施者を限定していなかった。したがって、当時、医師等の資格を有しない被告AがME検査の一部を担当することは違法でなかった。

被告AがME検査において膀胱充満法をとらなかったのは、膀胱を充満して右検査を行うと患者の苦痛が増大すること、及び、排尿後の検査でも得られる画像に差がなかったことからである。なお、現在の臨床において、膀胱充満法は採用されていない。

2 被告A独自の診断、入院・手術の決定について

まず、外来初診の患者については、問診(施薬)のみで終了する場合、ME検査で終了する場合、入院(検査)で終了する場合、入院から手術に至る場合などがあり、手術についても、掻爬のみの場合、卵巣整形の場合及び全摘手術の場合があった。初診から手術に至る患者の数は、一日の外来初診患者数の十数分の一であった。初診患者のすべてを例外なくME検査にまわしていたわけではない。

ME検査に回した患者についても、被告Cは、被告Aに対し、被告医師らの指示に基づくことなく自らの判断でその患者に病名や病状を告知したり、入院や手術の方法を決定することを許したことはない。

例えば、10の<氏名略>の場合には、被告Cは医事相談指示票にME検査において確認してほしい病名を明記するなどして被告AにME検査を指示している。また、43の<氏名略>の場合には、初診の際に子宮筋腫の診断を被告Cがした上でME検査に回しており、被告Aが独自に診断したものではない。

3 被告Aの決定をそのまま受け入れたかについて

被告Cは、MEの画像の読影技術につき被告Aより前に習得しかつ同人より優れていたから、被告AのME検査所見に従う必要はなく、疑問があれば自らME操作をし画像を読影している。

また、原告らは、被告医師らが被告Aの入院決定を変更して手術をしないで退院させた例はない旨主張する。しかし、例えば、31の<氏名略>の場合は、被告Aから「癌の手前だ、すぐ入院しなさい。まず掻爬してその後全摘手術をする」と言われたと主張するが、実際には、子宮内容除去手術が行われただけで、子宮筋腫の疑いもなくなったので、被告Cは同原告の退院を認めたものである。すなわち、被告Aの入院・手術の決定が仮にあったとしても、被告Cはその決定に左右されず、独自の判断で退院せしめたのである。

4 以上から明らかなように、「被告AによるME検査→同人による診断・入院の決定→手術」というシステムが富士見病院にあったという原告らの主張は誤りである。

5 原告らは、「被告Aらに、不要不適の手術を行うことについて少なくとも暗黙裡の意思の連絡があった」旨を主張するが、これは、訴え提起後十数年経過した後の予備的主張であり、時期に遅れた攻撃防御方法であり失当である。(裁判所註・しかし、訴状中に、「黙示的意思の連絡があった」との主張が記載されており、被告Cの右主張は採用することができない。)

【被告Dの主張】

原告らの主張中、違法な権利侵害に関する、①被告Aが被告医師らの指示に基づかず自らの判断で患者の入院・手術を決定していたこと、②被告医師らが右Aの決定をそのまま受け入れて手術を敢行していたこと、③本件手術が不要不適なものであったことを、いずれも否認する。また、傷害についての共謀の事実も否認する。

1 被告A独自の診断、入院・手術の決定の有無について

患者原告らすべてについての初診カルテが存在し、かつ、その記載事項が他の病院等におけるそれと比較しても何ら遜色なく、むしろ詳細かつ丁寧であること、患者原告らのうち相当数が富士見病院の既存患者から紹介を受けたものであり、かかる紹介者の存在は、被告医師らの診察方法の適正妥当さが紹介患者に映じた結果とみるのが相当であることなどからして、富士見病院において、初診患者に対する診察が短時間かつ形式的なものであったとはいえない。また、被告医師らはみな口を揃えて診断結果を告知していた旨を供述している。

被告Dは、内診の補強のために必要と認められる患者をME検査に回していたものであり、初診患者を例外なくME検査・コンサルに回していたのではない。

したがって、被告Aの独自の診断、入院・手術の決定があったことについて、原告らが主張するような間接事実は存しない。

2 被告医師らが被告Aの決定をそのまま受け入れたかについて

①被告医師らは、初診患者のうちME検査とコンサルの持つ合理的機能が期待し得べき患者に絞って、ME検査とコンサルの実施を被告Aに委ねていたものであり(なお、被告Aには、ME検査によって子宮筋腫、卵巣嚢腫等の病変を確知する能力があった。)、②初診時の診断のほか、入院後にも被告医師らによる診断・検査が重ねられ、関与した医師による手術適応の診断がされ、それによって、手術をするかどうかが決定されていたものである。したがって、被告医師らが、被告AのME検査所見等にそのまま従っていたということはなかったものである。

3 不要不適な手術を敢行したとの点について

患者原告らについて、いずれも病変が存在していたことは、被告医師らの各陳述書・カルテの記載から明らかであり、不要不適な手術がされたことはない。このことは、被告Dを始めとする被告医師ら全員が、別件の傷害被疑事件において不起訴処分となっていることからも裏付けられる。

なお、被告Aが患者の退院に際しいい加減な説明を行ったことはない。また、患者に対する退院後における諸般の処置は、患者の利益となるべき正当業務行為であり、非難されるいわれはない。

4 傷害の共謀について

被告Dが被告AのME検査所見を自己の診断を補強するために利用したことは事実だが、被告Aの所見がいい加減なものであることを承知の上で利用したことは、およそあり得ない。なお、被告Aが医師法違反に当たる一定の診断行為を行っていたことが仮に肯認されるとしても、そのことは、被告医師らの委嘱範囲を超えており、予見可能性がなかった。

【被告Eの主張】

原告らの主張中の違法な権利侵害に関する、①被告Aが被告医師らの指示に基づかず自らの判断で患者の入院・手術を決定していたこと、②被告医師らが右Aの決定をそのまま受け入れて手術を敢行していたこと、③本件手術が不要不適なものであったことを、いずれも否認する。また、傷害についての共謀の事実も否認する。

1 右の点を敷衍すると、次のとおりである。

(一) 被告医師らは、いずれも医師としての経歴、実力を備え、勤務態度においても、通常の医師と変わらない。被告医師らは常に医学の研鑽に努め、一般的な医学水準に基づく医療に専念していた。

(二) 入院の決定、入院後の診療

被告Eは、外来患者に対し問診と内診を行い、問診において、患者が種々他の医師の診療を受けたり、他の病院を回ってきたことが判明した場合には、より確実な診断と適切な治療を行うために入院して検査することが妥当と判断し、患者本人の希望ないし了解を得た場合に、入院を決定していたものであり、右を被告Aが決定していたものではない。そして、入院後は、被告Eが受持医ないし担当医となり、必要に応じて患者に適切な諸検査、治療を行った。以上は、患者原告らのカルテの記載から明らかである。なお、外来カルテに診断名の記載がない場合もある(例えば、27の<氏名略>、36の<氏名略>)が、単なる記載洩れである。

(三) 被告AによるME検査及びコンサルについて

被告Eは、ME検査に資格が必要であるとは認識しておらず、被告Aの行うME検査所見を参考にしたことはあるが、右検査所見のみから、患者の入院や手術の決定をしたことはない。なお、膀胱充満法についてはこれを採用しなくても別段問題はない。

被告Aの行うコンサルは、患者に対し入院費用など主に入院に必要な事務的かつ経済的な事項を説明したり、患者の相談と要望に応じるというものであった。

(四) 手術

被告Eは、必要かつ適切な血液、尿、生科学検査及び内診によって、患者の病状の変化を探り、手術の適応について慎重に配慮して決定し、執刀したものである。また、大きな手術においては、被告Bも内診し、諸々の検査結果等から手術の必要を決定し、同被告が執刀した。以上は、患者原告らのカルテの記載から明らかである。

2 なお、被告Eが富士見病院を退職したのは、昭和五一年一一月一五日である。

【被告Fの主張】

原告らの主張中の違法な権利侵害に関する、①被告Aが被告医師らの指示に基づかず自らの判断で患者の入院・手術を決定していたこと、②被告医師らが右Aの決定をそのまま受け入れて手術を敢行していたこと、③本件手術が不要不適なものであったことを、いずれも否認する。また、傷害についての共謀の事実も否認する。

1 浦和地方検察庁は、富士見病院の患者らが告訴した被告医師らについての傷害被疑事件について、慎重かつ厳正な捜査・取調べを行った結果、被告Aら全員について不起訴処分とした。このことは、右①ないし③の事実が存在しないことの証左である。

2 被告Fの診療行為等について

(一) 外来初診

被告Fは、初診患者に対し、まず、主訴を聴取し、家族構成、月経、婚姻、妊娠、分娩、産褥経過、既往疾患、手術等の既往歴を質問し、さらに、アレルギーの有無、薬剤、出血、痛み等の現症経過を確認し、視診と触診のほか内診を行った。右診断結果に基づいて、カルテの外来病歴欄にその内容を記載した。

(二) 入院

被告Fは、右診察の結果、患者が他の医師や他病院を受診した経験を有し、かつ、その主訴と内診結果から多少なりとも病変が疑われる場合は、より確実な診断を行うために、ME検査を含む諸検査とこれに必要な入院を勧めていたものである。これは、富士見病院の方針に沿った措置であった。そして、入院は、患者に対し診断の説明をし、患者の意思を確認し承諾を得たうえで決定された。入院後は、当該患者につき原則として被告Fが担当医(主治医)となり、適切な諸検査と治療を行った。

(三) 被告AによるME検査との関係

被告Aが無資格でME検査に従事していたことは事実であるが、同被告がME検査を担当するようになった昭和四八年当時は、国、埼玉県、保健所のいずれも、ME検査の実施者を医師等に限定していなかった。被告Fは、富士見病院に勤務するようになった昭和五一年六月ころには、ME検査を被告Aが担当することが既成事実化していたため、検査の実施に特段医師の資格を要するとの認識を持たなかった。

被告Fは、被告AのME検査所見を無条件に受け入れて、入院及び手術を決定していたわけではない。ME検査の結果が、検査終了後いったん担当医師のもとへ戻るシステムであったことからも明らかなとおり、あくまで自己の診断の目安、参考資料として利用したにすぎない。当然、患者の病状・病名の診断を被告Aに一任していた事実もない。入院・手術の最終決定権は被告医師らにあった。

ME検査における膀胱充満法は、患者に苦痛を強いるほか水胞性腫瘍等の他の症状と誤認するおそれがあり、必ずしも採用すべき方法ではない。富士見病院では排尿法をとっており、そのことは実際のME検査結果からしても問題とされるものではない(甲タ一・一三項、甲アD一・三五三頁以下)。なお、現在では臨床において膀胱充満法は採用されていない。

(四) コンサル

富士見病院において、昭和四六年一〇月ころから開始されたコンサルは、患者に対し入院・手術費用等の主として経済的・事務的な事項を説明し、患者各自の相談に応じることを目的として、自然発生したものである。また、コンサルについては「医事相談指示」用紙が、ME検査についてはME依頼票やME指示表がそれぞれ用いられており、コンサルとME検査は、その形式、趣旨、目的が全く異なる制度である。したがって、ME検査とコンサルを併せ担当する被告Aが、自ら患者の病状・病名を診断し入院・手術を決定していたという事実はない。

(五) 入院後の対応

被告Fは、患者に対し、必要かつ適切な血液、尿、生化学検査等の諸検査及び内診によって、病状の実態を把握し、余病があるときはこれを治療し、手術については消極的見地から特に慎重に行うことを主張し、かつ心掛けた。被告Aの決定に従って不要・不適な入院・手術を強行した事実はない。

富士見病院における手術の最終決定権は被告Bにあり、特に重要な大手術については、同被告が直接内診を行い、手術の必要を認めるときはその決定をし、執刀をした。

【被告Gの訴訟承継人である被告G1、被告G2及び被告G3らの主張】

1 被告Gは、医師としての義務違反行為を行っていない。なぜなら、被告Gは、被告AがMEを操作した場に立ち会い、ME検査の結果をコピーしたものに記載して診断し、被告Aの結果説明に誤りがあれば、その都度これを訂正したものであり、入院手術等の指示は、被告Gではなく各担当医が行ったからである。

2 仮に、被告Gに超音波主任管理医師としての義務違反行為があったとしても、その義務違反行為と手術等による原告らの損害との間には相当因果関係がない。なぜなら、手術をしたのは執刀医であり、執刀医は、手術の際、他のいかなるものにも影響されず、すべての情報を総合して独自に適正妥当な判断をしたのであり、手術が必要と判断した場合にのみ手術を実施し、他方、不要と判断した場合は手術を実施すべきでなく、これをしないからである。

3 仮に、被告医師らに共同不法行為が成立するとしても、被告Gの寄与度は極めて小さい。にもかかわらず、原告らに対し全額賠償責任を負うとすることは、あまりにも苛酷であり、信義衡平に反する。したがって、信義則上、被告Gは原告らに対し寄与度に応じた責任のみを負う。

【被告国及び被告県の主張】

1 公務員の行政権限不行使が違法とされる要件

(一) 作為義務の存在

公務員の不作為が国賠法一条一項の適用上違法とされるためには、当該公務員に規制権限を行使すべき義務(作為義務)が存し、かつ、その作為義務に違反してその職務行為を行わなかったことが必要である。

右作為義務は、単なる内部的な職務規律上の義務では足りず、権限不行使によって損害を受けたと主張する特定の国民との関係において負う職務上の義務でなければならず、また、違法を問われている不作為(権限不行使)の時点において存することを要する。

また、規制権限については、その存在について法律上の明文の根拠を要する。なぜなら、条理を根拠とする規制権限の行使を安易に認めることは法律による行政の原理に反するからである。

(二) 作為義務が肯定される要件

規制権限の存在が認められたとしても、右権限の行使が可能であるか否か(具体的権限発生の要件)について、当該規制権限の根拠法規、その趣旨、目的、性格を十分検討して判断されなければならない。

右の検討により規制権限の行使が法的に可能であると判断された場合には、次に、規制権限を行使することが、個別の国民に対して負担する職務上の法的義務(作為義務)とまで評価することができるかどうかを判断する必要がある。その際、権限を行使するか否かにつき裁量が認められる場合には、作為義務の判断は、権限不行使についての行政庁の判断が、裁量の範囲を逸脱して著しく不合理と認められるか否かという観点から行うべきである。なぜなら、法が行政庁に一定の裁量権を与えているのは、判断の専門技術性や公益判断の必要性などによるものであり、その権限の不行使の適否については、第一次的には行政庁の判断が尊重されるべきであるからである。そして、裁量の逸脱があるか否かの判断に当たっては、被害発生の予見可能性やその結果回避可能性に関する事情はもちろん、規制される側の事情、その他権限行使に積極・消極に作用する諸般の事情を具体的かつ総合的に考慮しなければならない。

したがって、このような検討をすることなく、権限行使をすべき義務の発生をいう原告らの主張が失当である。

2 医師法・医療法等の規定と規制権限との関係

医師法・医療法は、厚生大臣及び都道府県知事に個別の国民に対する法的な職務上の作為義務を定めているものとはいえない。その理由は次のとおりである。

(一) 医師免許取消及び医業停止(医師法四条三号及び七条二項)について

医師法四条三号は、医事に関し犯罪又は不正の行為があった者に対し、免許を与えないことがある旨規定し、同法七条二項はこれを受けて、一旦免許を与えた医師に対しても、その免許を取り消し、又は期間を定めて医業の停止を命ずることができる旨定めているが、右七条二項の規定は、医師免許の取消し等を「命ずることができる」旨規定し、免許の取り消しを義務付けているわけではない上、免許の取消し、医業停止の処分が、処分対象者はもちろんその関係者の利害に関係するところが大きいので、行政官庁の独断に陥ることを避け、その客観的妥当性を保障するため、医道審議会への諮問(同法七条四項)及び本人に対して十分弁明の機会を与えることとなっている(同法七条五項)。そのことからしても、医師の免許の取消しや医業停止の処分については、慎重な手続を経た上での専門技術的立場からの判断に委ねられているものと認められ、厚生大臣に広範な裁量が認められていることは明らかである。

そして、同条項が、厚生大臣の個別の国民に対する職務上の義務を定めたものでないことも明らかである。

(二) 医師に対する必要な指示(医師法二四条の二)について

同条は公衆衛生上重大な危害を生ずるおそれがあり、かつ、その危害を防止するため特に必要があると認められる場合に、医師の行為による危害をできるだけ防止しようとする政策的見地から公衆衛生の向上及び増進を図ることを一般的任務としている厚生省(厚生省設置法四条)の長たる厚生大臣に対し、医療行為について一応の訓示的指示を与え得る道を開いておく必要があって設けられた権限規定である。

同条は、「厚生大臣は、公衆衛生上重大な危害を生ずる虞がある場合において、その危害を防止するため特に必要があると認めるときは……」と規定して、「公衆衛生上」、「重大な危害」、「生ずる虞」、「特に必要」という不確定ないし多義的概念を用いており、これらの概念及びその認定は極めて行政の専門的判断を要する事項である。

さらに、同条は、「必要な指示をすることができる」と規定しているのであって、指示を発する要件を認め得るかどうか、要件を認め得た場合においても指示を発するかどうかは厚生大臣の広範な裁量に委ねられているものであり、厚生大臣が同条に基づく指示を発したこと、又は発しないことについては、当不当の問題を生ずるに止まり、法律上の義務違反を問責される性質のものではない。

また、厚生大臣の指示が医業の自主性・裁量性を損なわず、かつ、医学的専門性の判断にわたるため、医師法二四条の二第二項は、「厚生大臣は前項の規定による指示をするに当たっては、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。」と規定している。

したがって、医師法二四条の二の指示についても、厚生大臣の専門技術的立場からの合理的判断に委ねられており、また、同条項が、厚生大臣の個別の国民に対する職務上の義務を定めたものであると解されないことも明らかである。

(三) 医療監視(医療法二五条一項)について

医療監視は、その目的が、病院が医療法その他の法令により規定された人員及び構造設備を有し、かつ適正な管理を行っているか否かについて検査することによって、病院を国民に科学的で、かつ、適正な医療を施すにふさわしいものとすることにあると定められており、病院等の管理、構造設備を検査対象とするものであって、対象となる病院の診療内容の当否に対する監視ではなく、医療法二五条の診療録等の帳簿書類の検査も診療内容を検査するための権限ではない。医療監視要綱には非常に多数の検査項目が定められているが、その「診療録」の項には、「診療録に必要な事項が記載されているか」を検査すると規定されているのであり、その診療内容に関する事項は規定されていない。医療監視は、医療内容の当否について監視又は検査することを目的とする性質のものではないのである。

そして、医療法二五条の定める都道府県知事の義務も、その権限行使の要件が「必要があると認めるとき」と定められていて、都道府県知事あるいはその委任を受けた保健所長等の専門技術的立場からの合理的判断に委ねられており、また、同法に個別の国民の側からの権利保護のための格別の規定が設けられていないことからしても、同条項が、厚生大臣又は都道府県知事の個別の国民に対する職務上の義務を定めたものと解することはできない。

(四) 病院の管理者の変更命令(医療法二八条)及び病院の開設許可取消及び閉鎖命令(同法二九条一項三号)について

管理者は病院の管理運営についての責任者であるから、不適格と判断されるような場合には、都道府県知事は、病院の管理運営に支障のある管理者の変更を命じることができる。また、都道府県知事は、病院の開設許可の取消し又は一定期間の閉鎖命令を行うことができる。

しかし、これらの権限は、管理者又は開設者が、犯罪を為し又は医事に関する不正行為をした場合に、「できる」にすぎないのであり、裁量の要素が含まれ、かつ、これらの処分が、処分対象者はもちろんその関係者の利害に関係するところが大きいので、行政官庁の独断に陥ることを避け、その客観的妥当性を保障するため、原則として本人に対して十分弁明の機会を与えることとなっている(同法三〇条一項)。

また、「犯罪を為し」たというためには、相当程度の事実関係の把握が必要である上、「医事に関する不正行為」の有無については、その概念自体が抽象的であり、具体的適用にあたっては社会通念に従って個々に判断するしかなく、したがって、これらの処分については、慎重な手続を経て事実の確定をした上で、都道府県知事の裁量に基づいて行われるべきものと認められる。

そして、同法に個別の国民の側からの権利保護のための格別の規定が設けられていないことからしても、これらの権限が、個別の国民に対する都道府県知事の職務上の義務といえないことも明らかである。

(五) 医療法人への設立認可の取消(医療法六六条)について

都道府県知事は、医療法人が法令の規定に違反した場合等に、医療法人の設立の認可の取消しをすることができる旨規定している。

しかし、本条は、「他の方法により監督の目的を達することができないときに限り」、「取り消すことができる」ものであって、例外的な措置として位置づけられており、その権限の行使について、そもそも極めて例外的にしか行使し得ない性質のものであって、仮に行使するとしても、都道府県知事に広範な裁量が認められているものである。

また、前記のとおり、同法に個別の国民の側からの権利保護のための格別の規定が設けられてはいないことからしても、同条項の権限が、個別の国民との関係で行使すべき義務を負っているとはいえないことも明らかである。

3 本件不法行為についての予見可能性等

厚生大臣及び埼玉県知事には、原告らの主張する富士見病院の不法行為に関し、そもそも予見及び予見可能性がなかった。

(一) 病院報告について

原告らは、厚生大臣が本件不法行為に対する具体的危険を予見し得た根拠として、病院報告の数値を引用して主張する。

しかし、当時の病院報告は、全国の病院の分布と実態、利用状況、従事者の状況の基礎的資料の報告であり、病院報告中には診療内容に関する調査項目は設けられていないので、個々の病院において、不必要な手術、傷害行為が行われていた事実などは全く推測することができない内容である。

また、仮に、原告ら主張のように富士見病院における外来患者数に対する入院患者数の割合が他病院と比較して高かったとしても、このような割合のみから、原告らの主張するような不必要な手術、傷害行為が行われていた事実を推測することは到底できない。

なお、富士見病院は概ね毎月の入院患者延数が外来患者延数を同程度ないしこれを上回っていたとあるものの、昭和五一年四月から同五五年一月までの四六か月間のうち、入院患者延数が外来患者延数を上回る月数は二一か月である。

また、原告らは埼玉県衛生部では富士見病院の「分娩以外の月別手術件数」を掌握していた旨主張するが、これらの数値を知り得る客観的資料は存在しない。

(二) Hによる告発について

Hが所沢保健所のP計画課長に面会したときに述べたことは、富士見病院において臨床検査技師にX線業務をさせているとの内容であり、被告Aの無資格診療や本件不法行為に関するものではなかった。

また、P計画課長は、当時、Hの右申述内容について、富士見病院に対して、その事実のないことを確認したのであり、右Hの申述内容から、本件不法行為について知り得る状況であったとはいえない。

(三) 医療監視について

原告らは、埼玉県知事が適切な医療監視や立入検査を行い、診療録等の検査を行っていれば、富士見病院における不法行為を容易に察知し得た旨主張するが、前記のとおり、医療監視は、その目的が、病院が医療法その他の法令により規定された人員及び構造設備を有し、かつ適正な管理を行っているか否かについて検査することによって、病院を国民に科学的で、かつ、適正な医療を施すにふさわしいものとするために、病院等の管理、構造設備を検査対象とするものであって、対象となる病院の診療内容の当否に対する監視ではないから、厚生大臣又は埼玉県知事が適切な医療監視や立入検査を行い、診療録等を検査していれば、本件不法行為を容易に察知し得たとはいえないことは明らかである。

そして、富士見病院に対しても、医療法の目的を達するためにも指導要綱に定められている極めて多数の事項について、医療監視員が同病院に立入検査を行い、毎年適正に医療監視が行われてきた。同医療監視の結果については、その都度改善点を指摘し、その後に、指摘に対する改善の結果を報告させていたものである。

(四) T保健所長の対応について

原告らは、T所沢保健所長が昭和五四年二月までに、富士見病院で違法な手術が行われていたと認識し、かつ患者の具体的情報を把握していたとし、その上で、埼玉県知事は同保健所長から報告を受けて、更なる調査を行い必要な行政処分を行うべきであり、厚生大臣も埼玉県知事から報告を受け、必要な行政処分を行うべきであったと主張する。

しかし、原告らが主張するところの厚生大臣又は埼玉県知事の権限が発動されれば、病院開設者、管理者、医師又は医療法人に対する不利益処分として、病院の営業継続や、医師としての就業を不能にする事態を招き、病院開設者、医師個人、医療法人だけでなく、その余の病院関係者の利害にも影響するところが大きいといわなければならない。このように処分の影響が重大であることから、処分を行うについては慎重な対応が必要であり、処分の前提となる事実の確定については、医学的な専門的知識をもとにして、相当程度の事実関係の確認の積み重ねが必要となる。

そして、その処分を行うか否かにつき裁量のあることは前記のとおりであって、そのことからすると、処分の選択、権限行使の時期等は、権限を有する厚生大臣又は埼玉県知事の専門的判断に基づく合理的裁量に委ねられている。

本件においては、埼玉県職員による富士見病院関係者や元患者に対する事情聴取の結果、さらには、警察の捜査の状況、検察官による起訴処分やその内容を確認して、それらの情報をもとに処分対象たる事実を確定することにより、はじめて行政処分を行うことができたものと解され、少なくとも、その時期において処分を行うこととした行政庁の判断に、その裁量の範囲を逸脱した著しい不合理があるとまで認められる事情のないことは明らかである。

そして、原告らに対して、その主張するような不必要な手術がされたという不法行為があったのか否かについては、厚生大臣及び埼玉県知事は、その当時のみならず現時点においても正確な事実を把握できているものではない。ちなみに、いわゆる富士見病院事件の被害者が相被告らを傷害容疑により告訴した件について、浦和地方検察庁は、捜査を遂げた結果、不起訴処分としている。

(五) 被告AのMEの無資格操作について

原告らは、被告Aに対しMEの無資格操作に関して行政処分を行えば、本件不法行為を防止できた旨主張するが、被告AのMEの無資格操作がなかったとしても、原告らの主張する本件不法行為である不必要な手術を施すこと自体を防止することができるものでないことは明らかであり、原告らの主張する被害との因果関係を肯定し得ないし、かえって、MEの無資格操作についてのみ処分を行っても、警察による富士見病院の診療の実態の全容解明の支障となり得ることも考えられるところであって、T保健所長が、警察の捜査結果を待って、富士見病院における診療の実態の全容を把握しようとしたことは、通常の保健所長としては極めて常識的かつ合理的な判断であり、これらの事実から厚生大臣又は埼玉県知事について、相被告AのMEの無資格操作について、何らかの処分を行うべき作為義務の発生を認めることはできない。

(六) その他

また、仮に、T保健所長が富士見病院において違法な手術が行われているとの疑念を抱いたころ以降に、厚生大臣又は埼玉県知事が、原告らの主張する医療法ないし医師法に基づく権限を行使すべきとされる場合があるとしても、右各権限を行使するのに通常必要とする期間内の不作為は違法とならないというべきところ、右各権限の行使については医学的な専門的判断が必要であって、事実関係の確定に困難を伴うこと、前記のとおり、各権限の行使にあたっては、それぞれの要件に従い、事実の確定をするための調査を行った上で、医道審議会の意見を聴取したり、処分対象者の弁明を聴く手続などが必要である。

さらに、原告らは、被告Aの逮捕の約一か月後に富士見病院の監査を行い、その二か月ないし四か月後に、富士見病院並びに被告Bらに処分を行ったことを指摘し、T保健所長が富士見病院において違法な手術が行われているとの疑念を抱いてから、厚生大臣又は埼玉県知事が処分を行うまでに、三か月ないし五か月程度の期間があれば処分を行うことが可能である旨主張する。

しかし、右処分は、それまでにT保健所長が把握した事実だけでなく、警察の捜査による被告Aの逮捕という事実の前提があり、その程度の期間で処分を行うことができたのであって、これらの前提のない段階で、原告らの主張するような早期の処分が可能であったとはいえず、この時期に処分を行わなかったことをもって、行政庁の判断に裁量の範囲を逸脱した著しい不合理があるといえないことは明らかである。

4 まとめ

以上のような事実関係の下で、厚生大臣又は埼玉県知事の行為が、その権限行使に関して、裁量権の行使が著しく合理性を欠き社会的に妥当でないとして、国家賠償法一条一項の適用上違法であると評価することは到底できない。

5 消滅時効の援用

患者原告らのうち、丙事件に係る原告<Ⅲ―1>、同<Ⅲ―2>、同<Ⅲ―3>の三名については、いわゆる富士見産婦人科病院損害賠償請求事件(本件訴訟)の第三次訴訟として昭和六二年一月に訴訟提起されたものである。

しかし、昭和五五年九月一〇日に被告Aが医師法違反の容疑で逮捕され、これに関する報道が大々的にされ、かつ、本件富士見産婦人科病院損害賠償請求事件の第一次訴訟(甲事件)が昭和五六年五月一日に提起されていることからすると、右三名の原告らは、遅くとも昭和五六年五月一日には損害及び加害者を知ったものであり、既に消滅時効が完成している。被告国らは、右時効を援用する。

第三  当裁判所の判断

【証拠及び刑事事件等について】

本件の証拠は厖大であり、それを逐一ここに記載することに格別の意義があるとは考えられないので、本件記録中の書証目録、証人等目録の各記載を引用することとする。しかし、事案に鑑み、およそどのような証拠があるかについてここで略記しておくこととする。

まず、書証として、原告ら提出の甲号証、被告B及び被告Aの破産宣告前に同被告ら及び被告芙蓉会提出の乙号証、被告C及び右破産宣告後被告芙蓉会提出の丙号証、被告D提出の丁号証、被告E提出の戊(ボ)号証、被告F提出の己(キ)号証、被告G及びその訴訟承継人提出の辛(シン)号証、被告県及び被告国提出の壬(ジン)号証がある。

そして、「甲ア」、「乙ア」、「己ア」と「ア」が付されている書証(甲アAの一ないし四、Bの一ないし二一、Cの一ないし八、九の1ないし4、一〇、一一、Dの一ないし四、五の1、2、六ないし九、Eの一ないし一二、Fの一ないし五、乙アの一ないし一〇、己ア一ないし一二)は医学的総論関係の証拠である。

なお、次の冒頭「一 子宮筋腫・卵巣嚢腫等について」における症状、手術の適応等に係る総論的な認定については、全般的に右書証中の甲アA一(杉山陽一及び清水保による「小婦人科書」昭和四一年六月第一版第一刷発行・昭和五四年五月改訂第四版第一刷発行)を始めとする右各「ア」号証に依拠しつつ、甲サ六七の1(後記「飯塚鑑定」中の総論的考察)にも依拠した。この書証は、第三者的立場での鑑定意見と認められ、本件に係る医療的問題点につき、後記の「筒井証言」と併せて包括的に解説しているものといえる。他に、当裁判所の基本的な医学知識を補うため、「南山堂医学大辞典」(昭和五三年二月第一六版発行)、標準的教科書と認められる「必修産婦人科学」(昭和三三年九月第一版第一刷発行・平成三年四月改訂第四版第一刷発行)、「標準産科婦人科学」(平成六年四月一日第一版発行)や、「からだの地図帳」(平成元年九月二〇日第一刷発行)、「病気の地図帳」(平成四年一一月二五日第一刷発行)などの一般的文献も適宜参照し、平易と認められる限り、これらの文献上の表現によって記載した箇所もある。これらの参照文献は、本件当時よりもかなり後に出版されたものであるが、本件の各証拠と対比して、本件に関する医学的知見に関する限り本件当時も基本的にほぼ同様の水準であったと認められる。なお、被告Aらは「本件当時における医療水準」というものを強調するが、本件当時と現在とで本件についてどのように医療水準が違うのというか具体的に明らかな主張をしていない(ただし、ME検査における膀胱充満法については後記のとおりである。)。したがって、本件においては「本件当時における医療水準」が格別に問題となっているものではなく、原告らの主張からして明らかなとおり、富士見病院における特異な診療の在り方、すなわち、被告AのME検査及びコンサルを基軸とした「乱診乱療」の有無と、その責任が問われているものである。

右に加えて、各患者原告ら毎の個別事情に関する書証が「カ」号証として各原告番号に対応する番号を付した上で提出されている。すなわち、原告らからは、カルテ(患者原告らの一部につき、被告Aらからもカルテの提出がある。)、手術時の写真、摘出臓器のポラロイド写真、本人の陳述書、佐々木靜子の鑑定書が「甲カ」号証として提出されており(ただし、原告らのごく一部についてはカルテがない。なお、佐々木靜子は第三七回(昭和六二年一〇月一三日)ないし第四三回(昭和六三年七月一二日)という連続七回にもわたる口頭弁論期日において本件に係る問題点につき詳細に証言している。)、これに対応して、被告B及び被告Aから「乙カ」号証(主として被告B作成の陳述書であるが、一部患者原告についてのカルテの反訳などもある。)が提出されている。同様に、その余の被告医師らからも、個別患者原告らについての書証が「丙カ」号証(被告C及び右被告Aの破産宣告後の被告芙蓉会)、「丁カ」号証(被告D)、「戊カ」号証(被告E)、「己カ」号証(被告F)、「辛カ」号証(被告G及びその訴訟承継人)として提出されている(ただし、辛カ号証は、いずれも「被告Gは、被告AのME検査に立ち会ったのみで、手術にも関与しておらず、何もしていないのであるから、責任を問われる筋合いがない」という趣旨を記載した極めて短い書面である。)。

また、昭和五五年一一月及び同年一二月の二度にわたり埼玉県警察本部(刑事部科学捜査研究所)から、被告Aほか五名の傷害被疑事件につき鑑定嘱託依頼を受けた慶応義塾大学医学部産婦人科学教室教授飯塚理八、同助教授筒井章夫及び同諸橋侃がカルテ、摘出臓器のポラロイド写真、子宮卵管造影レントゲン写真、ME写真のビデオ(ただし、39の原告<氏名略>と、訴外<氏名略>の二例のみである。)、ME写真台帳、手術承諾委任書に基づき「手術時の医学水準において手術の妥当性を有するか」と題する鑑定事項について鑑定をした昭和五六年八月作成の鑑定書(以下「飯塚鑑定」という。甲サ六七の1ないし32)がある(そのうちの約四分の一が患者原告らを鑑定対象とするものである。)。

ほかに、右の傷害被疑事件につき、昭和五五年一一月に右埼玉県警察本部から、同年一二月に埼玉県所沢警察署から依頼を受けた東京都監察医・順天堂大学医学部講師乾道夫において、防衛医科大学校教授井出一三博士立会の下に、富士見病院で同年中に手術を受けた患者の摘出臓器(子宮、卵巣等)四〇例についての、肉眼的所見、組織学的所見(防衛医科大学校法医学教室に対し、主としてヘマトキシリン・エオジン染色による組織標本作製を依頼し、これを検索したもの)を述べた昭和五六年四月作成の鑑定書がある(甲サ六六の1ないし40。ただし、右四〇例中、患者原告らに関しては、Ⅲ―2の<氏名略>についてのみが対象となっている(甲サ六六の8)にとどまる。)。

加えて、別件民事訴訟における右乾道夫の証人調書(甲サ七七)、飯塚鑑定をした前記医師団の一員である右筒井章夫の証人調書(甲サ七八の1ないし4。以下「筒井証言」という。)、所沢市にある防衛医科大学校の教授で、その付属病院において診療にも携わっている小林充尚の証人調書(甲サ七九の1、2。以下「小林証言」という。)があり、右乾道夫は主として病理組織学的検索関係の視点から証言し、小林証言は主としてME検査の在り方という視点から証言しており、筒井証言は、産婦人科学的観点から富士見病院における入院手術の在り方について包括的に証言しているものである。右各証言(主として筒井証言)を、本件に関する基礎的医学知識と、本件当時における医療水準及び子宮筋腫、卵巣嚢腫等に対する一般的な診療、治療、手術の適応の在り方などを知る資料とした。

また、本件当時の所沢医師会の会長荻野光男の右と同じ別件民事訴訟における証人調書(甲サ八〇の1、2。以下「荻野証言」という。)、同所沢保健所長であったTの同じ民事訴訟における証人調書(甲サ八一の1ないし3)及び刑事訴訟における証人尋問調書(八二の1ないし3。以下、併せて「T証言」という。)があり、昭和五二年ころ以降の富士見病院の診療に関する風聞や調査等について述べている(これらの書証は主として被告国らの責任を判断する際の証拠である。)。

ちなみに、被告Aら(の一部)から、右飯塚、筒井、小林、Tについていずれも同じ大学の出身者で公平な鑑定が望めないという主張がされているが、何ら合理的な理由が認められない非難というべきであり、到底採用することができない。その一方で、被告Aらは、本件について多くの機関による鑑定が実施されたと主張するが、ただ主張するのみで、本件に係る入院手術等につきその適応がありこれが必要かつ適正であったということについて、鑑定書等を提出するなどして積極的に反証するという訴訟活動をしていない。したがって、当裁判所としては提出されている以上のような証拠によって判断するほかなく、かつ、被告Aらから右のような積極的な反証がないこと自体、本件における入院手術の必要性を疑問視せざるを得ない一つの間接事情ということができる。

なお、以下単に「刑事事件」と総称するが、被告Aについては、浦和地方裁判所川越支部昭和五五年(わ)第五〇六号事件において、昭和六三年一月二八日、医師法違反(医師免許がないのに、六六名の患者に対し、ME検査を実施した結果から、入院、手術を要する旨判定・診断した上、これを患者に告知するという医業をしたこと)によって、有罪判決(懲役一年六月、四年間執行猶予)の宣告を受けており(甲タ一五)、被告Bにおいては、同支部昭和五五年(わ)第六七二号事件において、被告Aと同じ宣告日である昭和六三年一月二八日、保健婦助産婦看護婦法違反(①被告Aが無資格で法定の除外事由がないのに、同被告と共謀の上で、同被告に対し、二一二回にわたりME検査を指示し、同被告において実施したこと、②富士見病院の院長秘書のJ(被告Aの先妻との間の長女)が看護婦、准看護婦の免許がなく、法定の除外事由がないのに、同人と共謀の上で、四一名の患者に対する手術に際して、四二回にわたり、手術の助手行為(結紮(けっさつ)するunterbinden行為Unterbindung・血管を縛って血行を止めること)を指示し、同女がこれをしたこと、③富士見病院の秘書のK(被告Bの姪)が看護婦、准看護婦の免許がなく、法定の除外事由がないのに、同人と共謀の上、一六回にわたり、一三名の患者に対する心電図検査を指示し、同女がこれをしたこと)によって、有罪判決(懲役八月、三年間執行猶予)の宣告を受けた(甲タ一六)。

右被告B及び被告Aの刑事事件における公判調書(被告人本人調書、証人調書等を含む。)、検察官に対する供述調書、司法警察員に対する供述調書が「甲タ」号証として提出されている。右において、被告Aらは、それぞれ本件における入院手術の必要性について弁解しようとしているものの、後記のとおり、その弁解自体ほとんど全く破綻した内容となっており、かえって、本件当時の富士見病院における診療システムを容易にうかがわせるものである。

以上に加えて、本件口頭弁論期日において、証人佐々木静子、各当事者本人(被告B及び被告Aについては、前記破産宣告前は被告本人として、その後は証人として供述している。原告<58>については申出がない。被告Gについては死亡によってその人証調べがなく、その訴訟承継人である妻の原告G1本人)につき人証調べがされている。

なお、医学用語には元来ラテン語ないしこれから派生したものが多く、一方、最近の医学文献、医学論文、医療実務等では国際的にも我が国においても英語、米語が多用されているが、被告医師らは、診療録、手術記録等において主としてドイツ語によって記述しており(医師免許を取得した時期からして、主としてドイツ語によって西洋医学を学んだためであろうと考えられる。)、本件においては、臓器の名称、子宮等大きさを含めて症状の部位、程度、検査方法、所見、病名等々につき、ほとんどが右のような外国語で記載されている。そして、後記のとおり、被告Aにおいても、後記のME検査「所見」として、子宮筋腫、卵巣嚢腫、多嚢胞卵巣症候群等に相当する右のような医学用語を多用しているが、非医学的であったりして、反訳し難い場合があり、また、やむを得ないところというべきであるが、例えば子宮の大きさが、やや大、鵞卵大、手拳大、次手拳大、超手拳大であるとか、付属器に触れる、触れない、触れにくいとか、元来の外国語の意味と、その反訳過程において、多義的であったり、曖昧であったりする場合が少なくなく、加えて、被告医師らにおいて、それを反訳して主張、陳述するに際して、後記のとおり、診療録の記載自体が誤記であるとしたり、誇張し、歪曲して反訳したりしている場合がないわけではなく、それ自体が一つの争点となっている場合がある(最終的には症状の内容、程度、手術の適応の有無に直結する重要な争点である。)ことなどを考慮して、必要かつ相当であろうと考えられる医学用語や若干のドイツ語につき、付記することとした。

一  子宮筋腫・卵巣嚢腫等について

1 子宮、卵巣、子宮後屈、子宮筋腫、子宮内膜症等について

(一) 定義・分類等

(1) 小骨盤(Becken)腔(pelvic cavity)のほぼ中央の、膀胱と直腸の中間にある鶏卵大hens egg sized, huh-nerei gross(gross=gr.。なお、Eiが卵、Huhnが鶏である。)の、西洋梨ないし茄子のような形をしている中空の臓器が子宮(uterus, Ut.=Uterus, Gebrmutter)である(前記「必修産婦人科学」によれば、子宮体(後記の子宮体部)の大きさは、成人で未産婦は鶏卵大で、経産婦は超鶏卵大ber huh-nerei grossから鵞卵大gnseei gross, goose egg sizedである。一方、前記「からだの地図帳」によれば、非妊娠時においては、長さ約七センチメートル、最大幅約四センチメートル、厚さ約2.5センチメートル、重さ約四〇ないし六五グラム、妊娠末期においては、約三六センチメートル、重さ約一キログラムとされている。甲アB九(婦人科学上巻(昭和三七年一一月第一版)の一七頁の「第1表」には、欧米の八名の各学者による子宮の諸計測値の記載があり、かなりのばらつきがあるが、重量につき記載されている六学者中には、四〇ないし六〇グラムとするものが多い。すなわち、Eastmanは未産婦で四〇ないし五〇グラム、経産婦で六〇ないし七〇グラムとしており、Mar-utiusは若年婦人で四四ないし六〇グラム、成熟非妊婦で八九ないし一二〇グラムとしている。欧米人は我が国の婦人よりもかなり重いのかもしれないが、いずれにしても、子宮の重量については個人差が相当あること、若年と熟年、未産婦と経産婦とでもかなりの差異のあることが容易に看取できる。患者原告らの多くは経産婦であるから、後記のとおり、被告Bや被告Cが、子宮の標準重量を二二グラム、二五グラム、三〇グラムであるとした上で、一〇〇グラムないし一五〇グラムの場合にはそれだけでも異常であるかのように主張ないし陳述するところは、明らかに失当であり、しかも、そのような重量の場合には、子宮筋腫があれば直ちに手術の適応があるかのようにも主張陳述しているのであるが、到底採用することができないものである。後記のとおり、本件においては、特に子宮筋腫との関係で摘出臓器の重量からして正常か異常かということがしばしば問題となるので、予め右重量につき言及したものである。)。

子宮は、ごく単純化すれば、右のとおり、厚さ二センチメートルを超える筋層、すなわち平滑筋で構成される袋であり、子宮の左右二つの卵管口ostium abdominale tubae uterinae, tubal abdominal ostiumから左右外側に長さ約一〇ないし一二センチメートルの卵管につながる。

卵管(tuba,uterina, Tube, uterine(fallopian)tube)は、子宮に近い部分から「間質部」(子宮筋層を通っている部分)、「狭部」、「卵管膨大部」(ただし、狭部との明確な境界はない。)となり、その外側の端が房状に深く切れ込み、イソギンチャクの触手状の「采」ないし「卵管采」となり、開放され、卵巣と向かい合っているものである。

卵巣(ovary,Ov.=Ovarium)は、子宮の外側壁につながる固有卵巣索、骨盤腔壁につながる卵巣提索及び卵巣間膜で支持されているが、かなり可動性(Beweglichkeit)がある。(以上及び以下の解剖学的な基礎的知見の図としては、甲アCの一〇が比較的詳細である。)

なお、「(子宮)付属器」(Ad.=Adnex-e, adnexaちなみに、付属器付近をAdnexe gegendと表現する。)とは、卵管、卵巣やこれを連絡する腹膜、靱帯などの諸組織を総合して臨床上呼んでいる名称である。付属器中最もしばしば侵されるのは卵管であり、これを卵管炎という。卵管炎の浸潤が進行すると卵巣等にまで波及するが、臨床上どの程度まで拡大しているのか判定困難なため、一括して付属器炎(Adnex-itis)という。統計上(ただし、かなり古い統計のようであり、何時のどのような統計かは不明である。)淋菌によるものが約八〇パーセントとされている(前記「南山堂医学大辞典」による。)。患者原告ら中には、卵管炎があったとされている者があるが、淋菌が問題となった者はいない。

子宮や卵巣が前記及び後記のような解剖学的構造をしているため、後記の「子宮単純全摘術」「両側bds.=beider-seitsないし片側(左側がls.=links=l.で、右側がrs.=rechts=r.)付属器切除adnektomy」などが可能となるのであるが、後記認定のとおり、富士見病院では、この付属器切除が子宮単純全摘術と一緒にされていることが多い(患者原告らの六割以上がこれに該当する。)。しかるに、富士見病院において「全摘」というとき、また、それを前提とする「術前A」という入院検査がされるとき、右付属器切除まですることが前提とされていたのかどうかすら必ずしも明確でなかったものである(第九九回口頭弁論期日における被告Bの証人尋問参照)。それにもかかわらず、後記のとおり、実際には、多くの場合、両側付属器摘除術が併せてされていたものであって、そのような富士見病院における特異な診療システムが本件における極めて重要な要素となっているものである。

(2) 子宮上方三分の二のやや広い部分を「子宮体部corpus uteri, body of the uterus」、下方三分の一のやや狭い部分を「子宮頸部cervix uteri, uterine cervix」といい、その間を「子宮狭部isthmus uteri」といい、内側を子宮内腔ca.ut.=cavum uteriといい、子宮頸部部分を子宮頸管cervical canalという。子宮体部の最上部を「子宮底fun-dus」という。子宮頸部のうち膣腔側(子宮底辺側)に突出した部分を「子宮膣部portio vaginalis, P.=Portio vaginalis, vaginal portion of cervix」(いうまでもないものの、子宮頸部の一部であるから、次の「膣管」による膣とは別の部位である。)、その上方を「子宮頸膣上部portio supravaginalis, supuravaginal portion」という。子宮の前面は膀胱に、後面は直腸に面しており、それぞれ膀胱面、直腸面と呼ばれる。子宮と膀胱bladderはおよそ子宮狭部の高さ以下でまばらな結合組織により相接合するが、子宮の直腸面は他の臓器と結合していない。

膣vagina,s.=Scheideは、成人女性の場合通常長さ七ないし一〇センチメートルで、普段は粘膜のひだで狭くなっているが、よく伸びる筋性の管で、その上端が右子宮膣部に連なり、その個所が輪状腔となっている。これを「膣円蓋」といい、膣口から見て奥側を「後膣円蓋」、手前側を「前膣円蓋」といい、後者は前者よりも浅い。そして、膣円蓋部分の子宮口を「外子宮口ussere Muttermund」、子宮狭部にある子宮口を「内子宮口innererMuttermund, internal os.」、子宮狭部の下方を「組織学的内子宮口」、上方を「解剖学的内子宮口」という。

(3) 通常、子宮頸部の縦軸は、骨盤軸に対して前方(腹側)に傾斜しており、更に膣の縦軸に対しても七〇ないし九〇度前方に傾いており、後者の傾きを「前傾」という。さらに、子宮体部の縦軸は右子宮頸部の縦軸に対して内子宮口付近で更に六〇ないし九〇度前方に傾斜しており、これを「前屈」という。このような子宮の「前傾前屈」が正常な姿勢・位置とされており、直立時において、子宮体部の後面は水平となり、懸垂装置である結合組性支持装置と、下方から支える筋肉性支持装置と、腹圧との三つの因子で保持されているものである。

右のような前傾前屈でない子宮として、子宮後傾Retroversio, retrover-sion、子宮後屈rfl.=retroflexion, Retroflexionがあり、通常合併症(子宮後転症)として相当の高い頻度で現れるが、そのための障害を伴わない場合には病的意義が認められないという見解が多い。

子宮後傾後屈症rvf.=retroversio-flexion, Retroverisoflexionには、大きく分けて、「可動性子宮後傾後屈症」と「癒着子宮後傾後屈症」とがある。前者は子宮が可動性で医師の手によって正常位置に整復することができるものであり、後者は子宮又は付属器に癒着があり、そのため可動性が少なく、治療の必要があれば手術をすることになる。

いずれも自覚症状を欠く場合が多く、また、それ自体では不妊症の障害にならない場合が多い。右障害となるのは、子宮後傾後屈症の原因として、ないしは同時的に発生している、子宮発育不全、骨盤内静脈の充血、うっ血などによる卵巣機能障害又は付属器炎、子宮内膜症などが主因となっている場合が多い。加えて、自然流産を起こしやすいが、その原因も右同様である。いずれにしても、自覚症状のないものは放置してよく、また、一回のみの診察で子宮後傾後屈症と認められたとしても、必ずしも持続性といえないので、障害を伴う場合でも、数回診察を行い、整復術を試みて経過を見るべきであるとされている。

手術として、子宮円靱帯(子宮円索。直接子宮を支持したり、下垂を防止する機能はないが、膀胱の充満時や、妊娠時に子宮が後転すると、これを前屈位に戻す作用のある組織である。)の短縮術と、矯正(ウエブスター術式)の方法がある。

そして、右短縮術rotundum Ver-kurtungとしてアレクサンダーアダムス式と、メンゲ式があり、前者は開腹までしないでよいが、後者は開腹を要する。少なくとも患者原告らに関しては、富士見病院では専ら後者がされていたのである(手術記録中の図示から分かる。)が、この術式は効果が乏しいとされているものである(第四〇回口頭弁論期日における証人佐々木靜子の尋問調書一二ないし一五丁)。

しかるところ、本件では、例えば、9の<氏名略>、22の<氏名略>について右メンゲ式による子宮円靱帯短縮術がされているところ、メンゲ式それ自体の手術式としての当否は別として、後記三における右患者原告らについて認定するとおり、同原告らの子宮は「前傾前屈」ということであったから、全く無用な手術をしたことになる。富士見病院において全く理解不能の手術がされた典型例の一つといえる(なお、後記三において個別に検討するとおり、同原告らについては両側付属器の部分切除術の適応の有無という別の大きな問題点がある。)。

(4) 子宮体部の内側は「子宮内膜」という粘膜で被われ、その下に不随意の平滑筋による厚さが一センチメートルを超える筋層があり、さらに「漿膜」がある。

右の子宮平滑筋の成分により発生する良性の腫瘍を「子宮筋腫myoma uteri, Myoma Uteri, myoma of the uterus」という。なお「腫瘍Myoma」とは、身体の細胞又は組織が自律的に過剰増殖したものと定義される。腫瘍は、本来の組織成分である「実質」とその間にある「間質」とから構成されている。

(5) 子宮筋腫は、子宮内の発生部位によって、「(子宮)体部筋腫」と「(子宮)頸部筋腫」とに分けられ(体部筋腫が九〇パーセント以上である。)、発生する子宮壁の部位によって、①子宮粘膜下筋腫、②子宮筋層内筋腫、③子宮漿膜下筋腫に分類される。

患者原告ら中には「子宮筋腫」とされた者が多い。子宮筋腫は、極めて小さいものまで含めると、女性の半数以上にあるといわれており、また、右筋腫は多発することが多いとされているので、患者原告らが子宮筋腫でなかったということは容易に断定できない。しかし、患者原告らが子宮筋腫として子宮単純全摘術を受けるに際して、それが前記分類に係るいずれの部位に発生したのか、それがどのような腫瘍で、その症状の内容程度等がどのようなものであるのかについて明確にしたものがほとんどなく、それは異常というほかない。

なお、原告らは、「患者原告らの子宮及び卵巣が正常であったのに、被告Aらはこれを摘出した」旨をほぼ一様に主張するところ、後記三において個別に検討するとおり、患者原告らの多くは多少なりとも何らかの婦人科的疾患(例えば、不正性器出血、子宮膣部びらん、帯下、下腹痛)があって富士見病院を訪ねたものであり、したがって、厳密にいえば、患者原告らにいかなる子宮筋腫も卵巣腫瘍もなかったとまでは容易に認められないものである(もっとも、例えば、富士見病院において手術をされかかったものの、手術を免れた57の原告<氏名略>及びⅡ―7の原告<氏名略>については、その後格別の支障なく現実に生活をしていることからして、本件当時子宮、卵巣が文字通り全く正常であったということができる。ほかにも、単に癌検診のため、健康診断のため富士見病院の診療を受けた者もいる。)。

しかし、本件手術の適応について判断するに際して、患者原告らに子宮筋腫があったか否か、卵巣腫瘍があったか否かという極端な立論をする必要性は認められないのであって、本件事案においては、以下述べるような一般的な医学的知見に基づくとき、富士見病院において被告医師らが得た医学的知見(ME検査による所見、診断が除外されることは後記二で検討するとおりである。また、開腹後得たとされている炎症や癒着や子宮筋腫様症状、卵巣嚢腫様症状が真実あったのかどうか、あったとしても、どの程度のものであったのかという点については、後記三で個別に検討するとおりである。)によって、患者原告らに対し、入院を指示ないし勧告したことが相当であるのか、入院後得た検査結果等の知見によって現実に開腹手術に及んだことが許されるものであるのかどうか、なお、開腹後現実に子宮単純全摘術、両側付属器摘除術などをしたことが許されるのかどうか、という観点から検討すれば足りるものというべきである。「患者原告らの子宮及び卵巣が正常であった」という原告らの主張や、原告らがいう「正常な子宮、卵巣」という表現も、おそらく右趣旨における入院の必要性及び手術の適応が全く認められない子宮及び付属器であったということを表現しているものと解することができ(元来、医学的にあるいは日常的に「正常」という用語はそのようなものというべきかもしれない。)、そうであれば、当裁判所の考え方と格別の差異がないことになる。加えて、後記の個別検討において依拠している佐々木鑑定書においても、子宮、卵巣等が「正常」であった旨の表現が随所に使用されているが、例えば、摘出臓器のポラロイド写真に筋腫結節が認められないというのみでは、如何なる子宮筋腫もなかったと断定できないことが明らかであるから、右佐々木鑑定書における「正常」という趣旨も、当裁判所の右のような考え方と結局同旨のことをいうものであろうと考えられる(同人の第四三回口頭弁論期日における証言調書三四丁で、同旨のことが供述されている。)。以下、基本的にそのような観点から「正常」か否かについて検討するものである。

(6) 女性の性機能を支配しているホルモンは、基本的に、視床下部から神経内分泌的に分泌されるものと、下垂体から分泌されるものと、卵巣から分泌されるエストロゲン及びプロゲステロンである。ほかに、プロラクチオン(PRL)、甲状腺ホルモン、副腎皮質ステロイドなども女性の性機能に大きな影響を及ぼすとされている(なお、ホルモンの作用については、本件当時よりも現在の方が科学的究明が進んでいるものの、現在でも分からない点が多い。このように、よく分からないという趣旨においては、本件当時と現在とで大差があるわけではないといえる。)。

子宮内膜は、卵巣から分泌されるホルモン(エストロゲン及びプロゲステロン)の影響で周期的に(普通二八日ないし三〇日間の周期)増殖と剥離・出血を繰り返す。すなわち、子宮内膜の表面(子宮粘膜の機能層)は、右卵巣からのホルモンの分泌が盛んな間は増殖発達し、その分泌が衰えると、子宮内膜の機能層にある特殊な血管系に変化が起き、血液の供給が止まり、右機能層部分が壊死し剥がれる。しかし、粘膜の深い箇所にある基底層には右のような特殊な血管がないので、ホルモンの増減に反応せず、剥落することがない。これが「月経menses」である(次の2の(一)参照)。

右のような機能を有する組織(子宮内膜組織)が子宮以外の場所に発生して、月経に合わせて出血するのが「子宮内膜症endometriosis」である。我が国では、開腹患者の一〇ないし一五パーセントにみられ、四〇歳代の婦人に多いという文献(前記「標準産科婦人科学」九五頁)があるが、右の「開腹患者」というのがどの範囲の患者をいうのか明らかでない(我が国で開腹手術を受けた全患者の意味ではなく、一定の婦人科疾患で開腹手術を受けたという趣旨であろうと考えられるが、定かでない。)。その発生原因については諸説がある。

子宮筋腫や子宮内膜症などの発生増殖にはエストロゲンが関係しているとされているが、詳しい発生原因、機序は現在でもなお定かでないとされている。

(二) 子宮筋腫の症状

最もしばしば認められる症状が「子宮出血」(「過多月経menorrhagia」又は「不正性器出血g.b.=genitalbleed-ing, genital Blutung・不正子宮出血metrorrhagia」である。子宮出血により、貧血Anmieが続発的に起こる。筋腫の増大により、患者自身が下腹部に腫瘤を触知することができるようになる(下腹部腫瘤感)。子宮出血や月経痛を訴える場合としては、「子宮粘膜下筋腫」及び「子宮筋層内筋腫」に多く、下腹部腫瘤感を訴える場合としては、「漿膜下筋腫」の場合、又は筋腫が手拳大以上に増大した場合などがある。患者原告ら中には「不正性器出血」を主訴として富士見病院を訪ねた者が相当数いるが、下腹部腫瘤感まで訴えた者はいない

また、「月経困難症Dysmenorrhe」として、月経時に強い下腹痛、腰痛を訴える場合がある。さらに、腫瘤の発育増大により、圧迫症状が出現する。子宮出血に続いて数日間「血性帯下」を訴えることがある。

子宮筋腫の発生及び発育部位によっては不妊の原因になることがある。

(三) 子宮筋腫等の診断

(1) 外陰部の診察、膣鏡診speculum examination、内診pelvic(internal)examination(狭義の内診(双合診の前段階)のほか、双合診など)によって第一次的判断をする。

(2) 「双合診bimanual examina-tion」(「双手診」ともいう。産婦人科において「内診」というのは通常これをいい、富士見病院における後記三で個別に検討する「内診所見」も主としてこれによるものである。)とは、膣の中に挿入した内診指(通常の場合左手の示指一本。経産婦の場合に中指を沿える場合もある。)と腹壁上の外診指(通常の場合右手の親指を除く四本)とを対向させて子宮等を診察する方法である。

通常の場合、まず、子宮を挟んでこれを診察する。正常な成人の子宮の場合は、西洋梨状で、前記のとおり前傾前屈で、体部は鶏卵大で、弾性硬、表面平滑で、可動性が良好である。一方、妊娠や腫瘍の場合には子宮は大きく、発育不全症では小さい。また、子宮筋腫や子宮腺筋症などでは硬く、妊娠子宮では柔らかい。炎症、癒着、癌浸潤などでは可動性が制限される。

次に、内診指を後膣円蓋からやや側方にずらし、できるだけ深く挿入し、外診指も移動させて、両側の付属器(卵巣等)を診察する。正常な場合、付属器は触知し得ない。したがって、「触れないnt.=n.t.=nicht tastbar」というのは正常であることを示す(なお、t.=tastbarが「触れる」、s.t.=schwer tast-barが「触れにくい」である。前記のとおり、富士見病院のカルテ等の医師の記載には、ドイツ語が多い(なお、医学用語のラテン語や英語もある。)ので、参考のため、前記及び後記分を除く若干の表現について言及しておく。f.n.=fast normalが全く正常、o.B.=ohne Befunt(「オーネベフント(格別の症状、所見が見当たらないとの意)」。これは医師が多用するドイツ語で、T証言によれば、富士見病院において「子宮や卵巣がグチャグチャ」と診断され、驚いて防衛医科大学校を訪ねた患者が相当数あり、右Tが後日その診療録を見たところ、右用語が記載されていたとのことである。右Tの右のような調査については、主として後記六において被告国らの責任を検討する際に問題となる。)=o.b.=ohne besondersが異常なし、n.b.=nicht besondersが特色がない、著変がない、hockerigが隆起している、瘤がある、凹凸がある、nichthckerigが右の否定形、rundlichが円型の、nicht rundlichが円型でない、D.S.=Druckschmerz=pain by pres-sureが圧痛、hart(hard), fest(solid, firm),derbが固い、頑丈な、weichが柔らかい、schwerが重篤な、leichtが軽い、langが長い、schlechtが悪い、spastischが痙攣性ないし緊張した、edematseが浮腫状、l.f.=Libido far-bungがリビドー着色、schleimigが粘液性の、chr.=chronishが慢性の、mehrがより大きな、wenigが少し、unregelmssigが不規則な、ab und zu が時々、ca.=circaが約、およそ、v.a.=Verdachtが疑い、を意味する。)。

(3) 患者原告ら中には、富士見病院の医師による当初の内診において「付属器は触れない」とされたものがかなりいる。なお、患者がやせていて腹壁の抵抗が弱いときには、母指頭大の正常な卵巣を触知できる場合がある。付属器に腫瘤を触れた場合には、その大きさ、硬さ、形、可動性や圧痛の有無、子宮との位置関係をみる。後記の「充実性の腫瘍」を触知した場合、右位置関係に注意し、子宮筋腫と誤診しないようにしなければならない(ただし、患者原告ら中には、「充実性」と診断された者はいない。後記の被告Aが「ぐちゃぐちゃ」としたME検査「所見」の意味は不明である。同被告がそのME検査によって「充実性の腫瘍」かどうかを判断し得るに足りる医学的知見を有していたとは認められないことは、後に述べる。)。

(4) 双合診により腫瘤全体を触知する場合は、一般的に診断が容易である。すなわち、筋腫が発生すると子宮全体は増大し、硬度は硬くなる。表面は、子宮粘膜下筋腫のみの場合は平坦に触知されるが、子宮筋層内筋腫が漿膜面に向かって発育した場合と、漿膜下筋腫の場合には、凸凹に触知する。

(5) 右の診断が困難な場合は、補助診断法を用いて診断する。補助診断法としては、子宮卵管造影法、超音波断層診断法などがある。

(6) 子宮卵管造影法HSG=hyster-osalpingography=Hysterosalpingo-graphieは、造影剤(ヨード剤で、油性と水溶性とがある。)を外子宮口から注入し、小骨盤腔をX線撮影する方法である。子宮腔内及び卵管の状態を知ることができ、子宮腔及び卵管の拡大、変形、陰影欠損などを捉えることができるので、子宮腔に影響を及ぼす筋層内及び漿膜下筋腫の場合は診断が容易である。逆に、純然たる漿膜下筋腫は子宮腔に影響を与えないので、子宮卵管造影法によっては診断が困難である(己ア三)。

本件にあっては、富士見病院に入院した患者原告らのほとんどが、入院中に子宮卵管造影法による検査を受けていたが、後記のとおり、被告AのME所見及びコンサルを優先させて、右子宮卵管造影法の検査結果について医師として医学的に十分な検討をしていなかったことが問題となるのである。

(7) 超音波断層診断法は、筋腫の存在部位、その腫瘍が子宮のものか卵巣のものかを鑑別することができる診断法であるが、本件当時においては特に、あくまでも補助的な診断法にとどまるものであった(被告Aらも、この点について争っていない。)。

後記のとおり、本件では、医師でもない被告Aにおいて、子宮や卵巣等について全く僅かな医学的知見しかないのに、患者原告ら全員についてME検査をし、ME検査では分からないはずの判定までしていたこと(しかも、その表現自体非医学的であったり、極端に誇張されたりしたものであったこと)、それにもかかわらず、被告医師らにおいて被告Aの右のような「所見」ないし「診断」に追随するような形で手術を決定していたことが最大の問題となるのである。

(四) 子宮筋腫の治療

(1) 子宮筋腫の治療方法等については、医師間に意見の相違や対立がなおないわけではないが、前記のとおり小さい筋腫を含めると成人女性の約半数にあるとされており、その定義からして「良性」のものであるから、子宮筋腫があっても、そのすべてが治療や手術の対象になるわけでないことについては異論がない。

(2) そして、手術・オペ=OPE, ope.=Operation, operationを適応とする子宮筋腫の大きさについては、子宮が手拳大faust gross, fist sized以上の場合を手術適応とする考え方が多い。手拳大以下で手術を適応とする場合としては、不正性器出血があり、それによって高度の貧血を招き、対症療法を行っても改善が見られないとき、又は、月経困難症が高度で耐えられず、子宮内膜症の合併がある場合などが考えられ、かつ、患者が手術を強く希望するときである。以上の点については、概ね臨床医師の意見が一致しているところ、後記三で個別に検討するとおり、患者原告ら中には右に該当する者はいない。

(3) なお、被告Cはその陳述書(丙カ号証)やその本人尋問において、正常な子宮等の重量を三〇グラムとした上で(ただし、陳述書の一部では約三五グラムともいう。)、患者原告らの摘出臓器の重量が例えば九〇グラム、一二〇グラムであれば、右正常の場合と対比して三倍であるとか、四倍であるから異常であるかのように随所で述べている。

また、被告Bにおいても、その陳述書(乙カ号証)中において、成人の子宮の重量が二二グラム強という文献を引用援用して、被告Cと同様のことを述べている。子宮の重量自体については、本件当時そのような記述をしている文献があったことは確かである。

(4) しかし、子宮の重量自体前記(一)の(1)のとおりであって、後記三で個別に検討するとおり、患者原告ら中の多くは経産婦であるから、被告Cや被告Bが主張ないし陳述する右重量はそのまま採用することができないのみならず、子宮筋腫についてみると、非常に小さいものから人頭大を超えるものまで様々あり、子宮筋腫重量二〇〇グラム以上を手術の適応とする見解すらあるのであって、実際の医療現場では、例えば摘出臓器の重量が五〇〇グラム以上となる場合も決して稀ではなく、当然一〇〇〇グラムを超えるものもある。

例えば、原告らにおいて調査分析したところでは、この数年間における富士見病院と同規模の同種の三病院(A病院五六例、B病院三七五例、C病院五五例)と富士見病院(本件についての証拠保全で入手した一二〇例のうち重量が判明している八九例)における同様の術式(子宮全摘除術及び両側又は片側付属器摘除術)による摘出臓器の重量を対比したとき、平均重量は、A病院が560.3グラム、B病院が338.5グラム、C病院が494.3グラムであるのに対して、富士見病院は平均が114.0グラムであって、二〇〇グラムを超えるものがほとんどないのである(なお、後記三のとおり、富士見病院の場合には全例が両側又は片側付属器の重量を含んでいるので、子宮重量のみでは更に低い数値となる。原告ら昭和五八年一一月一四日付け準備書面(一〇)八頁以下参照。この準備書面末尾添付の表については、第四二回口頭弁論期日における証人佐々木静子の証言参照。ちなみに、A病院は東京逓信病院、B病院は同証人勤務の賛育会病院、C病院は九州温泉病院であり、富士見病院については甲サ六〇(同証人作成の集計表)を更に整理したものである。同期日の証人調書一三丁以下)。

このような医療現場における一般的な実情からすれば、被告Cや被告B、加えてその余の被告医師らにおいて、患者原告らの摘出臓器が例えば九〇グラム、一二〇グラム、一五〇グラムであったことをもって、それを子宮筋腫として直ちに摘出したことが医師として当然であるかのように主張し、その陳述書においてそのように述べていることには、何ら合理的な理由が認められないものである。そして、後記三で個別に検討するとおり、ほとんどの患者原告につき右重量のほかには子宮単純全摘術及び両側付属器摘除術をしたことの正当化事由が認められないことは異常というほかなく、それ自体富士見病院における全体として診療システムの異常を示しているものである。

(5) 子宮筋腫に対する手術の術式としては、

①筋腫核出術enucleatio myomatis myomectomy

②子宮膣上部切断術amputaio uteri supuravaginaris

③(腹式又は膣式の)単純子宮全摘術hysterectomia totalis, simplex, sinm-ple hysterectomy, einfach Totalex-tirp.des Ut.=einfach Totalextirpa-tion des Uterusがあり、②及び③は子宮筋腫に対する根治手術である。なお、子宮頸癌の根治治療として④広汎性子宮全摘術があり、また、準広汎性子宮全摘術というものもあるが、本件においてはそのような手術を受けた者はないので、更に論じない。

①の筋腫核出術は、子宮及び付属器を温存して、腫瘤のみを除去し、子宮の生理的機能である月経及び妊孕性(にんようせい・妊娠能力)を持続させる方法である。

②の膣上部切断術は、内子宮口(付近)から上の部分を切除し、子宮頸部を残す手術であり(卵巣を残存させる場合と、卵巣を摘出する場合とがある。後記のとおり、富士見病院においては併せて両側付属器摘除術をするのことが多かった。)、術式が簡単で、手術侵襲が比較的小さいことから古くは広く行われていたが、子宮頸癌をよく発症する部位である子宮膣部を残すことや、頸管炎に悩むことが多いことや、腹式子宮単純全摘術の進歩によってその手術過誤がほとんど全くなくなったことなどから、近年は特殊な場合を除いてほとんど行われなくなっている。富士見病院において、患者原告らの幾人かについてこの術式がされているが、前記のとおり、この場合でも両側付属器が摘除されている。なお、富士見病院においてこの術式と次の③の子宮単純全摘術との選択がどのような基準でされていたのかについては、証拠上明らかでなく、右のような選択基準がないまま適宜されていたのでないかと考えざるを得ない。

③の子宮単純全摘術が本件において最も問題となるところであって、富士見病院においては腹式により子宮及び付属器を全部摘出することが多く、そのため、子宮の生理的機能である月経及び妊孕性がなくなり、ホルモン療法が必要となる(もっとも、後記三において検討するとおり付属器(の一部)を残された患者原告が全くないわけではない。)。

(6) なお、患者原告ら中には、子宮筋腫につき右①の筋腫核出術を受けたものが全くなく、飯塚鑑定においては、手術の適応が否定されている患者と共に、仮に手術の適応があったとしても、筋腫核出術がされるべきであったと指摘されている患者が極めて多い。これを、前記同様に原告らにおいて調査分析したところで見ると、子宮摘出術をするとしても、前記A病院では七四例中の八四パーセント、B病院では三七五例中の七七パーセント、C病院では五五例中の六〇パーセントは両卵巣又は片側卵巣を残しているのに対し、富士見病院八九例には両卵巣を残したものは全くなく、片側卵巣を切除されたものが僅か七例しかない(しかも、そのうちの一例は既に片側卵巣しかなかったものである。)。

ちなみに、昭和五五年九月から同年一一月までの間に富士見病院の元患者ら一一三八名が所沢保健所に申出をした状況の最終集計結果(甲サ二)によれば、右申出者のうち四七名(4.1パーセント)は受診時期が不明で、昭和四八年以前に受診した者が合計七九名(6.9パーセント)で、残りの一〇一二名は昭和四九年から昭和五五年にかけて受診した者であるが、右一一三八名うち八四一名が入院しており、そのうち昭和四八年以前の入院者は六七名、入院時期不明者が二六名で、残りの七四八名(88.9パーセント)は昭和四九年から昭和五五年までの間に入院しており、また、右一一三八名のうち七七九名(68.5パーセント)が手術を受けており、二九五名(25.9パーセント)が手術を受けていない(残りの六四名については不明)が、手術を受けた七七九名のうち三二六名(41.9パーセント)が全摘手術を受けており、内訳は子宮及び卵巣の全摘手術が二一一名(27.1パーセント)、子宮が九一名(11.7パーセント)、卵巣が二四名(3.1パーセント)で、一部摘出が一一六名(14.9パーセント)、卵巣整形が六七名(8.6パーセント)、縫縮術が五六名(7.2パーセント)、帝王切開が三七名(4.7パーセント)で、その他二六名及び不明一五一名で合計一七七名(22.7パーセント)である。したがって、手術内容が判明している六二八名中五〇九名(八一パーセント余)が子宮ないし卵巣の手術を受け、右五〇九名中三二六名(六四パーセント余)が全摘手術を受け、二三五名(46.2パーセント)が卵巣を喪失したことになる。

(7) ここで、子宮全摘除術と併せて両側付属器摘除術がされた年齢層について見ておくと、一般的にできる限り卵巣等を残すことが明らかに望ましいとされている三九歳以下の患者の場合、前記A病院では七四例中の二例(2.7パーセント)、B病院では三七六例中の八例(2.1パーセント)、C病院では五五例中の五例(9.0パーセント)であるのに対し、富士見病院では八九例中の六二例(69.7パーセント)という他の病院と対比して異常に高い割合であったことが認められる。富士見病院においてこのように高い割合で子宮全摘術と併せて両側付属器摘除術がされていたことの問題点については、次の3において検討する。(以上につき、前記原告ら昭和五八年一一月一四日付け準備書面一三頁以下参照。富士見病院については、後記三における個別の検査結果や、甲サ二、六〇、六四、六八、六九の1、2、七〇の1、2、七一などの集計分析結果からも、右傾向が十分に認められるものである。ちなみに、前記所沢保健所の集計結果(甲サ二)によれば、富士見病院において子宮及び卵巣の全摘手術を受けた者二一一名から年齢不明の一二名を除いた一九九名についてみると、三九歳以下の者が一〇九名(54.8パーセント)、四四歳以下の者が合計一五五名(77.9パーセント)であり、これに卵巣の全摘手術を受けた者(年齢が分かる者が一八名)を加えてみると、全部で二一七名で、三九歳以下の者が一一八名(54.4パーセント)、四四歳以下の者が合計一六九名(77.9パーセント)となる。)

(五) 子宮内膜症、子宮内膜増殖症、粘膜ポリープについて

(1) 子宮内膜を形成する組織(前記(一)の(6)のとおり、子宮内膜の機能層に特殊な血管系がある。)が本来の場所以外に発生するものを「子宮内膜症En-dometriose, endometriosis」といい、その発生部位により、卵巣など子宮以外の場所に出現する場合を「外性子宮内膜症endometriosis externa」、子宮筋層に出現する場合を「内性子宮内膜症endometriosis interna」ないし「(子宮)腺筋症adenomyosis」と分類される。後者は、子宮筋層内の大小の内膜組織が認められるもので、一般に多発しており、かつ、子宮筋腫や外性子宮内膜症と合併していることが多い。前者の外性子宮内膜症は、子宮以外の腹腔内臓器に認められる「腹膜内子宮内膜症」と、腹腔外の膣、臍等の腹腔外に発生する「腹膜外子宮内膜症」に分類される。右の腹膜内子宮内膜症は、卵巣、ダグラス窩、腹膜、S字状結腸、直腸、仙骨子宮靱帯、子宮円索、卵管、膀胱などに認められるが、卵巣に認められる「卵巣子宮内膜症」が最も多い。

なお、右の「ダグラス窩」とは「直腸子宮窩」ともいう。すなわち、骨盤腹膜は、皺襞や陥凹部を形成しているところ、膀胱と子宮との間に「膀胱子宮窩」を、直腸と子宮との間にダグラス窩を形成しているのである。腹腔内に出血のある場合はダグラス窩に最も貯留しやすいので、後膣円蓋から穿刺(せんし)し吸引すると腹腔内出血の有無を確認することができ、これを「ダグラス窩穿刺」といい、子宮外妊娠その他の検査のためしばしば実施されているものである。子宮外妊娠の場合その約七〇パーセントに右血液が吸引されるが、血液が吸引されたとしても、卵巣出血、不全流産等の場合でも血液が吸引されるので、子宮外妊娠、卵管破裂、卵管流産であるとは限らない。もっとも、血液が吸引されないときには卵管破裂、卵管流産を否定することができる。

子宮内膜症の病理としては、筋組織や結合組織などの間に、子宮内膜と同一の構造の子宮内膜腺と間質組織とからなる組織が認められ、この組織は子宮内膜と同様に卵巣周期に応じて変化し、月経時に出血するが、増殖期像のみが現われ、分泌期像を欠く場合が多く、また、必ずしも周期的に変化を示さないものもある。

子宮内膜症は、子宮筋腫と異なり、明瞭な限局性腫瘤を作るわけではない。しかし、月経時に出血した血液が組織間に貯留するので、月経毎に貯留血が増量して血腫を形成し、大小の小嚢胞を生じ、卵巣などでは、しばしば大型嚢胞を形成し、周囲と強く癒着する傾向を示す。これが月経時に貯留血が増量する度に疼痛を来し、月経困難症の原因となる。この出血はまた周囲に浸潤し、吸収され、反応性に線維化を引き起こし、その結果として、子宮内膜症周囲に強い癒着や硬結を生じることになる。このためダグラス窩はしばしば閉鎖され、骨盤内臓器が癒着によって一塊となることもあり、これは「凍結骨盤」といわれる。

子宮内膜症は、成熟期婦人、とくに比較的若い婦人に多いが、病巣の部位や広がり、癒着の程度により症状は種々である。最も一般的な症状は、疼痛、特に月経痛であり、月経痛はある年齢から出現し、しかも次第に強くなるというのが特徴である(後天性月経困難症)。月経痛は、月経開始の数日前から始まり、経血量の最も多い時期に最強となり、月経期間中持続する。疼痛は、下腹部のほか、腰部、仙骨部へ放散する。右以外の症状として、腰痛、下腹部不快感、性交痛、過多月経、頻発月経などを訴えることもあり、病巣の部位によっては、排尿痛、膀胱出血、排便痛や直腸出血などの症状を示すこともある。

なお、右のような症状を示さずに、不妊を主訴とする患者の中にも多数の子宮内膜症が認められる。

子宮内膜症の診断としては、右の諸症状が重要であり、特に後天性月経困難症があれば、他の原因疾患が証明されない限り、まず子宮内膜症を考えるべきであるとされている。

子宮内膜症の治療としては、薬物療法と手術療法とがある。その選択に当たっては、症状の種類と程度、発生部位と広がり、年齢、挙児希望や月経存続希望の有無などを考慮する。一般的には、まず薬物療法をし、効果が不十分であれば、手術療法をすることが多い。治療の決定には、病変の進行度を知ることが重要である。

なお、子宮内膜症であっても、症状がほとんどなく、妊娠希望のない場合には、治療をせずに経過観察のみでよい。閉経期が近い場合には、閉経すれば症状が自然消失してしまう。

そして、軽症例で月経困難症が主訴であるような患者には、対症的に鎮痛剤を投与する。挙児希望があれば、積極的に妊娠させる。妊娠によってしばしば症状が軽快することがあり、また、将来病変が進行した場合は妊娠することができなくなるからである。患者原告らの中には子宮内膜症の疑いのある者が若干いるが、被告Aらから子宮内膜症であったがゆえに本件手術の適応があったという具体的な主張はなく、あったとしても、子宮内膜症があったがゆえに手術の適応が肯定されるというべき患者はいない。ちなみに、前記のとおり、子宮内膜症の発生原因については現時点でも諸説が分かれている。

(2) 一方、子宮内膜の過剰増殖状態をいう「子宮内膜増殖(肥厚)症en-dometrial hyperplasia」という症状がある。内分泌臓器の失調によって排卵が抑制され、卵胞が存続し、黄体が欠如する結果、過剰のエストロゲン産生又はエストロゲン刺激の長期持続により生じるものであり、エストロゲン製剤の投与、エストロゲン産生腫瘍の存在などによっても生じる。子宮内膜が肥厚するが、表面は一般に平滑で、組織学的に子宮内膜腺の数が増し、その形態が不規則となる。背の高い濃染する腺細胞が増殖し、しばしば間質細胞の増殖も伴っている。びまん性のものと、限局性のものとがあり、ポリープ様の発育を示すものもある。腺の形態や異型の程度により三分類される。すなわち、①嚢胞性腺増殖症(腺腔が拡張して大小不同となり、典型的なものはスイスチーズ模様を呈するもの)、②腺腫性増殖症(内膜腺の増殖の著しいもの)、③異型増殖症(内膜腺の著しい以上増殖に細胞異型を伴うもの)の三つである。

症状としては不正性器出血がみられる(なお、機能性出血と呼ばれるものの中には種々の状態(例えば卵巣機能の異常など)が含まれているが、子宮内膜増殖症もその中の一つである。)。診断は、子宮内膜組織検査により(不正性器出血の際には必ず組織検査をすべきである。)、できるだけ子宮内腔の全面を試験掻爬(probe Aus)して組織を採取する。

この「子宮内膜全面掻爬術」が診断とともに治療を兼ねることになる。

なお、右③の異型増殖症については、腺癌とのとの鑑別が重要となり、閉経以後にみられた場合には、前癌状態と考えて処置したほうがよいとされ、閉経後婦人において高度の異型増殖症がみられた場合には子宮全摘術を施行するとされている。

異型増殖症でない場合には、ホルモン療法として、エストロゲン・プロゲストーゲン併用療法をし、投与中止後に生じる消退出血による異常内膜の剥脱を期待する方法が一般的である。(以上につき、前記「標準産科婦人科学」九五ないし九九頁など)

なお、患者原告ら中には、異型増殖症と確認されたものはいない。

14の<氏名略>に認められる不正性器出血は、後記の飯塚鑑定において「腺様増殖症」によるものとうかがわれるとされている(被告Cにおいて子宮内膜を掻爬し、組織検査をした結果がダブルプラスであるとしているが、異型細胞のあったことは確認されておらず、子宮内膜増殖症があったという診断がカルテ上されておらず、後記の同原告についての佐々木鑑定書では子宮に格別の異常所見は認められないとされている。ちなみに、同原告は術前には子宮筋腫という診断によって手術されることになったのであるが、手術記録中には、子宮筋腫に関する記載がなく、術前格別の記載がなかった卵巣についての記載が多いという、全体として甚だ分かりにくい診療記録となっているものである。)。しかし、同原告が仮に腺様増殖症であったとしても、右①の嚢胞性腺増殖症か、右②の腺腫性増殖症のいずれかと見るのが相当であって、右③の異型増殖症と疑うべき証拠は全く見当たらないのである(被告Aらも右③の異型増殖症による不正性器出血であるとの主張はしていない。)。

(3) さらに、子宮体ないし子宮頸部粘膜が限局性増殖をし、有茎性腫瘤を形成したものを「粘膜ポリープ」といい、「頸管粘膜ポリープcervical polyp」と「子宮体内膜ポリープen-dometrial polyp」とがある。

前者は頸管粘膜から発生するもので、慢性頸部炎に際してよく見られ、経産婦に多く、大豆大程度のものがほとんどで、多くは単発であり、小さなものでは無症状であるが、時に不正性器出血、特に性交後出血や帯下増量を訴える。視診により外子宮口あるいは頸管内に深紅色の腫瘤をみることによって診断は容易である。小さなものは生検用組織切除鉗子で切除する。大きなものも、茎を附着部付近において鉗子ではさみ、回転させるとねじ切れる(ポリープ摘除術)。大多数は良性であるが、まれに悪性変化もあるので、摘出物は組織学的検索をする。

後者の子宮体内膜ポリープは、子宮体内膜から発生するもので、非炎症性で、ホルモンと関係があるとされているがなお解明されていない。更年期以後にみられることが多く、数ミリメートルから数センチメートルで子宮内腔を満たすようなものまで大小様々で、多発することが多いとされている。子宮体は正常大であるが、過多月経を示す場合が多く、月経前後の出血も認められる。子宮鏡によって視診すれば確実に診断でき、また、子宮卵管造影法による検査結果で、子宮辺縁の不整像や陰影欠損像が認められる。治療は、子宮内膜掻爬術によりポリープ及び肥厚した内膜を除去する。更年期以後の婦人で、掻爬合計も止血しない場合、又は再発したような場合には子宮全摘除術をするほうがよい。多発ポリープ、粘膜下筋腫又は子宮体癌が発見される場合があるとされている。

患者原告ら中には粘膜ポリープがあったとうかがわれる者があるが、被告Aらからそれゆえ本件手術が正当であったという具体的な主張はなく、かつ、あったとしても、それゆえ手術の適応が肯定される患者はいない。

(六) 子宮膣部びらんcervical erosion, Portioerosionについて

(1) 子宮膣部に認められる限局性の発赤ないし充血した部分をいう。なお、「びらんerosion, Ero=Erosion」とは元来の定義は上皮の欠損状態を指すものであるから、「真のびらん」とは、エストロゲンの作用で肥大した子宮膣部の影響によって頸管が外反して扁平円柱上皮境界が外方に移動し、頸管の円柱上皮に覆われた赤色面が外子宮口周囲に認められる状態となったものをいう。しかし、本件において患者原告らの一部に認められる「子宮膣部びらん」は、これと異なるもので、いわば「偽びらんpseudoerosion」というべき状態である。

(2) 主訴は帯下(たいげ。Fluor, Genitalausfluss)と出血(Blutung, bleeding)であり、びらん腺分泌物が増量し、炎症を伴えば、びらん面から出血しやすく、接触出血をみる。炎部が深部に及ぶと、頸部炎、頸部周囲炎となる。

(3) 子宮膣部びらんは、膣鏡診によって容易に発見され得るが、子宮頸癌carcinoma of the cervixないし「癌性びらん」との鑑別が重要であって(稀に「結核性びらん」「梅毒性潰瘍」「頸管裂傷による膣部外反」などもある。)、コルポスコピー(膣拡大鏡診。似たようなものに、カルドスコピー、コルポミクロスコピーなど種々あり、本件当時よりも現在のほうが診断精度等が相当進んでいる。)による観察、細胞診、組織診などによる診断を要する。すなわち、びらんや、子宮膣部びらんや、潰瘍は、それ自体としては直ちには癌とはいえないが、例えば癌性の潰瘍という所見があり得るので、右のような諸検査によって癌性でないことを確認することが医学上重要とされているものである。

(4) 治療は、炎症の著明なときは膣洗浄、さらに抗生剤、消炎酵素剤の内服、局所投与をするが、びらん自体には効果がない。高周波電流による焼灼療法、凍結療法、円錐切除術などの手術もある。

なお、患者原告ら中には子宮膣部びらんが認められる者が少なくないが、子宮膣部びらんがあれば、癌等の悪性に変化することがあるから、それが癌性でなかったとしても、子宮や卵巣の手術をすべきであるという見解が記載された医学文献は、全く見当たらない。

2 卵巣腫瘍ovarian tumor, Ovariumzystについて

(一) 定義・分類

(1) 卵巣は、女性の骨盤腔の子宮の両脇に左右一つずつあり、男性の精巣(睾丸)に相当する器官で、成人卵巣はほぼ母指頭大の楕円形である(前記「からだの地図帳」によれば、長さ約2.5ないし4センチメートル、幅約1.2ないし2センチメートル、厚さ約一センチメートル、重さ約六グラムとされている。)。その生産物である卵子を卵管(前記「からだの地図帳」によれば、長さ約一〇ないし一二センチメートル、狭部約二ないし三ミリメートル、膨大部約六ないし八ミリメートル)に送り出すと共に、内分泌器としても重要な生殖腺である。すなわち、卵細胞をつくるほかに、女性ホルモン(卵胞ホルモンと黄体ホルモン)を分泌するもので、女性にとって極めて重要な器官である。

(2) 卵巣内には、胎児の時点から原始卵胞(一次卵胞)が潜んでおり、間脳などの指示の下に下垂体から周期的規則的に分泌されるホルモン(卵胞刺激ホルモン、黄体形成ホルモン)の刺激で成熟し始める(発育卵胞、二次卵胞)。成熟し続けた卵胞は、直径二センチメートルにも及ぶ成熟卵胞(グラーフ卵胞)となり、自身で卵胞ホルモン(エストロゲン)をつくり、これが増えて黄体形成ホルモンの分泌を促進し、黄体形成ホルモンの作用で破裂して卵子を卵巣外部に放出する。これが排卵であり、普通左右の卵巣で交互に一回ずつ起きる。

放出された卵子は腹腔内を経て卵管采に拾われ、卵管に入るが、受精しないと死んで吸収されてしまう。右放出後卵巣に残された卵胞は一時収縮するが、黄体形成ホルモンの刺激で成長し間もなく「黄体」になり、黄体ホルモン(プロゲステロン)を分泌する。受精が行われないと黄体は小さくなり、「白体」となるが、妊娠すると、そのまま存在し続け、各種のホルモンを分泌する。その余の月経の機序については、前記のとおりである。

(3) 卵巣には腫瘍性でない嚢胞(Zyste, cyst・液体又は分泌液の貯留したもので、直ちには腫瘍といえない。)が甚だしばしば発生する。

後記のとおり、被告AのME検査「所見」には、この「cyst(e)」が「myoma」「tumor」と共に頻繁に記載されているが、これは同被告が知っている数少ない医学用語であって(甲タ二五の同被告の検察官に対する供述調書の末尾添付の同被告作成の一覧表参照。なお、右一覧表からは、一部そのスペルが正確でなく、また、「P・C・O cyst」を「水包のうしゅ」としているなど、同被告の医学的知見が極めて不正確で、信用することができないものであることがうかがわれる。)、同被告は、そのように一見医学的な用語を使用してME検査「所見」の体裁を整え、患者原告らに対し、時には、ME写真を示しながら(実際には右写真は何ら有効な医学的情報を含まないにもかかわらず)、白衣を着用していかにも医師らしく見せつつ、後記のコンサルをしていたものである。経験を積んだ医師であるはずの被告医師らが、後記のとおり、何ら判読できないME写真コピーとこれに付記されていた被告AのME検査「所見」に依拠して患者原告らに本件手術をしていたことが本件における最大の問題といえる。

(4) また、生殖腺細胞は発生学的に見てあらゆる臓器組織の原基であることから、卵巣には、未分化な胚細胞から分化した各種の組織に関連したものまでに至る、多種多様な腫瘍tumor, Tumorが発生する(それゆえ、「腫瘍のhot bed」といわれる。)。このような卵巣にできるあらゆる腫瘍を「卵巣腫瘍」といい、良性、悪性を含めて多種多様である。最もよくできる部位は卵巣を覆う表層上皮にできるものである。

卵巣腫瘍の多くは、中に水様液や粘液が入った嚢胞であるが、単純な「嚢胞性腫瘍」と、組織などが詰まった「充実性腫瘍」とがある。発生頻度としては嚢胞性腫瘍が圧倒的に多いが、充実性腫瘍の場合は、その八〇パーセントが悪性であるため、臨床上充実性腫瘍かどうかについては注意を要する。

(5) そして、卵巣に発生する嚢胞性腫瘍を「卵巣嚢腫Ovariumzyst」という。患者原告ら中には、富士見病院において「卵巣嚢腫」であると診断された者が多いが、後記のとおり、医師において依拠すべきでないME写真コピー及びME検査「所見」のほかには医学的根拠が見当たらないものがほとんどである。

(二) 症状

(1) 一般的に、卵巣嚢腫特有の症状というものはなく、腫瘍が著しく大きくなるまでは、何ら症状を示さないことが多い。そして、腫瘍の発育は緩慢であるから、症状の発現、ひいては患者の自覚も遅く、また苦痛が少ないため、患者が腫瘤の存在を自覚してから後も、数年、あるいは十数年も放置されることがある。

しかし、卵巣嚢腫が一定程度以上に増大してくると、患者は腹部膨隆に気付く。また、周囲臓器を圧迫するので、それにより症状が現れる。

嚢腫が良性である場合は、両側に発生しても健常卵巣組織が残っているので月経は正常であるのが普通である。ただし、卵巣腫瘍の中には、特異なものとして、「ホルモン産生の腫瘍」があり、この場合は月経に異常を来す。月経異常に直接関連する下垂体ホルモンとして、卵胞刺激ホルモン、黄体化ホルモン、プロラクチン(PRL)がある。下垂体からのPRLの産生分泌は、主として視床下部からのドーパミンシステムによる抑制的な調節を受けているが、種々の生理的因子や臨床薬剤によって促進又は抑制される。血中PRLの基礎値が一定以上高いときは、下垂体の器質的疾患(PRL産生腫瘍など)を考え、脳神経外科、眼科的な精査の対象となるとされている。ほかに、頻度が低いが、前記エストロゲンなどのホルモンによるとされているものもある。卵巣中のホルモンを産生する細胞が腫瘍化した場合は、腫瘍としてもホルモンを分泌するため、「ホルモン産生腫瘍」「内分泌活性腫瘍」「機能性腫瘍」などといわれる。

しかし、患者原告ら中には右の点が格別に問題とされた者はいない。後記三で個別に検討するとおり、富士見病院においては、少なくとも患者原告らに関する限り、卵巣嚢腫と診断しながら、その内容程度を十分に検討することをしていない。

(2) 充実性腫瘍では、これらの症状のほかに、下腹部腫瘤感、下腹部痛、性器出血、月経異常などの症状が現われる。

(3) 卵巣腫瘍の続発症(合併症)としては、茎捻転(腫瘍が大きくなると、卵巣が回転し、卵管が捻じれて血行が途絶え、腫瘍や卵巣の中に出血が起きて、細胞が死滅することになるので、緊急の開腹手術が必要とされている。)、出血、化膿、癒着などがあり、また、破裂、穿孔が起きるとそれに伴った症状が現れる。

なお、患者原告らのうち、30の<氏名略>の左側卵巣に茎捻転が認められ、患者原告らに関する飯塚鑑定のうち唯一手術の適応が認められる事例となっている。ただし、後記三で検討するとおり、左側卵巣切除の適応が認められるにとどまり、同原告についても、子宮全摘除術及び右側付属器摘除術については適応が認められなかったものである。

(三) 診断

卵巣腫瘍は、前記の双合診(内診)によって、大きさ、硬さ、圧痛の有無(押すと「痛い」という場合には、卵巣嚢腫の疑いがある。患者原告ら中には、内診において「圧痛」があったとされている者が相当数いる。)などを見て診断のつく場合もあるが、中には極めて困難のこともある。

すなわち、卵巣が腹腔内の臓器であることから、腫瘍が認められたとしても、卵巣に発生したものかどうかの鑑別が必要になる場合があり、このような場合は、①腹部単純X線撮影、②子宮卵管造影法、③尿路造影、腸管造影、④骨盤内血管撮影、⑤内視鏡、⑥超音波断層法、⑦細胞診などによって、「腫瘍が卵巣のものであるか、嚢胞性か充実性か、充実性腫瘍として良性か悪性か」について確定することになる。

卵巣の悪性腫瘍についての早期診断方法は、例えば子宮頸癌のような場合と異なり、本件当時はもちろん、少なくとも平成四年ころまででも一般的に確立していなかったようである。右のとおり、卵巣が腹腔内にあるため、簡単に細胞診(通常、軽く擦過して採取した試料の細胞を検査すること)や前記コルポスコピー診(子宮膣部拡大鏡診)が行えないという解剖学的な理由によるものである。

(四) 治療及び手術の適応

良性の卵巣嚢腫に対する手術術式としては、①卵巣嚢腫摘除術(核出術)、②片側卵巣摘除術、③単純子宮全摘出術プラス両側又は片側付属器摘除術の三つがある。付属器摘除術とは、卵巣と卵管を同時に摘除する術式である。①の嚢腫摘除術は、卵巣門部をできるだけ残して、嚢腫のみを摘除する方法である。

充実性腫瘍の場合は、小さくても悪性のものが多い(八〇ないし八五パーセントが悪性とされている。)ので、大きさに関係なく手術の適応となるとされている。しかし、本件においては、充実性腫瘍と確認された患者原告らは皆無である(前記のとおり、どのような腫瘍であるのかについての確認確定作業がほとんどされていなかったのである。)。

これに対して、嚢胞性腫瘍の場合は、一般にオレンジ大以上が手術の適応となる。なお、術式の選択の基準としては、「患者の年齢、結婚、月経歴、妊娠・分娩歴、挙児希望K. hoffen=Kind hoffenの有無などの臨床的事項と、腫瘍の大きさ、発生側、嚢胞または充実など腫瘍の性状、癒着の程度、子宮の病変により決定される。年令が五三歳以下で、卵巣機能も正常で、他の臓器に異常なく、腫瘍の大きさが手拳大(直径約一〇センチメートル)以下であれば、患者に健常卵巣部を認めることができるから、嚢腫切除術が行われるが、癒着が強く、筋腫などの子宮の病変を同時に認めれば、単純子宮全摘出術を同時に行う。」とするのが臨床上の一般的見解と認められる。筒井証言は、四五歳以下の場合にはよほどの場合でない限り少なくとも片側卵巣を残すべきであるとしている。ほとんどの医学文献上も同旨のことが記述されている。要するに、腫瘍の大きさのみでは決めることは相当でないとされているものといえる。

なお、富士見病院の診療録中の「手術所見」では卵巣を図示して「ピンポン玉大」とするのみで、卵巣腫瘍があったのか、あったとしてどのような性状の卵巣腫瘍であったのかについて何ら記載がないものが多数ある。そして、後記の被告AのME検査「所見」においても右の「ピンポン玉(大)」という表現が多用されている。卵巣が「ピンポン玉大」と認められさえすれば、前記年齢や挙児希望など関係なく手術の適応があると考えていたものとしか考えられない。けだし、前記30の<氏名略>の左側卵巣の茎捻転を除いて、両側ないし片側の卵巣を摘除したことについて、右の大きさの点を除くと、手術の適応につきほとんど医学的な根拠が認められないものばかりであるからである。以下、この点について検討する。

3 本件における全摘手術の適応等の問題について

(一) 前記のとおり、子宮筋腫や良性の卵巣嚢腫は、それ自体が人体に直ちに害を及ぼすものではない。

もっとも、他の臓器への圧迫・癒着等が起こると下腹痛等の症状を呈することや、将来、悪性変化を起こす可能性があることなどから、子宮・卵巣の全摘手術という適応となる場合がないわけではない。

(二) 富士見病院に入院し手術を受けた患者原告らについては、術前の一般検査は入院中に概ね十分にされており、悪性腫瘍を除外するための細胞診、コルポ診などもされていた(ただし、後記のとおり、ほとんどの患者原告らが「全摘手術」を前提として「術前A」という諸検査が指示されていたのであるから、いわば当然ではある。本件では、そのような入院検査までして手術を受けなければならないような症状がほとんどの患者原告らに認められないことが、最大の問題といえる。)。しかし、患者原告らの最初の内診から入院・手術までの日数が総じて短いことから、例えば内膜組織診が入院後にされているものの、右の検査結果を十分に考慮して手術が決定されたとはいえない。

例えば、20の<氏名略>については、後記三で検討するとおり、細胞診につきクラスⅢとⅣという二つの検査結果が出ており、それによって一応は悪性が強く疑われる異型細胞のあることが認められたものとしても、同原告が挙児希望である以上、さらに組織の一部を切除して病理組織検査をし、その悪性像を確認、確定した上で手術の決定をすべきであるのに、これをしないで全摘手術をしてしまったものであり、手術後の病理組織検査の結果では悪性像が否定されているのである。このように、富士見病院においては、子宮筋腫や卵巣嚢腫があっても、その大きさ、症状などからして、暫く経過観察をするのが相当である患者についても、全摘手術などが極めて安直に多数実施されていたものである。

なお、富士見病院において患者原告らにつき、卵巣の一部を粒々に剥がすか、細かい小片を削り取るような手術がされており(例えば、54の<氏名略>の場合、被告Fによって「両側卵巣楔状切除術」がされたとされているが、必ずしも「楔状」に切除されているわけではない。)、これは前記①の卵巣嚢腫摘除術(核出術)がされたものともうかがわれる(例えば、右原告について被告Fはその趣旨を述べている。あるいは、富士見病院独特の「卵巣整形」とも考えられる。)が、被告Bは、「その手術についてはよく分からない、自分がしたかどうかについても記憶がない」旨の、富士見病院の院長としては甚だ無責任というべき供述をしている(同被告の第一〇三回口頭弁論期日における尋問調書一八頁)。

(三) 右の点に関する被告B及び被告Aの主張は、要するに、例えば子宮筋腫の症状を呈している以上、将来、他の臓器への圧迫・癒着等が起きて下腹痛等の症状を呈することや、悪性変化を起こす可能性があるから、そのような子宮や卵巣を残しておく必要はないし、摘出したとしてもホルモン療法により卵巣摘出による悪影響を防げるのであるから、全摘手術の決定をするかどうかは臨床医師の裁量問題である、というに帰する。

ちなみに、被告Bは、昭和五四年一〇月配布の富士見病院院長名の文書において「アメリカの上流階級では、赤ちゃんをもう必要としない婦人は、癌予防のため子宮全摘の治療を予め積極的に受けるというのに、日本ではまだまだ、子宮をとると男になるなどという迷信があり、そのために手術の時期を逸したり、苦痛をこらえながら、手術をためらっている人が沢山あります。」などと述べ、被告Aも、右同様の考え方をし、後記二、三のとおり、コンサルに際して、相当多数の患者原告らに対して実際に右のようなことを述べて入院手術を勧誘し、承諾させていたのである。

(四) その上で、被告Bは、「①……文献にもありますように、子宮全摘術時の卵巣の処置には「残存」「摘出」にそれぞれメリット、デメリットがあって議論の分かれるところです。②しかし、異常のある卵巣を残すことによるデメリットは意外に多いのです。残存卵巣が子宮摘出後、癌又は他の腫瘍となって再手術しなくてはならなくなる場合がしばしばあるからです。③この場合、残存卵巣は子宮という支持組織がないので、腸の中に埋没しており、多くは癒着があって、手術の患者さんに対する負担が甚だしいのです。……④(卵巣腫瘍について再手術することが大変であることと対比して)その割に残存卵巣は機能していないことが多いのです。子宮をとることによって卵巣への血行が悪くなり、機能が萎縮してしまうのだと思います。⑤しかも子宮摘出後の卵巣は胃や腸と違って、ホルモン産生のみに必要なのです。ホルモンは現今、ホルモン補充療法で何も副作用なく外来から投与できます。不安を残してまで無理に卵巣を残す必要はありません」とも述べる(乙カ22の一・原告22の<氏名略>に関する同被告の平成八年六月一七日付け陳述書)。

右①と②の間には論理の飛躍ないし短絡がある(すなわち、①は卵巣に異常があることを前提としておらず、②は卵巣に異常のあることを前提としている。)が、その点を暫く措いて、同被告の考え方を要約すると、「赤ちゃんをもう必要としない婦人」の場合には、子宮筋腫があれば、一般的にそれが悪性であるか、又は悪性化する可能性があるはずであるから、全摘手術の適応が認められ、その場合には両側付属器の摘出も相当である、と主張しているに帰する。

しかし、右は、富士見病院における後記三のとおりの無用な入院や手術を正当化するための遁辞にすぎないというべきである。けだし、第一に、仮にアメリカにおいてそのようなことが一般化していれば、そのために癌による死亡率が低下したという国際的報告があるはずであるのに、そのような報告はない。また、仮に予防ということになれば、性器癌で最も多い子宮頸癌の発生部位である子宮頸部と、子宮体癌の発生部位である子宮体部を摘出することになるはずである。そして、我が国では子宮癌よりも胃癌のほうが多いから、予防ということからすれば、癌発生年齢になると予防的に胃を切除することが考えられるが、そのような考え方はない。(甲サ六七の1・飯塚鑑定の総論的部分参照)。

のみならず、患者原告らの多くは手術し退院した後も富士見病院に一か月に一、二回(この頻度については患者毎に相当のばらつきがある。)通院してホルモン療法を受けることを余儀なくされていたが、そのようなホルモン療法によって正常な卵巣のホルモン分泌機能やその他の作用を代替することができるということは科学的に何ら保障されていないものである。すなわち、自然の卵巣の機能等は現時点においてすらなお解明され尽くされていないのであり、まして本件当時においてはすべての医学的水準が現今よりも低く、当時におけるホルモン療法によって自然の卵巣機能等を代替し得ることなどおよそ期待することができなかったものであり、しかも副作用のあることも指摘されており(発癌性があるという疑いもあったようであるが、ホルモン剤によっても異なるのかもしれず、ここでは発癌性の有無については不明として更に論じないこととする。)、そのようなことは本件当時においても医師であれば当然知っていたはずの事柄というべきである。証人佐々木靜子は同旨を証言している(第三七回ないし第四三回口頭弁論期日の同人の証言。第三九回口頭弁論期日の証人調書二六丁以下の特に三二丁以下)が、そのような証言をまつまでもなく、医師であれば、とりわけ産婦人科の医師の場合には当然認識しているはずの常識的事柄というべきである。

(五) したがって、右手術の適応に関しては、当該患者本人が自ら積極的にそれを希望しているなどの特段の事情がある場合を除いて、女性にとってかけがえのない臓器である子宮や卵巣はできる限り残すということを原則として治療するのが相当であり(年齢にもよるが、とりわけ出産希望を有している場合には、いわば当然のことと考えるものである。)、しかも、緊急に手術する必要性が全くないのに手術によって長期間にわたるホルモン療法を余儀なくされること自体無用なことでもあるから、そのような場合についてまで全摘手術をすることは到底許されず、もはや臨床医師としての裁量の域を逸脱しているというべきである。右のような子宮全摘除術及び両側付属器摘除術などについては、前記諸検査によってその適応につき十分な合理性が認められ、かつ、患者につき十分なインフォームドコンセントがあって、初めて正当化されるものと考えるのが相当である。

(六) ゆえに、前記の「悪性」と認められないような子宮筋腫や卵巣嚢腫について、右のような特段の事情(なお、炎症や癒着が広範囲にわたり部分的治療がほとんど不可能な場合なども含まれる。)や、十分なインフォームドコンセントのないまま、右被告Bの主張のような考え方によって直ちに子宮全摘手術及び付属器切除等の手術をすることは、たとえそれが医療的侵襲としてされたものであっても、一般市民法上到底許されないものであり、それは当該患者に対する傷害行為というべきものである。当然のことと考えるが、被告Bの前記のような考え方を支持し、産婦人科病院においてそのような取扱いをすべきであるとしている的確な医学的文献は全く見当たらない。被告芙蓉会、被告A及び被告Bが提出している医学的文献(乙ア号証の書証)中にも見当たらない。被告Bはその一部につき、同被告の考え方と同じであるかのように陳述、供述している場合があるが、当該文献の一部のみを切り離して自己に都合よく解釈しているにすぎない。

(七) 加えて、仮に同被告のような全摘手術を基本として考えるのであれば、当該子宮筋腫又は卵巣嚢腫が真実手術の必要があることについて十分に検査をした上で開腹手術に及ぶべきであるのに、後記三で個別に検討するとおり、原告患者らの多くの者に対して、その点についての十分な検査と検討がされないまま開腹に着手し、開腹後もほぼ予定どおりの手術に及んでいたのである。すなわち、仮に、開腹して見なければ分からないという患者があったとしても、被告医師らは、開腹したところ、ME検査等でも判明していなかったような多くの腫瘍、炎症、癒着等が発見されたとして、予定どおりの全摘手術等をしているものというほかない。患者原告らの開腹中の写真、摘出臓器のポラロイド写真、手術中のビデオテープなどを見ても、当裁判所に認識できないというにとどまらず、後記のとおり、専門家が鑑定検査しても、被告医師らの開腹後判明したという右所見の多くが認められないのである(筒井証言によれば、同人が見た事例中手術の適応が認められたのは、前記の30の<氏名略>のみである。ただし、前記のとおり、子宮全摘除術及び右卵巣摘除については適応が認められないとするものである。)。のみならず、仮に右のような腫瘍、炎症、癒着等と重篤な病変が真実認められたというのであれば、摘出臓器につき割面を検討するとか、病理組織学的検索ないし検査をしてしかるべきであるのに、手術後にはそのような検査はほとんど全くされていないのである(診療録にそのような記載が認められない。なお、前記のとおり、入院中にそのような検査がされた場合でも、その検査結果が明らかでない事例や、検査結果を十分に検討する時間のないまま開腹手術に及んでいる事例が極めて多いものである。)。

しかも、富士見病院においては「術前A」として多くの検査がそれ自体としてはきちんとされていたことが認められるが、それは、後記二のとおり被告医師らが信用するに値しない被告Aの「ME検査所見」や「ME写真コピー」に基づいて入院させた後のルーチンとしての検査であって、必ずしも患者も主訴や内診結果に相応するものではなかったのである(悪く言えば、ともかく入院させて一種の検査漬けにしたとすら十分に考えられるものである。例えば、後記三のとおり、入院した患者原告らのほとんどに腎盂撮影(Pyelo-graphie。富士見病院では、カルテ上「ピエロ」と記載することが多かったようである。)がされているが、当該患者につき具体的に何を目的として検査し、手術の決定に際してそれをどのように考慮したのかよく分からないのである。なお、「腎盂」とは腎臓内にある嚢状の部分で、腎臓で生成された尿は先ずここに集まり、ついで尿管を経て膀胱に注ぐ。腎盂炎は婦人に多い腎盂の炎症で、種々の病原体、ことに大腸菌によるもので、悪寒を伴って高熱を発し、腎臓部に疼痛があるとされているが、患者原告ら中にはそのような症状を訴えた者はほとんどいない。もっとも、手術を前提として入院したのであるから、腎盂撮影をしたことが一律に無用といえないことはいうまでもなく、この点については、他の諸検査の場合も同様である。)。そして、入院後の右のような諸検査の上で、個別の患者毎に、例えば、組織の病理学的検査を十分にして当該疾患の有無、悪性かどうかを時間をかけて慎重に確定するなどという診療はほとんど全くされていないのである。

(八) 右の初診から入院までの所要日数及び入院時から手術時までの所要日数という時間的側面に関して、前同様に、この数年間における富士見病院と同規模・同種の前記の病院(A病院七二例、B病院三七四例)と富士見病院八八例を対比すると(なお、前記C病院についてはデータがない。)、初診から入院までの所要日数の平均が、A病院では345.1日、B病院では66.2日であるのに対して、富士見病院は8.9日で極端に短く、一方、入院時から手術時までの所要日数の平均は、A病院では8.8日、B病院では3.3日であるのに対して、富士見病院は11.0日と長いのである(富士見病院については、甲サ二の前記集計結果からもそのような傾向がうかがわれる。)。

(九) そして、本件当時の富士見病院では、ほぼ毎月のように入院患者延数が外来患者延数を上回っていたものであり、以上のような事実関係からすれば、富士見病院では、後記のとおり、患者原告らに対して、ME検査「所見」及びコンサルによって患者を驚かせて即刻手術が必要であるとして入院させる一方で、入院しなくてもできる検査を入院中にして入院期間を長引かせ、手術を遅らせ、入院費、検査費などを得るようにしていたと考えざるを得ない(ちなみに、いわゆる「内偵期間」とされる昭和五三年九月から昭和五四年三月には外来患者延数にさほど変化がないのに、入院患者延数のみが激減しており、昭和五三年一二月には前者が後者の1.79倍となっている。これは、被告Aが何らかの手段で捜査情報を入手していたことをうかがわせるとともに、無用な入院、手術をしないように少しでも注意しさえすれば、外来患者と入院患者の右比率が容易に逆転するような診療システムであったことをうかがわせるものである。(前記原告ら昭和五八年一一月一四日付け準備書面一二頁以下、四頁以下参照)

(一〇) 以上の点につき、被告Bは、「文藝春秋・昭和五六年五月特別号」において、「私がここで強調しておきたいのは、理事長が担当したコンサル制度も、(後にふたたび触れるように)MEの操作、所見の提出も、私たち医師の厳重な管理のもとにあったということである」と述べており(乙サ一の二〇四頁上段)、また、「乱診乱療がかりに事実であり、その背景に、高価な医療器械を導入した病院の経営難があるとすれば、考え得る犯罪は計画的なものであろう。一連の報道を読んで、新聞の読者はある素朴な疑問にとらわれなかっただろうか。犯罪者が積極的に、自分たちの犯罪の証拠を残しているのはなぜなのか。あとで報じられたように摘出した臓器を保存し、臓器のポラロイド写真を撮り、手術のもようまでビデオに収録していたのはなぜだったのか」とも述べている(同一九七頁下段から一九八頁上段)。

しかし、被告Aのコンサルや、MEの操作、所見の提出が被告医師らの厳重な管理のもとにあったというのは、後記二で検討するとおり、明らかに虚偽である。被告医師らの一部は既にそのような主張はしていないし、被告Gにおいては全く正反対のことを述べている(前記辛号証の書証)ものである。

また、それが傷害罪の有罪証拠として十分なものであるかどうかまでは分からないものの、残された摘出臓器のポラロイド写真や手術のビデオテープを飯塚鑑定や佐々木鑑定書等において専門家が観察分析してみても、手術をしたことが正当であったことが全く認められないというのである。

したがって、右に係る被告Bや、被告Aの言い分は一種の「居直り」ともいうべきものである。

(一一) 右の点に関して、被告芙蓉会及び被告Cは、その平成一〇年一一月九日付けの最終準備書面において、添付に係る「日母医報」の一九八六年(昭和六一年)七月号中の群馬大学医学部産婦人科五十嵐正雄教授のNHKに対する抗議文及び右会報に載せた同教授が自らの抗議文を援用している。右被告両名が右抗議文によって何を主張したいのかは明記していないので明らかではない(被告Cが患者に対して誠心誠意をもって治療をしていたことについての主張中で援用されているが、右抗議文の内容とは直接関係がないというほかない。)が、仮に富士見病院における「全摘手術」が相当であったとして援用しているものとすれば、失当である。

すなわち、右五十嵐正雄教授の抗議文の趣旨は、「子宮筋腫が手術の適応でなく、保存療法すなわち薬で治る」という見解に根拠がないこと、子宮筋腫を完全に治す薬は一九八六年現在存在しないこと、同教授自身「子宮筋腫の核出術」を積極的にしており(一人の子宮から五六個の筋腫核を摘出したこともある。)、約百例実施したが、その三ないし五年後に再発し、二度又は三度開腹手術をせざるを得ない例が少なくないので、将来妊娠を希望しない女性には核出術よりも子宮全摘術のほうが患者の幸福に役立つ、というのが同教授の治療方針であること、今回放映された例は、「子宮筋腫が小児頭大である上、家庭の事情により将来妊娠すると困ると夫婦で言っており、核出術では再発の可能性が高いと言ったところ、夫婦のほうから子宮の全摘を希望した例である。そして、NHKの取材に対して同教授が誠実に応対し、核出術の利点だけでなく、欠点についても説明したのに、それを曲解し、欠点の説明を全部カットして放映したので抗議した」というものである。そのような内容であるから、同教授が子宮筋腫について右のような治療方針を有していたにもかかわらず、右抗議文の登載までの間に、子宮筋腫の大きさや、挙児希望の有無、患者の意向等に配慮して、「全摘手術」ではなく、多くの核出術をしていたことが明らかである。しかるに、患者原告らについては、そのような核出術が全くされていないことが富士見病院における奇異な特徴というべきことになるのである。

しかも、右子宮筋腫の内容程度についての被告医師らの判断が、後記のとおりの被告Aの医学的に出鱈目ともいうべき判断に依拠していたことが異常とされるのである(被告Fの平成一〇年一二月一六日付け準備書面の一七頁の末部分に「確かに、被告Fは本件(Ⅲ―3の<氏名略>の場合)のみならず、他の患者についてもME検査自体を自ら行っていないため、映像を被告Aのように直接読み取ることはできないが、撮影した画像(コピー)を参考として自分の内診等を併せて総合的に病状・病名を診断したのである」との主張があり、右被告Cの主張を含めて、被告医師らの主張は結局同旨と解されるのであるが、それは明らかな「遁辞」にほかならないものである。後記のとおり、本件で問題となるのは、被告AがME検査の画像を直接見ても、それを医学的に読み取る能力がなく、その上で同被告が後記のとおりのコンサルをしていたことと、そのような実態について被告医師らが知りながらこれに追随していたことである。

すなわち、後記のとおり、富士見病院においては、被告芙蓉会の理事長である被告Aが、医師・看護士・臨床検査技師などの資格が全くないのに、患者に対し、超音波検査を実施した上、白衣を着用して医師であるかのように装ってコンサルをし、被告医師らの指示に基づくことなく自らの判断で病名・病状を告知し、手術を前提とする入院まで決定し、被告Aを医師と誤解していた患者原告らにこれを「承諾」させることを継続的にしていたのであり、被告医師らは、被告Aの右診断および入院・手術の決定をほぼそのまま受け入れ、患者に対し、子宮・卵巣等の全部または一部を摘出する手術をしていたものである。したがって、被告医師らが、医師として個々の診察や諸検査を誠実にしていたとしても、富士見病院の右のような診療の実態を知りながらこれに協力していたことについての責任が問われているのである。そして、被告Cが参考としたという画像(ME写真コピー)なるものは、後記のとおり、医師がそれを見ても到底読影することができるようなものではなかったのである。

(一二) いうまでもないが、人体の諸臓器の機能や、それを摘除すればどのようなメリット、デメリットがあるのかなどについては、現在なお未解明の点が多いことは前掲各証拠、前記各文献上明らかである。本件においては特に、「手術の適応」や、手術に伴う一般的危険性という問題にとどまらず、手術後における「病気の予後」ではなく、当該臓器の全摘自体による「予後」や後遺症などが問題となる。右文献等からして、「手術の適応」という問題と対比して、「臓器の逸失による予後、後遺症の有無」という問題についての解明、探究はあまり進んでないように見えるものの、人体の各臓器がそれぞれ生物上の機能を有することはいうまでもないことであって、まして、子宮、卵巣等が単に生殖等の機能のみならず、一個の有機体としての女性の肉体的精神的な健康上重要な機能を有するものであることは疑う余地がないところである。

それゆえ、例えば、子宮全摘術のみの後遺症としても、冷え症、頭痛、めまい、不眠等の全身症状、女性喪失感、鬱状態等の精神症状、性欲減退、膣の短縮感等の性的後遺症、ケロイド形成、創部のひきつれ、尿がでにくい、性交痛などの局所症状があることが指摘されている(甲アB二〇)。

そして、卵巣の喪失については、医学的に「卵巣欠落症状」なる症状が指摘されており、右症状は、卵巣を手術的に摘除するか、放射線照射をするか、又は、疾患例えば腫瘍等によって侵されて卵巣機能がなくなった場合などに現われる症状で、更年期障害も卵巣の命数が尽きて現われる一種の卵巣欠落症状とされているものである。その症状は、無月経、性器萎縮などの局所所見のほか、全身症状として、頭重、のぼせ、肩こり、冷え性、その他の血管運動、神経障害に次いで、感情の変化、特に興奮しやすく、また、憂鬱症になるなど、その他の精神神経障害が現われ、肉体的には、脂肪沈着、肥満などの代謝障害が現われる、とされているところである(例えば、前記「南山堂医学大辞典」二一四九頁。)。

そうであるからこそ、子宮全摘術をするかどうかが問題とされると同時に、子宮全摘術がされる場合において卵巣をどのように処理すべきかが重要な問題とされており、本件当時においても、多くの医師が真剣に研究していたところであり、その内容は前記被告Bのような考え方とは全く異なるものであったのである(例えば、甲アCの一「子宮摘出と卵巣の処理」からも明らかである。)。

(一三) 医療的侵襲につき、一般論としては、一定の範囲での医師の裁量や決断が問題が生じ、それが結果的に最良の措置でなく成功しないときにおいてもなお許される場合がある。しかし、当然ながら、そのような裁量は、医師や医療施設において、人体、各臓器の機能等について未解明な点が少なくないことを謙虚に受け止めた上で、あくまでもその良心にかけて、当該患者にとって何が最良であるかを個別的に注意深く慎重に吟味した上で決定した場合に適用されるものというべきである。換言すれば、一般的には何ら通用しないような独自の診療方針に基づき、患者に対して十分な説明をすることもなく、安直に「全摘手術」を「承諾」させて実施するということは、それ自体言語道断の医療行為というべきであって、右のような医師の裁量問題とはおよそ無縁のことというべきである。

(一四) 以上のとおりであって、被告Bの前記のような考え方は、当該臓器を摘除さえすれば当該臓器についての病気はあり得ないという、およそ医学に値しない安直な考え方というべきであって、同被告はそれを「予防医学」であるとして正当化しているものの、およそ「予防」というに値せず、後記二で検討するとおりの被告AによるME検査、ME検査所見、コンサルに依拠した富士見病院における診療の実態をも考え併せると、少なくとも本件事案に関しては、仮にそのような考え方によって本件手術等がされ又はされようとしたものであるとしても、到底これを正当化する余地は全くないものというほかない。

4 不妊症について

(一) 定義

不妊とは、性成熟期にある夫婦が一定期間以上正常な性生活を営んでいるにもかかわらず妊娠しない状態のことをいい、この一定期間として、一年から三年までの諸説があるが、二年というのが一般的である。これは、避妊しない場合には九〇パーセントの夫婦が結婚後二年以内に妊娠することを根拠にしている。

不妊原因は、大きく男性因子と女性因子とに類別される。前者が男性不妊、後者が女性不妊といわれ、その割合は以前は一対三とされていたが、現在は一対一とされている。なお、原因が双方にある場合もある。

妊娠経験が全くないものを「原発不妊」、少なくとも一回の妊娠経験があるものを「続発不妊」、分娩を一度経験した後のものを「一児不妊」という。

不妊原因となる器質的障害が認められるものを「器質性不妊」、認められないものを「機能性不妊」又は「原因不明不妊」という。

女性因子については、妊娠成立の諸過程のいずれかが障害されても不妊の原因となる。女性の性機能には、卵形成から排卵、卵管采による卵のピックアップ、受精、卵の卵管内移動、卵割、着床、胚の初期発生などがある。その障害原因は、生殖機能の多様性を反映して多岐にわたる。障害部位別にみて、例えば、①「卵巣性不妊」として、a卵形成不妊(ターナー症候群、卵巣形成不全が原因となりうる疾患である。以下同旨)、b無排卵症(無排卵周期、多嚢胞性卵巣症候群、早期卵巣不全、高プロラクチン血症)、c黄体機能不全(高プロラクチン血症)、d無排卵黄体化症候群(子宮内膜症)があり、②「卵管性不妊」として、a器質性通過障害(卵管炎、骨盤内炎症、子宮内膜症などによる癒着、卵管狭窄と閉塞、手術的摘除)、b機能性通過障害(心因性卵管攣縮)、③「子宮性不妊」として、a器質的異常(子宮筋腫、子宮奇形、子宮発育不全)、b着床障害(着床期内膜不全、子宮内膜ポリープ、Asherman症候群)、④「腹膜性不妊」として、骨盤内癒着(子宮内膜症、骨盤内炎症、術後癒着)などがある。頻度としては、卵管や卵巣に原因がある場合が多い。

(二) 検査

女性因子による不妊の原因究明ための検査法・診査法についてみると、一般的には次のような手順で検査を行うとされる。

すなわち、まず、①既往歴、月経歴、結婚歴、妊娠歴等についての問診、②体型、体格、顔貌、体毛、乳房発育、栄養状態等についての外診、③子宮と付属器の器質的異常をみるための双合診その他の内診を行い、次に、④基礎体温(BBT)測定、子宮卵管造影法、頸管粘液検査等の一般検査を行う。これらの問診、外内診及び一般検査によって第一次的な診断をし、必要に応じて⑤特殊検査を行う。

右④の基礎体温(BBT)は、最低四週間、月経異常の状態によっては三周期ないし三か月間の記録(BBT曲線)に基づいて分析しなければならないとされている。被告Bにおいても、最低限一か月くらいはチェックする(しなければならない)旨供述している(第一〇三回口頭弁論期日における同被告の証人調書五頁)が、本件で問題となる患者原告(例えば、2の<氏名略>など)に対する富士見病院における診断経過を見ると、後記のとおり、外来初診時から不妊と診断されるまでの期間が異様に短く、右基礎体温について分析する間がないまま入院・手術が決定されていたことが特徴的である。

(三) 卵管留水腫と不妊の治療について(例えば、2の<氏名略>)

不妊の治療は、その原因に応じて種々あり得る(次の5参照)ところ、卵管の癒着閉鎖、卵管周囲の癒着による二次的閉鎖が不妊の原因となることは明らかである。

一方、卵管内膜炎により、卵管の子宮端及び腹腔端に癒着による管腔の閉鎖が起き、卵管腔が孤立し、そこに炎症性滲出液等が貯留すると、卵管留腫となる。その内容により、卵管留膿腫(卵管腔内に膿が貯留し、膨隆する。)、卵管留水腫(卵管腔の内容が漿液性のものをいい、通常慢性卵管炎の結果発生する。)、卵管留血腫(卵管腔の内容が血性のものをいい、治療は手術による。)の三つに分類される。2の<氏名略>にあったとされる卵管留水腫が、同原告の不妊の原因であったかどうかについては、後記三の2記載のとおり、十分な検査がされていないまま手術がされている。

5 多嚢胞性卵巣症候群(PCO)及び子宮後傾後屈について

両側卵巣が多嚢胞化しているが、無排卵、不妊を主訴とする以外はなんらの臨床症状を伴わないものを「多嚢胞性卵巣polycystic ovaries症候群」(PCO)という。

右の治療に関しては、卵巣楔状切除が排卵誘発に有効であるといわれているが、術後は積極的に妊娠に結びつくような手段をとらなければならず、このために手術時期の決定は慎重を要する。両側卵巣が多嚢胞化していても、その程度が軽いと排卵があるので、手術の前提として無排卵であることを確認する必要がある。(第三九回口頭弁論期日における証人佐々木靜子)

本件の場合、後記のとおり、富士見病院では、いわばME検査において卵巣腫大が認められれば、多嚢胞性卵巣症候群として楔状切除の対象としており、なお、子宮後屈があれば子宮の位置の矯正術を行っており、しかも未婚女性についてまで手術適応としていたのである(前記のとおり、子宮後傾後屈は、古くは不妊症、腰痛の原因と考えられていたが、現在では、特に「可動性子宮後屈」については、手術を積極的にすることがないものである。)。右の点からしても、富士見病院においては、一般的に、患者に対して、手術を積極的にしようとしていたことが観察され、それが、後記のとおりの被告AのME検査及びコンサルによって主導されていたことからすれば、富士見病院においては、当該診療が過大治療、乱診乱療となることについてほとんど全く配慮していなかったことがうかがわれるのである。

6 頸管縫縮術(16の<氏名略>)について

頸管縫縮手術は、頸管無力症(頸管不全症ともいう。子宮頸部の形成不全又は機能不全、人工妊娠中絶、分娩時の頸管裂傷、円錐切除などが原因で、妊娠中期、末期に頸管が無力状態に開大し流早産を起こすもので、妊婦前半期流産の約一〇パーセント、後半期流産の約五〇パーセントにみられる。)による流早産を予防するためのほか、特別の原因がないのに妊娠四か月以降の流早産を繰り返したり(習慣流産)、あるいは明らかに頸管の開大傾向が見られる場合に行われる。その手術として、シロッカー法とマクドナルド法があり、後者は、妊婦に対する侵襲を軽減するために前者に比べて術式を簡略化したもので、簡単で出血も少ないが、やや不確実である。(甲アE一一、甲カ16の五「鑑定の細目第二」など)

本件では、被告Cによって、16の<氏名略>に対してマクドナルド法が施術されている。

後記三のとおり、被告Cは、同原告の子宮腟部が短小であり、子宮筋腫でもあったことを理由に右手術を正当化する。しかし、子宮腟部は子宮頸部のほんの一部であり、子宮腟部が短小であることも子宮筋腫であることも頸管縫縮術の適応ではない。そして、後記のとおり、子宮筋腫と診断したことにつき十分な根拠が認められず、かつ、同被告は、同原告の妊娠が明らかになると同時にマクドナルド法による頸管縫縮術の施行を決めており、右手術をしたことにつき十分な医学的根拠はなかったものというべきである。

7 稽留流産と人工妊娠中絶の手術について(31の<氏名略>)

稽留流産missed abortionとは、(妊娠二四週未満に)胎芽ないし胎児が子宮内で死亡した後、排出されずに子宮腔内に滞留している状態の流産をいい、一般に自覚症状を示さないものを指す。(甲カ31の五)

本件においては、31の原告<氏名略>が、被告Cの「稽留流産の疑い」という診断によって、被告Fの執刀により子宮内容除去術を受けたものである。被告Cが主張する右「疑い」の根拠は、入院二日前(妊娠一〇週六日)の内診所見において子宮が超鵞卵大であったことなどから「最終月経に比し子宮小さい」と感じたことにあるというのである。

しかし、超鵞卵大という大きさは、妊娠一〇週六日の子宮として異常に小さいとは必ずしもいえず、かつ、実際の妊娠日数はもっと少なかった可能性があったのであるから、胎児の発育に異常があると即断すべきではない。

そして、もし同被告が稽留流産の疑いを抱いたのであれば、医師自ら超音波検査を実施し(後記のとおり、同被告はME検査をする能力があり、しかも、疑問があれば自らME検査をしていたとまで言っていたのである。もっとも、後にほとんど全くしていない旨の主張供述に変えた。)、あるいは経過を観察して胎児の生死・発育状況を確認すべきであったのに、同被告はこれをしていないのである(以上の全般につき、甲カ31の四)。したがって、同原告に対する手術は、胎児の発育状態はもとより、その生死については全く不明のまま、被告Cらが被告Aの後記のとおりの非医学的な診断に従って強行した違法な手術といわざるを得ない。

なお、子宮内容除去術は、鉗子を用いて子宮腔内の胎児等を掻爬する手術であって、胎児等が寸断され、絨毛や脱落膜等と混合してしまうことから、除去物中に胎児の残滓が確認できない場合もある(甲カ31の五)。したがって、被告Fが行った子宮内容除去術の結果として「胎児不明」との記載がある(甲カ31の一の一三丁)からといって、被告Cの稽留流産の診断が裏付けられているものとは直ちにはいえない。

加えて、同原告は、元来子宮及び両側付属器を全部摘出することを前提とした上で、その前の措置として右手術を受けたものであるが、後記のとおり、右の前提(全摘手術の必要性)自体が相当と認められないのであるから、この点から右施行された手術を正当化することもできない。

すなわち、右の全摘手術の適応に関しては、他の多くの患者原告らについて後に述べるところとほぼ同様であるが、同原告は、受診時、妊娠によるつわり以外には格別の身体的異常も感じておらず、富士見病院における内診(同一丁、三丁表)においても、妊娠による子宮の増大やピスカツェック徴候と見られる所見(妊娠初期では、子宮が不平等な球状を呈する。妊卵の着床部位を中心とした部分がより早く発育するためであり、これを「ピスカツェック徴候」という。)があったものの、格別の異常は認められず、子宮消息子診による内腔長が9.5センチメートルであったことも(同一三丁)、妊娠の結果であり、また、血液検査の結果(同一〇丁)にも異常がなかったものである。そして、両側付属器については、何らかの疾患を疑わせる症状も所見もなかったのである。(以上の全般につき甲カ31の四)。

二  富士見病院の診療システムについて

1 被告A、被告B、被告芙蓉会、富士見病院について

(一) 被告A(大正一四年六月生)は、昭和一五年四月横須賀海兵団に入団し、機関兵として電気関係の技術を学び、同年八月横須賀工科学校普通科練習生となり、船や飛行機のエンジンの整備などを約四か月間学んだ後、三か月間駆逐艦「春風」に搭乗勤務し、海軍工機学校高等科練習生となり、約半年エンジンの整備などの勉強をし、その後再度「春風」に搭乗し、昭和一九年一月フィリピンのスラバヤ港で海軍航空隊の機械整備勤務(上等機関兵)となり、同年一一月七日、マニラにいた巡洋艦「扶桑」への飛行機での転勤輸送中に、レイテ島上空でグラマン機に撃墜され、両手、両足、胴体に二度から三度の火傷を負った。台湾で治療を受け、佐世保海軍病院、横須賀市の野比海軍病院、諏訪市の日赤病院で療養し、昭和二〇年八月同病院で終戦を迎え(当時海軍少尉)、同年九月ころ福島県の実家に帰ったが、同年一一月肋膜炎を患い、昭和二一年四月にようやく健康を取り戻し、同年九月英語を勉強するため東京都中野区の「国際外語学校」に入学し、そこで旧制中学校卒業の資格を得て、昭和二二年一〇月東京都文京区の「東洋大学専門経済学科三年」に編入入学し、昭和二三年三月右大学専門部を卒業し、引き続き東京文理大学史学部の聴講生となり西洋史の勉強を始めた。当時東京都巣鴨の叔父(又は伯父)方に寄宿していたが、銀座で友人とアコーデオンを携帯して「流し」をしたり、五つの家庭教師をするなどして生活費を稼いだ。昭和二五年ころ、当時建設省河川局勤務の女性と知り合い、池袋で同棲するようになった(後に同女と婚姻し、長男、長女、次女の三子をもうけた。)が、右長男の出生等の事情から、経済的に苦しくなり、右聴講生を辞め、広告取次業、不動産取引関係の仕事などをするようになった。

そして、昭和三六年ころには、金融機関の不動産部と連係した不動産関係の「取次ぎ」の仕事で一年間で約一億五〇〇〇万円も儲けるに至り、そのころゴルフ場で被告Bと知り合ったものである。(甲タ二)

(二) 被告Bは、昭和二四年に医師免許を取得し、都内の病院や埼玉県の診療所で医師として勤務していたが、昭和三二年九月に独立してその友人の女医と共に所沢市に「第一診療所」(後の「分院」の場所にあったようであり、産婦人科のみならず、内科、小児科も対象としていた。)を開設し、その法人化として、昭和三三年三月に被告芙蓉会を設立したが、当時同被告は未婚で「B'」姓であり、医師であるその父や他の医師らが右診療所を手伝うなどしていた。

前記のとおり、被告Aは、昭和三六年にゴルフ場で被告Bと知り合い、昭和三七年ころから同被告方で一緒に暮らすようになった。当時、被告Aには前記の妻と三人の子があったが、昭和四六年に離婚をし、それから間もなくして被告Bと被告Aは婚姻の届出をした。なお、右被告両名間には子がない。(甲タ五)

(三) 右(一)記載のとおり、被告Aは、被告Bと知り合うまでの間、重度の火傷を負うなどして患者として医師や医療と接した程度で、格別の医学的知見を有していなかったものであるが、被告Bと同棲するようになった後、「臨床医学新聞」という産婦人科の専門紙を発行するなどし、また、昭和三八年ころ前記「第一診療所」が廃業となり、その土地建物を約八〇〇万円で買い取ったことや、右のとおり巨額の資金を有していたことなどから、次第に病院を経営することを企図するようになった。

そして、被告Aは、昭和四二年に前記富士見産院を開設するに至ったのであるが、その資金(敷地の購入費、病院建設費等)は全部同被告が単独で工面したものである(なお、当初の建築業者に一億円近い資金を持ち逃げされ、手持資金が約一〇〇〇万円しか残らなかったことから、銀行からの融資を受ける折衝その他に手間取ったが、結局銀行から融資を受けて、総工費一億七〇〇〇万円で富士見産院を建築したものである。)。

同被告は、右開設と同時に被告芙蓉会の理事長に就任し、被告Bと共に右病院に居住して右病院を経営し、被告芙蓉会を統轄し続けた。その経営は順調で、昭和四六年には本院の第一期増設工事をし(その機会に前記のとおり富士見病院(略称)と改称したのである。)、昭和五三年一月には本院の第二期増設工事をした。

富士見病院の規模等は、昭和五五年当時、分院を含めて、医師五名(被告Eを除くその余の被告医師ら)、その余の職員約六〇名、ベッド数四八で、被告Aの刑事事件における供述によれば、産婦人科病院としては埼玉県で第一の規模であったようである(ベッド数についてより正確には、医療行政上、本件当時、昭和五四年六月まで許可病床数四六(壬八の1、九、一〇の1)で、同年七月以降許可病床数五四(壬一一の1)だったようである。なお、右各書証によれば、富士見病院の「診療科別一日平均入院患者総数」は、昭和五二年一月二五日調査で三四名(産科一〇名、婦人科二四名)、昭和五三年一月二四日調査で三八名(産科一一名、婦人科二七名)、昭和五四年二月一日調査で三五名(産科一〇名、婦人科二五名)、昭和五五年二月二五日調査で三二名(産科一八名、婦人科一四名)であり、「診療科別一日平均外来患者総数」は、昭和五二年一月二五日調査で三九名(産科一八名、婦人科三〇名、小児科一名)、昭和五三年一月二四日調査で45.8名(産科七名、婦人科37.8名、小児科一名)、昭和五四年二月一日調査で三七名(産科四名、婦人科三三名)、昭和五五年二月二五日調査で四一名(産科四名、婦人科三七名)であった。右病院調査の結果から、富士見病院では、外来患者総数と対比して入院患者総数の割合が極めて高いことが看取され、後記六において、被告国らの責任を論じる際に、右病院調査の結果についてどのように評価すべきであるのかが問題となる。)。その収入は、昭和五五年当時、月平均で、保険収入が約一五〇〇万円、現金収入が二〇〇〇万円(右第二期工事後差額ベッドを減らしたので、現金収入が約一五〇〇万円減った由である。)で、支出が月平均約五〇〇〇万円のため毎月約一五〇〇万円の赤字である。なお、昭和五五年当時、同被告は、銀行からの借入金が約一八億円あったが、当時富士見病院関係で所有する不動産の価値は約二〇億円であった。

(四) 右のように、富士見病院は、昭和四二年の開設以来、右増改築資金、運営資金を含めて、その建築、経営等に係る一切の資金は被告Aが全部単独で工面していたものである。そして、本件当時、富士見病院には、理事長である被告A及び院長である被告Bのほかに、右被告両名の血族ないし親族が一〇名もおり、これらの者が富士見病院の事務局長、経理課長、秘書課長、看護課長、管理課長などの主要ポストを占めていて、そのような職員構成からも、いわば「○○ファミリー」が上部構造を形成し、その頂点に被告Aが君臨し、医師や職員に関する情報がすぐに同被告に伝わり、富士見病院の一切の実権が同被告に集中するようになっていたものである(甲サ五四)。したがって、本件当時、被告芙蓉会及び富士見病院は、同被告が所有し支配しているというべきものになっており、そのため、本件当時、被告Bを含めて、被告医師らは富士見病院における診療方針、診療の在り方などについて、実際上被告Aの意向に従うほかないようになっていたというのが実情であった。

(以上の全般につき、甲タ一、二、五ないし九、甲サ各号証)

2 富士見病院における外来患者に対する診療システム

(一) 富士見病院における新規外来患者は、先ず事務局の窓口において、初診カードに必要事項を記載するが、事務局員は、患者からの説明あるいは保険証によって、外来患者受付簿に患者の氏名その他の所定事項を記入して、患者のカルテを作成する。カルテには保険カルテと自費カルテの二種類があり、保険証を有する患者については、自費カルテのほか保険カルテを作成した上(なお、保険カルテは保険適用の処置をした場合に記入されるものであり、自費カルテは保険適用外の処置をした場合に記入されるものである。)、患者を外来待合室に同行する。

(二) 患者は、外来医務室において、予め担当医師の指示を受けた看護婦(准看護婦を含む。以下同じ)から、検尿、血液測定、身長・体重等の測定を受けるが、その結果は看護婦によって自費カルテに記入され、担当医師のもとへ届けられる。担当医師は、右カルテに目を通した上、患者と面接し、問診、視診、触診等の必要な診察をし、その所見を自費カルテに記入する(したがって、この時点では、内診所見が保険カルテの方に記載されない場合があり、むしろ、後記のとおり、ほとんどの場合、保険カルテの病名等の記載は、被告AによるME検査、ME検査「所見」、コンサル等を考慮して記載されていたものである。)。

(三) ME検査の依頼には、昭和五三年一二月までは「ME連絡票」、それ以降は「ME指示表」という用紙が使われ(甲タ八の五項。以下、便宜いずれも「ME指示表」という。)、コンサルの依頼には「医事相談指示」という用紙(以下「医事相談指示票」ともいうが、富士見病院におけるその通称によって、「コンサル用紙」ということもある。)が使われていた。もっとも、ME指示表を省略してME検査の依頼についてもコンサル用紙に記載して済ませることもあった。また、担当医師から、被告Aに対し、ME検査とコンサルの双方が同時に出されるのが通例で、後記のとおり、患者原告らのほとんどについても、右のME検査指示とコンサル指示とが同時に出されていたものである(例えば、被告Fの場合は、甲タ同二〇の八項でその旨を述べている。)。

医師からの右指示により、看護婦は、患者のカルテとともに、ME指示表あるいは医事相談指示票を事務局に届ける。事務局員は、秘書課に連絡をとって、担当秘書を呼び出し、右看護婦から受け取ったカルテとME指示表あるいは医事相談指示票を渡し、担当秘書に患者をME室に同行させる。そこで、ME室の担当者(後記のとおり、本件当時においては実質的に全部被告A)は、右担当秘書が持参したME指示表あるいは医事相談指示票によりME検査又はコンサルを実施することになるが、ME検査の結果については、後記のとおりME写真コピーを作成して保険カルテの末尾に貼付し、コンサルについては、医事相談指示票中の「相談課説明内容欄」に必要事項を記入する。

そして、右ME指示表、医事相談指示票及びカルテは、担当秘書により事務局を経て後述するME主任管理医師、担当医師のもとへ回付され、その後、ME指示表及び医事相談指示票については秘書課において、カルテについては医事課においてそれぞれ管理される。他方、ME検査あるいはコンサルを終えた患者は、看護婦に誘導されて事務局へ行き、カルテにより計算された当日の現金負担分を支払って帰宅する。

(四) なお、医師がME検査もコンサルも必要がないと判断した患者については、その日の診療を終了するが、引き続き後日診察または治療が必要な患者については、担当医師から次回の来院日を指定された上、前同様看護婦に誘導されて事務局へ行き、その日の清算をして帰宅する。

(五) しかし、本件当時、富士見病院においては、医師が外来患者に診察結果を告知しないことが多く、原告患者らのほとんどは右告知を受けなかった。

医師が診察結果を患者に告知しないことは、普通には考えられないことであり、被告Aらは、患者に対して医師が診察結果を告知・説明していたかのように主張、陳述、供述しているが、後記のとおりの富士見病院における被告Aの特異な関与の仕方や、患者原告らの各陳述書及び各本人尋問の結果などに照らして、容易に採用することができない。

右の点に関して、被告Dは、被告Aの刑事裁判において、医師が患者に病名・病状を告げて説明することは、富士見病院における医局会議の席で被告Aから禁止されており、これに違反すると被告Aから激しく怒られるので、患者に説明することを諦めていた旨の証言をしており(甲タ一七の一九六ないし一九八項、甲タ一八の一四七ないし一五〇項、一五八ないし一六一項、一九六ないし二〇三項)、それが本件当時の富士見病院における診療の全般的な実情であり、被告医師らが右のように診察結果を直接患者に告知しないようにしていたのは、後記のとおり、被告Aによる「ME所見」の表明すなわち実質的な「診断」や、入院・手術の決定・告知の妨げとならないようにするためであった。

(六) そして、被告医師らは、患者を積極的にME検査とコンサルに回すようにしており、被告Aは、富士見病院の医局会議において、被告医師らに対し、「もっとMEとコンサルに患者を回してほしい」旨を数回にわたって要請していたものである。この点に関しては、刑事事件において、被告C(甲タ一二の二五六丁(刑事事件における丁数)裏以下)、被告D(同一八の一八一項以下)、被告F(同二〇の一ないし一二項)、被告B(同五の六項)も認めているところである。

3 超音波断層診断装置・ME装置と利用上の問題点

(一) 超音波断層診断装置とは、超音波を体内の臓器等に当てることにより反射されるエコーをレーダーのような技術でブラウン管に投影させる医療機器であって、この断層映像によって患者の体内の臓器等の状態を種々の角度から視覚により観察することができる。それによって、医師の内診所見や従来の検査では発見できなかった患者の体内の病状、病変の有無、その程度等を明らかにするのに役立っている。なお、富士見病院では、後記の超音波断層診断装置を「ME」と呼称して、「ME検査」を多用していたものであるが、元来「ME」とは、メディカル・エレクトロニクス又はメディカル・エンジニアリングといわれるもので、その本流は、むしろ心電図測定や脳波の測定機器など、身体各部の現象を電気ないし電波で捉えるものである。これに対して、超音波断層診断装置は「音波」で断層映像を得るものである。

そして、産婦人科の分野においても、超音波がX線とは違って極度に高い超音波音圧でない限り母胎や胎児に害がないことから、女性生殖器の位置及び形状、子宮筋腫、卵巣嚢腫等の有無・程度、胎児の状態、妊娠期間、着床、正常妊娠と異常妊娠等を判定・診断するのに利用されている。

(二) 子宮筋腫については、その存在部位、数、大きさ、腫瘍内容(変性等)などの診断が可能であり、卵巣腫瘍については、その存在部位、数、大きさ、腫瘍内容などの診断がある程度可能であり、また、卵巣嚢腫が嚢胞性か充実性かの鑑別もできるとされている。

しかし、子宮腫瘍の場合でも、実際には偽陽性例(読みすぎ)、偽陰性例(見落とし)が相当数あり、操作等に熟練した医師が直接検査してもME検査には限界があり、かつ、右の読み方につき高度の医学的知識と熟練が必要とされるものである。まして、卵巣腫瘍は組織学的に多種多様であるから(読影基準が幾つか発表されているものの、完全なものとはされていない。組織学的判定は不可能とされている。)、超音波診断のみによって卵巣癌等の悪性腫瘍と診断することは許されないものである(甲アD一ないし七、九)。

(三) 加えて、子宮や卵巣の硬さや炎症の有無などはME検査で判定できず、切迫流産という診断もME検査ではできない。そして、後記の被告Aによる「(子宮や卵巣の)内容が悪い」との記載は、非医学的であり、意味が明確でないが、腫瘍が悪性であるという趣旨かもしれないが、腫瘍が良性か悪性かの判別はME検査では不可能であり、病理組織学的診断が必要となる。(例えば、第四〇回口頭弁論期日における証人佐々木靜子の尋問調書五〇ないし五五丁のほか、小林証言や、前掲各文献上も明らかである。なお、幾度も述べることになるが、本件では、ME検査では分かるはずのない所見診断が被告Aによってされ、同被告が実質的に入院手術を決定し、それに基づく同被告のコンサルによって患者原告らが入院及び手術を「承諾」させられ、同被告に追随した被告医師らによって、手術がされ、又はされようとしたことについての責任が問われているものである。)。

(四) そして、産婦人科領域における超音波断層診断法では、少なくとも昭和六一年ころまでは、膀胱内を尿で充満させることが、子宮・卵巣などの診断には欠かすことのできない下準備であった(膀胱充満法full bladder右各文献上明らかであり、現在の前記の一般的な医学書にも明記されている。その基本的理由は、通常の場合、腹壁と子宮前壁との間に腸管があり、腹壁上から超音波ビームを入射しても、腸管内のガスが超音波を反射し子宮まで到達しないところ、膀胱に尿が充満すると上方と左右に拡張し、腸管を上方へ挙げながら、腹壁と子宮との間を埋めるので、超音波が子宮まで到達するからである。また、通常の場合前屈している子宮が充満した膀胱に圧されて後方に倒れ、リニア走査の場合は特に子宮が描写し易くなるからであり、さらに、膀胱像背側(下方)のダブルラインとして表現される膣像が確認でき、これを上方にたどることにより子宮頸管、子宮体部を確認することができるからである。)。しかるに、患者原告らはいずれも、ME検査の直前に排尿を指示され、排尿直後にME検査を受けていた。

被告Aらは、膀胱充満法をとることが必ずしも必要でない旨主張するが、前記各文献に明らかに反するし、膀胱充満法をとらなくとも読影に耐えうる画像を得ることができる根拠が十分示されておらず、到底採用することができない(少なくとも、昭和四八年から昭和五五年にかけて富士見病院で使用していたME機器がそのようなものであったとの証拠は全くない。)。この点に関して、被告Aは、「妊娠一〇ないし一二週間の妊婦以外は検査前に排尿させており、その理由は、人間の膀胱は充満すると必ずしも丸くなるものではなく、四割くらい膀胱に突部があり、膀胱を充満すると突部が子宮の裏側に細長く入り込み、水胞性腫瘍と誤認する危険性があるからである。これも自分が考えだしたことで、間違っていたとは今(昭和五五年の逮捕後の取調べ中)でも思っていない。」旨を述べている(甲タ一)。医師でないというのみならず、医学的知見も乏しい同被告が「自分が考えだした」ということ自体、不遜で許されないことといわざるを得ない。ちなみに、ME検査において膀胱充満法をとるとき、被告Aがいうように水胞性腫瘍と誤認する危険性のあることが指摘されている(したがって、同被告が「考えだした」ものではない。)が、それは、前記の偽陽性例(読みすぎ)、偽陰性例(見落とし)が相当数あって、ME検査にも限界があることの、典型例の一つにすぎないというべきものである。そのような偽陽性例(読みすぎ)となる恐れがあるからといって、ほとんどの医学書が指摘している膀胱充満法を被告A独自の判断で採用しないなどというのはおよそ許されないものであり、しかも、そのためでもあるのか、被告Aが被告医師らに提供したME写真コピーは、後記のとおり、撮影方位、撮影部位等が全く不特定で、被告医師らが医学的情報を読影することができるような画像ではおよそなかったのである。

右の点に関して、被告Fは、その最終準備書面(平成一〇年一二月一六日付け)において、右被告Aの検察官に対する供述調書(甲タ一)を援用するほか、文献(甲アD一の三五三頁以下)を援用して、これらが「適度の充満法が容易でないこと」を指摘している旨主張するが、被告Aの供述はともかくとして、右文献の筆者(順天堂大学医学部産婦人科学教室竹内久彌)は、膀胱充満法として、「患者に対し、検査予約時間の約三時間前に排尿させ、以後排尿を禁ずる。予約時間の三〇分前に水分をできるだけ多量に、できれば六〇〇ミリリットル程度摂取させる。以上の方法で大体大丈夫である」としているのであって、それが容易でないというのは、後記三において個別に検討するとおり、富士見病院においては、初診の外来患者を医師の内診後すぐにME検査に回すシステムとなっていたので、被告Aが右のような充満法をとることが面倒であったというにすぎないのであり、右文献は、専門家においてすら、その当時における超音波診断装置の性能等からして、そのような面倒な充満法をとらないと正確な判定をすることができないという謙虚な態度に基づき、極めて丁寧な医療を実践していることを如実に示しているものであって、これを被告Fのように援用することは右文献の誤読としかいえない。

(五) 以上のようなME装置の操作方法、機能及び限界に照らすと、本件当時、産婦人科の診療においてME検査をする者は、ME装置の操作技術に熟練していることのみならず、十分な医学的解剖学的知見を有し、ME検査で分かることと分からないことを認識し、かつ、分かるという場合においてもその精度と限界などについて十分に認識していることが必要であったものであり、加えて、具体的な「診断」ないし「所見(の開示)」をする際には、産婦人科学的な医学上の知見にも十分に精通しており、かつ、ME検査の被検者である当該患者についての内診所見等の基本的な情報にも十分に精通していることが当然必要であったというべきである。(小林証言や前記医学文献上明らかであり、かつ、医学関係者であれば、常識ともいうべき事柄と考えられる。)

4 富士見病院におけるME検査の採用と被告AがME検査を実施するようになった経緯

(一) 被告Aは、昭和四六年六月ころ、埼玉県所沢市内の医療器具販売会社(株式会社ヘルス)のセールスマンから「飛行機や潜水艦のレーダーに使っていた超音波装置を改良したもので、レントゲン撮影と異なり人体に被害がない。」としてME装置の購入を勧められ、被告Bと相談の上、当時としては開発されたばかりでまだもの珍しかったME装置を購入して富士見病院で使用することとした。この機械は「SSD―三〇B」という多目的超音波断層診断装置で、代金は二七〇万円であった。この装置は、手動走査方式であった。

この装置は、その二か月前に被告芙蓉会に採用された被告C、それ以前から富士見病院に勤務していたL医師、臨床検査技師のHに使用してもらうことになったが、次の経緯で昭和四八年六月ころまでの間に被告Cに任されるようになっていた。

すなわち、右L医師は、自らが執刀した患者の手術が失敗した際、それが助手であった被告Cの不手際により失敗したものであるとして同被告と喧嘩し、昭和四六年一〇月に富士見病院を辞めてしまった。なお、右手術は被告Bがやり直したが、再手術等を巡って患者やその家族と富士見病院との間が紛争となり、それを被告Aが治めたことが同被告がコンサルをするようになった一つの契機となったものである。

そして、Hは本来の検査技師の仕事が忙しいということで、被告Cが全部担当することになったものである。

(二) 昭和四八年六月ころ、被告Aは、東京都三鷹市所在の医療器具販売会社(アロカ株式会社)のセールスマン(伊東)から「画像が鮮明に映る超音波診断装置ができた」として購入を勧誘され、被告Cらから従前の機械では映りが悪いと聞いていたことなどから、「SSD―六〇B」という多目的超音波断層診断装置を四七〇万円で購入し、昭和五四年四月まで使用した。これも手動走査方式であった。

右SSD―六〇Bを購入した被告Aは、前記のとおり海軍時代に電気関係の仕事をしており、超音波診断装置に興味を持っていたことや、それまで外来患者の診察をしながらME検査をも担当していた被告Cから、診療業務が多忙であるからME検査の担当を外してほしいとの申出を受けており、被告CをME検査から外して外来患者の診療に専念させた方が富士見病院おける患者の流れが良くなると判断して、被告Bと相談の上、医局会議において、自らME検査を担当することを各医師に伝え、そのころから被告AがME検査を実施するようになったものである。

(三) 被告Aは、右の購入当初、右装置の操作方法すら知らなかったので、被告Cから、実際に患者に対しME検査を実施しながら、ME装置の操作の仕方や断層映像を見て患者の病状・病名等を判断する方法について指導を受けていた。

しかし、被告Aは、同年一〇月ころには、それまでの約四か月間超音波やME検査に関する参考文献を読んで研究したり、経験を積んだりして種々勉強したことによって、単独でME検査を実施することができるものと勝手に思い込み、以来医師の関与なく単独でこれを実施するようになった(同被告は、刑事事件の捜査中、検察官に対し「昭和五〇年一〇月ころには、ほぼどのような病状や病名でも超音波診断装置の画像とその写真を見て判定できるようになった」「その判定能力は日本一と自負している」「ME検査により、子宮筋腫、卵巣嚢腫、胞状奇胎などの病気が発見でき、医師の内診では診断、発見できない事柄についても、容易に可能となる」「鮮明な画像を得られるかどうかは別として操作そのものは簡単である」「患部に探触子当てて走査し、断層面の患部がきれいに映し出されたとき、写真を撮れば終わりである」「ただ、いくらいい写真でも、実際に走査しながら、納得のいくまで画像を見なければ、病名や症状など分かるものではない。したがって、写真を見ただけでは、いくら医師でも病名や症状を判定できるはずがない」「ME検査を一回すると保険点数が六六〇〇点になり、その証拠とする趣旨で写真を撮るといってもいい」旨を述べている。甲タ一)。すなわち、被告Aは、ME検査によって得た映像を自ら読影、判読し得ると思い込み(およそ「思い込む」根拠が認められないので、自分自身半ば出鱈目なものであることを自覚していたはずであるが、いつしか自分が医師よりも優秀であるかのように錯覚したりしたのかもしれない。同人の心底までは証拠上必ずしも明らかでない。)、昭和五〇年一〇月ころまでには、断層映像やME写真を見てほぼどのような病状・病名等についてもほぼ専断的に判読するようになり、ME検査を継続して実施し、毎日のように、すなわち、一日平均少なくとも五人以上の患者についてME検査をしていたものである。

(四) 富士見病院の超音波診断装置については、昭和五〇年一一月に五九四万円、同年一二月に五五〇万円で各一台購入した「ADR電子スキャンUS一〇一」、昭和五二年九月に二八〇〇万円で購入した「アロカ単式スキャンUIR―一」、昭和五三年三月に一五〇〇万円で購入した「アロカ単式スキャンSSD―一二〇」、昭和五四年三月に三八〇〇万円で購入した「オクトソン」(後述)、同年四月に三六〇〇万円で購入した「アロカ電子スキャンSSD二五〇」があり、この「SSD二五〇」を購入した後、前記「SSD―六〇B」の使用を止めた。

(以上の(一)ないし(四)全般につき、甲タ一、二)

(五) しかし、被告Aは、前記のとおり、被告Bと知り合うまでの間、およそ医療と無縁の生活をしていたものであり(この点については甲サ二が詳細である。同書物はその筆致からして被告Aらに好意的ではないというべきであるが、少なくとも客観的な経歴、事実経過等の外形的事実に関する限りは、他の各証拠(例えば、被告Aの検察官に対する供述調書(甲タ一、二)、荻野証言(甲サ八〇の1、2)や、T証言(甲サ八一の1、2、八二の1ないし3など)とほぼ合致しており、概ね信用できると認められる。)、本件当時においても、右断層映像によって患者の病状の何が分かり、何が分からないのかすら判別できず、その医学的な意味を適切に判断し得る能力が全くなかったものというほかない。

右につき、被告Aは、カルテについて、検察官に対するその供述調書(甲タ一)において、「ME指示表、コンサル用紙にだけサッと目を通し、検査をする要点を掴みます。カルテには全く目を通しません」「ME指示表やコンサル用紙さえ見れば、検査する要点は掴めますので、カルテに目を通す必要もなく、また、ゴチャゴチャとドイツ語などで書いてありますので、私には、解読できませんし、表の病名が書かれている欄も読みません」と供述している。

同被告は、また、検察官に対する別の供述調書(甲タ二三)において、「私が、超音波検査で診断のつく婦人科の症状や病名」として「子宮筋腫、卵巣嚢腫、卵巣腫瘍、腹水、卵管瘤水腫、子宮内膜症、卵巣捻転、子宮膣部びらん、子宮頸管ポリープ、子宮膣内ポリープ、卵巣に血が溜まった炎症」を挙げた上、「これらの私が診断のつく病気や症状につき、その発生原因や治療方法などを説明しろと言われても、私はそこまでの知識は持ち合わせていません。長い間の経験で診断がつくという程度にすぎず、病気や症状について細かく説明することはできません。ただ、子宮筋腫は原則として手術をするというのが院長の方針でしたので、私も超音波検査で子宮筋腫と診断したときは、入院・手術をすすめてきました」などと述べている。

しかるところ、ME検査の結果被告Aが判定した「診断」なるものは、後記三で個別にみるME検査「所見」のとおりであって、極めて曖昧で、非医学的で、しかも、ME検査では分からないことについてまで判定していたのである。

(六) 同被告のME検査「所見」がいかに出鱈目なものであったかについては、典型的には、全摘手術を目的として入院手術をいったんは承諾させられたが、結局手術を免れた57の原告<氏名略>及びⅡ―7の原告<氏名略>がその後格別の異常がないまま長年健康に生活していることから明らかである。

(七) なお、手術を受けた者については、被告医師らが手術所見欄や麻酔記録に手術を正当化するための記述をするので、分かりにくいが、後記三において個別に検討するとおり、例えば、筋腫や腫瘍の部位、大きさ、性状の記述がなく、スケッチを利用して一見正確に記述しているようでも、ほとんどの場合、医学的情報としては著しく曖昧である。

被告Aらは手術の予後の良いことを強調して、患者原告らが手術を受けたことは本当に良かったなどと陳述書に記載している。しかし、元来手術の必要がないのであれば、予後が良いのは当然というべきであり、むしろ手術所見や麻酔記録の術後診断(その両者間にも齟齬があり、齟齬が生じた経緯が理解できない場合が多々あるが、全体として最終的に「子宮筋腫、卵巣嚢腫」とされている場合が少なくない。)において、「炎症」や「癒着」があり、重篤な子宮筋腫、卵巣嚢腫とされているにもかかわらず、前記のとおり、それが「悪性」でないことや、結局どのような疾患であったのかについての確定確認作業がほとんど全くされていないのであって、医師の在り方として理解し難いことである。結局、被告医師らは、いずれの患者原告らについても、57の原告<氏名略>及びⅡ―7の原告<氏名略>の場合と同様に、被告Aに従って、手術しさえすれば足りると考えていたものと考えざるを得ないところである。

5 富士見病院におけるME検査の概要

(一) 被告Aが実施していたME検査

被告Aは前記のとおり担当医師から回付されてきたME指示表の指示により、ME検査を実施していたものである。

すなわち、被告Aは、カルテ、ME指示表、医事相談指示票が回されてくると、まずME指示表及び医事相談指示票にひととおり目を通し、担当医師の意向を把握した上、患者を仰臥させ、補助者として同席していた担当秘書をして、着衣を脱がせて患者の下腹部を露出させ、下腹部にアクアソニックを塗布させた後、自らME装置のスイッチを入れて画像や超音波の届く深度目盛りなどを調節して準備した上、超音波を発する探触子を患者の下腹部に密着させてこれを上下左右に移動走査させ、下腹部内の臓器等の断層面をブラウン管に投影させながら(探触子を走査させると、ブラウン管に映し出される画像もこれに応じて絶えず変化する。)、通常一五分から三〇分くらいの時間をかけてその断層映像を観察した。

なお、富士見病院における超音波診断装置の購入状況は、前記のとおり、一台が大型のオーストラリア製の「UIオクトソン」(自動水浸機械走査装置であって、大型ベッドの下に水が入っていて、患者がうつぶせになり、水側から超音波を発して、ボタン操作で各部の断層映像を得るもので、探触子を使わない。)であり、オクトソンのほうが映像が鮮明で操作も簡単である(機械走査方式には高速と低速の二種類があり、低速の代表的なものがオクトソンである。)が、被告Aはほぼ専ら探触子を使う手動スキャンを用い、患者原告らはいずれも右手動スキャンによる検査を受けた。そして、ME検査のためには必ずしも下腹部の毛を剃る必要がない(文献上もそのように記載されており、現に同被告も次のとおり多くの患者についてはそのようなことをしていない。)のであるが、後記三で個別にみるとおり、同被告は一部の患者原告らにつき自らカミソリでこれを剃るということをし、当該患者は、そのことを強く羞恥したが、同被告を医師であると誤信していたので、若干奇妙に思いつつも我慢した(羞恥に関わる事柄のためと考えられるが、甲事件の原告ら中の一名は訴状において間接事情としてそれをもって同被告から「猥褻行為」を受けたと主張したが、陳述書においてはそのことに触れていない。かえって、そのような主張をしていない原告らの幾人かがそのことに言及している。そして、陳述書において、そのことに何ら言及していない多くの者は、ME検査を受ける経緯等からして右のような取扱いを受けていないと認められる。同被告がどのような基準ないし内心の意図によって右行為を選択したのか証拠上明らかでない。しかし、本件における主題ではないので、そのようなME検査であったということを指摘するにとどめ、更に論じないこととする。)。(以上につき、甲タ一、患者原告らの各陳述書など)

被告Aは、右検査中、鮮明な病状、胎児等が映し出されたと考えたときに、その映像を固定させた上、担当秘書に指示して又は自らポラロイドカメラでその映像を撮影したものである(ポラロイドカメラ自体は、ME検査装置に備え付けられていたようである。)。そして、担当秘書において右の写真をB四版の大きさのコピー用紙に貼付し、これをコピーした上、患者の氏名、年齢、作成日付等を記入して被告Aに持参し、被告Aにおいて、右コピー用紙の余白に、ME装置を操作して自ら観察、認識した患者の具体的病状・病名等を、必要な場合には臓器の図解をして記入した(以下、同被告がこのようにしてME写真のコピーの余白に記入した所見を「ME所見」、「ME検査「所見」」ということがある。)。その後担当秘書において、右ME所見を再びコピーし、その下欄に「ME参考要検討乞」とのゴム印を押した上、これをカルテの末尾に貼付し、前記カルテ、ME指示表、医事相談指示票とともに、事務局を経て、ME主任管理医師、担当医師に回付していたものである。

(二) 右ME検査及びME「所見」の医学的問題点

前記のとおり、被告Aは、ME検査を実施するに当たり、担当医師から回されてきた当該患者のカルテは全く見ておらず、また、前記のとおり、ME検査の実施方法として膀胱充満法をとることもしなかった。

そして、患者原告らについてのME所見や前記「相談課説明内容欄」記載の具体的内容は後記三で個別に検討するとおりである(ただし、煩雑のため患者原告らの一部については具体的記載を省略したものがあり、また、それが見当たらない患者原告もある。)が、総じて、医学的説明として意味不明であるか、著しく曖昧なものであって、担当医師においても、その意味がよく分からなかったものも少なくなかったはずである。

すなわち、子宮や卵巣が「固く」「硬い」又は「硬く」(沢山あるが、例えば、甲カ11の一の四五丁表、甲カ20の一の一の三丁、甲カ22の一の二二丁、甲カ28の一の一一丁、甲カ30の一の一の一五丁、甲カ34の一の一の七丁、同一の二の三九丁、甲カ48の一の一〇丁、甲カ50の一の二丁など)とか、子宮・卵巣・卵管が「炎症(性)」(沢山あるが、例えば、甲カ2の一の二丁、甲カ7の二の3丁、甲カ23の一の四一丁など)という所見や、「切迫流産」という診断(例えば、甲カ9の一の五二丁)などME検査で判るはずがない記載があり、加えて、子宮や卵巣の「内容が悪い」などという非医学的な記載(沢山あるが、例えば、甲カ1の一の二一丁、甲カ7の一の2の三丁、甲カ17の一の二丁表など)も多数あったものである。

このように、被告Aが記載して被告医師らに伝達していた所見や診断は、医学的な根拠に欠けるものが多く、かつ、ME写真コピーの映像も著しく不鮮明で、撮影方位、撮影部位の特定もなく、担当医師においてその映像から何らかの情報を得ることがおよそできないものであった。

この点に関して、被告Bは、刑事事件の被告人として、「(ME検査においては)いい写真さえ撮れればよい」「(いい写真が撮れるということは正確な所見が得られるという技量が前提でないか、という検察官の質問について)所見を読むのは医者ですから、写真を撮るのはまた別です。カメラと同じです」「(病状等をきちんと写真に撮らなければ、医師は診断できないのではないか、という検察官の質問について)医者は病状と同時にその写真を見て、そしてその所見を併せて診断を下すわけで、写真がよく撮れてなければMEを使う意味がない」「ME検査に解剖学的知識は必要がない」「全く知識がなくてもピントをうまく合わせれば撮れる」などと供述している(甲タ一〇の左下の丁数で一四六一丁ないし一四六四丁。右は前同様に刑事記録上の丁数であり、本判決において「甲タ」号証について示す丁数はいずれも同旨である。)。しかし、前記のとおり、超音波断層診断については相当高度の医学的知見と熟練によってのみ医学的に意味のある操作と補助的診断が可能なものであり、しかも、被告A自身、ME写真コピーでは何も判読できないことを認めている(甲タ一)のであるから、被告Bの右供述は無責任な遁辞にほかならないというべきである。なお、同被告も本訴においては、前記のとおり、ME検査をするには当然解剖学的知識等が必要であるなどと主張しているものである。

それにもかかわらず、被告医師らは、前記の設立の経緯からして富士見病院の経営の実権が被告Aにあったためか、右のような被告AのME検査、ME検査「所見」や、次の5、6において検討するコンサルの結果につき何ら異を唱えることなく、追随していたものである。

(三) 富士見病院におけるME主任管理医師の制度について

富士見病院においては、昭和四八年ころから、ME主任管理医師の制度が設けられ、当初は被告Cが、昭和五四年六月一八日以降は被告Gが、それぞれME主任管理医師に任命されていた。

しかし、被告Cは、前記のとおり、昭和四八年六月ころ被告AにおいてME検査をするようになった後二、三か月間は、ME検査の方法などについて指導したが、以後は本来の仕事である外来患者の診療業務に追われ、ME検査主任管理医師の立場から、被告Aの行うME検査の指導・監督はもとより、その立会いさえしたことがなかったのである。

また、ME主任管理医師の仕事の内容として、ME検査を受ける患者の診断は含まれていなかったので、被告Cは、被告Aが実施する患者に対するME検査の要否やME検査の内容についての実質的な検討は何ら行っていなかったものである。

右の点に関して、被告芙蓉会及び被告Cは、その最終準備書面一五頁において、「被告CはMEの読影技術につき被告Aより前に習得し、かつ同被告より優れていたから、同被告の所見に従う必要もなく、同被告からの報告に疑問があれば自らMEの走査をし画像を読影していたのである。もちろん独自の診断をすることなく、同被告の診断(所見)に従うがごとき不見識なことはしていない。」旨を主張している。しかし、被告AのしていたME検査及びコンサルの実態は前記のとおりであって、そもそも、その「診断」又は「所見」なるものはおよそ医師が信用すべきものではなく、また、カルテに貼付されてくるME写真コピーからは何も判定することができなかったのであるから、「同被告からの報告に疑問があれば」などといえるようなレベルのものではなかったのである。そして、ME検査「所見」の実態がそのようなものであることは、被告Cが最もよく知っていたはずであるのに、同被告は、これを無視するのではなく、むしろ被告AのME所見及びコンサルから汲み取れる同被告の意向に従って、医療行為をしていたものである。そのことは、被告Cが被告Aからの要請に従って一日の終わりにまとめてME指示表にサインしていたこと(なお、次の「超音波主任管理医師」として被告Cがしたことは右サインをしたことのみである。甲タ一二)や、疑問を抱いて自らME検査をした例がほとんど全くなかったことからも明らかである(本件においても、患者原告らについて自らME検査をしたという具体的な主張はないのであるが、同被告は、刑事事件の公判廷で、「被告Aが富士見病院を休んでいるときはME検査も休む」「ME検査が休みとなることは秘書課から連絡される」「被告Cは(当初を除いて)六台あるMEを操作したことが一度もない」「被告Cは一日に平均三、四名の患者をME検査に回していた」「被告Cは、被告AがME検査をしている時に一〇回立ち会ったことがあるのみである」旨を証言している。甲タ一二)。

なお、昭和五三年一二月ころ、富士見病院において、被告Cを「超音波主任管理医師」とし、同被告がME検査を指示し、かつ監督しているかのような体裁をとった(同年一一月二八日の富士見病院の医局会議の席上、被告Bが提案して決まったものである。)が、これは、同年秋から埼玉県警の内偵捜査が始まった(甲サ四三、六二)ことを被告Aらが何らかの方法で察知し、その追及を免れようとしたための措置であろうと考えられる。

また、昭和五四年六月から、被告Gが超音波主任管理医師となり、従前と異なって医師がME室に立ち入り、被告AのME検査に立ち会うようになったが、これも、被告Aが「俺のことをニセ医者と言っているヤツがいるらしい」と言い出したためにとった措置であり(甲タ五の四項、甲タ一二の二五五丁)、被告Gは被告Bから、富士見病院の医局会議において、「立会いだけでいいから」と言われて引き受けたものであり、被告GにはME検査をした経験が全くなかったのであって、「監督指導などは思いもよらないことで、口をさしはさむ余地はありませんでした」というのが実態であった(甲タ一三の二七三丁裏ないし二七六丁裏)。実際、同被告が被告Aに対しME検査の指導をしたことはなく、また、被告AのME検査を受ける患者をME主任管理医師の立場から診察・診断したこともなかったものである。

このように、富士見病院におけるME主任管理医師の被告AのME検査に対する指導・監督なるものの実態は、名目的形式的なものにすぎなかったものである。

6 富士見病院におけるコンサル制度と被告Aがこれに関与するようになった経緯等

(一) 富士見病院においては、当初は、担当医師が患者について精密検査ないし手術のために入院が必要であると診断すると、担当医師において直接患者に説明し承諾をとっていた。しかし、医師が診察に忙殺され患者に十分説明するだけの時間がとれないことから患者を説得し切れず、そのため患者との間に問題が生じる事例があり、前記のとおり、昭和四六年一〇月ころ、前記L医師と被告Cの喧嘩(手術がうまくいかなかったことについての責任の押付け合い)と、医師の説得では患者の承諾を得られずに被告Aが説得して患者の了承をとり、ことなきを得たという事件が起きた。このことが直接の契機となって、以来、患者に対し入院や退院を勧めるにつき、被告Aが担当医師に代わって行えば、時間も十分取れることから、患者の経済的な問題、家族問題などをも含めて相談に乗ることができ、そのため、患者との間も円滑に行くのではないかという考えの下に、医師からの要望もあって、同年末ころから富士見病院に相談課を新たに設置し、被告Aがこれを担当することになった。

(二) しかし、被告Aのしたコンサルとは、遅くともME検査を専ら同被告が行うようになった昭和四八年一〇月ころまでの間に、次のとおり、いわゆる患者の治療のための助言や指導をするのではなく、むしろ、入院や手術を積極的に勧め、ときには、難色を示す患者を説得してでも、入院や手術を承諾させることを目的とするようになっていたものである。

7 被告Aが実施していた本件コンサルの概要

(一) 被告Aは、前記のとおり、担当医師から、看護婦、事務局員、担当秘書等を介して回付される前記医事相談指示票の指示欄記載の指示を受けて、ME室又は理事長室において患者と面接し、前記コンサルを実施していたが、患者原告らについてのコンサル指示の具体的な内容は後記のとおりであり、右コンサル指示はほとんどが前記ME指示と同時になされている上、コンサルのほとんどは、ME所見が担当医師に回付される前に、すなわち、医師がME検査の結果等について知る以前に実施されていたものである。そして、カルテは被告Aに回されるものの、前記のとおり、同被告はカルテが読めないので読まないことにしていたので、情報伝達の役割を全く果たしていなかったのである。

(二) 加えて、被告医師らの被告Aに対するコンサル指示は、抽象的で漠然としたものが多く、むしろ被告Aに対して診断や治療方針の決定を委ねる趣旨の記載となっていたのである。

例えば、Ⅲ―3の<氏名略>に関する被告Fのコンサル指示(甲カⅢ―3の七)は、「ME上、OV(卵巣)はいかゞでしょうか。必要なら入院治療をすゝめて下さいませ」という趣旨の記載であった。

また、10の<氏名略>に関する被告Cのコンサル指示(甲カ10の五)は、「1妊娠二ケ月に筋腫合併の疑、2中絶希望、3ME御依頼、◎上記の上御相談下さい」という記載であった。

この点に関して、被告芙蓉会及び被告Cは、その最終準備書面において、右の「筋腫合併の疑」と記載したことをもって、被告Cは被告Aに追随することなく医師として誠実に独自の診断をしていた旨主張するのであるが、到底採用することができない。すなわち、被告Aは、その検察官に対する供述調書(甲タ二五)において、直接的には別の患者を例としているものではあるが、被告Cのカルテの内診所見として「子宮膣部びらん症の疑い」「子宮及び卵巣異常の疑い」と記載されていることが多いことについて、「これはC先生のいつもの無責任なやり方で、内診で病名が判らないときは、いつもこのように「疑い」というように書くのだと思います」と供述した上で、被告CからME検査及びコンサルの依頼を受けた患者につき、その後医師であるかのように振舞ってコンサルをし、勝手に、すなわち、被告Cを含めて被告医師らに相談することなく、患者に対し、「診断」を示して全摘手術などを承諾させたことなどを供述しているのであって、本件の全証拠を総合するとき、被告Aの右供述内容は真実であるか、又はこれに極めて近い富士見病院における診療システムの実態を現わしているものと認められる。

なお、右の点については、被告Bにおいても、「(事後的に被告Cや被告Fのコンサル用紙を見てみると)その多くは、自己の診断や治療方針を示さず、理事長に全面的に診断を委ねたことが判かりました」「私(被告B)の患者のときでさえ、ME検査で見付けた病気を勝手に患者に告げていたことが、私自身判っていたのですから、他の医師のコンサルについて、もっと目を光らせていればよかったと今となって後悔しています」と認めているところである(甲タ九の末尾にある二項)。

(三) 被告Aは、コンサルが終了すると、前記のとおり、その結果等を医事相談指示票の相談課説明内容欄に記入し、これを概ねその日のうちに、前記カルテ、ME指示表とともに、事務局、ME主任管理医師を経て、担当医師に回付していた。しかるに、患者原告らについてのME検査「所見」や相談課説明内容欄記載の具体的内容は、前記のとおり、子宮や卵巣が「硬い」とか、子宮・卵巣・卵管が「炎症(性)」であるとか、子宮や卵巣の「内容が悪い」とか、「切迫流産」であるとか、ME検査で判るはずがない症状の記載を含めて、総じて医学的説明としては意味不明であるか、著しく曖昧なもので、担当医師において信用するに値しないものであった。そして、前記のME写真コピーの映像も著しく不鮮明で、担当医師においてその映像から何らかの情報を得ることがおよそできないものであった。

(四) 被告Aらは、患者原告らに対する右コンサルにおいて、被告Aはいずれも担当医師の指示に基づき、その指示の範囲内で、担当医師が診断した患者の病状・病名等を医師の補助者として告げていたにすぎなかった旨主張する。しかし、前記のとおり、右コンサルの実態はそのようなものではなく、被告Aは、右コンサルにおいて、担当医師からの指示に関わりなく、ME装置を操作して自ら独自に診察・診断し、患者の具体的病状・病名等をそのまま患者に告げて入院を勧めていたことが明らかであり、被告Aらの右主張は採用の限りでない。

既に随所で述べたとおり、被告Aは、昭和四六年一〇月ころからコンサルを担当していたが、本件当時、医師からのME検査とコンサルの依頼は同時に一体的にされており、コンサル指示それ自体が被告Aに診断および治療方針の決定を委ねる趣旨の記載となっているものが多く、しかも、ME検査とコンサルの間に、被告Aと医師との間には、医師の指示や医師との相談・打合せというものが全くなく、医師による患者に対する新たな診察というものも全くなかったものである(第一〇四回口頭弁論期日における被告Cの本人尋問調書三三頁、第九四回口頭弁論期日における被告Dの本人尋問調書二九頁、甲タ一八の一〇七ないし一一九項)。したがって、ME検査「所見」とコンサルにおいて、被告Aが独自に「診断」し、これを患者に告知して、手術を前提とする入院の承諾を得ていたことは明らかである。この点については、後記(七)において、各医師毎に再度具体的に検討する。

(五) このように、被告Aは、医師の指示に基づくことなく、また医師の指示を超えていても、後記三で個別に検討するとおり、自分の判断で患者に病名や病状を告知していたものである(甲タ一八の一三三ないし一三四項、甲タ一九の三四〇ないし三四二項)。それは、医事相談指示票の相談課説明内容欄において被告Aが患者に告げたと明確に記載している患者の病状・病名等の中には、ME所見には記載があるものの、担当医師作成の医事相談指示票又はME指示表記載の各指示中においてはもとより、内診所見にも認められないような所見の記載が相当数あり、しかも、その記載のみでは医学的に意味が分からないようなものが多数あることからしても明らかというべきである。

右の点につき、被告Aは、刑事事件の捜査中、検察官に対し、「(ME検査の結果)入院や手術した方が良いと思った場合は、医師に相談することなく、私独自の判断で、患者に入院や手術を勧めてきました」「中でも、私が超音波検査の結果、子宮筋腫を発見した場合は、必ずと言っていい程、手術を勧めました」「子宮筋腫である以上、程度の差を問わず、手術するべきだというのが、私の以前からの考え方に間違いありません。この考えに従って、私は、子宮筋腫である以上、患者には、私独自の判断で、コンサルの席で、手術を勧めました」と述べ、卵巣嚢腫についても同様に被告A独自の判断で入院・手術を勧めたと述べているのである(甲タ一の一七項、甲タ二五など)。

(六) のみならず、被告Aは、検察官に対し、ME検査で得た所見をそのままではなく「患者一〇人中三、四人までは、実際に得られた所見よりオーバーなことを書いていた」ことを自認している(甲タ二二の二項)。同被告の右供述は、残りの患者については実際に得られた所見を書いていた趣旨ともいえるが、同被告において「実際に得られた所見」というもの自体がどのようなものであったのかよく分からないことについてここでは措くとしても、前記のとおり、それが非医学的なものであったことからすれば、右の「実際よりオーバーなことを書いていた」との供述は、同被告が、自分なりに得られたと思う所見も、そうでないことも、さほど頓着しないで、いわば恣意的に書いていたことを強くうかがわせるものというべきである。

さらに、同被告は、白衣を着用して、いかにも医師であるかのように装って、患者らが同被告を医師であると誤解していることに乗じて(甲タ二五)、右のような所見と診断の内容を、そのまま患者に告知していたものである(甲タ一の一八項)。なお、同被告は、自らを医師であると積極的に欺罔したことはないようであり、患者原告ら中では極めて稀な事例であるが、例えば、23の原告<氏名略>については、後記三の20で検討するとおり、ME検査の翌日に再度コンサルをした際、同被告は、自ら「自分は医師ではないが……」と言っている(ただし、その上での自分についての説明はやはり虚偽である。)。

のみならず、同被告は、「超音波検査で発見できなかった病名や症状をコンサルの場で患者に言った場合もありましたが、それは、……入院などをすすめるため、患者に納得してもらうためのコンサルのテクニックにすぎなかったのです」とも述べており(甲タ二四の二項)、その結果、同被告は患者原告らのほとんどに対してほぼ一様に「子宮筋腫・卵巣嚢腫」との診断を告げていたのである。しかも、その病状の説明の仕方は、「子宮が腐っている」「卵巣がはれていて、ぐちゃぐちゃだ」「放っておくと癌になる」「このままにしておくと破裂して命取りになる」などと、患者やその家族が強い衝撃を受け、恐怖におびえるような言葉を多用し、同時に、「手術すると前よりずっときれいになる」「手術すれば身体の調子も良くなり、夫婦関係もよくなるし若返る」などという甘言も用い、患者やその家族において、入院・手術をすれば安心である、一刻も早く手術を受けて死を免れようなどと思い込むように仕向け、結局、患者やその家族が入院・手術を「同意」せざるを得ないような心境に陥るようにしていたものである。(患者原告らの各陳述書及び各本人尋問の結果)

同被告による右のようなME検査とコンサルによって患者原告らが入院までの間に余儀なくされた緊迫感、不安、焦燥は、その多くが外来初診の翌日又は三、四日という短時日中に富士見病院に入院している事実(即日入院した者すらいる。甲サ六〇中の各「初診〜入院迄の日数」欄から明らかである。)からしても、容易にうかがわれるところである。

(七) そして、被告医師らは、後記のとおり、いずれも被告Aの右のようなME検査「所見」なるものが医学的に極めて疑わしいものであることを知っていたのである(患者原告らの主訴と被告AのME検査「所見」が合致しないこと、入院時や開腹時においても、右ME検査「所見」と別の診断をしていた例が沢山あることからも明らかである。)が、結局は、右ME検査「所見」とコンサルの結果に追随して患者原告らを入院させ、予定どおりの手術をし、又はしようとしていたものである。

例えば、被告Bについては、1の<氏名略>の例(甲カ1)で、被告Aの決定に従って「全摘」手術に至ったことが同被告の供述からしても十分にうかがわれる(第九九回口頭弁論期日における被告Bの証人尋問調書二八ないし四一頁)。

被告Cについては、例えば、43の<氏名略>の例(甲カ43の一)で、被告Aの決定に従って「全摘」手術に至ったことを明確に認めている(第一〇四回口頭弁論期日における被告Cの本人尋問調書六七、六八頁)。また、ME検査やコンサルについての同被告の対応は、前記4及び6において検討したとおりであって、被告Cがカルテに「子宮膣部びらん症の疑い」「子宮及び卵巣異常の疑い」などと「疑い」という表現を用いた内診所見を書いてME検査やコンサルに回してくることが多かったことに対して、被告Aがどのように考えていたのかについては、右6の(二)で述べたとおりである。

被告Dについては、例えば、7の<氏名略>についての診断や治療方針の変遷をみると、外来初診(昭和五四年一二月二二日)(甲カ7の一の1の一丁)では、診断欄を空白としており、被告Aに対し、「外来で様子観察……びらんがひどいので長期通院必要」とコンサル指示(同七)を出し、被告AはME所見・診断(同月二六日。同二の3丁)で「子宮筋腫・卵巣嚢腫」と診断し、コンサル(同日。同七)では「卵巣の肥大と筋腫合併……OPEの方向へお話して載く事が望ましいでせう」とし、その結果、入院時の所見・診断(昭和五五年一月七日。同一の3の三丁)において被告Dは、診断を「子宮筋腫、下痢、左卵巣嚢腫」などとし、「全剔目的」と記載し、「術前A」の指示を出し、同月一四日被告Bの執刀で子宮と左付属器の摘出手術がされた(同二二丁。この患者原告は富士見病院受診前に右卵巣を摘出しており、結局、両側の卵巣を失ったことになる。)。右によれば、被告Dとしては、「びらん」としての通院治療を考えていたのに、被告Aが下した子宮・卵巣摘出手術の決定に従い、被告Bも加わって、右手術をしたことになるのであって、この経過につき、被告Dは、被告Aの決定に従ったことを認めている(第九六回口頭弁論期日における被告Dの本人尋問調書一ないし四二頁、特に四〇ないし四二頁)。

被告Fについては、被告Aの刑事裁判において、被告Aの入院・手術の決定に従っていたことを詳細に証言している(甲タ一九の二三〇ないし二三五項、三四〇ないし三四八頁)ほか、例えば、Ⅲ―3の<氏名略>の例(甲カⅢ―3の二)では、被告Aの決定に従って「卵巣整形」手術に至ったものであり(第九五回口頭弁論期日における被告Fの本人尋問調書三一ないし七五頁)、また、Ⅲ―2の<氏名略>については、後に三においてやや詳細に認定するとおり、同被告自身、同原告につき全然手術の適応がないことを認識しながら、「子宮筋腫のよう」というのみで全摘手術をしているものである。同原告が「癌ノイローゼ」であったというのが同被告の唯一の正当化であるが、その余の被告医師らとともに、被告Aの非医学的かつ無責任なME検査やコンサルに追随したにすぎない典型例ともいえ、到底許されないものである。

被告Eについては、例えば、48の<氏名略>の例(甲カ48の一)で、被告Aの決定に従って「全摘」手術に至ったことが認められる(第一〇二回口頭弁論期日における被告Eの本人尋問調書二九ないし四九頁)。

被告Gについては、同被告の責任を論じる際に述べるとおりである。

(八) 加えて、富士見病院では、次の7の(一)記載のとおり、入院時において術式まで決定しているのが通常であった。このことは、患者原告らのカルテ中、医師指示録の入院要項欄に「全摘目的」とか「卵巣整形目的」などと記載され、同日の「当日指示」欄に「術前A」(全摘に対応)とか「術前C」(卵巣整形に対応)などと記載されていることからも明らかである。

(九) 医師の資格のない被告Aが右のように患者の病名・病状を診断し、入院・手術の要否を判断・決定してこれを患者に告知することは、それ自体が刑事上も民事上も違法というべきである。実際にも、被告Aは医師法違反の罪で処罰されたものである(甲タ一五)が、前記検討結果からして、被告Aが原告患者らについて医学的に正しい診断や入院・手術などの治療方針の決定をする能力を有していなかったことは明らかであり、それにもかかわらず、富士見病院においては、被告Aが患者の病名・病状を診断し、入院・手術の要否を判断・決定し、これを患者に告知するということが日常茶飯事化していたものである。そして、その妻であり、富士見病院の院長であった被告Bはもちろん、その余の被告医師らも、富士見病院におけるそのような診療システムをいわばルーチンとして受容し、以下のとおり、右のようなME検査「所見」及びコンサルの結果に追随した入院手術をしていたものである。

7 富士見病院おける入院から手術に至る経緯

(一) 本件当時の富士見病院における入院形態は、全摘手術を目的としたものと「卵巣整形」(なお、前記のとおり、被告Fは「卵巣形成術」ともいうようである。)を目的としたものとがあり、前者のための検査を「術前A」、後者のための検査を「術前C」と称しており、なお、「術前B」というものもあったらしいものの、実際にそれが指示されている実例は少なくとも患者原告らについては全くなかった。第九九回口頭弁論期日における被告Bの証人尋問によれば、同被告自身「術前B」をどのような場合にするのか明確な認識がなかったこと、全摘手術を前提とする「術前A」を頻繁にしていたにもかかわらず、前提とされている「全摘手術」なるものが、子宮の単純全摘術であるのか、両側付属器等の切除等を含むものであるのかについてすら明らかにできない旨を述べており、かなり曖昧に対処されていたことがうかがわれる。

(二) そして、手術については、もとより、形式的には、執刀医師が決定すべきものであり、かつ、富士見病院においても医師が決定したような形になっていたものではあるが、実態としては、患者原告らの場合ほとんど全部が、前記のようにして被告AがME検査直後のコンサルにおいて患者原告らから「承諾」を得た手術をすべく、入院、検査、手術がされ、実際に、右コンサルで予定された手術が実施されていたものである。しかるに、後記三で個別にみるとおり、少なくとも患者原告らについては、ほとんどの場合、開腹までの間には手術の適応が何ら認められないのであって、開腹後の診療録上の手術所見によってはじめて開腹及び手術が正当化されるという体裁になっているのである。

右の点に関して、被告Aらは、開腹後の所見からして、被告Aの「的中率」が高かったことを示すかのように主張している。

しかし、そもそも、同被告には、医師の資格がなかったというにとどまらず、前記のとおり、その医学的知見の程度は極めて低いものであった。例えば、卵巣腫瘍については、それが良性か、悪性かを含めて多種多様であることや、表層上皮にできたものかどうか、単純な「嚢胞性腫瘍」か、「充実性腫瘍」か、その判定の難しさ(中には極めて困難な場合もあること、腫瘍が認められたとしても、真実卵巣に発生したものかどうかの鑑別が必要になる場合があり、①腹部単純X線撮影、②子宮卵管造影法、③尿路造影、腸管造影、④骨盤内血管撮影、⑤内視鏡、⑥超音波断層法、⑦細胞診などによって、総合的に確定すべきものであること)などについての正確な知識が全くなかったものであり、子宮筋腫についても前記のとおり同様であって、被告Aには、以上についての格別の医学的知見など全くなかったものであり、ひいては手術の適応があるかどうかを的確に判断する能力も全くなかったものである。

(三) そして、仮に手術療法を適用する場合でも、前記のとおり、例えば卵巣については、①卵巣嚢腫摘除術(核出術)、②片側卵巣摘除術、③単純子宮全摘出術プラス両側又は片側付属器摘除術のいずれを選択するかという極めて重要な問題があり、また、子宮の場合も同様であって、例えば、患者の年令、結婚、月経歴、妊娠・分娩歴(挙児希望の有無)などの臨床的事項と、腫瘍の大きさ、発生側、嚢胞または充実など腫瘍の性状、癒着の程度、子宮の病変の有無などについて考慮する必要があるのに、本件当時、被告A及び被告Bは、これらの点に関してほとんど配慮しないで、前記の被告Bの言い分のとおり、要するに、子宮筋腫や卵巣嚢腫の症状を呈していると認められる以上、癌等の悪性変化の可能性があるから、そのような子宮や卵巣を残しておく必要はないし、摘出したとしてもホルモン療法により卵巣摘出による悪影響を防げられるという、一般市民が医師や病院に対して期待している誠実さから著しくかけ離れた安直さで診療することとし、かつ、これを実践していたものである。

(四) 右のような診療の実態からすれば、被告Aの「的中率」を論じても全く意味がないことというべきである。すなわち、患者原告らにつき何らかの婦人科的疾患が認められさえすれば、癌等の悪性変化の可能性があることから直ちに手術の適応があるという右のような独自の見解に依拠すれば、被告Aの「的中率」が高いのはいわば当たり前である。

しかし、前記検討結果からして既に明らかなとおり、富士見病院における実際の診療は、非医学的で、かつオーバーな被告Aの「ME所見」及びコンサルに依拠して、患者を入院させ全摘手術を前提とする「術前A」というほぼ一律の諸検査をするのみで、医師がそれらの成果を各患者の個別の症状と照らし合わせて疾患の内容、程度について慎重に判断するという作業をほとんどしないまま、当初被告Aが決めていた開腹手術に及び、開腹後に、子宮や卵巣に「癒着」「炎症」が認められたとして、手術記録にこれを記載して、結果的に「手術の適応」があったかのように正当化しているにすぎないものであったというほかない。

手術記録中の開腹後に認められたとされる「癒着」「炎症」については、例えば「内容が悪い」とか「グチャグチャ」などという趣旨不明の被告Aの「所見」があるほかには、術前において被告医師らが何ら確定していないものであり、客観的な証拠というべき子宮卵管造影法による検査結果等と合致しないことも極めて多く、かつ現実に摘出された臓器のポラロイド写真によって右「癒着」や「炎症」なるものが確認できるものはほとんど全くなかったのである(飯塚鑑定、証人佐々木静子、同人の患者原告らについての各鑑定書)。

(五) 医師が手術記録に虚偽の記載をすることは普通には考えられないことであり、被告Aらが主張するとおり、患者原告らの中には下腹部痛や不正性器出血など何らかの症状を訴えて富士見病院を訪ねた者も相当数いるのであるから、手術記録中に記載されている「癒着」や「炎症」なるものが全くなかったとまでは断定できない(それゆえ、被告Aらは、飯塚鑑定の鑑定者や佐々木静子は手術に立ち会っていないから、分からないはずであるということをしきりに強調しているのである。)。

しかし、問題となるのは、右の「癒着」や「炎症」なるもの存否のみではなく、その内容及び程度であって、後記三において個別に検討するとおり、患者原告ら中には重篤な緊急の症状を訴えた者は全くなかったものであり、それにもかかわらず、いわば前記富士見病院における診療システムに乗せられてほとんどの者が初診から数日内に入院させられ、入院時に予定されていた手術を受けたことからすれば、右「癒着」や「炎症」なるものは、仮にそれがあったとしても、ほとんどの場合、直ちに「全摘手術の適応」が認められるような内容、程度のものでは到底なかったものと考えざるを得ないところである(被告医師らは、その陳述書や法廷における尋問において、患者原告らの一部については、右「癒着」や「炎症」が実在し、かつ、その程度が「悪かった」ことを強調しているが、その場合でも後記のとおり手術の適応との関係上説得的なものとは認められない(別に説示するとおり、その後、右「癒着」や「炎症」の原因等についての医学的な確認確定作業を全くしていないのである。のみならず、その後の検査結果から被告医師らが疑ったとされる病気が否定されている事例も相当あるのであって、本末転倒にひたすら手術をしていたものといわざるを得ないところである。要するに、被告医師らは、手術に立ち会っていない者には分からないはずであるとの一点のみを強調して、それ以上に積極的な手術の適応を説明することができないのである。)が、その点につきここで論じないとしても、その余の多くの患者原告らについては右「癒着」や「炎症」について極めて抽象的に述べるか、格別の言及をせずに、ただ手術記録に記載があると指摘するにとどまる。)。

(六) 前記検討結果及び本件の全証拠を総合すると、富士見病院はMEという最新の機械のあること、これによる「ME診断」の的中率が高いことを「売り物」としていたものであり、実際にも、患者原告らの多くは、富士見病院に「ME」という最新機器があるという評判を聞いて、それを信頼して富士見病院を訪ねたのであり(患者原告らの各陳述書、各本人尋問)、被告Aはそれに便乗して医師であるかのように装って前記のとおりのME検査、コンサルをしていたものである。そして、被告医師らは、医師として誠実な医療をすることを放棄して、富士見病院の「売り物」とされていた「ME診断」の「的中率」を向上させ、かつ、全摘手術等の実施を正当化させるような「医療」に専念していたのであって、個々の患者の症状の内容、程度や、年齢、挙児希望等の個別の生活設計などについてほとんど全く顧慮することなく開腹手術に及び、前記「癒着」や「炎症」なるものの内容、程度について十分な検討をすることなく、漫然予定されたとおりの全摘手術等をしていたものと見るほかない。加えて、手術記録中に記載されている右「癒着」や「炎症」なるものは、後記三において個別に検討する結果を総合すると、それがあったとしても、まさに富士見病院における「売り物」ともいうべき「ME診断」の的中率を向上させ、かつ、全摘手術等の実施を正当化させるべく、誇張して記載したものがほとんどであったと考えざるを得ないものである。

(七) 右のような診療システムの点については、被告A自身検察官に対し、「私が超音波検査で診断し患者の病名を決めた後は、医師が、私の診断を引き継いで、いろいろ検査をしたりして手術するという段取りになっていたのです」「これが私の病院の一貫したシステムだったのです」(甲タ二二の二項)と説明している。前記検討結果からすれば、これが本件当時の富士見病院の診療の実態というほかなく、被告Bは夫である被告Aの右のような無資格者による乱診乱療に積極的に加功していたものであり、その余の被告医師らにおいても、内診等の個々の診療に関する限りそれぞれ医師として誠実に診療していたにせよ、被告Aの右のような対処方法が示され、入院・手術の方向で決定されたときには、これに追随してほぼ全面的にこれを受け入れ、全摘手術等の手術をすべく、時には患者の病名までこれと整合させながら、本件手術等を敢行していたものというほかなく、前記1で述べた富士見病院の設立の経緯や医師を除く職員構成などからして、仮に被告Aに追随せざるを得ないという事情があったことを考慮したとしても、医師として余りにも無責任といわざるを得ない。

(八) 以上を要するに、子宮筋腫、卵巣嚢腫等が病気であるとしても、その程度、位置、内容、手術の適応の有無、術式の選択などについては、前記諸検査によって慎重かつ総合的に判断されるべきものであることが明らかであるのに、本件当時における富士見病院の診療の実態は、右のような当然ともいうべき医療行為の在り方についてほとんど顧慮せず、ほぼ専ら被告AによるME検査、ME検査「所見」、コンサルに依拠した極めて商業的というのみならず、およそ「医療」というに値しない乱診乱療をしていたものであり、その程度は極めて悪質で、社会通念上およそ許されないものであったというほかない。

8 まとめ

(一)  以上のとおりであって、富士見病院では、被告芙蓉会の理事長である被告Aが、医師・看護士・臨床検査技師などの資格が全くなく、かつ、医師と同等の医学的知見など全く有していなかったにもかかわらず、超音波検査を実施し、被告医師らの指示に基づくことなく自らの判断で「診断」をし、さらには手術を前提とする入院まで決定し、患者に対するコンサルにおいて、極めて不正確ないし情緒的で誇大な病状等を告知し、同被告を医師であると誤解している患者をして、右入院や手術を「承諾」させていたものであり、被告医師らは、被告Aに医学的知見が極めて低いことを知りながら、同被告の右のような出鱈目な医療措置をほぼそのまま受け入れ、患者に対し、子宮・卵巣等の全部または一部を摘出する手術を敢行し、又はしようとしていたものである。すなわち、富士見病院においては、医師でない被告Aが病院経営のみならず、診療についてさえその全般を牛耳り、極めて乏しい産婦人科知識に基づき、直ちに手術する必要など全くない多くの患者につき、直ちに手術をしないと取り返しのつかない事態となるかのように告げて、手術を多用するように決定していたものであり、医師でもない同被告が決定付けたそのような乱診乱療の体勢につき、被告医師ら全員が何ら異を唱えることなく加功していたものである。

(二)  前記検討結果によれば、富士見病院における右のような診療システムは、遅くとも昭和四九年の始めには確立しており、昭和五五年九月一〇日の被告Aの逮捕を契機として富士見病院の実態が明らかになるまで存続していたものであり、次の三で個別に検討するとおり、患者原告らは、いずれも右のような「乱診乱療」によってそれぞれ損害を受けたものである。

三  患者原告らの個別の症状、診断、治療、予後、被害等について

前記証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1 原告番号1の<氏名略>について

(一) 原告<1>(昭和一九年四月二八日生。手術時三三歳。挙児二名)は、昭和五二年六月一七日、癌検診のため富士見病院を訪れ、外来患者として被告Bの診察を受け、同月二三日入院し、同年七月一日、子宮及び両側付属器を摘除する手術(腹式単純子宮全摘術兼両側付属器摘除術)を受け、同年七月二〇日に退院したが、手術後、全身の震え、心臓の苦しさ、頭痛、性交痛などの症状があり、昭和五五年七月一五日まで一か月に一回ホルモン注射を受けるため富士見病院へ通院した。

被告Bの右初診時の内診所見は、「子宮は前傾前屈、やや大(鵞卵大)、固い。両側付属器はマイナス。分泌物は白色状。子宮膣部びらん高度・ダブルプラス」というものであった。

同日、同原告は、同被告から「癌の疑いがある」かのように言われてME検査を受けるよう指示され、被告AによるME検査を受けた。その後のコンサルにおいて、同被告から、白衣を着用し医師であるかのような態度で、「癌ではないが早く手術しないと癌になる」と告げられ、同被告が医師であると誤信していたので、右告知に従って、入院し右手術を受けることにしたものである。

しかし、カルテに添付された同被告によるME写真コピー五葉からは何も判読できず、付記されている「所見」も非医学的で、例えば「ミョーマは特に拡大していないが完全なミョーマで子宮は変型(ママ)している。但し、特に問題なのは左OVで、これは肥鶏卵大型だが、実に内容悪く、悪性肥大の様です」「右一般的cyse」(後者の記載は、cystの趣旨で、右側卵巣は「一般的」卵巣嚢腫という意味であろう。)というものである。

同原告の手術の執刀も被告Bがしたが、同被告は、右のとおり、初診時同原告につき「子宮膣部びらん」しか認めなかったのに、カルテには「子宮筋腫」と記載し、医事相談指示票に「左卵巣腫瘍」と記載している。これらは、前記認定のとおり、十分な医学的知見のないAによるME検査の結果に追随して後から記載されたもので、同原告についての入院、手術は、前記認定に係る被告AのME検査及びコンサルによって決定されたものとしか考えられない(甲カ1の一の診療録、五の同原告の陳述書、六の佐々木鑑定書、七の1、2のコンサル用紙、第九九回口頭弁論期日における被告Bの証人尋問。なお、同証人尋問の結果から、富士見病院において「全摘手術」というとき、単純子宮全摘術のみを意味するのか、併せて両側付属器の切除等をすることをも意味していたのかすら明確に区分けされていなかったこと、そのような実情の下にルーチンとして諸検査がされていたこと、また、富士見病院においては、「子宮筋腫」と「子宮膣部びらん」があれば、右「全摘手術」が是認されるという前記被告Bの「持論」に従って、多くの患者に対して積極的に開腹手術に及んでいたことが認められるものである。)。

(二) 右のとおり、同原告は、受診時に子宮腟部びらんがあったが、格別の身体的異常を感じておらず、富士見病院における内診、子宮卵管造影の検査結果、血液検査の結果でもいずれも異常が認められず、また、子宮消息子診による内腔長、摘出臓器のポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値(子宮が8×4.5センチメートル、右卵巣が2×2.5センチメートル程度、左卵巣が1.5×2.5センチメートル)、摘出臓器の重量(九〇グラム)からも、格別の異常が認められなかったのである。また、子宮についても「鵞卵大」というのみで、子宮筋腫を疑わせる格別の所見も認められず、卵巣についても異常が認められなかったものである(右子宮の計測値や重量からして、手術記録上の「手拳大」というのは信用することができない。同じく子宮のスケッチの左上の「筋腫結節」「左卵巣嚢腫」を意味する記載も、ただ手術を正当化するために多くの患者の場合と同様に前記ME検査「所見」に合致させるよう右のような症状ないし病名を記載したものとしか考えられず、それ以上に具体的な観察等が認められない(手術の病名としては「子宮筋腫」のみの記載である。)。なお、保険カルテに記載されている「子宮筋腫」「卵巣腫瘍」という病名は、当初「子宮膣部びらん」とのみ記載されていたのに、前記ME検査「所見」に合致させるべく付記されたものである。)。

被告Bは、前記の子宮腟部びらんについて早晩癌に移行する高度なびらんであったとして、右手術が正当であった旨主張するが、仮に右子宮膣部びらんが高度なものであったとしても(なお、第九九回口頭弁論期日における同被告の証人尋問において、同被告はこれが「高度」であったと強調するが、何故「三プラス(トリプルプラス)」とせずに「ダブルプラス」と記載したのかについては的確な供述をしていない。)、子宮腟部びらんと子宮頸癌とは、それ自体としては別の疾患であって、びらんがあれば癌に移行するというわけのものでは全くない。

そして、仮に、当該子宮筋腫や子宮膣部びらんについて子宮頸癌が疑われるのであれば、元来同原告が癌検診の目的で富士見病院を訪ねたものであることからしても、十分な細胞診、組織診等により細胞の病理学的変化を確認するなどして、的確な癌検査が行われるべきところ、同原告の場合は、初診から六日後の六月二三日に入院し、一週間後の同年七月一日には子宮全摘除術等の手術を受けていることからしても、右のような癌検査が十分にされ、その検査結果を慎重に検討した上で手術が決定されたものとは到底認められない。しかも、実施された細胞診、組織診とも結局正常であったのであるから、同原告には子宮頸癌の疑いがなかったものというほかない。同原告についての飯塚鑑定(甲サ六七の15)でも、同原告に対してされた前記の全摘手術は不要な手術であったとされている。

結局、被告Bは、医師としては同原告に子宮腟部びらんしか認めなかったにもかかわらず、被告Aの「子宮筋腫・卵巣のう腫」という「診断」に従い、同原告に子宮、卵巣の全摘手術をしたものである。後記(三)記載のその余の医師らは、同記載の医療行為に関与して、被告A及び被告Bの右行為に加担したものである。

(三) 同原告に対する医療行為には、その当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与したものである。すなわち、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、手術の執刀をしたのは被告B、ME検査をし、同原告に診断を告げ、手術を受けることを決意させたのは被告Aであるが、入院中の受持医として検査処置の指示、診察、手術の助手を被告Fがし、入院中の診察、手術で麻酔を担当したのが被告D、入院中診察したのが被告Cである。

(以上につき、甲カ1の一の診療録、二の1、2の子宮卵管造影写真、三の1ないし3の摘出臓器のポラロイド写真、五の同原告の陳述書、六の佐々木鑑定書、七の1、2のコンサル用紙、甲サ六七の15の飯塚鑑定)

(四) 同原告は、被告Aから「早く手術をしないと癌になる」などという出鱈目な説明を受けて手術を決意させられ、何ら摘出する必要がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後、全身の震え、心臓の苦しさ、頭痛、性交痛などの症状があるものである。

これらを慰謝する金員としては、金一二〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一二〇万円が相当である。

2 原告番号2の<氏名略>

(一) 原告<2>(昭和一六年二月三日生。手術時三三歳。挙児なし)は、昭和五〇年二月一四日、挙児希望を主訴として富士見病院を訪れ、同月二〇日入院し、同月二六日、右側卵巣の一部及び右卵管の一部を切除摘出する手術を受け、同年三月一二日に退院、以後昭和五一年一月にかけて週に一回の割合で通院した。

同原告は、昭和五〇年二月一四日の初診時と翌一五日に被告Bの内診と子宮卵管造影検査を受け、「左側卵管に水が溜まっているし、左の卵巣がおかしいので、MEを撮りましょう」と言われて、ME検査を受けるよう指示され、被告Aから同検査を受けた後、同被告から、「卵巣が両方とも働いていないし、左側は腐っている」「だけど、この程度だったら、悪い所を摘れば子供はすぐできる」と告げられ、入院して右卵巣の一部摘出術を受けたものである(甲カ2の五、第六二回口頭弁論期日における同原告の本人尋問)。

(二) 同原告は、受診時、何らの身体的異常も感じておらず(甲カ2の一の三七丁表)、富士見病院での内診(同一丁表裏、三一丁表)、子宮卵管造影の結果(同三の1、2)、ポラロイド写真(同二)による摘出物の外観等にはいずれも格別の異常が認められない。そして、同原告についての佐々木鑑定(同六)は、入院手術が不必要であったとし、その理由として、卵管溜水腫については、ME検査は全く参考にならず、子宮卵管造影検査については、当初卵管に一部造影剤が貯留して卵管溜水腫の疑いがあったにせよ、二四時間後の拡散像では卵管の通過性が認められるのであるから、卵子の通過性が多少悪かった可能性があったとしても、この段階で卵管因子による不妊と断定することはできないと指摘するものである。また、卵巣嚢腫については、内診所見でも腫瘤は触知されていないこと、子宮内膜症については、カルテに月経困難症など自覚症状の記載がなく、内診の結果でも子宮の可動性の制限、圧痛、後腔円蓋の硬結など子宮内膜症特有の所見が得られていないことをそれぞれ指摘している。この鑑定意見は、前記認定の事実関係に照らしてみても、相当なものと認められ、特段不合理なものということはできない。

(三) これに対して、被告Bは、①子宮卵管造影写真及びレントゲン室での透視によって卵管溜水腫を認めており、このようなレントゲン像の患者は自然には妊娠しにくく、方法として卵管の先の部分の癒着を剥離して通水することが一番的確で、妊娠の成功率が高いものであり、開腹手術を選択したことは誤りではない、②同原告に対しては、不妊の原因、手術の必要性のみならず、手術によって子供のできる確率は一〇〇パーセントではないこと、あくまでも妊娠の可能性を高めるための手術であることなどを十分に話していると反論し(乙カ2の一、被告Bらの昭和六一年二月四日付け準備書面)、さらに、同原告の不妊の原因を両側卵管溜水腫と診断して(同一の一三丁表)開腹し、開腹時に子宮内膜症と右卵巣腫瘍の存在を認め(同三三丁裏)、その治療として右卵巣の半分を切除したとも主張して、この手術を正当化する。

しかし、両側卵管溜水腫は開腹の結果によっても認められなかったのであり(同右)、この点についての前記佐々木意見は相当であり、また、右卵巣腫瘍を開腹して認めたというものの、手術記録には「全体がピンポン玉様」とあるだけで、大きさの客観数値や腫瘍の性状等の具体的診断根拠の記載がなく(同右)、ポラロイド写真上もその診断根拠は認められない(同一〇)のであって、手術の前提としての不妊の原因が卵巣にあるという確認(無排卵の確認)もされていないのである。さらに、子宮内膜症については、その診断根拠が認められない上、卵巣腫瘍とは全く別の疾患で、卵巣の一部切除がその治療になるということはあり得ない(同六)。

前記二で検討した富士見病院における診療システムを考慮すると、入院時の右のような検査による早計な診断についても、開腹後の診断についても容易に信用できず、同原告に対する前記手術が真実不妊の治療目的で行ったものとは認められず、前記認定に係る富士見病院の診療方針によって無用な手術がされたものというほかない。すなわち、被告Bは、同原告の挙児希望の訴えに対し、子宮卵管造影の拡散像(甲カ2の二の2)の結果も待たず、その原因を両側卵管溜水腫と診断して被告Aのコンサルに回し、前記のとおり医学的知見に欠ける被告Aが、その治療を、卵管の手術(B陳述書である乙カ2の一二丁裏、甲カ2の六の鑑定の細目5)ではなく、卵巣の整形術と勝手に決定告知し、そのための手術承諾書を徴収しているのに、これを是正することなく、逆に漫然これに従い、開腹しているのであり、開腹した結果卵管溜水腫が認められないのに、結局他の理由をつけて卵巣を一部摘出しているのである。同原告に対する右のような診療は、不妊を訴える患者については、理由は何であれ結局は卵巣の一部を摘出するという限度で、コンサルを依頼する被告医師らとコンサルを行う同Aの間に、基本的な相互了解があったことを示している一例といえる。

(四) 被告らの責任

同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、子宮卵管造影検査の施行、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、手術の執刀をした被告B、超音波診断装置を操作し、前記のような診断を告げて、手術を受けることを決意させた被告Aの外、入院中診察し、検査処置を指示し、手術にも第一助手として加わった被告C、手術に麻酔医として加わった被告Eである。

なお、当時被告病院に在職した被告Dの直接的関与は不明であり、同原告についての具体的関与を認めさせるに足りる的確な証拠がなく、同被告に対する損害賠償請求もない。

(五) 損害

同原告は、被告Aから「卵巣は両方とも卵巣嚢腫だ。このまま放っておいたら一生子供はできない。一刻も早く手術をしなくては駄目だ」などという虚偽の説明を受けて、無用な不安感・恐怖感を煽られた上、手術の必要が認められない卵巣の一部を摘出されて不当な身体の侵襲を受け、術後長期間左下腹痛に悩まされるなどしている(甲カ3の五の一一丁裏)。

右被害についての慰謝料としては三〇〇万円、弁護士費用としては三〇万円が相当である。

3 原告番号3の<氏名略>について

(一) 原告<3>(昭和一五年一一月二八日生。手術時三七歳。挙児二名)は、昭和五三年一月一七日、三か月ほど前から月経持続期間が四、五日通常よりも長引くことが二回ほど続いた(通常五、六日で終わるはずの月経期間を越えて小量ながら下着にしみる程度の出血がさらに四、五日続くということが二回程続いた。なお、同原告は、この五年前にも同様の症状があったが、薬を服用してすぐ治ったということがあった。)ので、右の不正性器出血と褐色帯下を主訴として、検査のため富士見病院を訪れ、以下の経緯で、同月一八日入院し、同月二六日、単純子宮全摘術及び両側付属器摘除術の手術を受け、翌二月一八日退院し、以後昭和五五年三月ころまで通院してホルモン注射を受けるなどした。

同原告は、初診時に、被告Cが何も言わないので、「どこが悪いのでしょう」と尋ねたところ、同被告から「まあ、子宮筋腫かもしれない……」などと曖昧な返答を受け、「MEの検査をするように」と指示され、被告AによるME検査を受けた。

同原告は、その直後のコンサルにおいて、同被告から、「子宮も卵巣も腐りかけている。心臓の方まで水が溜まっているし、癌になりかけている。すぐ手術をしなさい。このままでは長い命じゃない。早くて三か月、長くても六か月しか持たない」と告げられたため、ショックの余り一晩中泣き明かして、夫と相談の上翌日入院して右手術を受けることとしたものである(甲カ3の四)。

(二) 右一月一七日の初診時の被告Cの内診所見は、「子宮は、前傾前屈、大きさ手拳大、硬さ硬い。付属器は、左側索状抵抗、圧痛ない、右側付属器は触れない。子宮膣部は、リビドーマイナス、びらんあり、膣分泌物血性」というものであり、同被告は、同原告を「子宮筋腫・卵巣嚢腫」と診断し、ME検査とともにコンサルの実施を被告Aに依頼した。

(三) 右依頼を受けた被告Aは、同日、同原告につきME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に、「子宮筋腫 卵巣のう腫 子宮筋腫で凸状……(三文字不明)肥大量は中程度ですが内容悪い。右側卵巣は……量の肥大 特に右炎症強度です……。左も同様、肥大は右程でないが、卵巣の内容……悪く、腹水あり」などと記載し、また、右ME検査終了後、同病院理事長室において白衣を着用し、同被告を医師であると誤信している同原告に対し、前記のとおりのコンサルを実施した。

(四) 同原告は、同月一八日入院し、同月二五日被告Cから子宮及び両側付属器を摘除する手術を受けたが、開腹時の所見は「子宮は、前傾前屈、手拳大、重量一一五グラム。付属器は、両側ともむしろ萎縮性である」というものであった。

(五) 同原告についての佐々木鑑定書(甲カ3の五)は、入院中及び手術前の検査結果を踏まえて、術前の「子宮筋腫、卵巣嚢腫」の診断が不合理であったとし、その根拠として、子宮については、①子宮卵管造影術では子宮内腔の形態には変形、拡大、陰影欠損などの像は認められず、拡散像には筋腫核の輪郭は造影されていない。この像からは、むしろ、子宮は正常の可能性が強い、②子宮消息子診による計測では、子宮内腔長は約八センチと記載されており、子宮の拡大はなかった可能性が高い。③貧血検査の結果は正常範囲にあり貧血とはいえない、④卵巣については、左卵管が造影されておらず、右も造影剤の残存があり、卵管の炎症が疑われるが、延長はみられず、拡散像にも嚢腫の輪郭を疑わせる所見はないことを指摘するものである。

そして、飯塚鑑定(甲サ67の五)は、「臨床検査所見は、超音波断層法が全摘手術の対象となる程度の子宮筋腫、卵管腫瘍像を認めない。子宮卵管造影法は、子宮に著名な陰影欠損を認めない。卵管が右側に疎通性あり、細胞診がクラスⅡと正常所見である」とし、「年令、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せ考察すると、子宮及び卵巣に関する全摘手術の適応が不適当であると考えられる」としている。

(六) 右によれば、同原告は、月経持続日数がやや長びいていることのほかには格別の病状が認められなかったものであり、子宮卵管造影の結果(甲カ3の二)、血液検査の結果(同一の五四丁)でも異常がなく、子宮消息子診による内腔長も正常であり(同六八丁)、また、ポラロイド写真による子宮・卵巣の計測値(同三、五)、摘出臓器の重量(同一の六〇丁)からも、子宮・卵巣は正常の大きさであったというべきである。さらに、手術記録によっても、両卵巣はむしろ萎縮的であるとの記載であるから、腫瘍は存在しなかったのであり、現に、手術記録(同六一丁)中にも、卵巣嚢腫という病名は記載されていないのである。

以上のとおり、同原告は、子宮の摘出にとどまらず、確たる根拠もないままに術前に「卵巣嚢腫」と診断され、開腹後卵巣嚢腫その他の卵巣疾患が認められなかったにもかかわらず、両側卵巣を摘出されたものである。

(七) 被告Cは、前記「子宮筋腫」との診断及び右開腹手術を正当とする理由として、①高度な不正出血を訴えていたこと、②内診所見でも子宮は手拳大であること、③子宮卵管造影術の検査所見によれば、辺縁不正凹凸著名で、明らかに子宮筋腫と判断できたことなどを述べる(丙カ3の二)。

しかし、③の点については、前記のとおり、佐々木鑑定及び飯塚鑑定ともに、否定的な意見を述べており、容易に採用することができない。そして、②の点については、摘出された臓器写真と対比して摘出手術の適応のあったとは認められない(なお、被告Cは臓器写真が手拳大でないことについて何ら反論していない。)。①の点については、高度な不正出血を訴えていたというのみでは到底全摘手術の適応が認められないものであるし、そもそも、「高度な不正出血」があったこと自体証拠上明らかでないというほかない。

加えて、仮に同原告について子宮筋腫、卵巣嚢腫の疑い自体を否定し去ることまではできないとしても、被告Cは、被告Aのおよそ信用することができないME検査及びコンサルの結果を是認して、確定診断など到底できないような状態のまま、同原告に対して手術することを是認したのである。

(八) 以上及び前記二の検討結果からすれば、同原告に対して右全摘手術がされたのは、富士見病院における前記の診療システムによって、被告AがME検査及びコンサルをし、入院・手術を決定し、被告C、その他の医師らがこれに追随したからにほかならないものというべきである。

(九) 同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、被告Aへの超音波検査の依頼、諸検査処置の指示、診察、手術の執刀をした被告C、超音波診断装置を操作し、同原告に前記のような診断を告げ、手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中診察及び処置をした被告B(甲カ3の一の六七丁)、診察及び処置をし(同六七丁、六九丁)かつ手術の助手を担当した被告F、同じく麻酔を担当した被告Dであり、当時富士見病院に在職した医師全員と被告Aが関与したものである。

(一〇) 同原告は、被告Aから前記のような説明を受けて、無用な不安感、恐怖感を煽られた上、手術について承諾をし、手術の適応が認められない子宮、卵巣を摘出されたものであり、医師らによって開腹手術を受け、女性にとってかけがえのない臓器を摘出され、さらに術後、発汗、のぼせ、冷え性などの卵巣欠落症状に悩まされているものである(甲カ3の四)。

右被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円が相当であり、弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

4 原告番号4の<氏名略>について

(一) 原告<4>(昭和七年一二月二九日生。手術時四二歳。挙児数二名。十六歳の女児と一一歳の男児)は、妊娠検査のため、昭和五〇年二月一三日分院を訪れ、外来患者として被告Dの診察を受けたが、その所見は、「子宮は、鶏卵大、細長い、やわらかい。子宮膣部はポリープ、細長い」というものであり、同被告は、同原告を妊娠三か月中期と診断した。被告Dは、同原告に対し出産を勧めたが、同原告が中絶を希望したため、四日間という予定で、同原告は、同月二〇日中絶目的で富士見病院に入院することとなった。入院時の病名等は「妊娠三か月、膣部ポリープ、貧血」であった。

同原告は同月二一日、中絶の前段的措置としてラミナリア(滅菌した海草(昆布)の茎(又は根)を乾燥させたものを桿状にした器具で、子宮頸管内に挿入留置すると、水分を吸収して膨張し、徐々に頸部を拡張させるもの)の挿入を受けた(甲カ4の一の四四丁)が、その際、被告Dから子宮膣部にポリープがあると言われた。同月二二日中絶手術を受けたはずである(同四で同原告が掻爬手術を受けた旨を述べている。)が、カルテ(右の甲カ4の一)には記載がない。なお、その際子宮膣部のポリープも除去されたはずである(同五の二頁)が、その記載もない。

(二) 右入院当日の二〇日、被告Aは、同原告にME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に、「正常妊娠三か月中期、左卵巣のう腫」という趣旨の記載をした。

(三) 四日間の予定で入院したのに、同原告は退院させてもらえず、同月二四日、車椅子に乗せられてME検査室に連れていかれ、被告Aから再度ME検査を実施された。右検査中、同被告は、しきりに「これはひどい」「大変だ」などとつぶやいていた。翌二五日、同原告は、富士見病院から呼び出された同原告の夫とともに、富士見病院の理事長室において被告Aのコンサルを受け、同被告から、「卵巣がぐちゃぐちゃに腐っているからあなたは長生きできない。このままほっておくと癌になる」「今取ってしまえば癌の心配はないし、子宮筋腫もある」「今退院しても、すぐまた入院しなくてはならなくなるし、ついでにこのまま入院すれば入院費もまけてあげます」などと言われて、全摘手術を受けることを承諾した。

同被告は、ME写真コピーの余白に、「子宮筋腫、卵巣のう腫。両側卵巣異常、左小、右大。子宮は右に片よって筋腫の様です。この環の中の当りは、腹空内に出血あるような状態に描写しますので ごけんとう」などと記載した。被告Dは、被告Aの右「ME所見」に従って、同月二五日「全摘を決定」したこと(同一の四丁裏)が明らかである。

(四) 同月二六日、被告Dからの申し送りによって被告Bが同原告を診察した。その際の内診所見は、「子宮は前傾前屈、鵞卵大、硬い。両側付属器はふれない。分泌物は白い。びらんはマイナス」というものであった。

(五) なお、二月二〇日以降の血液検査の結果によると、同原告は高度の貧血症状であった。

(六) 同原告は、同年三月一日被告Bから子宮及び両側付属器を摘除する手術を受けた。手術時の診断は子宮筋腫で、所見は「子宮は超手拳大、右左卵巣はガム状」というものであった。

しかし、術後のポラロイド写真(同三の1、2)からは、卵巣は極めて「きれい」であり、かつ、子宮についても異常のあったこと(筋腫結節のあること)がうかがわれない。そして、全部で一二〇グラムという摘出臓器の重量も同原告が二児の経産婦であることを考慮すると正常範囲である(同五)。

同原告が二回出産していること、正常な妊娠をしていたが中絶したものであること、右全摘手術が右中絶手術の七日後にされていることなどからすれば、その間にした内診では「付属器ふれない」と記載されており(同一の四四丁裏)、同原告の子宮及び卵巣は、機能的にも、器質的にも何ら異常を疑うべき理由がないものであって(被告Bの「子宮は超手拳大」という所見は、それまでの同被告及びそれ以前の被告Dの所見と違うこと、前記ポラロイド写真や摘出臓器の重量から推認される大きさなどと対比して、にわかに信用することができず、前記の子宮全摘除術の適応基準を意識した誇張と疑わざるを得ない。また、卵巣が「ガム状」というのは余りにも非医学的であり、手術をもっともらしく見せるための作文と疑わざるを得ない。)、かつ、その間にされた超音波断層診断や子宮卵管造影術(同二の1、2)などでは、子宮筋腫や卵巣嚢腫などについての正確な判定をすることは不可能であった(同五。子宮卵管造影写真には、卵管像がないが、同原告が妊娠していたものであるから、富士見病院に入院するまでの間、卵管の通過性がないということはあり得ず、検査上の不手際があったものというほかない。加えて、子宮卵管造影法による検査は、掻爬手術によって子宮内膜等が損傷を受け、正常に復していない間はすべきでないとされている(甲ア1の一〇八頁)のに、同原告に対する検査は掻爬手術の五日後にされており、医学的に相当でない。そして、被告AのME検査の実態は前記のとおりの非医学的なものであった。)。

この点について、被告Bは、同原告の貧血が子宮筋腫と過多月経によるものであったから、全摘手術が正当であった旨反論するが、右貧血のみで子宮筋腫と診断することはできないし、他に子宮筋腫をうかがわせる格別の所見は認められず、しかも子宮筋腫があるからといって、直ちに全摘手術の適応があるわけではないことは前記一のとおりであるから、同被告の右反論は前記の独自の見解に基づく遁辞にすぎないといわざるを得ない。

(七) 以上からして、右全摘手術は、その必要性のあることが確定されないままされたものであり、前記のとおり被告AのME検査及びコンサルによる入院・手術という富士見病院の診療システムに従ってされたものと認められる。

(八) 同原告は、同年三月一五日退院したが、その後も同年九月二二日まで、ホルモン注射を受けるため通院して治療を受けた。なお、術前に呈していた貧血症状は、術後治癒している。

(九) 同原告についての右子宮全摘除術及び両側付属器摘除術に係る医療行為には、被告F及び被告Gを除くその余の被告Aら全員が関与しており、これらの関与者全員が損害賠償責任を負うべきものである。

(一〇) 右被害に係る同原告の慰謝料としては金九〇〇万円、弁護士費用としては九〇万円が相当である。

5 原告番号5<氏名略>について

(一)【第一回手術・卵巣の一部切除】

原告<5>(昭和二〇年二月五日生。第一回手術時三〇歳。挙児数一名。第二回手術時三二歳、挙児数二名。右の間の昭和五一年五月一三日に正常分娩している。)は、昭和五〇年一月一六日妊娠の疑いで富士見病院分院を訪れた。同原告は子が欲しかったのであるが、つわりがひどかったことと、被告AのME検査の結果に基づく「所見」によって同被告から強く言われたことから、同年二月二八日富士見病院に入院し、翌三月一日掻爬手術を受けた。

しかし、掻爬手術後入院中に、ME検査を受けるように指示され、同年三月五日被告AによるME検査を受け、同被告から「子宮筋腫と卵巣のう腫があり、すぐ手術をしなければならない」「右の卵巣は水がたまりパンパンに腫れ、左の卵巣は石のように硬くなっている」と言われ、子宮及び卵巣の摘出手術を勧められた。同原告がどうしても子を欲しがったことから、被告Aから「卵巣整形手術を受け一年以内に出産すれば可能であるが、その場合再手術をしなければならない」と告げられ、そのまま入院を継続して同月一三日両側卵巣の楔状切除手術を受け、同月二三日退院した(甲カ5の一の1ないし3、同四、第六三回口頭弁論期日における同原告の本人尋問)。

(二) 同原告は、初診時妊娠の疑いで富士見病院分院を訪れたもので、身体的異常を感じておらず、富士見病院における内診(同一の1の一丁、六四ないし六六丁、同3の一一丁、一二丁)、ポラロイド写真(同三の1、2)の卵巣の外観等にはいずれも異常がないこと、また手術所見における右卵巣については異常所見の記載がなく、左右卵巣の大きさについても異常を示す記載のないこと(同一の1の七〇丁)からして、同原告の卵巣は正常であった(以上の全般につき、同六の佐々木鑑定書)。

なお、同原告に施された卵巣の手術は「楔状切除術」であるが、同原告の場合昭和四七年二月に長女を出産しており、「楔状切除術」は不妊治療を目的とする手術であるから、「楔状切除術」は手術方法としても元来不適用なものであった。

(三) 同原告に対する右医療行為には、右当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 【第二回手術・子宮及び両側卵巣の全摘】

同原告は、昭和五二年一月二四日、腹部緊満感、下腹部痛、腰痛があったことから、再び富士見病院分院を訪れた。同原告は、被告Dの受診後すぐにME検査を受けるように指示され、同月三一日に被告AによるME検査を受け、同被告から「大きな子宮筋腫だ。卵巣嚢腫もある」「すぐ入院して全摘しなければならない」「早くしなければ、後は知らない」「後で癌の心配が起こる」「全摘でも後遺症の心配は全くない」「外国では美容整形のようにある年齢になると手術を受けている。手術を受けると見違えるようにきれいになる」などと言われ、同年二月二二日富士見病院に入院し、同年三月七日子宮及び両側付属器を摘除する手術を受け、同月一九日退院した。その後、のぼせ、動悸、胸部圧迫感等々の不調が現れ、昭和五五年九月一〇日まで一か月に一回ホルモン注射を受けるために通院を続けた。(同四、前記同原告本人尋問)。

(五) 同原告は、腹部緊満感、下腹部痛と腰痛のために富士見病院分院を訪れたものであるが、富士見病院における内診、子宮卵管造影の結果、血液検査の結果ではいずれも異常が認められなかったもので、ポラロイド写真(同二の3ないし5)による子宮、卵巣の測定値、摘出臓器の重量、手術所見における両側卵巣の大きさの記載からしても、子宮、卵巣には異常がなく、また、同原告の診療過程においても異常は認められず、子宮、卵巣は何ら異常でなかった。(同六)

同原告についての飯塚鑑定(甲サ六七の14)においても、同原告に対して行われた右全摘手術は不要な手術であったとされている。

(六) 右全摘手術については、当時富士見病院に在職していた医師全員(被告B、被告C、被告D及び被告F(入院中の診断をした。同二))と被告Aが関与している。

右手術は、前記認定に係る富士見病院における違法な診療システムによって同原告の手術の必要がない子宮及び卵巣を摘出したものである。

(七) 同原告についての慰謝料は一〇〇〇万円、弁護士費用は一〇〇万円が相当である。

6 原告番号6<氏名略>について

(一) 原告<6>(昭和一九年四月一二日生。手術時二九歳。挙児なし)は、昭和四四年六月に婚姻し、昭和四八年夏ころから挙児希望であったが、昭和四九年二月一九日以来パットに少し滲み出る程度のコーヒー色の出血があったので、それが病的なものかどうか不安となり、これを主訴として、同月二七日、富士見病院(分院)を訪れ、外来患者として被告Cの診察を受けた。

同被告の所見は、「子宮は、前傾前屈、大きさと固さほぼ正常。付属器は、左付属器に索状の抵抗あり、右はほぼ正常。分泌物は血性。腹腔内に出血などの異常は認められない」というもので、同被告は「左側付属器炎あり。機能性性器出血」との診断を下した。「機能性性器出血」とは、妊娠、月経と器質的疾患を除く子宮内膜からの出血をいうが、その確定診断のためには一定の時間経過が必要であり、かつ、その検査のためには入院の必要がない(甲カ6の四)。

その上で、同被告は、同原告に対し、格別の説明をしないで、「詳しく検査する必要があるので本院に行ってほしい」と指示し、同原告は、引き続き本院で被告AのME検査を受けた。

被告Aは、同日同病院のME検査室において、原告に対し、ME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に、「左卵巣のう腫。完全なる左卵巣のう腫で水性腫。5.0センチ、4.0センチ、特に大きくないがのう腫としては出血状でたちが悪い」などといい加減な記載をし(「水性」「出血性」「たちが悪い」などということはME検査では分からない。甲カ六の四)、また、右ME検査終了後、同病院理事長室において、同原告に対し、白衣を着て医師であるかのように装ってコンサルを実施した。

右コンサルにおいて、同被告は、同原告に対し、「左卵巣はアヒルの卵位あり、縦が七で横が4.5位で、中身はチーズ状で毛や歯のようなものが入っている」「卵巣嚢腫だからすぐ手術しなさい」「お腹の中で破裂したら大変だ」などと言った。同原告は、同被告を医師であると信じてこれに従うこととし、翌日の同月二八日に入院した。同原告は、前記「術前A」という全摘目的で、同月二八日入院したが、被告Cによる入院時の診断は、「左卵巣嚢腫の疑い、機能性性器出血」というものであった。

同年三月二日にも同原告はME検査を受けたが、その際には、左卵巣嚢腫のほかに、右卵巣の異常と診断された。同日、子宮卵管造影法による検査もされたが、卵管の延長像や腫瘍の輪郭を疑わせる像は認められない。

同月五日、被告Cは同原告に対し、左亜全卵巣切除(左卵巣の大部分の摘出)及び右卵巣一部切除術、左卵管整形術(なお膀胱及び子宮全面が強く癒着していたのを剥離する。)、虫垂切除術を実施したが、手術記録上の病名は前記のとおり「左卵巣嚢腫の疑い、機能性性器出血」というものであり、機能性性器出血については十分な検査による確定診断をしないまま、卵巣嚢腫については「疑い」というのみで開腹手術に及んだものである。同原告の夫と母が摘出物を見たところ、小さな粒のようなものが二、三あったもので、大騒ぎをした割には意外な感じがしたとのことであった。

そして、右手術後の診断は、「両側卵巣嚢腫、左側卵管炎症閉鎖症、子宮膀胱癒着症、虫垂炎」というものであった。

同原告は、同月一九日に退院したが、その後、同年八月三日まで通院した。同年九月二八日、妊娠していることが分かり、昭和五〇年五月一三日他の病院で女児を出産した(甲カ6の一、二の1ないし3、三、四、丙カ6の一、二、第六〇回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 前記のとおり、同原告の子宮卵管造影検査の結果(同一の一一頁)では、卵管の延長像や腫瘍の輪郭像が認められず(同二の1ないし3)、下腹痛がなかったことなどからして、手術時「両側卵巣嚢腫」「左側卵管炎症閉鎖症」があったというのは疑わしい。手術記録中には沢山の炎症についての記載があるが、左右の卵巣腫瘍の性状、大きさなどについての記載が全くなく(丙カ6の一、甲カ4)、極めて不自然であり、単に手術の正当化のために記載されたのではないかとすら疑われるものである。なお、外来初診時に左卵巣には「抵抗性あり」とされているが、本件手術による治療後の同年三月一四日にも、本患者の左卵巣には抵抗性があるとされており(同一の一八頁)、同原告の主訴である出血については、富士見病院でも、機能性性器出血と認めていたものであって(同一の一頁)、いずれも卵巣の異常を示すものではない。

(三) 右の点に関して、被告Cは以下のとおり主張する(同被告の平成三年二月一九日付け準備書面)。すなわち、①被告Cを含む被告医師らは、本件手術前に子宮卵管造影術、ME検査を実施した上、同原告を診察し、「左卵巣腫瘤及び左付属器炎の疑い」との診断をしたが、これは「濃厚な疑いがある」という場合であって、このような場合に患者の同意を得て開腹手術をすることは何ら非常識ではない。②そして、手術カルテ(丙カ6の一の一六丁)を見れば明らかなように、開腹の結果、左側卵巣の大部分に腫瘤があり、右側卵巣の一部に腫瘤があったことから、本件手術をしたのである。③本件手術が成功したからこそ、結婚後五年間も妊娠しなかった同原告が手術後僅か五か月で妊娠したのである、というのである。

しかし、右①のME検査に関しては、前記のとおり、被告Aの検察官に対する前記供述調書(甲タ25の左下一四五五丁以下)によれば、被告Cは、ME検査の依頼に際して無責任に「疑い」と書いてくることが多く、右の「左卵巣腫瘤及び左付属器炎の疑い」という「疑い」が「濃厚な疑いがある」場合に記載されたものとはにわかに認められない。加えて、真実そのような濃厚な疑いがあったというのであれば、前記二の認定のとおりおよそ信用することができない被告AのME検査及びME所見に依存するということ自体許されないことであったというほかない。前記のME写真コピーの余白の「左卵巣のう腫。完全なる左卵巣のう腫で水性腫。5.0センチ、4.0センチ、特に大きくないがのう腫としては出血状でたちが悪い」という被告Aの記載がいい加減なものであることを被告Cは熟知していたのであるから、自らME検査をすべきであったというほかなく、被告Aのいい加減なME検査の結果及び前記のような恫喝まがいのコンサルに基づく入院・手術の承諾に依存して、開腹手術に及んだことは、明らかに「非常識」であり、言語道断というべきである。

加えて、手術記録の病名は「機能性性器出血、左卵巣嚢腫の疑い」というのであり(丙カ6の一の一六丁)、要するに、そのような「疑い」のみで開腹手術に至ったのである。同原告は前記二月二七日にはさほどの症状でなかったはずであるのに、ME検査及び前記コンサルを介して翌日には入院させられ、十分な検査や確定診断のないまま開腹されたのであって、その過程には何ら医学的合理性が認められない。

そして、右②に関しては、手術カルテ(丙カ6の一の一六丁)中に「開腹の結果、左側卵巣の大部分に腫瘤があり、右側卵巣の一部に腫瘤があった」という記載自体が認められないし、仮にそのような腫瘤があったのであれば、摘出した腫瘤の性状等について検査すべきであるのに、そのような検査はされていない。

右③については、それを判断するに足りる基礎資料がないので、検討するこどができない。

(四) 同原告の医療行為には、当時在職した全医師らが関与している。すなわち、被告Cが初診以来一貫して関与し手術をし、被告Bは手術には助手として関与し、被告Dも手術に際し麻酔医を務め、被告Eも二回診療している。(甲カ1)

(五) 同原告は、被告Aから前記のようないい加減な説明を受けて、無用な不安感・恐怖感を煽られた上、手術の必要がないのに、被告医師らによって開腹手術により卵巣の一部を摘出され、不当な身体の侵襲を受けたものである。

右に係る慰謝料としては二〇〇万円、弁護士費用としては二〇万円が相当である。

7 原告番号7の<氏名略>について

(一) 原告<7>(昭和二三年八月二三日生。手術時三一歳。挙児一名)は、昭和五一年五月ころ、他病院で右卵巣全部及び左卵巣の一部の切除を受けていたものであるが、昭和五四年一二月二二日、腰痛、下腹部痛、メンスの前三、四日に一度の便通などを主訴として、富士見病院を訪れ、外来患者として被告Dの診察を受けた。その内診所見は、「子宮は、鵞卵大で硬い。左付属器に圧痛あり。びらん大きくある」というものであった(なお、初診時のカルテには診断名の記載はない。)。そこで、同被告は、同原告に対し、排卵が順調にあるのかどうかを知るために基礎体温を付けることを指示し、次の月経終了後に冷凍療法をすることを伝えた。

同月二四日、被告Dは、原告に対し、「びらんがひどい」として、ME検査を受けることを指示した。そして、同被告は、同月二六日付けの医事相談指示票に、「(1)左下腹痛を訴えて来院されました。左卵巣をふれますが、既に楔状切除と右卵巣剔除を受けて居られ、外来で様子観察しようと考えてます。(2)びらんがひどいので長期通院必要です」と記載し、他方、同日付けのME指示票には、探査指示内容の項目のうち、子宮筋腫及び卵巣嚢腫の有無と状態にチェックをして、同原告に対するME検査及びコンサルの実施を指示した(甲カ7の六及び七の各1)。

右被告Dの指示を受けた被告Aは、同日、同病院の超音波検査室において、同原告に対してME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に、「子宮筋腫で左卵巣のう腫、鶏卵大の水包性。卵管溜水腫その右は附着肥大している。なお癒着多い。子宮炎症性肥大で内容は悪い。悪性注意」などと記載し、また、右ME検査終了後、同病院理事長室において、同原告に対し、「卵巣は卵大で水を持ち、子宮は他人の二倍の筋腫、水のたまる卵巣は悪性で癌になりやすいから手術するように」などと告げて(同四、第五四回口頭弁論期日における同原告本人尋問)、コンサルをし、その結果を担当医師に報告するため、前記医師相談指示票の相談課説明内容欄に「大体上記の様に(右余白記載のようにとの趣旨)申しましたが、卵巣の肥大と筋腫を合併してるのでMEとしては外来の先生の方へよく報告しておくが手術の方向へお話して載く方が望ましいでせうと申しておきました」と記載して、これを医師に回付した。

これを受けた被告Dは、同原告に対し、全摘手術をすることを話した。

同原告は、昭和五五年一月七日入院した。同原告の入院時の診断は「子宮筋腫、左卵巣のう腫、左卵管溜水腫、術後癒着症、膣部びらん症」で、「全摘目的」と記載され、入院日に「術前A検査」が指示されている。

同月一一日、被告Aは、同原告に対し、ME検査を実施し、ME写真コピーの余白に「子宮筋腫・卵巣のう腫、癒着多い、両側卵巣のう腫で炎症多く、腹水ややある」との記載をした。

同原告に対する手術は、同月一四日、「左卵巣のう腫、子宮筋腫、卵管溜水腫、巾着」の手術時診断のもと、被告Bの執刀にて、単純子宮全摘除術、左付属器摘除術の方式で行われた。

(同四、前記の同原告本人尋問)

(二) 以上の事実経過からして、同原告については、被告Dの診療方針とは関係なく、子宮筋腫及び卵巣のう腫についてのME検査指示が被告Aに出されており、右初診時の所見には認められなかった子宮筋腫及び卵巣のう腫が被告Aにおいて診断され、しかも、ME検査では分からないことまで判断されて、患者に告知されていること、さらに、被告Aは患者に対して入院を勧めていることが認められるのである。すなわち、被告Aは、担当医師の指示に基づくことなく、独自に患者の病状を診断し、入院を勧めていたものといえる。

(三) 富士見病院初診直前の国立西埼玉中央病院における所見(同三)、富士見病院における内診(同一の1の一丁、同3の三七丁、三九丁)、子宮卵管造影(同三八丁)や血液検査(同一三丁、一七丁)においては何の異常も認められないこと、摘出臓器の重量(同二一丁)が子宮及び左付属器が正常な大きさであることを示していること、手術所見(同二二丁)において、同原告には「子宮腟部びらんが存し、既往手術による腹腔内ゆ着がうかがわれる」とされている以外には、同原告の診療過程において格別の異常が認められないことからして、同原告の子宮及び左卵巣は手術の適応がなかったものというべきである(以上の全般につき同五・佐々木鑑定書)。

なお、同原告の主訴であった下腹痛は、腹腔内ゆ着に由来するものと推測されるが(同五の「鑑定の細目4」)、カルテによれば、手術まで下腹痛の訴えはなく、一方、同原告は、平成元年になっても時々初診時と同様の下腹痛を感じている(同四の五項)ことからすれば、少なくとも子宮、左付属器に由来するものではなかったと考えられる。

同原告についての飯塚鑑定(甲サ67の一二)は、「年令、分娩回数、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せ考察すると、子宮及び卵巣は温存すべきで、子宮に関しては、より経過を観察してから手術適応としてもよかった症例であり、卵巣については手術適応が不適当と考えられる」としており、右摘出手術は不要であったとしている。

(四) 右手術を執刀した被告Bは、同原告には「腸閉塞の危険」があったとして子宮及び左付属器の摘出を正当化するが、同原告には腸閉塞の危険を示す症状はなかったものである。

右の点に関して、被告Bは、同原告の入院時の被告Cの所見として「腹部膨満」の記載があると述べる(乙カ7の一の二項)が、入院時の被告Cの所見は「腹部は膨れていない。平ら」というものであって(甲カ1の三の三六丁)、被告Bの右陳述は採用することができない。また、同被告に対し、その第八八回口頭弁論期日における証人尋問において、同原告の入院時に「腹痛、吐き気、嘔吐」があったことを前提とした問いが発せられている(同証人尋問調書五頁最終行)が、同原告の入院時にかような症状はなかったものである(甲カ7の五の「鑑定の細目9」)。

右のような被告Bの弁解は、手術所見にあった「左側腸細くなっていた」との記載から思いついたものと考えられるが、いわば「こじつけ」であって、同原告に対する子宮及び左付属器の摘出には根拠がなかったと考えざるを得ないものである。

さらに、被告Bは、本件手術時の重要所見として、「子宮及び付属器のひどい病変のため腸管と癒着し、そのため、腸の一部が鉛筆の芯ほどに細くくびれており、そのため、本件手術に至った」とも反論し、「同原告の子宮膣部びらんの状態は甚だしく、その意味からも本件手術は適切であった」ともいう。しかし、右反論は要するに開腹時の所見によれば本件手術の適応があったとするものであり、術前の診断が手術の適応であったかどうかについては、飯塚鑑定の前記結論を覆すに足りる反論をしていないのである。そして、前記のとおり、膣部びらんというのみでは、直ちには単純子宮全摘除術及び左付属器摘除術の適応になるとは到底認められないのであるから、同被告の右反論はおよそ採用できないことになる。

(五) 同原告に対する医療行為には、初診、入院前の通院中の診察、被告AへのME検査の指示とコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、諸検査の施行、手術の助手をした被告D、ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の検査処置の指示、入院中の診察、手術の執刀をした被告B、入院中の処置を指示し、入院中に診察した被告C、入院中処置し、手術で麻酔を担当した被告F、入院中診察、処置をし、手術で麻酔を担当した被告Gで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

そして、入院までの間、同原告を診察した被告Dは、同原告を子宮腟部びらんと診断し通院治療を行うべきものと判断していた(甲カ7の一の1の二丁・昭和五四年一二月二二日、同一の2・同月二五日、同七の1)にもかかわらず、入院時にはカルテ(医師指示録)に「子宮筋腫」「左卵巣のう腫」「左卵管溜水腫」と記載した(同一の3)が、これらが何の医学的根拠もなく被告AのME検査の結果と診断に従い記載されたものであり、同原告の入院、手術が被告Aによって決定されたものであることは、甲カ7第一号証の2、同第七号証の1、2(コンサル用紙)などの記載からして明らかであり、被告Dもその本人尋問においてこの点をほぼ認めているものである(第九六回口頭弁論期日における同被告本人尋問一ないし四二頁)。また、被告Bは、その陳述書(乙カ7の一)において、前述した腸閉塞の危険がなければ子宮や左付属器の摘出の必要はなかったと解される旨を述べているのである。

以上からして、被告Dも被告Bも、同原告に子宮腟部びらんしか認めなかったにもかかわらず、被告Aの「子宮筋腫・左卵巣のう腫」という「診断」に従い、不要な手術かもしれないと認識しながら同原告に対し子宮、左卵巣の摘出手術をしたものであり、その余の被告医師らは、これに加担したものである。このような所為は医療の名をかりた傷害行為といわざるを得ないものである。

(六) 同原告は、その適応が認められないのに、被告Aから「水のたまる卵巣は癌になりやすい」などという虚偽の説明を受けて手術を決意させられ、子宮、左卵巣を摘出されたものであり、右臓器を喪失したほか、不要な入院、治療を受けたこと、手術後肩こり、易疲労感、カーッとあつくなるなどの症状がある(甲カ7の四、第五四回口頭弁論期日における同原告本人尋問)。

右の慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

8 原告番号8の<氏名略>について

(一) 原告<8>(昭和二〇年一二月二六日生。手術時三一歳。挙児一名)は、発熱、腰痛及び下腹痛を主訴として、昭和五二年六月一五日外来患者として富士見病院を訪れ、被告Fの診察を受けた。その内診所見は、「子宮は後傾後屈、やや大。圧痛はあったりなかったり、硬さは軟らかい。子宮膣部はリビドー着色とびらんがある。両側付属器は触れない」というものであった(なお、初診時のカルテの診断欄には記載がない。)。同日、同被告は、同原告に対するME検査とともにコンサルの実施を指示し、同指示を受けた被告Aは、同日、同病院のME検査室において、同原告につきME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に「子宮筋腫、卵巣のう腫。子宮筋腫は中程度の肥大ですが、両側卵巣肥大で左卵巣の炎症はかなり強く、腹水が多い」などと記載し、また、右ME検査終了後、同病院理事長室において、コンサルを実施し、同原告に対し、「卵巣がはれている。腹膜炎を起こしている。このままでは大変だ。熱もあるし、すぐ入院して早く手術をした方がよい」などと話し、同被告が医師であると誤信し、右の話を信じた同原告は、同日そのまま入院した。

(二) 入院当日の抗生物質(セファメジン)の投与により(甲カ8の一の五五丁)、翌一六日には、入院時には陽性であった尿蛋白(同三七丁)も陰性化し(同三二丁)、入院二日後には下熱し、その後腰痛もなくなり、同病院受診の原因となった発熱及び腰痛は消失した(同五)。ところが、入院して約一週間後、夫を呼ぶように言われ、同原告は夫婦で被告Aに会ったところ、同被告から「卵巣がはれて膿をもっている、癌になる一歩手前だ。早く手術した方がよい」と告げられ、同原告は、その言も信じて、右手術を受けることを承諾した(同四)。

右手術は、同年六月三〇日行われ、手術時の診断病名は「子宮筋腫、子宮膣部びらん」で、術式は単純子宮全摘除術及び両側付属器摘除術であった。摘出臓器の重量は一〇二グラムで、子宮の大きさは超鵞卵大との記載が手術記録にある。同原告は、退院後、翌五三年四月一七日までホルモン注射のため同病院に通院した。

(三) 同原告についての飯塚鑑定(甲サ六七の2)では、「年令、チェックした臨床所見、摘出臓器写真等を併せて考察すると、子宮及び卵巣に関する全摘手術の適応が不適当であると考えられる」とされている。

また、佐々木鑑定書も本件手術の適応がなかったとされている。

(四) 被告Fの反論について

被告Fは、その陳述書(己カ8の一)において、本件入院時及び手術時の診断、本件手術の適応について主張するが、その内容を子細に検討してみても、前記鑑定等の意見を覆すには到底足りないというほかなく、かえって、右診断が、内診所見のほか、ME所見を参考に決せられていたことが明らかになっている(陳述書の中に「ME検査を参考」という旨の記載が散見されるところ、本件では、前記二で認定したとおりの富士見病院における「ME検査」や「コンサル」に主導されて手術等がされていたことの責任が問われているものである。)。

(五) 同原告の子宮及び卵巣には異常はなく、同原告が受けた前記手術は、正常なる子宮・卵巣を摘出したものと認められる。

同原告には、月経困難症、月経過多症、圧迫症状など子宮筋腫の典型的な一般症状が見られないし、また貧血もなく(甲カ8の一の三五丁)、下腹痛、不正子宮出血、腫瘤感、帯下など、子宮筋腫を原因とするこれらの症状も見られなかった(同四)。入院当時の腰痛は、月経とは無関係に生じていたもので、これをもって月経困難症ということはできない。臓器ポラロイド写真によっても子宮の大きさは正常範囲内であり、形状も病的な変形はない(同三、五)。また子宮卵管造影写真によっても、子宮内腔に圧排像、陰影欠損像などの異常所見はなく、拡散像も正常であり(同二)、子宮内腔長も正常である(同一の四六丁、同五)。また、血液検査の結果も正常範囲内である(同五の三五丁、二五丁、同五の四頁)。

卵巣については、初診時から、両付属器異常なしという診断であり(同一の一丁)、前記ポラロイド写真によっても、両卵巣とも形状は正常、表面は平滑、均質で、病変は見当たらず、大きさも正常である(同三、同五の五丁)。また、造影剤の拡散像にも卵巣腫瘍の輪郭を示す像がない。

そして、摘出物の重量も正常範囲である(同一の四三丁、同五の五丁)。

さらに、前記造影写真によっても、両側卵巣に腫瘤を示す像もなく、異常は認められない(同二、同五)。また、初診日から手術当日まで、原告の卵巣に異常や病変を示す記載はなく、手術所見も同様である。

以上のように正常であった同原告の子宮及び卵巣を全部摘出した被告らの責任は重大というべきである。

(六) 同原告に対する医療行為に直接関与したのは、初診、入院中の診察、検査の指示、手術の執刀を担当した被告F、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、麻酔を担当した被告D(同一の四三丁)、入院中診察を一部担当した被告B(同四六丁)及び診察並びに処置を一部担当した被告C(同四七丁、四八丁)らである。

右の被告医師ら及び被告Aが同原告に対して損害賠償責任を負うべきことは、前記のとおりである。

(七) 同原告は、被告Aから前記のように虚偽の説明を受けて、無用な不安感、恐怖感を煽られた上、被告医師らによって、開腹手術を受け女性にとってかけがえのない臓器を摘出され、さらに術後、発汗、のぼせ、冷え性、疲れ易いなど典型的な卵巣欠落症状に悩まされている(同四)。

同原告のこれらの損害の慰謝料として一二〇〇万円、弁護士費用としては一二〇万円が相当である。

9 原告番号9の<氏名略>について

(一) 原告<9>(昭和二一年四月一二日生。手術時三〇歳、挙児なし)は、昭和四五年三月一七日結婚したが、子がなく、出産を望んでいたところ、昭和五二年一月一九日訴外小山産婦人科医院にて妊娠の診断を受けたが、同月二四日少量の不正性器出血があり、再度右医院で診てもらい、その後一週間少量の性器出血が続き、軽度の下腹痛があったため、これを主訴として、同月二八日富士見病院を訪れ、外来患者として被告Bの診察を受けた。

同被告の内診所見は、「子宮は前傾前屈でやや大きい。付属器は左卵巣領域は抵抗性あり。分泌物は血性(黒っぽい)。びらんがダブルプラス」というもので、同被告は、同原告について、切迫流産との診断をした。同被告は同原告に対し「妊娠しているが、出血があって子宮外妊娠の疑いがあるので、大事をとって入院して詳しく調べて見ましょう」と述べ、同日(二八日)、同原告はそのまま入院した。その晩、同原告は、耐え難い下腹痛を覚え、結局、流産したものである。

流産直後の同月二九日、同原告は被告AのME検査を受け、これに引き続いて行われたコンサルの際、同被告から「卵巣が両方とも握り拳大に大きくなっていて、早く手術しないと命の保証はない」「悪いところを摘ってしまうのだから、一年といわず半年でまた子供に恵まれる」と言われ(甲カ9の三、第五三回口頭弁論期日における同原告本人)、また、同原告の夫の<氏名略>も同被告から「卵巣が腫れていてぐちゃぐちゃなので、放っておけば半年程の命である」などという説明を受け(同四)、手術することを承諾した。

(二) 同原告に対する手術は、同年二月九日、被告Bの執刀で、両側卵巣部分切除、通水、円靱帯短縮術の方式で行われた。手術時の所見は「卵巣出血、腹水約五〇〇CC、卵巣もろくて、ミセス・オーシダンの如し。右(卵巣)うしろ側癒着、子宮ほぼ正常」というものであり、両側卵巣嚢腫、子宮内膜症」という診断であった。

(三) しかし、同原告は、そもそも妊娠し、卵巣機能そのものには異常がなかったのに、流産を契機に妊娠のための手術をしたというものである。

しかも、被告A及び同Bは、原告に対し、卵巣腫瘍等のために手術が必要だと説明していたのであり(同三、四、六の二月二日欄、第一〇三回口頭弁論期日(平成九年一二月一〇日)における被告Bの証人調書三五頁ないし三七頁)、医事相談指示票によっても「卵巣腫瘍」こそが右手術の目的であるとして同原告らに説明されたことは明らかである(同六の二月二日の欄参照)。しかるに、右告知された手術の説明に相応するような症状が本件診療録上認められないことは、被告Bが自認するところである(前記被告Bの調書三九頁、四〇頁)。

一方で、被告Bは、①腹腔内出血の疑いがあり、②七年間の不妊があった、③卵子の異常があった、などと手術の目的について述べる(乙カ9の一)。しかし、仮にそれが真実であるなら、何故そのことをコンサル用紙(甲カ9の六)に記載し、同原告らに対してそれを説明して手術の同意をとることをしなかったのかについて、説明することができないのであって、被告Bの右弁解は、手術が先行してしまったために、事後的に自己の行為を正当化するために考案されたものにすぎないというべきであり、当人もそのことをほぼ自認しているのである(前記被告Bの調書三九頁、四〇頁)。

そして、同原告に流産後も少量の出血、下腹痛、左卵巣の抵抗性、貧血症状が仮にあったとしても、これらは妊娠第八週に入った者が流産した場合に見られる症状としては特に異常ではなく、これをもって、何らかの手術を必要とするような異常と見ることはできないのであって、これらの病状について、担当医師らが何らかの疾病の診断や疑診をしたことを認めさせるに足りる的確な証拠はない。また、同原告の子宮卵管造影検査(同二の1、2)についても、異常を思わせるものは認められない。(同五)

その上、本件では、円靭帯短縮術がなされているが(同一の五四丁裏)、そもそも同手術は、前記のとおり子宮の後傾・後屈が著しい場合に不妊の治療を目的としてされるものであるところ、同原告については、外来初診(同一丁)、一月二九日の内診(同五八丁)、一月三〇日の内診(同五八丁)、二月二日の内診(同五八丁裏)、二月四日の内診(同五九丁)において、子宮が後傾・後屈であるとされておらず、かえって、前傾・前屈の所見が見られるのみなのであるから、同原告についての円靭帯短縮術は、全く不要であり(同五)、同原告はこの点においても全く無益な侵襲を受けたこととなる。

(四) 同原告に対する医療行為には、被告Bが内診やダグラス窩穿刺し、被告Fが問診・内診・ラミナリア挿入措置をし、被告Fが分泌物の検査や腹痛のないことの確認や問診や膣洗浄をしており、被告Dがガーゼタンポン抜去等をし、被告Cが問診等をし(以上は、同一の五八頁ないし五九頁裏)、手術当日には術者が被告B、助手が被告F、麻酔医が被告Cとして関与した(同五四丁)ものである。

(五) なお、富士見病院においては、全体として見た流れが医学的に了解し難い場合が多く、同原告に対する診療もその典型例の一つといえる(前記被告Bの証人調書四〇頁)。

(六) 同原告は、被告Aから「卵巣が両方とも握り拳大の大きさになっており、早く手術をしないと命の保証はない」という、いい加減で誇張された説明を受けて、無用な不安感・恐怖感を煽られて、手術を承諾させられ、被告医師らによって不要不急な開腹手術により卵巣の一部を摘出され、また、必要のない円靭帯短縮術を施行されるなどの身体の侵襲を受けたもので、術後三年間くらいは手術が原因と考えられる癒着による定期的な下腹の激痛と左半身のしびれ等に悩まされ、左半身のしびれは今も残っているものである。

右についての慰謝料としては三〇〇万円、弁護士費用としては三〇万円が相当である。

10 原告番号10の<氏名略>について

(一) 原告<10>(昭和一二年一一月一〇日生。手術時四〇歳。挙児四名)は、生理がなく、つわりのような症状があったので、妊娠検査のため昭和五二年一二月一七日富士見病院を訪れ、外来患者として被告Cの診察を受けた。その内診所見は「子宮膣部肥大。子宮は前傾前屈、大きさ手拳大から超手拳大、硬さ一部固い、一部柔らかい、付属器は触れにくい。子宮膣部びらんあり。分泌物は白い」というものであり、また、尿妊娠反応ゴナビス検査は陽性であった。

同被告は、同原告について、妊娠、子宮筋腫、子宮膣部びらんと診断し、医事相談指示票(甲カ10の五)に、「(1)妊娠2ヶ月に筋腫合併の疑 (2)中絶希望 (3)ME御依頼 上記の上ご相談下さい」と記載して、原告<10>に対するME検査とともにコンサルを依頼した。

右により、被告Aは、同日、同原告にME検査を実施し、ME写真コピーの余白に、「子宮筋腫、妊娠(稽留流産)筋腫合併のミス妊娠の状態で内容活動していない上に右側卵巣も異常です。(妊娠は3ヶ月初めです。)」などと記載した。

右ME検査の終了後、同被告は、富士見病院理事長室において、同原告に対し、「子宮筋腫で卵巣に水がたまって腐っている。顔色が悪く、太っているのは、筋腫が栄養分をとっており、また、ホルモンのバランスが崩れているからだ。放っておくとガンになるかもしれない。月曜日(同月一九日)から入院しなさい。そのとき御主人を連れてきなさい」などと話し、同原告は、同被告のいうまま同月一九日富士見病院に入院することとした。右により、同被告は、医師相談指示票の相談課説明内容欄に、「一九日入院し……中絶の後検査し、検査の上で筋腫・卵巣などオペすべきかは、それからと申してあります」などと記載した。

(二) 右によって、同原告は同月一九日富士見病院に入院した。

入院時の被告Cの診断は、「妊娠二カ月(人工妊娠中絶を希望)、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮膣部びらん」であり、入院日に「術前検査A」が指示されている(同一の三〇丁、二〇丁)。

同月二〇日、被告Fは、同原告に対する人工妊娠中絶手術をした。右手術時の所見は「子宮は筋腫様である」というものである。また、同日行われた子宮消息子診による子宮内腔長は10.5センチであった。

翌二一日、被告Cは、医師相談指示票に「手術の件をどうするかご相談願います」との趣旨を記載して、被告Aに再度ME検査及びコンサルを依頼した。

同日、被告Aは、同原告にME検査を実施し、ME写真コピーの余白に「子宮筋腫、卵巣のう腫。両側卵巣は左やや肥大で炎症性です。右は縮小型のう腫。子宮筋腫」などと記載し、同原告の夫に対してコンサルをし、「アメリカでは病気でもない人でも全摘するのがはやっている。メンスも癌の心配もなくなり、きれいでスマートになる」などと言って、子宮及び両側付属器の全摘手術について承諾させ、その旨を前記医師相談指示票の相談課説明欄に記載して、被告Cに回付した(同一の二〇丁、五、第七二回口頭弁論期日における被告C)。

被告Cは右同日同原告を内診したが、その所見は「子宮は前傾前屈、手拳大、硬い。付属器は触知しにくい。リビドー着色マイナス。子宮膣部びらんプラス。分泌物は白い」というものであり、同月二四日の被告Bによる内診所見は「子宮は後傾後屈、超鵞卵大、硬い。付属器は触知せず。分泌物は白い。びらんはプラス」というものであった。

(三) 同原告に対する手術は、同月三〇日、「子宮筋腫、両側卵巣のう腫、子宮膣部びらん」という診断の下で、被告Cの執刀で、単純子宮全摘除術、両側付属器摘除術の方式で行われた。手術時の所見は「子宮は前傾前屈、手拳大。子宮頸部は長く伸びて、膀胱と強く癒着。子宮膣部は肥大、びらんはダブルプラス、<図示の後ろ側について>強い炎症、子宮の伸展性悪く、異常な血管が多数入り込み手術が難しかった。付属器は、(右)卵巣嚢腫、(左)卵巣嚢腫。右卵管は腸と強い癒着。左卵管はS状結腸と癒着」というものであった。(同一の六三丁)

同原告は、昭和五三年一月二三日に退院したが、以後同年八月二三日まで一か月に一回くらいの頻度で通院し、ホルモン注射を受けた。

(四) 同原告は、初診時、妊娠していたものであって、これによるつわり以外には何らの身体的異常も感じておらず、富士見病院における内診(同一丁、六七丁)では妊娠による子宮の増大があるほかには、格別の異常はなく、血液検査の結果(同五五丁、五一丁、四七丁、四五丁、四四丁)にも異常がなく、術後のポラロイド写真(同二の1、2)でも子宮に筋腫結節はなく、両側卵巣にも嚢胞などの変性は認められない。

同原告の子宮は、内診所見で前記の増大があり、子宮消息子診による内腔長が10.5センチメートルで(同一の六六丁)、また、摘出臓器(子宮及び付属器)の重量は一三五グラムである(同六一丁、六二丁)が、これらは、同原告が拳児数四名の経産婦で、かつ妊娠していたことによるものと考えられる。以上からすれば、同原告には、その診療過程において子宮、卵巣に格別の異常が認められなかったというべきである。

(以上の全般につき同四の佐々木鑑定書)。

(五) 右の点に関して、初診及び手術の執刀をした被告Cは、同原告には子宮筋腫、卵巣嚢腫が存在したと主張するほか、子宮膣部びらん、卵巣・卵管・子宮の他臓器との癒着、さらには子宮の炎症があったので手術の必要があったと主張し(同被告の平成三年七月一六日付け準備書面)、その旨の陳述をする(丙カ10の一、第七二回口頭弁論期日における被告Cの本人尋問調書第一四ないし一八項)。

しかし、子宮筋腫の存在については、①前記のとおり、摘出臓器の重量については、同原告が挙児数四の経産婦であり、妊娠七週五日で中絶手術をして間もないことに照らし、普通の数値といえること、②摘出臓器の前記ポラロイド写真には筋腫結節を認められず、また、手術記録にも当然記載されるはずの筋腫結節の図示がなく、筋層内又は粘膜下筋腫があれば割面を図示するはずであるが、そのような記載もないこと、③同原告には月経困難症・月経過多症その他筋腫を疑わせる症状は認められないことなどを総合すると、子宮筋腫と診断すべき根拠が不明というほかない。

また、卵巣嚢腫については、①前記のとおり、手術カルテ上、卵巣嚢腫の大きさや表面の変性等の具体的な記載は全くないこと、②かえって、証拠(甲カ10の一の六二丁、同四)によれば、摘出臓器の大きさは正常であり、嚢胞その他表面上の変性もなく、健康な卵巣と異なるところはないと認められること、③同原告には入院前後を通じてME所見以外には卵巣の疾患を疑うべき事情が存しないところ、被告AによるME検査については信用することができないことなどからして、卵巣嚢腫は存しなかったと見るのが相当である。

そして、前記検討結果からして、びらん・癒着・炎症については、全摘手術の適応があったとは認められないものであるから、結局、本件手術は不要不急の手術をしたものというほかない(なお、第四一回口頭弁論期日における証人佐々木静子の尋問調書一〇丁ないし三五丁)。

(六) ちなみに、同原告の初診時には卵巣嚢腫との診断はなかったものが、入院時には卵巣嚢腫と診断がされているところ、右入院時の診断は被告AのME所見に基づいているものと認められ、同原告の初診を担当した被告Cは、病状、診断、入院の要否等について、明確なことを同原告に告げないで、「MEの検査をするように」と指示して被告AのME検査とコンサルに回したものである。

そして、同被告の被告Aに対するコンサル指示の内容は、「1)妊娠二ケ月に筋腫合併の疑、2)中絶希望、3)ME御依頼、◎上記の上御相談下さい」という抽象的で漠然としたもので(同五の一枚目)、被告Aに診断や治療方針の決定を委ねる趣旨の記載となっている。これを受けた被告Aは、同原告に対し、前記のとおりの告知をし、同原告が入院して翌日に人工妊娠中絶手術を受けると、その翌日(一二月二一日)には、被告Cにおいて同原告を再度コンサルに回し、「手術の件はどうするか御相談願います」として、被告Aに対してその後の措置についての決定を委ね、これを受けた被告Aは、同原告に対し全摘手術を行うことを決定し、告知したのである(同二枚目)。その後、被告Cらは、被告Aの右決定に従い(同一の二〇丁の「入院要項」欄の上から五、六行目)、同原告に前記の全摘手術をしたものである(以上の全般につき、第一〇四回口頭弁論期日における被告Cの尋問調書一八ないし五七頁)。

(七) また、同原告が入院し手術を受けることを承諾したのは、被告Aらから、子宮筋腫が存し、かつ卵巣に水がたまっており、癌になる可能性があると告げられたからである(なお、被告Cは、富士見病院においては人工妊娠中絶手術を行う患者はすべて入院させていたから、被告Aが同原告に入院を勧めたことはおかしくない旨供述する。しかし、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、同原告は自分が妊娠中絶手術を受ける目的で入院したわけではないことが認められる。)。そして、被告AのME検査が許されないものであることは前記のとおりであって、同被告のそのような言動によって同原告が入院・手術を承諾したことは明らかであるから、同原告に対する診療過程に重大な違法があったことは明白である。

(八) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼(同五)、入院中の検査・処置の指示、診察、手術の執刀をした被告C、ME検査及び前記コンサルをした被告A、入院中の輸血の指示、診察などした被告B、入院中の検査・処置の指示、人工妊娠中絶手術、診察、手術の助手などをした被告F、手術の麻酔を担当した被告Dの五名であり、富士見病院に当時在職していた医師全員と被告Aが関与したものである。

(九) 同原告は、右手術後、疲れると頭が痛くなる、めまいがする、性交痛がある、膀胱炎を起こしやすいというなどの症状を訴えており(同三、四、同原告)、これらの症状は、両側卵巣摘出によるホルモン欠落症と関連しているものと考えられる。

同原告の右に係る被害についての慰謝料としては七〇〇万円、弁護士費用としては七〇万円が相当である。

11 原告番号11の<氏名略>について

(一) 原告<11>(昭和一九年七月一五日生。手術時三二歳、挙児なし)は、昭和五〇年一一月に三〇歳で夫<氏名略>と婚姻し、昭和五二年四月二五日、一年半子ができず、強く挙児を希望していたところ、月経困難、下腹痛を主訴として、富士見病院を訪れ、外来患者として被告Fの診察を受けた。同原告は、他医院における内科的検査では胃は異常なしと診察され、腸は来月検査予定である、なお、不妊もあるのでその検査も希望する旨を同被告に話した。また、同原告の月経歴は、持続五日間で規則的な二八日型であり、月経量は多量で月経時には下腹痛が顕著で腰痛もあるということであった。既往症として胃潰瘍があった。

同被告の内診所見は、「子宮は前傾前屈、鵞卵大、圧痛が顕著である。右側付属器が触れる。圧痛はない(ただし被告Fの陳述書から認めるもので、カルテの記号はプラスともマイナスとも読める。)。子宮膣部はほぼ正常である。膣部分泌物は異常なし」というものであった(なお、初診時における診断内容の記載はない。)。

右内診後、同被告は、同原告に対し、ME検査を受けるよう指示し、他方、同原告に対するME検査及びコンサルの実施を被告Aに依頼した。

被告Aは、同日、同病院の超音波検査室において、同原告にME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に、「筋腫的子宮及び両側卵巣のう腫。子宮は特大ではないが筋腫で特に硬い。両側卵巣は完全なのう腫。左も肥大し炎症が多い。右は段々のある肥大で、下部は溜水腫の状態」などと記載した、

同被告は、右ME検査の終了後、同病院理事長室において、同原告に対し、コンサルをし、「卵巣が腫れて中がぐちゃぐちゃになっている。子宮にも筋腫があって子供は生めない。今すぐにでも入院して手術しないと大変なことになる」などと話した。

挙児を希望していた同原告は、その場では入院を決めることはせず、翌日、夫の<氏名略>も交えて被告Aから右同様の説明を聞き、とりあえず子宮は摘出せず、卵巣整形のみ行うということで入院を承諾した。被告Aは、その結果を担当医師に報告するため、前記医師相談指示票の相談課説明内容欄に記載して、これを医師に回付した。

(二) 同原告は、右入院を承諾した同月二六日に入院の申込みをし、同月三〇日卵巣手術の目的で入院した。

入院カルテによれば、入院時の被告Fの診断は、「①不妊症、②月経困難症と過多月経の主訴、③筋腫様子宮、卵巣のう腫」であり、入院日に「術前C」の検査が指示されている。

入院後の同年五月四日、被告Bの内診が行われ、その所見は、「子宮は前傾前屈、全体で鵞卵大で、筋腫様子宮である。付属器は触れない。分泌物は血性少量。びらんはない」というものであった。また、同日、子宮卵管造影検査が行われ、被告Bの所見は、「卵管は通過している、筋腫が疑われる」であった。翌五日には、子宮消息子診、診査掻爬、診査切除が行われた。

同月七日、同原告は、再び被告Aの本件コンサルに回され、被告Aから、子宮や卵巣の状態について説明を受けて、全摘手術を勧められた。同被告の説得により、同原告は、子宮及び両側付属器の全摘手術についての承諾書にサインすることとなった。

同原告は、入院後、精神的な動揺からか発熱・胃痛・咽頭痛・頭痛などを訴え、同月一五日に予定された手術は延期となった。

(三) 同原告に対する手術は、同月二七日、「子宮筋腫」との手術時診断の下に、被告Bの執刀で、単純子宮全摘除術、両側付属器摘除術の術式で行われた。手術時の所見は、「子宮は手拳大、子宮壁の前壁に漿膜下筋腫核、後壁にウズラ卵大の粘膜下筋腫核がある。子宮頸管部と膀胱の間が炎症状。両側卵巣はPCO」というものであった(なお、甲カ11の一についての冒頭の証拠説明には訳の誤りがあり、Bの陳述書である乙カ11の二の方が正確である。)。

同原告は、退院後も昭和五五年八月八日まで、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院して治療を受けた。

(四) 飯塚鑑定(甲サ六七の27)は、同原告について、「年令、結婚後の年数、主訴(児を希望)、チェックした臨床所見、摘出臓器写真等を併せて考察すると、子宮、卵巣とも温存が必要であって、子宮に関しては、筋腫核出術、卵巣は両側がPCO(多嚢胞卵巣症候群)とすれば楔形切除術にとどめるべきであり、子宮、卵巣ともに、全摘手術の適応が不適当であると考えられる」との意見が付されている。

(五) 同原告は、初診時に卵巣嚢腫を疑う所見は特にみられなかったところ、入院時には卵巣嚢腫との診断がされており、初診から入院の間に行われた検査はME検査だけであるから、卵巣嚢腫との診断根拠が被告AのME所見にあることは明白である。そして、同原告が入院を承諾したのは、被告Aの前記コンサルによるものであって、しかも、同原告の場合は当初は卵巣整形を目的とした入院であったのに、入院中に被告Aから再度コンサルを受け、これによって、全摘手術を受けることについての承諾をしたものである。

被告AのME検査及びコンサルなどが医師を装って非医学的にされていた極めて不適切なものであったことは既に認定したとおりであり、かつ、被告Aの言動によって、同原告は入院・手術まで承諾しているのであるから、同原告に対する診療過程に重大な違法があったことは明らかである。

(六) 右の点に関して、被告Bは、陳述書(乙カ11の二)において、「不妊治療を目的として入院してきた患者の子宮を摘出することは、患者にとって大変なことであり決して急いではならない。まして、同原告は卵管も通過していたから、意志を充分確かめておきたかった。同原告は入院から手術まで二〇日間もあり、十分に話し合う余裕があった。同原告との話合いの中で、子宮に筋腫はあるが、『全摘してしまうことは永久に挙児をあきらめることだから、もう少し様子をみたら』とも言った。卵巣の手術は勧めなかった。むしろ、今回はいったん退院して筋腫の経過をみることを勧めた。同原告は、最後には、『生理の度にひどく痛むし、出血が多く苦しいので、この際全摘しましょう。』とはっきり意思表示をした」などと述べて、同原告についてインフォームド・コンセントがあった旨主張する。

しかし、前記認定のとおり、同原告は、予定されていた手術が延期されるほど、発熱・胃痛・咽頭痛・頭痛などを訴えていたのであり、そもそも、そのような状態で満足な話合いが持たれたとは考えにくく、入院から手術までの期間が長いことをもって、話し合う余裕があったとする右陳述は信用性に乏しい。また、卵巣の手術のみを目的として入院したのにもかかわらず、入院から七日後には全摘手術の承諾書が取り直されており、しかも、その理由はカルテ上必ずしも明らかではなく、被告Bも被告Fも理由を明確には述べていない。そうすると、同原告が全摘手術を受けることについて、医師から十分な説明を受けて、納得していたとは到底認めることができない。

のみならず、被告AのME診断とコンサルが前記のようなものである以上、同原告がその説明を聞いて誤解の上本件の手術を承諾したとしても、それは有効な承諾とは言えないものであり、むしろ、虚偽の診断を告知して承諾を騙し取られたというべきものである、富士見病院においてこのような不正な診療システムの上で不要な手術を敢行していたことは前記のとおりであって、右コンサルをした被告Aは勿論、このシステムを認識・認容しながら、コンサル制度を活用し、Aがとった承諾を口実に不要・不当な手術を敢行していた被告医師らの責任は極めて重大というべきであって、同原告に対して右手術がされたことは、富士見病院における前記診療システムを裏付ける典型例の一つといえる。

(七) 被告Bは、手術時所見で、子宮筋腫が認められ、大きさは手拳大であったこと、卵巣がPCOで、卵管とともに炎症性であったことなどを理由として、全摘手術の適応があったとする(乙カ11の二)。

しかし、同原告は、受診時軽度の下腹痛があった程度で、他に格別の症状はなく(甲カ11の五)、富士見病院における子宮卵管造影の結果(同二)からして子宮の内腔に若干の歪みがあるものの拡大は認められず、内診(同一の一〇〇丁表)からして卵巣の異常が認められず、血液検査(同一の九二丁)等からしても、子宮筋腫や卵巣嚢腫の手術をすべき十分な診断根拠がなく(同六)、入院手術を急ぐ必要は全くなく、むしろ、同原告の「不妊」の原因を十分に調査すべきであったのである。

また、子宮消息子診による内腔長(同一の一〇〇丁裏)、ポラロイド写真による子宮・卵巣の計測値(同三、六、甲サ六七の27)、摘出臓器の重量(甲カ11の一の九七丁表)から、子宮・卵巣が特に異常な大きさとは認められない。

なお、子宮については筋腫核があった可能性があるが、手術の適応がある大きさとは認められず、開腹したことによって手術をするにしても当該部分を核出すれば足りたもので、また、両側卵巣については、手術の開腹所見として、ただPCOであるとの記載があるが、肉眼上PCOと認めた具体的根拠は記載がなく、前記ポラロイド写真上は何の異常も認められないものである(同六)。

以上を要するに、同原告につき、入院させ、開腹手術をしたことには合理性が認められず、開腹後全摘手術に及んだことにも合理性が認められないものである。

(八) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中担当医として診断を下し、検査処置の指示をして、診察し、手術の助手を務めた被告F、MEを操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中内診と子宮卵管造影検査をし、検査処置の指示をし、手術で執刀医を務めた被告B、入院中検査処置の指示や診察をした被告C、入院中診査掻爬と診察をし、手術に麻酔医として加わった被告Dの、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(九) 同原告は、夫と共に挙児を希望し、むしろ妊娠を求めて富士見病院を受診したのに、逆に、全く前記のとおりのME検査とコンサルを受けて、適応が認められない子宮及び両側付属器摘出の手術を受けさせられ、子供がないまま永久に妊娠と出産の可能性を奪われたものであり、手術後、性交痛等で夫との性生活も著しく損なわれ、のぼせ、発汗、疲れやすい、眼が疲れる、冷え、右半身のシビレ等、基本的に卵巣欠落症状と思われる後遺症に悩まされ続けている。

同原告の右被害についての慰謝料としては一三〇〇万円、弁護士費用としては一三〇万円が相当である。

12 原告番号14の<氏名略>について

(一) 原告<14>(昭和二四年一月二八日生。手術時二六歳。挙児一名)は、夫と共に二人目の子を強く欲しがっていたところ、昭和五〇年一一月一三日の朝少量の性器出血があったことから、同日富士見病院を訪れ、外来患者として被告Cの診察を受けた。同被告の所見は、「子宮前傾前屈、その大きさは鵞卵大ないし超鵞卵大、硬度は一部軟、一部硬、両側付属器マイナス、リビド色プラス、びらんプラスマイナス、分泌物血性少量」というもので、診断は「子宮筋腫の疑いプラス、切迫流産の疑い」で、ただし、ゲステート検査で妊娠反応はマイナスというものであった(ゴビナス検査の結果は明確でなかった。)。同原告は、その際、被告Cから、尿検査の結果では妊娠はしていない旨告知された上、「出血については詳しく調べて見ましょう」と言われ、翌日、被告AのME検査を受けた。

同原告は、右ME検査に引き続いて行われたコンサルの機会に、被告Aから「子宮筋腫が極めてひどく、卵巣も駄目かもしれない」と告げられ、「手術が必要なので、ご主人を連れてもう一度来院してほしい」と言われた。そこで、同月一七日ころ、原告の夫<氏名略>とともに被告Aのコンサルを受け、同被告から「ひどい子宮筋腫で卵巣も悪く、急いで手術を受ける必要がある」と言われたが、同原告は、強く挙児を希望し、子宮は温存し、少なくとも片側卵巣は残すという前提で、卵巣に関する手術を受けるべく、同月一八日富士見病院に入院した。なお、同原告は、同被告が医師であると信じていた。

しかし、入院後、子宮卵管造影検査等を実施され、その結果、子宮卵巣全摘出手術を強く勧められ、やむを得ずこれに同意し、同月二九日子宮及び両側付属器を摘出する手術を受けた。なお、入院時同原告には相当の貧血があり、入院中及び手術時かなりの輸血をした。

同原告は、同年一二月一三日に退院したが、以後昭和五四年二月一七日までホルモン注射を受けるため通院を続けた。

(甲カ14の一、四、第六七回口頭弁論期日における同原告本人)

(二) 同原告の子宮卵管造影検査には、子宮筋腫を疑わせる陰影欠損が認められず(甲サ六七の21、甲カ14の六)、摘出臓器のポラロイド写真(同三の1ないし3、五)にも異常を確認することができない。両側付属器の重量込みで一二〇グラムという子宮重量も、成人の経産婦の子宮重量として異常とはいえない(同六。丙カ14の二で被告Cは、通常の重量(三〇グラム)の四倍もあるから子宮筋腫等を強く裏付ける旨述べているが、採用することができない。)。仮に子宮筋腫が実在したのであれば、摘出臓器を切開して筋腫核の確認をすべきであるのにしていないし、手術記録(同一の四七頁)中には、子宮の大きさが手拳大とされているのみで、肝心の手術目的である子宮筋腫自体についての観察、検証に係る記載が全くないというのは極めて奇異である。子宮卵管造影法による検査結果(甲カ14の二の1)によれば、被告Cが述べる(丙カ14の二)ように、子宮が不整形であることが認められるが、同被告は被告AのME検査等をも参考にして手術の適応を判断したことを述べており、右ME検査が信用することができないものであることは前記二のとおりであることを考え併せ、右のような内容の手術記録と対比するとき、それのみではにわかに子宮筋腫があったとは認められないというほかない。

また、右子宮卵管造影法による検査結果によれば、同原告の卵管に疾患があったことがうかがわれるが、卵巣については、術前に異常を疑わせる所見がない(甲カ14の一の1の一頁、八頁、同二の三四頁、三八頁等)。そして、摘出臓器のポラロイド写真上も卵巣に異常のあったことを確認できない(同三の1ないし3、五、六)。被告Bも、第九九回口頭弁論期日における証人尋問において、同原告が卵巣嚢腫であったという陳述書の記載(乙カ14の一)が誤りであるとしている。

飯塚鑑定(甲サ六七の21)によれば、同原告の貧血、性器出血等は腺様増殖症によるものと思われるとのことであり、そうであったとしても、挙児希望があれば、ホルモン療法をし、経過観察をすべきものであり(甲カ14の六)、右飯塚鑑定も「(同原告の)年令、児の数(挙児を希望)、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せて考察すると、子宮、卵巣ともに温存する必要があり(右卵管については、卵管開口術を試みるべきである。)、全摘手術の適応が不適当と考えられる」としているものである。

(三) 被告Bや被告Cは、事前の触診で同原告の子宮が大きく、不正出血、貧血があり、子宮卵管造影法等による検査結果でも異常が認められ、手術後の観察でも癒着等の異常があったとし、同原告の挙児は不可能であったとする(乙カ14の一、丙カ14の二)が、右飯塚鑑定や佐々木意見のとおり、直ちに全摘手術をしなければならないような適応はいまだ到底認められないのであって、同原告が、まだ若く、強く挙児を希望していることなどからすれば、より慎重に対処し、挙児希望が真実無理なものかどうかについて十分に検査し、最善の手立てを尽くした上で確定しなければならなかったものである。

したがって、同原告に貧血症状、少量の性器出血があり、同原告の卵管等には異常があったとしても、例えば卵管開口術を試みるとか、ホルモン療法を試みるとかすべきであったものであり、直ちに子宮及び両側卵巣の全摘手術をしなければならないような症状があったとは到底認められず、それにもかかわらず右手術がされたのは、前記二に述べた富士見病院における診療システムによったからであるというほかない。

(四) 同原告に対する医療行為に関与した被告医師らは、当時在職した全医師である。主として被告Cであるが(甲カ14の一、二)、手術は被告Bが執刀し、被告Cが助手を勤め、かつ、麻酔を担当している(同一の1の四四頁)。また、被告E(同一の2の三五丁、三九丁)、被告D(同三七丁)も診療に関与している。

(五) 同原告は、強く挙児を希望し、被告Aらにその旨を強く訴えていたのに、被告Aの前記のような脅迫的な言辞により、手術を承諾させられ、結局、直ちにする必要がなかったのに、子宮両側卵巣単純全摘出術によって挙児能力を奪われたものである。右術後、身体がカーツと熱くなる変調をしばしば感じ、ひどい肩凝りに悩み、目眩があり、かつホルモン注射をすることを余儀なくされている。

同原告の慰謝料としては一二〇〇万円、弁護士費用としては一二〇万円が相当である。

13 原告番号15の<氏名略>について

(一) 原告<15>(昭和一八年二月八日生。手術時三二歳、挙児二名)は、癌検査、接触出血及び下腹痛を主訴として(甲カ15の一の一四丁。なお、七丁は本件についてのカルテではない。)、昭和五〇年二月一八日富士見病院を訪れ、外来患者として被告Bの診察を受けた。その内診所見は、「子宮は前傾前屈、やや大、硬い。付属器は触れない。膣分泌物は白い。びらんはダブルプラス(記号)」というものであり、同被告の診断は、「子宮筋腫」であった。内診の終了後、被告Bは、同原告にME検査を受けるよう指示した。

被告Aは、同日、同原告につきME検査を実施し、その際、「こんなに悪いですよ」「癌かもしれない」「めちゃくちゃですよ」などと言い、ME写真コピーの余白に、「両側卵巣のう腫。子宮は余り大ではないが、卵巣の異常ガスで両方共に子宮の両わきに下っている。筋腫もあると思いますのでこれを検査して下さい」などと記載し、また、右ME検査終了後、同病院理事長室において、同被告を医師であると誤信している同原告に対し、「貴女の卵巣は腐っている。子宮筋腫もできている。早く手術をしないと命は保証できない」「手術をすれば体の調子も良くなり、夫婦関係も良くなるし、若返る」「アメリカでは、子供を産み終わるとどんどん子宮を取ってしまう。余計なものは置かない方が体のために良い」などと告げた。(同四、第五九回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告は、右富士見病院における診断を聞いて、癌ではないかと不安になり、同月二七日、訴外癌研究会附属病院にて診察を受けたところ、子宮膣部びらんと診断され、その際の担当医師(藤本医師)に、前記被告Aからの説明を告げたが、同医師は子宮・卵巣ともに異常がない旨述べた。

しかし、同原告は、右病院では内診のみの診察しか受けておらず、ME検査をした富士見病院の診断の方が確かかもしれないと考え、手遅れになることを恐れて、前記訴外病院での細胞診の結果を待たず、同年三月三日に富士見病院に入院した。

(三) 入院当日の三日に血液検査、同月五日に子宮卵管造影検査が行われ、同月八日、「子宮筋腫・両側卵巣嚢腫」との診断の下に、被告Bの執刀で、単純子宮全摘手術、両側付属器摘除術がされた。手術時の所見は、「子宮は手拳大で、まるく硬い。びらんがある。卵巣はのう腫で、右が大」というものであった。

(四) 同原告の子宮卵管造影の結果(同二の1、2)及び血液検査の結果(同一の三九丁)では格別の異常が認められず、摘出臓器の重量(同四七丁)からして子宮、卵巣は正常な大きさであった。また、同原告が、癌ではないかと不安になって、同年二月二七日に受診した前記癌研究会附属病院の藤本医師の診断も、「子宮膣部にびらんを認め、細胞診施行陰性であった」というものであり(同三)、同原告の子宮、卵巣は、子宮膣部びらんが存していたとうかがわれる以外、診療過程において格別の異常は認められなかったものである(同五)。

同原告は、同年三月二二日に退院したが、肩こり、頭痛、疲れやすいなどの症状があり、昭和五五年九月六日まで、一か月に一回ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院し続けた。

(五) 同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、入院中の検査処置の指示、手術の執刀をした被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に前記のような診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告Aの外、入院中の受持医として診察をした被告E、診察、手術の助手(同一の四七丁)をした被告Cである。

被告Dの直接の関与は不明である(麻酔担当者は同被告でないかとうかがわれるが、明らかでない。)ので、前記の理由によって、同被告は同原告につき責任を負わないものとする。

(六) 同原告は、医師であるかのように装った被告Aから前記のようないい加減な説明を受けたため前記手術をすることを決意させられ、手術の必要がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め、不要な入院、治療、肩こり、頭痛、疲れやすいなどの被害を受けており(同四、前記同原告本人)、これについての慰謝料としては九〇〇万円、弁護士費用としては九〇万円が相当である。

14 原告番号16の<氏名略>について

(一) 原告<16>(昭和二四年八月三〇日生。手術時二八歳。挙児なし)は、最初挙児希望で富士見病院を訪ね、昭和五二年三月一七日に富士見病院で両側卵巣部分切除(富士見病院における「卵巣整形」)の手術を受けた(甲カ16の一の七九丁に手術記録がある。甲カ16の五の佐々木鑑定は手術の適応がないとしているが、請求原因は次の「頸管縫縮手術」のみであるので、両側卵巣部分切除の当否については論じない。)

その後、妊娠の指導を受けるため通院していたところ、同年七月一九日、妊娠が疑われ、同月二三日、妊娠検査の結果により妊娠と診断された。

同年九月一七日、被告Cの指示により、被告AのME検査及びコンサルを受け、同被告から、「妊娠は順調だが、子宮口が開いているので、今は大丈夫でも将来流産し易いから「縫縮」をした方がよい」などと言われ、これに従い、同月二一日入院し、翌二二日、マクドナルド法による頸管縫縮手術を受け(同一〇三丁にその手術記録がある。)、同年一〇月一日退院した。

昭和五三年三月一一日、通常分娩にて三五八〇グラムの女児を出産した。なお、昭和六〇年に通常分娩で男児を出産した。

(同一、四、第六七回口頭弁論期日における同原告本人)

(二) 頸管縫縮手術は、頸管無力症による流早産を予防するため、他に特別の原因がないのに妊娠四か月以降の流早産を繰り返したり、あるいは明らかに頸管の開大傾向が見られる場合に行われる(甲アEの一一、甲カ16の五の「鑑定の細目第二」)が、同原告には流早産の既往はなく、診療録によっても妊娠は極めて順調に経過しており、流早産の徴候は全くなく、明らかな頸管拡大をうかがわせる所見もなかった(同一の一〇丁、一一丁)。したがって、同原告が受けた頸管縫縮手術は不要な手術であったというべきである。

(三) 右の点に関して、同原告の主治医として診察し前記手術を執刀した被告Cは、同原告の子宮腟部が短小であり、子宮筋腫でもあったことを理由として右手術を正当化する(丙カ16の二、第七六回口頭弁論期日における同被告本人尋問調書一二頁、一三頁)。

しかし、子宮腟部は子宮頸部のほんの一部であり(甲アAの一の一七頁)、子宮腟部が短小であることも子宮筋腫であることも頸管縫縮術の適応ではないものである。加えて、同被告の子宮筋腫という診断自体、被告AのME検査に依拠するものであって(同被告は、前記「卵巣整形」の手術に際しては同原告につき「筋腫様子宮」という曖昧な診断をしていたものである。)、その存在及び内容などについて明確な診断根拠が認められないのである。

したがって、子宮筋腫であったからとして右頸管縫縮術を正当化することはできないのであって、結局、被告Cは、必ずしも必要でないことを認識しながら右手術をしたものというほかない。また、被告Aは、同原告につき前記二のとおり違法なME検査及びコンサルをし(甲カ16の一の四四丁)、同原告の右入院手術に加担したものである(同四)。

その他の被告医師らについては、直接関与が認められないので、前記の理由によって、同原告については責任を負わないものとする。

(四) 同原告は、不要な頸管縫縮術により身体に無用の侵襲を受け、また、不要な入院、治療により経済的損害を被ったものであるが、右手術が全く無駄な手術であったといえるのか必ずしも明らかでないことと、無事出産し、その後、格別の支障を来してないことからして、右についての慰謝料としては一〇万円、弁護士費用としては一万円が相当である。

15 原告番号17の<氏名略>について

(一) 原告<17>(昭和一五年一月一五日生。手術時三九歳。挙児二名。四回妊娠し、最初の二回は流産で、その後帝王切開による二児を得た。)は、昭和五四年一月二二日、癌検診及び外陰部のかゆみのため、富士見病院を訪れ、同月二四日入院し、同月三一日、腹式子宮膣上部切断術及び両側付属器摘除術を受け、同年二月二四日に退院し、以後同年一二月一八日まで、一か月に一回ホルモン注射を受けるため通院を続けた。

同原告は、同年一月二二日の右初診時に被告Fから「少し子宮が大きいから」と言われてME検査を受けるよう指示された。同原告の同被告に対する主訴は「外陰のかゆみ」「帯下」「帝王切開後月経長引く」というもので、同被告の内診所見は「子宮前傾前屈、超鵞卵大、球状で硬く、筋腫様、付属器触れず、膣内容物白色増加、子宮膣部正常、外陰発赤あり、炎症性」というものであった。なお、同原告は概して丈夫であって、右初診時、同原告には、月経過多症、月経困難症、下腹痛、頻尿などの症状はなく、入院後の血液検査でも貧血はなかった。

同被告の指示によって同原告は同日被告AによるME検査を受けたが、その直後のコンサルにおいて、同被告から「子宮筋腫だ。放っておくと癌になる。いつ爆発するか保証できない。その時は野たれ死にだ」などと告げられた。

同原告は自分が健康であったことから同被告の右「診断」を疑い、夫にも相談したが、その後、夫も同被告のコンサルを受け、結局、入院して右手術を受けることにしたものである。

同原告の手術時の病名は「子宮筋腫、右卵巣嚢腫、左卵管瘤血腫」というもので、手術時、腹腔内にはやや血性の腹水があり、子宮は超手拳大から次小児頭大(二二五グラム。ただし、麻酔記録によって両側付属器の重量二三グラムを控除すると、二〇二グラム)であった。

(甲カ17の五、乙カ17の一の1、2、二、第六二回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告は、受診時に外陰部のかゆみのほかには格別の身体的異常を感じておらず、子宮卵管造影の検査結果(甲カ17の一の1、2)、血液検査の結果(乙カ17の一の1の六九丁、七七丁、八四丁、八七丁)にはいずれも異常がなく、子宮消息子診による内腔長(乙カ17の一、一六七丁表裏)も通常であり、ポラロイド写真(甲カ17の二)による子宮の計測値からして、同原告の子宮体部の表面は平滑で変形もなく、筋腫核も認められず、大きさも8.0センチメートル×8.5センチメートルとそれほど大きくはなかったものであり、卵巣については、右ポラロイド写真には嚢腫が認められず、前記二三グラムという重さは正常範囲であった(同六「鑑定の細目6」)。なお、同原告は、身長一五三センチメートルで、体重六三キログラムという肥満であった。

したがって、子宮が重いということのほかには、同原告の子宮、卵巣には格別異常が認められなかったというべきである。なお、卵巣出血や左卵管瘤血腫があったとしても、卵巣摘出の適応とならない。そして、子宮についての右重量は、必ずしも子宮筋腫を示すわけではなく、同原告の場合には子宮体肥大症の可能性が最も高く、その場合でも月経過多症、月経困難症、貧血、下腹痛などの症状が強ければ、手術の適応があるが、同原告にはそのような症状がなかったものである。

(以上の全般につき同六)。

(三) 右の点に関して、同原告の執刀医であった被告Bは、右のとおり摘出臓器が二二五グラム(両側付属器を含む)であったことを論拠に、同原告の子宮、卵巣の全摘手術が正当であったと主張するが、前記の理由によって、右の重量のみから同原告に対する前記手術を正当化することは到底できないものといわざるを得ない。

(四) 同原告に対する医療行為には、初診被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、手術の助手をした被告F、入院中の検査処置の指示、診察、手術の執刀をした被告B、超音波診断措置を操作し、同原告に対し前記のとおりのコンサルをした被告A、入院中の検査処置の指示をした被告C、入院中の検査処置の指示、手術の麻酔をした被告D、入院中の検査処置の指示をした被告Gで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(五) 同原告は、前記経緯によって、十分な確定診断がなく、明確な手術の適応が認められないまま、富士見病院における前記診療システムによって、被告Aから「子宮筋腫だ。放っておくと癌になる」などという説明を受けて手術を決意させられ、前記手術を受けたものであり、摘出臓器の喪失の外、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を受け、術後には、肩こり、性欲減退などの症状を覚えるものである(同五、前記の同原告本人)。

右被害に係る慰謝料としては七〇〇万円、弁護士費用としては七〇万円が相当である。

16 原告番号19の<氏名略>について

(一) 原告<19>(昭和一七年一月一二日生。手術時三六歳。挙児四名。昭和四四年生の最初の子はミルクによる窒息で生後五日で死亡。その後の三児はいずれも富士見病院で出産)は、昭和五三年三月一四日少量の接触出血を主訴として富士見病院を訪れ、同月一八日「子宮筋腫」ということで前記「術前A」で入院し、同月二八日「子宮筋腫、右卵巣出血」ということで腹式子宮全摘除術及び両側付属器摘除術を受け、同年四月一五日に退院し、以後昭和五五年七月まで二、三か月一回位の頻度でホルモン注射を受けるため富士見病院に通院して治療を受けた(富士見病院からは毎月来るように言われたが、毎月ホルモン注射をすると癌になると耳にしたので、頻回にホルモン注射をすることを避けたものである。)。右手術後、同原告には、腰痛、のぼせ、発汗、性交痛などの症状がある。

同原告は、初診時に被告Bの診察を受け、五、六分の診察の後、「検査のため、MEを受けなさい」と言われてME検査を受けるよう指示された。同被告の内診所見は「子宮前傾前屈、鵞卵大、硬い、付属器触れない、びらんダブルプラス」というものであった。

同日、同原告は、被告Aから同検査を受けた際に、「子宮も卵巣もひどいのですぐ手術をしなさい。放っておくと癌になる」等と告げられ、入院して右の手術を受けた。同被告のME検査「所見」は「子宮筋腫、卵巣嚢腫(外妊の疑い)」というものであった。右のとおり、同被告は同原告に対し、ME検査中から「子宮も卵巣もひどいのですぐ手術しなさい」などと申し向け、検査終了後も、医師の判断を仰ぐこともなく、同原告とその夫に対し、「一日も早く入院して手術を受けなさい。放っておくと癌になる」などと申し向けて、入院と手術を決定し、かつ、患者に対する指示を自ら行なったものである。

被告Bは、被告Aの右措置に従って同原告を入院させ、右手術をしたものである。

(甲カ19の一ないし三、第五一回口頭弁論期日の同原告本人)。

(二) 同原告は、受診時、少量の接触出血のほかには格別の身体的異常を感じておらず、富士見病院における内診(同一の二丁表)、血液検査の結果(同六一丁、七一丁)及びポラロイド写真による摘出物の外観(同二)でもいずれも異常がなく、子宮消息子診による内腔長(同一の八一丁裏)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値(同二、四の「鑑定の細目9」)、摘出臓器の重量(一二八グラム。同一の七六丁表)からして、子宮及び卵巣が正常な大きさの範囲内であった。同原告には、子宮膣部びらんが存し、右接触出血はそのためと考えられる。なお、子宮頸癌の疑いが全くないわけではない(被告Bは、右子宮膣部びらんが「前癌状態」であったとしている。)ところ、そうであれば、そのための検査をしなければならない。同原告については、初診時に膣内細胞塗抹検査がされたと記載されているが、その結果は記載されていない。また、入院後、診査掻爬、診査切除がされているが、その検査結果の記載もない(被告Bは、この点について、佐々木鑑定書(同四)がカルテを精査していないと非難している(乙カ19の一)が、佐々木が非難しているのは、検査結果の記載がなく、そのような検査結果を検討した上で手術の適応が判断されていないということであるから、右非難は失当である。同被告において右のように「前癌状態」であり、「癌」の疑いがあったというのであれば、手術後の病理検査等も必要なはずであるところ、されていない。)。ちなみに、入院中、同原告に対し、輸血がされ、肝庇護剤タチオンが手術前日まで投与され続けているが、富士見病院における検査数値からして無用のものであった。

被告Bは、その陳述書(同一)において、同原告との間の信頼関係について述べており、その点については理解できないわけではない(三児の出産につき富士見病院の世話を受けたことは、当初から同原告も陳述書に記載しているものである。)が、手術の適応に関する限り、右陳述書において同被告が述べるところは、要するに子宮筋腫があり、子宮膣部びらんがひどければ子宮全摘除術及び両側付属器摘除術の適応があるという、前記二で検討した同被告独自の見解を披露しているにとどまる。同被告において、医師としての良心にかけて子宮全摘除術をするときには両側付属器摘除術もすべきであるというのであれば、実際どうしても手術をしなければならない子宮筋腫であるのかどうか、核出術では足りず、子宮全摘除術でなければならないのかどうかについて、医師として誠実に慎重かつ十分に判断する必要があるはずである。しかるに、同被告は、前記のとおりの被告Aの非医学的なME検査「所見」に基づく富士見病院の診療システムに依拠して、診療をしていたものであって、その上で、被告Bのような見解によって積極的に子宮全摘除術及び両側付属器摘除術をするということは、およそ許されないことというべきである。同被告は、同原告についての前記診療が富士見病院における診療体勢を示す良い例であるとしているが、右陳述書において同被告が述べるところは、論理のすりかえと居直りとしか認められず、同原告の場合を子細に見れば、富士見病院において医学に十分な根拠の認められない子宮全摘除術及び両側付属器摘除術がされていた悪い典型例の一つというべきである。

以上を要するに、同原告については、入院の必要性も手術の必要性も全くなかったのに、被告Aによる前記のME検査「所見」と富士見病院における診療システムによって無用な入院手術がされたものというほかない。

(以上の全般につき甲カ19の四の佐々木鑑定書)。

(三) 同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、手術の執刀をした被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に医師であることを装って根拠の認められない診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の子宮卵管造影検査や子宮消息子診をし、手術の助手をした被告F、入院中に診察をし、手術時には麻酔医として加わった被告D、入院中診察し、びらん洗浄をした被告Cであり、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 右のとおり、同原告は、被告Aから「子宮も卵巣もひどいのですぐ手術しなさい。放っておくと癌になる」などという根拠のない恫喝的な説明を受け、無用な不安と恐怖を煽られた上、無用な腹式子宮全摘除術及び両側付属器摘除術という不当な身体に対する侵害を受けたもので、術後のホルモン注射等の治療を強いられ、かつ、激しい腰痛、のぼせ、発汗、性交痛などの症状を来している。

同原告の右被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

17 原告番号20の<氏名略>について

(一) 原告<20>(昭和二一年三月一八日生、手術時二九歳。挙児なし。手術当時肥満体で体重八〇キログラム。同原告は、昭和四〇年ころ、一九歳時に、九州の病院で左卵巣の摘除術と盲腸の手術をされていた。)は、昭和五〇年八月二五日以来四か月近く生理を見なかったので、同年一二月二二日、これを主訴として、富士見病院分院を訪れ、被告Dの外来診察を受け、挙児希望であることを述べた。しかし、尿検査上妊娠反応はマイナスであった。同被告の診断は「卵巣機能不全症」というものであったが、同原告は、同被告から、病状、診断について告げられず、本院でME検査を受けるよう指示された。

同原告は、仕事(都内新宿所在のパチンコ店の景品交換業務)の都合で同月二九日に本院で被告AのME検査とコンサルを受けることになった。これに引き続いて行われたコンサルにおいて、同原告は同被告から「子宮も卵巣もグチャグチャで、手術をしなければもう一か月もしたら癌で死んじゃうよ。急いで主人を呼びなさい」などと言われ、子宮卵巣の全摘出手術を勧められた。同原告に仕事があり、どうしても子が欲しいなどというと、結局、それではとにかく検査のために入院し、入院は門松がとれてからでもよいということになった。

同原告は、昭和五一年一月八日に入院し、同月二一日子宮全摘除術及び及び右卵巣全摘出手術(左卵巣は前記のとおり当時既になかった。)を受けた。

同原告に対する医療行為には、当時富士見病院に在職した全医師が関与している。前記のとおり被告Dが外来初診を担当し(甲カ20の一の九丁)、入院時の医師指示をなし(同四、一月八日欄)、同月九日の子宮卵管造影検査を担当している(同二の一一九丁)。また、被告Bは、同月一〇日に内診をし(同一一九丁、)、同月一九日、二一日の両日に細胞診をし(同一一五丁、一一六丁)、手術の執刀をしている(同一一一丁、乙カ20の一)。被告Cは手術の助手をし、同月一〇日には基礎体温を測定し、同月一九日腎孟撮影等を担当している(甲カの一の2の一一一丁、一二二丁、一三六丁)。また、被告Eは、同月二二日、二三日に診療している(同一二三丁)。

被告Bは、当初、同原告につき「卵巣整形」をしても妊娠の可能性はなく、子宮につき手術の必要がないと考え、その旨をコンサル用紙に記載して被告Aに伝えたのであるが、同月一三日と一九日の二度にわたる子宮膣部細胞診の結果、前者がクラスⅢ、後者がクラスⅣ(パパニコロウの分類によれば「悪性が強く疑われる異型細胞を認める」)であったことと、被告AのME検査「所見」及びコンサルの結果等を斟酌して、前記手術をすることとしたものである。なお、被告Aにおいては、このような病理組織検査の結果をまたずに、前記のとおり、ME検査のみで、同原告の子宮や卵巣が癌であるかのように「診断」し、医師であるかのように装って同原告にこれを告知していたのである。

同原告は、同年二月一一日に退院したが、以後昭和五四年九月二四日まで、ほぼ毎月一度の割合でホルモン注射を受けるため通院を続けた。

(同五、第六四回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告の子宮卵管造影検査では子宮は正常な逆三角形をしており、子宮筋腫を疑わせる陰影欠損が認められず、摘出臓器写真(同三の1ないし3)にも異常は認められず、右側付属器の重量込みで三〇グラムという子宮重量は正常な重量であり(同一の2の一一一丁)。大きさの点でも「8.0×5.3」センチメートルであって正常範囲である(甲サ70の二、甲サ67の二〇の飯塚鑑定、甲カ20の六の佐々木鑑定書)。

また、術前に右卵巣の異常を疑わせる所見は認められない(同一の2の一一九丁、一二一丁)。右卵管は通過性があり(同二の1)、摘出臓器写真上も卵巣の異常は認められない(同三の1ないし3、同六)。大きさも「1.8×5.3」センチメートルと正常範囲である(甲サ70の二)。

(三) 結局、本件は、約四か月にわたり生理を見なかったこと、細胞診でクラスⅣの結果が出たということで、子宮及び右卵巣の全摘出手術をしたことになるところ、一月一三日と一月一九日の二度にわたる子宮膣部細胞診の結果は、前者がクラスⅢ(甲サ73「疑陽性・異型細胞を認める」)、後者がクラスⅣ(同74「ほぼ悪性と認める」)で、二つの結果が一致していない上、補助的検査法にすぎない細胞診によりクラスⅣの結果(パパニコロウの分類によれば「悪性が強く疑われる異型細胞を認める」)が出たからといって、それだけで子宮の摘出手術の適応となるわけではない。

すなわち、診査切除、コルポ診下の狙い切除、円錐切除等の方法により切除した組織につき病理組織検査を行い、悪性像を確認しなければならないのに、これを怠って右手術に及んだものであり、しかも、手術後、病理組織検査によって右のような悪性像は否定されているのである(甲サ73ないし76)。

なお、飯塚鑑定(甲サ六七の20)は、同原告について、摘出した子宮及び卵巣の病理組織学的検索の結果は①多嚢胞卵巣症候群、②異形成上皮、③腺筋症(同七五、七六)とした上で、「年令、児を得ていないこと、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せ考察すると、細胞診クラスⅣの段階で、狙い組織診を行って病変の範囲を確認し、子宮の温存をはかるため、ストルンドルフ氏手術を試みて、その病理組織診断の結果、必要に応じて子宮及び卵巣の全摘手術を決定すべきであり、経過を観察して後に、その手術の適応としても良かった症例と考える」とするものであり、当裁判所もこれに従うものである。加えて、筒井証言(同七八の1ないし4)は、同原告につき子宮膣部びらんがあったとしても、子宮頸部の円錐切除術をし、癌かどうかの確定診断をすべきであり、これをしないで子宮全摘除術をすることは許されないと述べている(各所で関係する証言をしているが、同3の速記録二九ないし三九参照)。

(四) 以上によれば、同原告には疾患があり、右手術を受けなければ、出産することができたかどうかはもとより不明であるが、同原告に子がおらず、挙児を強く希望していたのであるから、同原告の右希望に沿うべく最善の診療をするのが医師や病院のはずであるのに、被告Aらは富士見病院における前記診療システムの一環として安直に右手術をしたものというほかない。同原告は、術後、身体が疲れやすく、仕事をしていると立ち眩みのために倒れそうになったり、偏頭痛、肩凝り、腰痛、高血圧症等に悩まされ、余りにも身体がきついということで昭和五四年二月に退職した(同五)。

以上に係る同原告の被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

18 原告番号21の<氏名略>について

(一) 原告<21>(昭和一五年一二月二三日生。小学校四年生のころ左卵巣を摘出した。手術時三四歳。挙児二名)は、昭和四九年一二月一二日、褐色の帯下が少量あり、下腹部が少し重い感じがし、癌も心配だったので、右症状を主訴として、新聞の折込広告で立派な機械のある設備の整った病院と思っていた富士見病院を訪れ、被告Dの診察を受け、同月一六日入院し、同月二〇日、子宮全摘除術及び右側付属器摘除術を受け、昭和五〇年一月三日退院したが、以後同年五月まで、一か月に一回ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院した。その後は別の医院でホルモン注射を受けていたが、癌になると聞いて、つらいのを我慢して間隔を少しずつあけて、昭和五七年ころホルモン注射をやめた。

同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼(甲カ21の六の1)、入院中の検査処置の指示(同一四丁)、診察(同三六丁)をし、手術で麻酔を担当(同四一丁)した被告D、入院中の検査処置の指示(同一四丁)、診察、処置(同三六丁、三七丁)、手術の執刀(同四一丁、四二丁)をした被告B、ME検査及びコンサルをし同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中、検査処置の指示(同一四丁)、診察(同三六丁)をした被告C、同じく入院中、診察(同三七丁)をした被告Eという、当時富士見病院に在職していた医師ら全員が関与している。

右二月一二日の被告Dの初診の内診所見は「子宮前傾前屈、超鶏卵大、固い、リビドなし、小さなびらん、両側付属器触れない」というものであった。同被告は、診断を「筋腫の疑い」としたが、同原告が「癌が心配」と言ったので、「心配ならMEを受けるように」と指示した。

同日、被告AからME検査を受けた後のコンサルにおいて、同被告は「子宮筋腫、卵巣のう腫、手術しなくてはいけない」とか「腸が癒着し、手術しないと腸がつまり便が出なくなる、筋腫をとらないと癌になる」などと告げた。驚いた同原告は、同月一四日夫と共に再度同被告のコンサルを受けたが、右同様のことを言われ、結局入院し手術を受けることを承諾した。(同四、第六四回口頭弁論期日における同原告本人)。

手術は被告Bがしたが、「子宮筋腫、右卵巣腫瘍」ということで右手術をしたものである。

(二) しかし、同原告は、富士見病院における内診(同一の一丁、三六丁、三七丁)、子宮卵管造影の結果(異常な像がなく、形態も正常である。同二の1)、血液検査の結果(同一の三〇丁)にはいずれも異常が認められず、子宮消息子診による内腔長(8.5センチメートル。同九丁)、ポラロイド写真による子宮、右卵巣の計測値(9.5×5.5センチメートル。同三の1ないし3、同五の「鑑定の細目6」、甲サ六七の「第3章第2節」)、摘出臓器の重量(全部で一四〇グラム。甲カの一の四一丁)から、同原告が二回の経産婦であることを考慮すると、子宮、右卵巣の大きさには異常がなかったというべきであり、同原告の診療過程において格別の異常は全く認められなかったというべきである。そして、手術時所見においてさえ、子宮筋腫についての筋腫結節や卵巣嚢腫についての腫瘍などを示す記載がなく(同四二丁)、子宮、右卵巣は正常であったというほかない(以上の全般につき同五)。

同原告についての飯塚鑑定(甲サ六七の16)によれば、「年令、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せ考察すると、子宮及び卵巣に関する手術適応が不適当と考えられる」とされている。

(三) なお、同原告につき、被告Dは「一一月二四日褐色帯下半日位少量」と記載しているにすぎないにもかかわらず(甲カ21の一の一丁)、被告Bは、これを、初診時「一一月二四日から一か月近く不正出血が続いている」として、その症状を誇大に主張している(乙カ21の一の二枚目裏)。やむを得ない人情というべきかもしれないが、重大な医療侵襲をしていた医師としては不誠実というほかなく、同被告の手術所見が必ずしも誠実かつ正確に観察記載されたものではないことを疑わせる一つの徴表といわざるを得ない。

(四) なお、同原告につき、被告Dは、初診において「筋腫の疑い」とは記載しているものの、子宮の大きさは超鶏卵大であり、同原告には「異常ないですよ」と告げ、到底子宮筋腫と診断できる根拠を有していなかったのに、入院のための診断としては「子宮筋腫 卵巣嚢腫」と記載しているところ、この診断は、同被告が被告Aに診断及び手術の要否の決定を委ね、同被告のME検査及びコンサルの結果に従い記載したこと、ひいては、入院、手術は被告Aによって決定されていたことが明らかである(甲カ21の六の1)。また、手術を執刀した被告Bは、手術所見の大部分を「ゆ着」の記載に費やしているところ(同一の四二丁)、同原告のカルテに「ゆ着」をうかがわせる記載は被告Aの超音波検査結果にしかなく(同三丁)、被告Bの右所見も被告Aの超音波検査結果に従ったと見るのが相当である。要するに、被告Dも、同Bも、被告Aの「子宮筋腫、右卵巣のう腫、ゆ着」の「診断」に従い、不要な手術と認識しながら同原告に子宮、右卵巣の全摘手術をしたのであり、他の医師らは、前記(一)のとおり同原告に対する医療行為に関与して被告D、同Bの右行為に加担したものである。

(五) 同原告は、被告Aから前記のとおりの出鱈目な説明を受けて脅かされ、手術を決意させられ、手術の必要がない子宮、右卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのものの外、術後のホルモン注射を含め不要な治療を強いられ、手術後のめまい、耳なり、頭痛、性交痛などの症状があるものである。

同原告の右被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

19 原告番号22の<氏名略>について

(一) 原告<22>(昭和二一年一一月一二日生。手術時三二歳。挙児一名)は、昭和五四年七月一七日右下腹部に鈍い不快感を感じていたため、富士見病院を訪れ、同日、被告Bによって、「子宮前傾前屈。右付属器周辺抵抗あり。分泌白色。びらん」との内診を受け(甲カ22の一の一丁)、「子宮筋腫の疑い」としてME検査に回され、ME検査を受けた後、医師であると同原告が誤信していた被告Aから、「卵巣が腫れている、卵巣嚢腫である、手術して悪いところをとらねば水がたまり、命にかかわる」「お腹が破裂する」「子宮筋腫が大きく、とらねばガンになる」と告げられ、同月二一日入院した(同原告は、小学校の教員であったため、夏期休暇に入るのを待って入院したものである。)。

そして、手術の前日である同月二六日の再度ME検査の後、被告Aから再び「卵巣が悪く、子宮を含めて全部摘出しなければ命にかかわる」と告げられたが、強く挙児を希望していたので、子宮、卵巣の全部摘出を拒絶しその手術については免れたが、両側卵巣の一部について手術を受けることを承諾し、被告Bによって、同月二七日「両側卵巣楔形切除術」「円靭帯短縮術」の手術を受けた。

同原告について、ME検査には被告Aのほかに被告Gが立ち会ったが、同被告は何もせず、ただ立ち会っていただけである。そして、被告AのME写真コピーには実に沢山の「所見」が記載されており、例えば、「右OV(卵巣の略記)は血腫と溜水と二つに肥大し癒着している」「筋腫肥大量は少ない」という医学的に理解不能のものや、「左は包皮硬い」「子宮は硬い」などと超音波断層診断法では分からないことまで記載されていたが、被告Gはこれを放置していたものである。

一方、右のようなME写真コピーの記載と逆に、被告Bの手術記録(甲カ22の四)の記載は極めて簡単なもので、同被告は、同原告を「子宮後傾後屈、子宮筋腫、右卵巣嚢腫」として手術したのであるが、子宮の位置、方向が異常であることを示す記載が一切なく、子宮についてもそれが鵞卵大というほかには症状について何らの記載がなく、要するに、同原告についての初診内診所見と手術時の診断と手術所見との間には、大きな差異があり、それだけでも、ほとんど出鱈目な診療がされたのではないかということを強く疑わせるものである。

同年八月一四日退院した後、昭和五五年八月一六日まで通院の上ホルモン注射等を受けた。

(同六、第五三回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 被告Bは、同原告に初診以来右付属器に敏感性圧痛があったこと、手術時に右卵巣より出血していたことを確認したとして、両側卵巣の楔形切除を合理化する(乙カ22の一)。

しかし、診療録上初診時所見として「右付属器付近に抵抗あり」という以上に、同被告が主張するような「右付属器に敏感性圧痛」があった旨の記述は存在していない(甲カ22の一の一丁)上、右付属器部分の「抵抗」なるものは卵巣嚢腫の診断の根拠たりうるものではない。また、そもそも、次のポラロイドによる手術写真からは同被告が主張する出血も血腫も認められず、また、同被告は同原告が「月経困難症」を主訴としていた旨を述べているが、初診のカルテに何らそのような記載はなく、同原告本人の陳述書からしても右は虚偽であり(同六、七の「鑑定の細目6」)、同被告の右弁解は容易に採用することができない。さらに、生化学検査の結果、炎症性疾患の存在が認められないことによっても(同一の四九丁)、同被告の弁解は認め難い。

加えて、そもそも、同被告が両側卵巣に対して行ったのは両側卵巣楔形切除術であって、それは不妊治療として用いられるものである(証人佐々木静子の第三九回及び第四〇回口頭弁論の結果)ところ、同原告は不妊ではないから、右手術はほとんど意味がなかったものである。

(三) 右のとおり、同原告の両側卵巣には、いずれもその一部を切除する手術を要するような異常が認められず、同原告が受けた前項の手術は正常な両側卵巣からその一部を切除したものというべきである。すなわち、同原告は、受診時に右下腹部に鈍い不快感を感じていたというほかには、何ら身体的異常を感じておらず、富士見病院における、子宮卵管造影術の結果(同二の1、2)、血液検査の結果(同一の四九丁、五〇丁、五五丁)でもいずれも異常がなく、カルテに添付されている手術中のポラロイド写真によって確認しうる両側卵巣の形状(同三の1ないし3、同七の「鑑定の細目6」)、国分寺中央病院の医師松本賢一の診察結果(同五)からして、同原告の両側卵巣にはいずれも異常が認められなかったというべきである(以上の全般につき同七)。

(四) そして、同被告が両側卵巣一部切除と同時に行った円靭帯短縮術は、前記のとおり、かつて後傾後屈の位置、形状にある子宮に対する不妊治療として行われたものであるが、手術前の内診所見においては、同原告の子宮は「前傾前屈」と診断されており、円靭帯の短縮を行わなければならないような位置形状にはなく(同一の一丁)、被告Bの手術記録中には前記のとおり右に関する記載がないのであって、同原告が子宮後傾後屈症であったとは到底認められず、右手術は明らかに不要な手術であったというべきである(同七の「鑑定の細目8」)。

(五) 同原告に対する医療行為に関与したのは、被告B、入院中の検査の指示及び検査、処置、手術の助手、麻酔医をした被告F、入院中の検査、処置をした被告C、前記のとおりのME検査及びコンサルをした被告A、ME検査に立ち会い、診察、処置、手術の麻酔医をした被告Gで、当時富士見病院に在職した医師のうち被告D以外の全員が関与した。

(六) 同原告は、被告Aから「手術して悪いところをとらなければ、命にかかわる」などという虚偽かつ脅迫的な説明を受けて、前記のとおりの無用な開腹切除手術を強いられたものであり、手術後、足腰が疲れやすい、肩こりがひどい、髪が抜ける等の症状を覚えているものである(同六、七の「鑑定の細目9」、前記同原告本人)。

右の同原告の被害についての慰謝料としては三〇〇万円、弁護士費用としては三〇万円が相当である。

20 原告番号23の<氏名略>について

(一) 原告<23>(昭和二〇年二月一八日生。手術時三二歳。挙児二名。一二歳と八歳の女児)は、昭和五二年七月二〇日、前々回の月経に至る一か月間、月経周期が乱れて不正性器出血があったので、その検査目的で、友人の原告<1>に勧められた富士見病院を訪れ、被告Fの診察を受けた。その内診所見は「子宮は、前傾前屈、亜鵞卵大、かたい、圧痛あり。両側付属器は触れない。子宮膣部びらんあり。膣内容物は白色増量している」というものであった。

同原告は、病状、診断内容等につき同被告からは明確な説明を受けないまま、「超音波検査をしてみましょう」と言われ、被告Aによる超音波検査を受けた。その後、同被告から「子宮筋腫で、卵巣嚢腫であり、もう一度手術するつもりなら卵巣を片方残すが、両方取っても害はない」「ホルモンは卵巣だけではなく、副腎からも出ているから大丈夫」「アメリカでは皆卵巣をとっていても元気でバリバリ働いている」などと告げられ、超音波断層診断装置が立派で、その日までは同被告が医師であると誤信していたので右「診断」を信用した。

同原告は、その翌日、夫と共に再度コンサルを受けた際、同被告から「自分は医者ではないが、ME検査については日本一だ。朝日新聞に勤めていたので写真の腕はプロ級だ。早く入院した方がよい」などと言われ、同被告を信用して同日入院して右手術を受けることにしたものである。

(甲カ23の一、五、第五二回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告の手術についての被告Fの弁解は、要するに「子宮筋腫」と診断したというものであり、手術時「子宮筋腫」「卵巣嚢腫」が認められたというに帰する(己カ23の一)。

しかし、同被告は、どのような子宮筋腫や卵巣嚢腫が認められたというのか、何ら具体的に述べないのであり、要するに、何らかの子宮筋腫、卵巣嚢腫がありさえすれば、全摘手術が許されることを前提とするにほかならない。右の前提が採用の限りでないことは前記二のとおりである。

その上、被告Aの超音波検査の結果に従って被告Fが記載したと認められる入院時の「子宮筋腫」の記載(甲カ23の一の一六丁表)のほかには、手術までの間、同原告のカルテに同被告が主張するような「子宮筋腫」という診断の記載はなく、手術所見ですら「筋腫様」という表現にとどまっている(同四一丁裏)。

同原告についての被告AのME写真コピー五葉からは何も判読できないものであり、かつ、これに付記されたME検査「所見」は例によって曖昧で、しかもME検査では分からない「炎症強度」との表現が二箇所あり、要するに症状をいかにも悪いかのように誇張し、結局ほとんど虚偽に近いものとなっていたのである。すなわち、このME検査「所見」が結果的に正しいかどうかにかかわらず、およそ医師がこれに依拠して診断することは許されないものであった。

後記のとおり、同原告については、被告AのME検査「所見」及びコンサル以外には、入院して検査しなければならないような症状は認められなかったのに、被告Fは、被告AのME検査「所見」及びコンサルに従って、同原告を入院させ(入院が初診の翌日であるという経過から明らかである。)、手術を受けさせたものというほかなく、医師として許されないものである。

(三) 同原告は、同月二一日入院し、同年八月三日、子宮及び両側付属器を摘除する手術を受けたが、同原告に対する医療には、初診、被告Aへの超音波検査の依頼、入院中の検査処置の指示と検査(子宮卵管造影、診査切除、子宮消息子診、診査掻爬)、診察、手術の執刀をした被告F、ME検査及びコンサルによって虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中診察をした被告B、同じく入院中診察をし、かつ、手術の助手をした被告C、入院中診察、洗浄をし、手術で麻酔を担当した被告Dで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

なお、同原告は、同月一八日に退院、以後昭和五五年八月一八日まで、一か月ないし三か月に一回、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院を続けた。

(四) 同原告が、初診の前々回の月経時に受診した他医の所見では、子宮は正常、付属器は触れず、診断は腟炎と腟部びらんであり(同四)、同原告は同医師より、子宮筋腫ではないと言われた(同五、前記同原告本人)こと、初診から手術まで何の症状もないこと、子宮卵管造影の結果(同二の1、2)、血液検査の結果(同一の一二丁、二九丁、三六丁)にはいずれも異常がなく、子宮消息子診による内腔長(八センチメートル。同四四丁、四五丁裏、四六丁表)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値(子宮が6.5×5センチメートル、右卵巣が1.5×3センチメートル、左卵巣が2×2.5センチメートル。同三、甲サ六七の13「第3章第2節」)、摘出臓器の重量(左右の卵巣を含めて全部で一〇八グラム。甲カ23の一、四一丁表)、手術所見における両卵巣の大きさの記載(同四一丁裏)から、子宮、卵巣が正常な大きさであったというべきである。

結局、同原告には、子宮腟部びらんが存していたとうかがわれるほかには、診療過程において格別の異常は認められなかったというべきであり、子宮全摘除術及び両側付属器摘除術についての適応はなかったというほかない(以上の全般につき、同六)。

同原告についての飯塚鑑定(甲サ六七の13)でも、「年令、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せて考察すると、子宮及び卵巣に関する全摘手術の適応が不適当と考えられる」との意見であって、同原告についての全摘出手術が不要な手術であったとされている。

結局、被告Fは、同原告が子宮筋腫かどうかも分からず、子宮腟部びらんしか認めなかったにもかかわらず、被告Aの「子宮筋腫、卵巣のう腫」という「診断」に従い、不要な手術と認識しながら同原告に子宮、卵巣の全摘手術をしたというほかない。他の医師らは、前記二のとおりの富士見病院における診療システムに従って加担したものである。

(五) 同原告は、被告Aから「子宮筋腫、卵巣嚢腫であり、再度手術するつもりなら片方の卵巣を残すが、両方とっても害はない」などというでまかせの説明を受けて無用な入院及び手術を決意させられ、本件手術を受けたものであり、摘出臓器の喪失そのものの外、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を強いられ、術後、顔のほてり、無気力、頭痛、などの症状がある(同原告の陳述書、前記同原告本人)。

右に係る被害についての慰謝料としては、九〇〇万円、弁護士費用としては九〇万円が相当である。

21 原告番号24の<氏名略>について

(一) 原告<24>(昭和一一年五月一三日生。手術時三八歳。挙児二名。妊娠希望なし)は、昭和五〇年四月二八日生理時に下腹痛があったことから、富士見病院を訪れ、被告Cの診察を受けた。同原告は、その一〇年以上前から生理時に下腹痛があったが一日か二日で治まっていた。同原告は、前年(昭和四九年九月)に夫が入院していた東京都内飯田橋所在の厚生年金病院で右下腹痛について診てもらい、「子宮筋腫があるかもしれないが、もう少し様子をみてみましょう」と言われていたので、右初診時そのことを同被告に告げた。同被告の内診所見は「子宮は前傾前屈・手拳大・硬い、付属器は触れない(触れにくい)、リビド色なし、びらんダブルプラス、分泌物は血性」というものであった。同被告は、「子宮筋腫」と診断して、同原告に対し、ME検査を受けるよう指示した。

同日、同原告は、被告AによるME検査を受け、その後のコンサルにおいて、同被告から、「子宮筋腫です。卵巣腫瘍もある、右側の卵巣はもう崩れてほとんど何もない状態ですよ。放っておくと一週間で癌になってしまいます。早く入院して、手術を受けてください。ご主人と相談して早く来なさい」と言われた。右のME検査におけるME写真コピー五葉からは何も判読できず、ME検査「所見」には、他の多くの場合と同様に、同原告の症状がいかにも悪く、「癒着」「付着」「肥大」などの様子がオーバーに記載されている。被告医師らは、被告Aの右所見を信用していなかったのか、その後、入院から手術に至るまでの間、卵巣嚢腫についての記述が見当たらない(このようなことは、同原告のみではない。前記「術前A」検査と同様に、子宮筋腫さえあれば、両側付属器摘除術もすることが原則化していれば、確かに卵巣のことは良くても悪くてもいいことになるから、これが原則化されていたことを強くうかがわせる一例である。)。

同原告は、同年五月一日に夫と共に再度同被告のコンサルを受けた。そこでも同様のことを言われて、同被告を医師と誤信し信用していた同原告は、結局手術を受けることにし、一週間後に入院する予定とした。しかし、同原告は、同月二日から生理が始まり、出血が大変多かったので、生理痛が続く同月五日に富士見病院に電話して事情を告げ、すぐに入院させてもらった。入院時の病名は「子宮筋腫、貧血」であり、入院後の同月八日「カンジダ性膣炎」が加えられた。

そして、同原告は、諸検査及び輸血を受けた後、同月一四日子宮全摘除術及び両側付属器摘除術を受け、同月二八日に退院した。その後、昭和五一年一月五日まで月一回程度ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院した。

同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査措置の指示、手術の助手をした被告C、ME検査及びコンサルをし、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中同原告を診察し、手術の執刀をした被告B、診察した被告D、診察をし手術の麻酔医をつとめた被告Eである。

(なお、同原告は、その陳述書(甲カ24の二)において、被告Cらから診断内容や手術の内容について何も聞かされずに、手術されたかのように述べているが、カルテ(同一、丙カ24の一)及び被告Cの陳述(同二)に照らして、にわかに採用することができない。もっとも、同被告が佐々木鑑定書(甲カ24の三)に対して、同原告に前記「カンジダ性膣炎」のあったことを見落としていると非難しているのは、筋違いである。カンジダ性膣炎があるからといって、子宮全摘除術及び両側付属器摘除術が正当化されることはあり得ないからである。)

(二) 右手術については、以下の理由によって、同原告の子宮は、直ちに手術を必要とするほどの異常があったとは容易に認められず、なく、また、卵巣にも格別の異常があったとは認められず、それにもかかわらず、同原告は、被告Aから、前記のとおり、「子宮筋腫]で、卵巣がいかにも重篤で、すぐにも癌になるかのように脅かされ、結局子宮及び両側付属器を摘出されたものである。

しかし、同原告は昭和五〇年当時二児の経産婦で、富士見病院の受診以前は、生理時に下腹痛があったものの特にひどいというものではなく、前記入院の直前を除いて、月経時の出血は多少通常よりも多いか通常かという程度であって、その他には、格別の自覚症状はなかった(同一、三)。

同人の摘出臓器の重量は、全体で一七〇グラムであり(同一の五丁)、これによれば子宮重量は一四〇グラムと推定される(同三)が、同原告が二児の経産婦であったことからすると異常というほどの重さとは認められない。同原告の子宮について、手術時の所見に「手拳大」との記述があるが、他の患者の例からしてその記述には必ずしも信憑性がないし、仮にそうであったとしても、手拳大であれば、直ちに子宮全摘除術が是認されるわけではなく、手術時の所見には、粘膜下筋腫などという子宮の病変を具体的にうかがわせるような記述は全く見られない。

入院直前の生理(五月二日ころ)には同原告は多量の出血があり、五月五日の血液検査でヘモグロビンの値が6.6グラム/デシリットルであった(通常の約半分の値)が、この貧血は前記の出血の直接的影響によるものと十分に考えられ、同原告の貧血は輸血によって検査結果が向上しているところ、被告医師らは入院中に貧血の原因を検査、検討しておらず、この貧血を子宮、卵巣の器質的異常と断定する根拠もない。結局同原告は、富士見病院に入院した際には、生理時の下腹痛以外に他に強い自覚症状もなく、子宮に何らかの病変が仮に存在すると疑われたとしても、同原告に対し子宮筋腫と診断して直ちに子宮を摘出する必要は全くなかったというべきである。なお、同原告につき入院中試験掻爬がされているのに、その検査結果は見当たらず、被告医師らが入院中の検査結果を十分に考慮することなく、前記被告A及び被告Bの独自の見解に従って、極めて安直に子宮全摘除術及び両側付属器摘除術に及んでいたことを如実に示しているというほかない。

また、両側付属器については、同原告のカルテには受診時から手術時まで一貫して異常を指摘する記述は存在せず(同一。五月七日の内診でも「付属器は触れない」とされており、手術も「子宮筋腫」として手術されたものである。)、卵巣には格別の異常が認められなかったというほかない。しかるに、手術は両側付属器摘除術もすることが決定されていたものであり、これらが前記富士見病院における診療システムに従ってされたものであることは明らかである。

なお、手術時の所見(同一の五二丁)には、右側の卵巣について「ピンポン大」との記載があるが、これは具体的な病変を記述するものではなく、他にこれを裏付ける資料も根拠も示されておらず、卵巣の異常を正当化するものではない。仮にピンポン大との記載が卵巣嚢腫を示すものであったとしても、嚢腫の核出手術にとどめるべきであり、いずれにせよ両側の卵巣を全部摘出したことは到底相当と認められない(被告Cは前記陳述書において、被告Bが描いた左右の卵巣の大きさがほぼ同じであるから、左側の卵巣もピンポン大だったはずである旨主張するが、仮にそうであったとしても、そのようないい加減な手術所見及び記載方法の下に両側付属器摘除術がされることは許されないことというべきである。)。

(三) 被告Aらは、同原告の入院時のヘモグロビンの値が前記のとおり正常値の二分の一であったことをもって、同原告は子宮筋腫であった(第九三回口頭弁論期日における被告Bの尋問調書一六ないし一八丁)としているが、前記のとおり、同原告の貧血は輸血によって検査結果が向上しているし、被告医師らは貧血の原因を調査するための検査は行っておらず、それをもって直ちに子宮筋腫によると断定することには何ら医学的根拠が認められない。また、開腹時の所見に「腹腔内に出血(黒赤色)」とあることをもって、右出血が筋腫からの出血であり、これにより貧血が生じたと主張するようであるが、カルテには出血の量を示すような具体的な記述もなく、これをもって出血が子宮からあったとすることはできない。

(四) 同原告は、Aから「右側の卵巣は、もう崩れてほとんど何もない状態ですよ。放っておくと一週間で癌になってしまう」などと非医学的な出鱈目の説明を受けて手術を決意させられ、折柄前記の多量の出血があったことから、自ら予定を早めて入院し手術を受けたものであるが、いまだ手術の必要のない子宮及び卵巣を摘出されたものであり、これらの喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め、不要な入院、治療を強いられ、手術後の慢性的な頭痛、イライラなどの症状があり(前記同原告本人の陳述書)、これらの慰謝料としては五〇〇万円、弁護士費用としては五〇万円が相当である。

22 原告番号25の<氏名略>について

(一) 原告<25>(昭和一八年七月二〇日生。手術時三二歳。挙児なし。挙児希望)は、昭和四二年一一月婚姻し、四回妊娠したが、最初の三回は流産し、四回目は昭和四九年に妊娠七か月で帝王切開をしたが死産で、他医から次の妊娠まで少し間を置いた方がよいと言われて、避妊リングを入れていた。

昭和五一年五月二四日、遠い親戚に当たる被告法人の専務理事のMから富士見病院によい機械があると紹介されて、挙児希望を主訴として富士見病院を訪れ、被告CからME検査を受けるよう指示された。なお、同被告は主訴を「挙児希望、習慣性流産」としたが、その内診所見は「子宮は後傾後屈、やや大、固い。付属器は触れない。びらんプラスマイナス。分泌物漿液性」というもので、「昭和四九年に避妊リングが入れられたまま」と記載した。同原告の後記入院中の二回の内診では子宮は前傾前屈とされているから、同被告の右「子宮後傾後屈」という内診は疑問があるが、主訴が挙児希望である以上、まず避妊リングを抜去すべきであった。そして、習慣性流産というのみでは子宮筋腫、子宮腺筋症の診断はできないから、まずその原因(頸管無力症が一般的であるが、子宮筋腫、子宮奇形、頸管裂傷等の疑いもある。)を、外来で経過観察しつつ、貧血などの検査をすべきであった。

同日、同原告は被告Cの指示に従って、被告AによるME検査を受け、その後のコンサルにおいて同被告から、「あんた、五年くらいしか生きられないよ。子宮の中に肉の固まり、筋腫がいっぱいできている。手術して取りなさいよ、子宮全部」などと告げられた。同原告は、同被告を理事長で医師であると考えていたので、「五年くらいしか生きられない」と言われてショックを受け、その翌日夫と共に再度同被告のコンサルを受け、前日と同様のことを言われて、結局入院し手術を受けることとした。同被告のME写真コピーは何も判読できないものであり、同日のME検査「所見」は「子宮筋腫。両側卵巣嚢腫(拡大少ない、左卵巣肥大多い)。子宮は筋腫がかなり発達して後屈、骨盤に癒着。その他子宮の上部周囲癒着多い」という趣旨の、分かりにくいものであった。しかし、被告Cは、被告Aの右措置に従い、初診の診断を「子宮筋腫、卵巣嚢腫」とした。

同原告は、同月二七日入院したが、被告Cは、被告Aの右決定に従い、入院時の診断を「習慣性流産、子宮筋腫、卵巣嚢腫」とし、入院時に「術前A」(全摘目的)を指示した。

同原告に対する医療行為には、手術の執刀、入院中の検査処置の指示を行った被告B、初診、入院中の検査処置の指示、子宮卵管造影検査、避妊リング除去術、診査掻爬、手術の助手をした被告C、ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の診察を行い、手術の麻酔医を務めた被告Eである。

なお、被告Fは右手術の約二日前から当時富士見病院に勤務するようになったもので、右医療に加担したとは認められないから、右につきいまだ責任を負うべきものと認められない。また、被告Dについても関与が不明であるから責任を負うべきものと認められない。

同年六月九日、被告B、被告Cらは、同原告に対し、子宮膣上部及び両側付属器摘除手術を行い、これによって同原告は出産することができなくなった。同原告は、同月二三日に退院したが、以後ホルモン注射のために昭和五五年八月一六日まで月一回くらいの頻度で通院した。

(甲カ25の一、四、五、第六九回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告は、過去に流産を経験したことがあるだけで、受診時には何らの身体的異常も感じておらず、富士見病院における前記内診(同一の1の一丁)、血液検査の結果(同一の四八丁、五五丁)、子宮卵管造影の結果(同三)及びポラロイド写真による摘出物の外観(子宮に筋腫結節が認められない。卵巣は左右とも表面が平滑かつ均質で、嚢胞性変化が認められない。出血も認められない。手術記録中の「左卵巣一部出血」というのは明らかに誤りである。同二)でもいずれも異常が認められず、子宮消息子診による内腔長(七センチメートル。同一の六六丁裏)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値(子宮が4.0×5.0センチメートル程度。子宮壁は1.7センチメートル程度。右卵巣は1.5×1.5センチメートル。左卵巣は2.5×2.0センチメートル。同二、同五の「鑑定の細目6」)、摘出臓器の重量(六〇グラム。同一の六一丁表)からも子宮及び卵巣が正常な大きさで、同原告の子宮及び卵巣はいずれも正常であったというべきである。(以上の全般につき同五)。

(三) 右のとおり、同原告に対する右子宮膣上部及び両側付属器摘除手術は、被告Aが決定し、被告B、被告Cらがこれに従って手術をしたものというべきである。この点に関して、被告Cは、昭和四八年ころから昭和五二年ころまでは同被告自身がME検査を担当していたと陳述し、富士見病院の診療システムが被告AのMEとコンサルを骨格としていた事実を隠蔽しようとしていた(丙サ1「平成八年四月二四日付けの同被告の陳述書」第五項。実際には、前記認定のとおり、昭和四八年前半までであり、遅くとも同年一〇月ころからは被告Aが担当していたものであり、そのことは、第一〇四回口頭弁論期日における同被告本人尋問で同被告自身が認めている。その尋問調書二七頁)。

(四) 被告Cは、その陳述書(丙カ25の二)において、子宮卵管造影法による検査結果で子宮陰影が凹凸であり、避妊リングの除去及び試験掻爬においても子宮内面が凹凸で、平滑でなくゴリゴリしていたこと、摘出臓器が子宮全部の重量でないのに六〇グラムあったことからして、子宮筋腫、卵巣嚢腫であったとするが、同原告は子宮卵管造影法による検査を受けた日にはまだ避妊リングをしていたのであって、それによって不整形となっていた可能性が高く、同被告がその点について言及しないのは不当であり、いずれにしても、前記その余の事実関係を総合すると、同被告の弁解は採用することができないものである。なお、摘出臓器が子宮全部の重量でないのに六〇グラムあったからといって、子宮筋腫といえないことは前記一で見たとおりである。

なお、被告Bは、その陳述書(乙カ25の二)において、同被告が子宮筋腫であったと決め付けた上、手術をしていないものが左卵巣の一部出血を虚偽というのは許されない、同原告は妊娠が恐くなって両側付属器摘除術を受けることを承諾したものと思う、全摘手術後一定期間ホルモン補充療法をしていれば「筋腫担体」の人よりもはるかに元気で、同原告にとってよかったと思いますなどと、他の場合と同様に独自の医療観を開陳している。しかし、同原告は挙児希望で富士見病院を訪ねたのであって、同被告の右陳述は、手術が密室でされることに安心して、弱い立場にある患者を馬鹿にし、誠実な医療とおよそ無縁で、到底人を納得させ得ないものというほかない。

(五) 同原告は、被告Aから「五年くらいしか生きられないよ」などの虚偽の説明を受けて、無用な不安と恐怖を煽られた上、手術の適応がないのに、被告医師らによって開腹され子宮膣上部及び両側卵巣を摘出されるという不当な身体に対する侵害を受けたものであり、術後のホルモン注射等の不要治療、立ち眩み、強度の頭痛、疲れやすい、性欲の減退といった損害ないし症状を被っているものである。

右被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

23 原告番号26の<氏名略>について

(一) 原告<26>(手術当時二七歳。昭和四五年二月に婚姻し、当時既に七歳、五歳、二歳の子があった。)は、昭和五三年四月二三日からの五日間の月経後生理がなく、少量の帯下があったので、同年七月一四日、第四児を出産するつもりで、妊娠の有無を確認するため、つわり様症状と少量の帯下を主訴として、富士見病院を訪れ、外来患者として被告Bの診察を受けた。なお、同原告は、当初の同年六月二〇日、二児の出産をした近所の双愛病院産婦人科で受診し、翌日ゴビナス検査をすることになったのである(甲カ26の二)が、原告<42>から富士見病院にMEといういい機械があるなどと勧められて富士見病院を訪ねることにしたものである。

同原告は、初診時に被告Bに対し、つわり症状のあることなどを訴え、妊娠でないかと尋ねたが、同被告はこれに直接答えず、「あんたの子宮は筋腫ができている。いい機械があるから検査して貰いなさい」と告げた。その際の同被告の内診所見は、「子宮前傾前屈、超鵞卵大、硬い、両側付属器は触知し得ない。膣部びらん強度。分泌物白色性」というものであり、同被告は、医事相談指示票に、「子宮筋腫、要入院手術、四週間」と記載して、ME検査とともにコンサルの実施を依頼した。

右被告Bの指示を受けた被告Aは、同日、同病院の超音波検査室において、同原告にME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に、「子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮筋腫及両側卵巣のう腫。更に溜水腫がある。子宮には凸状物がつき出ている、右側へ」などと記載し、また、右ME検査終了後、同病院理事長室において、同原告に対し、医師であるかのように装ってコンサルをし、その結果を担当医師に報告するため、前記医師相談指示票の相談課説明内容欄に「来週(月)七月一七日午前一〇時入院来院の事、全摘目的、主人と両親が来院して具体的に話しを伺いたいとの事にて全摘に対する説明を良く話した。大変良くきき、了解し是非宜しくご配慮下さいとの事。来院したら当方」などと記載し、これを医師に回付した。

同被告は、右コンサルに際して、同原告に対し、「筋腫もあるけど、卵巣が腐っていて、早く手術しないと死んでしまう」「卵巣は、片方はブドウ状で、もう片方は風船のように腫れている。ブドウ状になっている方は穴があいていて、お腹の中に血膿みが溜まっている」「このままでは二、三週間の命だ」などと出鱈目なことを述べて、同被告を医師と誤信した同原告に入院を承諾させたものである。(同五)

同原告は、右コンサルの結果のとおり、同月一七日に入院し、同月二五日被告Bから子宮及び両側付属器を摘除する手術を受け、その後もホルモン注射を受けるため、一月に四ないし一回の割合で、昭和五五年八月一六日まで富士見病院に通院して治療を受けた。

(二) 同原告は、月経の遅れ・吐き気等のつわり様症状と少量の血性帯下があっただけで、他に子宮筋腫や卵巣嚢腫を疑わせる症状はなかった(同五)。

富士見病院における内診(同一の1の一丁表)からしても、「超鵞卵大」という子宮の大きさは妊娠の疑いが排除されない限り直ちには異常とはいえず(なお、卵巣には異常が認められていない。同六の「鑑定の細目1」)、また、血液検査(同一の六二丁表)や、子宮消息子診による内腔長(同七七丁裏、七八丁裏)、ポラロイド写真による子宮・卵巣の計測値等(8×5.5センチメートルで西洋ナシ状。同七五丁裏、同六の「鑑定の細目8」、甲サ六七のの「第2節」)、摘出臓器の重量(一二五グラム。甲カ26の一の九四丁裏、八三丁表)から、子宮・卵巣が正常な大きさであったというべきであり、同原告の子宮・卵巣には異常が認められないものである(同六の「鑑定の細目8」その他)。

なお、カルテ上、同原告につき子宮卵管造影法検査(ヒステロ)がされたような記載があるが、検査中に同原告が嘔吐して検査が中止され、その後検査がされなかったので、結局、子宮卵管造影法検査の結果については記載がないものである。また、手術記録中に卵巣について「cyste」という嚢胞ないし嚢腫を現わす記載があるが、その具体的な状態について何ら記載がなく、病名欄にも記載されておらず、他の多くの患者原告らの場合と同様に一律に記載されたものとうかがわれ、信用することができない。

同原告につき、飯塚鑑定(甲サ六七の10)は、「年令、児の数(挙児を希望)、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せて考察すると、子宮、卵巣ともに温存する必要があり(卵管については、卵管開口術を試みるべきである。)、全摘手術の適応が不適当と考えられる」としている。

(三) 同原告に対する医療行為には、右の被告B及び被告Aのほかに、入院中、受持医として検査処置の指示、腎盂撮影検査、診査切除・診査掻爬・子宮消息子診、診察をし、手術で助手をした被告F、入院中検査処置の指示、診察をした被告C、入院中、診察をし、手術で麻酔医を務めた被告Dという、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与しているものである。

(四) 同原告は、被告Aから「早く手術しないと死んでしまう」などの虚偽の説明を受けて不安を煽られ、前記二の富士見病院における診療システムによって、必要の認められない手術を受けて、女性にとって極めて重要な臓器を失い、永久に妊娠と出産の可能性を奪われたもので、術後のホルモン注射を含め不要な入院と治療の負担を受けたものであり、かつ、術後に、頭痛、肩凝り、のぼせ、イライラ、目眩、吐き気、声嗄れ等の卵巣欠落症状に苦しみ、性交痛等で夫婦関係にも支障が出て、結局夫と別居するに至ったものである(同五、第五六回口頭弁論期日における同原告本人)。

右被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

24 原告番号27の<氏名略>について

(一) 原告<27>(昭和一二年七月一日生。初診時三七歳。手術時三八歳。挙児二名)は、昭和四八年一〇月三一日及び昭和四九年三月一九日に国立西埼玉中央病院で子宮膣部びらんと診断され、治療を受けたが、昭和五〇年五月二一日ころ、ごく微量の性器出血があったことなどから、友人に相談したところ、富士見病院には日本に数台しかない優秀な機械がありなんでも分かると勧められ、同月二四日、「下腹痛、性器出血(接触)」を主訴として、夫と共に富士見病院を訪れ、被告Eの診察を受けた。(同原告は、第六四回口頭弁論期日におけるその本人尋問において、下腹痛がなく、同被告に対してそのようなことは言ってないというが、同被告が初診の主訴について「二、三日前から左下腹痛」と勝手に書いたとは容易に考えられないので、右のとおり主訴があったこととする。)

同被告の初診の内診所見は、「子宮は次鵞卵大。後傾後屈。付属器は左が少し触れる」というもので、同原告は同被告から「筋腫のようだ。MEの検査を受けるように」と言われ、被告AのME検査を受けた。同原告は、白衣を着た被告Aを当然医師であると誤信し、同被告が陰毛を安全カミソリで剃ることに苦情を述べなかった。

ME検査後のコンサルにおいて、同被告は、同原告に対し、いきなり「子供をおろしたことがあるだろう」と言い、そのようなことはなかったので同原告が否定すると、「子宮筋腫だ。卵巣も腐っている。前癌状態だ。すぐ入院して手術した方がよい」などと言い、同原告が子がいるので六月にしてほしいというと、「六月では遅い。手術するときれいになる。アメリカでは大勢の人がとって若返っている。費用は分割払でもよい」などと言って同原告を説得した。結局、同原告は、同被告に説得され、同日、入院して手術を受けることを承諾した。なお、同原告についてのME写真コピー五葉(甲カ27の二の五丁)は他の場合と同様に何も判読できないものであり、付記されたME検査「所見」は「子宮筋腫」「卵巣異常」で、両側卵巣が「ガム状」、「炎症と癒着(ただし、スケッチに付記されているのであるが、どの部位なのか、「筋腫」がそうだというのか、よく分からない。)」というものであったが、被告Eは、被告Aの右ME検査「所見」及びコンサルに従うことにしたものである。

そして、同月二六日入院したが、入院中輸血をし、不調であって、なかなか手術に至らず、一時帰宅を要望したが、認められず、結局、同年七月二日に、子宮及び両側付属器を摘出する手術を受け、同月二三日に退院した。右退院後も、昭和五二年六月四日まで、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院を続けた。

(同一、二、九(同原告の陳述書)、前記の同原告本人)

(二) 同原告の医療行為には、初診、AへのME検査依頼、入院中の受持医として検査処置の指示、手術の麻酔医を務めた被告E、入院中の診察、検査指示、手術の執刀をした被告B、超音波診断措置を操作し、同原告にいい加減な診断を告げ、同原告に入院・手術を受けることを決意せしめた被告Aのほか、入院中の処置(戊カ27の二の二丁、四丁、一〇丁)、手術の助手を務めた被告C、同じく入院中の処置(同七三丁、七四丁)をした被告Dで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(三) 同原告は、受診時、ごく微量の性器出血以外は格別の身体的異常が認められず(ただし、下腹痛については前記のとおりである。)、富士見病院における内診(甲カ27の一の一丁。なお、入院後の五月二八日六月一三日の内診で「付属器は触れない」とされている。)、子宮卵管造影の結果(同五ないし七)、血液検査の結果(若干貧血気味だが、日常生活に格別の支障はない。同一の六〇丁)でも格別の異常が認められず、子宮消息子診による内腔長(八センチメートル。同六七丁)、ポラロイド写真による子宮、卵巣について筋腫核、嚢腫等が認められないこと(同三、四、一〇の「6」)、摘出臓器の重量(両側付属器を含めて一〇〇グラム。同一の七七丁。手術記録には「手拳大」とされているが、右重量からして、他の場合のように、そのように書いただけと疑わざるを得ない。)から、子宮、卵巣が正常な範囲内の大きさであったと認められ、結局、子宮膣部びらんの疑いがある以外(同一丁)、同原告の診断過程において格別の異常はなかったのであり、同原告について前記手術をしなければならない必要はなかったというほかないものである(以上の全般につき、同一〇の佐々木鑑定書)。

飯塚鑑定(甲サ六七の18)でも、「年令、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せ考察すると、子宮及び卵巣に関する全摘手術の適応が不適当と考えられる」として、同原告に対して行われた子宮及び卵巣の全摘手術が不要であったことが明らかにされている。

(四) 同原告につき初診等を担当した被告Eはカルテに「子宮筋腫」と記載し(甲カ27の一の二丁)、被告Bも同様にカルテに「子宮筋腫」と記載している(同七八丁、二の一丁)が、前記のとおり、これらのカルテ記載は十分な医学的根拠に基づくものではなく、被告Aの前記のとおりいい加減なME検査「所見」及びコンサルの結果に従い記載されたものであり、同原告の入院、手術も実質的に被告Aによって決定されたというほかない。

(五) 同原告は、被告Aから前記のとおりの説明を受けて手術を決意させられ、手術の適応がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を強いられ、術後全身の疲労感、老人性白内障、脱毛、発汗などの損害ないし症状を受けているものである(同九、一〇、前記同原告本人)。

右についての慰謝料としては九〇〇万円、弁護士費用としては九〇万円が相当である。

25 原告番号28の<氏名略>について

(一) 原告<28>(昭和二一年一一月一六日生。手術時三二歳。挙児二名)は、昭和四八年六月に長女、昭和五〇年九月に二女を出産し、その後経口避妊薬を長期間服用していたが、昭和五四年春に男児を希望して服用を止めた。右の長期間服用について肝機能検査をしてから受胎した方がよいと言われて、同年五月他医で肝機能検査を受けたところ異常がなく、間もなくして月経が回復した。同年一〇月、数日前から白っぽいおりものがあり、経口避妊薬の長期服用による影響か、あるいはその中止によるものか、肝機能への影響と関係があるのかなどと心配して、生理の二日目の同月一二日、富士見病院を訪れた。なお、同原告には月経過多、月経困難の症状はなかった。

初診は被告Fであったが、その主訴は「肝機その他精査希望」というもので、初診カルテには診断の記載がなく、内診所見は「子宮は、前傾前屈、やや大、球状、筋腫様。子宮膣部は肥大、炎症性。膣内容物は、血性、水性」というものであった。同原告は、同被告から子宮膣部びらんと告げられ、しばらく洗浄に通うようにと言われて、二回目の通院日を同月一五日と決めた。

同日、富士見病院を訪ねると、洗浄、タンポン挿入後、同被告は、同原告に対し、突然「手術日は何時ですか」と尋ね、驚いた同原告が「そんなに悪いのですか」と問い返すと、同被告は格別の説明をせずに、「この病院はコンサルタント形式ですから、説明はそちらで受けてください」と言って、被告AのME検査及びコンサルに回された。

被告Aは、「これはひどい」「大変だ、ひどい」などとつぶやきながらME検査をした上で、同被告を医師であると誤信している同原告に対し、「子宮に筋腫がある。卵管も癒着している。腐っている。ほうっておくと癌になる。手術した方がよい。もう二人も子供がいるし、三人目も女の子だったら仕方ないだろう。子宮をとった人は皆美人になっている」などと告げた。驚いた同原告がその後被告Fに尋ねると、同原告は、「手術を何時でもよい。でもやはり早くした方がいいでしょう」と言われて、同原告はそれには応じないようにして、膣洗浄のために通院を続けた。

そして、富士見病院の別の医師の意見を聴こうと思い、通院日を被告Fが担当でない日に調節し、八回目の通院となる一〇月二七日、被告Cに自分は手術する必要があるのかと質問したところ、担当医でないからと言われて何の説明もされずに同月二九日にME検査をするようにと言われた(甲カ28の一の一八丁裏)。

同日通院すると、被告Fは洗浄のみで、何も説明をすることなく同原告を再びME検査に回し、右検査後、被告Aは、検査結果をひらひらさせながら、「子宮筋腫があり、卵管が癒着している。放っておくと癌になる。早く手術しないと大変なことになる」「アメリカでは子供を産み終えた人は皆全摘手術をしている」などと言い、そこには被告Gも居合わせたが、うなずくのみで何も言わなかった。

同原告は、右により入院手術も止むなしと決断し、夫に相談した上で、同年一一月六日に入院した。なお、入院当日のカルテの医師指示録には「卵巣嚢腫」と記載されているが、被告AのME検査「所見」のほかには卵巣嚢腫をうかがわせる資料が全くなく、何故右のような記載がされたのかについて医学的根拠が認められず、入院時の診断欄にも「卵巣嚢腫」という記載はない。

同月九日ころ、決断して入院したものの、手術を受けることに迷いのあった同原告に対し、被告Bは、「今のところ悪性ではないけれど十二指腸潰瘍をしたことあるから悪性になりやすい体質です」と説得し、手術同意書の提出を求めた。これにより同原告は同意書を提出し、同月一二日、子宮及び両側付属器を摘除する手術を受け、同月二八日に退院した。その後、昭和五五年九月まで、一か月に一回、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院を続けた。

(同一、三、第五一回口頭弁論期日における同原告本人)

(二) 右のとおり、同原告は経口避妊薬の長期服用による影響を心配して富士見病院で受診したのであり、同原告には月経過多症や月経困難症等の子宮筋腫を疑わせる症状はなかった。富士見病院における内診(同一の一丁表)では子宮膣部びらんの指摘がある外、子宮の大きさがやや大きいとの記載がある程度で卵巣については何の記載もない。

子宮卵管造影の結果(同七二丁裏)には異常が認められず、血液検査の結果(同一〇丁)には貧血症状がなく、子宮消息子診による内腔長(八センチメートル。同七一丁)、ポラロイド写真(同六三丁)による子宮の計測値(8.5×5センチメートル程度。同三の「鑑定の細目6」)、摘出臓器の重量(全部で一一〇グラム。同六八丁裏、六二丁)から、子宮、卵巣が正常範囲の大きさであったことが認められる。結局、同原告は、子宮膣部びらん以外には、診療過程において格別の異常はなかったのであり、卵巣嚢腫についてはもちろん、子宮筋腫についても何ら手術を要するような症状がなかったものである。

(以上の全般につき同三の佐々木鑑定書)

(三) 同原告は、初診も執刀も被告Fであったところ、同被告は、同原告の子宮膣部びらんは将来悪性に移行する可能性大であったから、子宮筋腫がなくても全摘が必要だったという(己カ28の一の同被告の陳述書)。

しかし、子宮膣部びらんと子宮頸癌とは別の疾患であって、びらんが癌に移行するものではない(第四一回口頭弁論期日における証人佐々木静子の尋問調書三五丁表)のであるから、同被告の右の弁解は論拠がない。なお、仮に子宮頸癌が疑われるのであれば、細胞診、組織診等により細胞の病理学的変化を確認するべきであるところ(右尋問三四丁以下)、同原告の場合は、細胞診、組織診とも正常であった(甲カ28の一の六九丁、六七丁)のであるから、同原告には子宮頸癌の疑いはなかった。

(四) 同原告に対する医療行為には、初診をはじめ外来のほとんどの診察、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、入院中の診察、手術の執刀をした被告F、前記のようなME検査及びコンサルをし、同原告に手術のための入院の決意をさせた被告A、二回目のMEとAのコンサルに立ち会い、手術の助手をした被告G、外来通院中に診察し、入院中の検査処置の指示、診察をした被告C、迷いの残る原告に手術を受ける決断をさせて手術同意書提出を督促し、入院中の診察、入院中の検査処置の指示をした被告B、入院中の処置指示、手術の助手をした被告Dであり、当時富士見病院に在職していた医師の全員が関与している(同一)。

(五) 同原告は、被告Aから「子宮筋腫がある。癌になる」などといういい加減な説明を受けるなどして手術の必要の認められない子宮と正常な卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのものの外、術後のホルモン注射を含め、不要な入院、手術を強いられ、術後、性交痛、疲れやすい、肩こり、下腹部手術跡の奥の痺れなどの症状がある(同三、前記同原告本人)。

右被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

26 原告番号29の<氏名略>について

(一) 原告<29>(昭和二二年四月一七日生。手術時二八歳。挙児一名)は、昭和四七年一二月に富士見病院で長女を出産し、その費用が高かったので、昭和四八年の第二子の妊娠については他医の世話を受けたところ、同年一二月妊娠五か月で流産した。その後、急に太り、流産前五〇キログラムであった体重が七二キログラムとなり、従来二八日周期で五日間であった月経が一七日、一八日という周期で七日間続くようになり、挙児を希望していたので、自分の健康を知りたくて、昭和五一年一月二〇日、肥満(同原告の身長は一四四センチメートル)並びに月経周期が短くなったことを主訴として、富士見病院の分院を訪れた。

同日、同原告は、被告Dの診察を受けた(後記同原告の陳述書において被告Cの初診であったとされているが、同原告の勘違いと認める。)が、その内診結果は「子宮超鵞卵大、硬さ性状、付属器触れない」というものであった。その後、同被告から本院でME検査を受けるよう指示され、医師であると誤信した被告AによるME検査を受け、その後のコンサルにおいて、同被告から「子宮と卵巣が悪い。子宮が鶏の卵位の大きさになっている。卵巣もはれている。手術をしてすぐ全部を取らなければならない」などと告げられた。

同月二三日、同原告は、夫と共に再度富士見病院を訪ね、被告Bの内診や被告Aの前同様のME検査とコンサルを受け、結局、入院、手術のほかないものと考え、同年一月二六日に入院することとした。しかし、同被告のME写真コピーからは何も判読できず、ME検査「所見」は「筋腫は拡大ではないが内容特に悪い」という非医学的なものであった。

同原告は、同年二月九日子宮及び両側卵巣を摘出する「膣上部切除術、両側付属器摘除術」の手術を受け、同年二月二六日に退院した。その後昭和五五年六月一九日まで一か月に一回くらいの頻度で富士見病院に通院し、ホルモン注射を受けた。(甲カ29の一の1ないし3、五(同原告の陳述書)、第五二回口頭弁論期日における同原告本人尋問の結果)。

(二) 同原告の富士見病院における内診における子宮の大きさは、当初被告Dが「超鵞卵大」、途中の被告Cが「超手拳大ないし下児頭大」(同三の四〇丁)、その後の被告Bが「超鵞卵大」というもので、被告Cの内診に係る右大きさは、被告D及び被告Bの診た大きさやポラロイド写真(同四)による子宮大きさ(5.5×5.5センチメートル程度。同六の佐々木鑑定書の「鑑定の細目」8)や摘出臓器の重量(全部で六〇グラム。)からして、信用することができない(なお、手術記録中には子宮、卵巣の大きさについての記載がない。)。

(三) 同原告を診察し、ME検査に回し、手術を執刀した被告Bは、同原告の子宮が炎症性の筋腫で出血もする「悪い」子宮であったとして、右手術を正当化しながらも、十分に説明をした上で同原告の希望により手術したのであって、必ずしも摘出する必要はなかったことを実質的に認めているようにも考えられる陳述をしている(乙カ29の二の二丁表裏、五丁表)。

そして、実際の子宮の大きさ等については前記のとおりであり、また、子宮卵管造影の結果、腎盂尿管撮影の結果、血液検査の結果(貧血が全く認められない。白血球の増加もない。)でも格別の異常は認められず、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値及びその形状には格別の異常や病変が認められない。開腹後、「癒着」があり、これによる鬱血があったようであるが、それが子宮出血の原因とは認められず、また、仮に子宮頸部に炎症があったとしても、炎症の原因を確定しないで、膣上部切断術をすることは許されないというべきである。同原告に対する右手術が不要なものであったというほかない。(以上の全般について、甲カ29の六)

(四) 同原告に対する医療行為には、初診、検査処置の指示、検査をした被告D、内診、ME指示、入院中の処置、手術の執刀をした被告B、ME検査及びコンサルをして手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の検査、診察、処置、手術助手をした被告C、入院中の診察、麻酔医をした被告Eで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(五) 同原告は、肥満や月経過多などからして、何らかの疾患があったのではないかと考えられるが、その原因について医学的にきちんと確定されることなく、被告Aから「子宮と卵巣が悪い。手術をしてすぐ全部取らなければならない」などといういい加減な説明を受けて手術を決意させられ、手術の必要がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのほか、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を強いられ、手術後激しい頭痛、腰痛、性交痛という症状に悩まされている(前記同原告の陳述書、同原告本人)。

右被害についての慰謝料としては八〇〇万円、弁護士費用としては八〇万円が相当である。

27 原告番号30の<氏名略>について

(一) 原告<30>(昭和二五年六月二〇日生。初診時二七歳・手術時二八歳。挙児一名)は、自転車で下腹部を強く打撲し、性器出血があったため、昭和五三年六月八日富士見病院を訪れ、外来患者として被告Dの診察を受けたが、その内診所見は、「子宮は鶏卵大、柔らかい、付属器は左側に圧痛軽度、子宮膣部びらん大、性器出血なし」というものであり、同被告は、付属器の状態を確認するため、医事相談指示票に、「(1)前回妊娠時腫瘍指摘されたそうです。月経不規則にて卵巣腫瘍かと思います。(2)五月末より出血あり、六月初旬凝血排出、現在は止血しています。完全流産であったかと思いますが、まだ下腹痛がとれないそうです」と記載して、同原告に対するME検査とともにコンサルの実施を依頼した。(甲カ30の四の同原告の陳述書によれば、自転車で下腹部を強く打撲したのは右六月八日で、同年五月末から出血していたことはないとしているが、被告Dの右記載からして信用することができない。なお、同原告は、右陳述書において、連れ添って来てくれた義姉(紹介者としてカルテに記載されている「<氏名略>」と思われる。)が前にME検査を受けており、自分もME検査を受けて見たくて、自ら同被告に頼んだ旨を述べている。)

被告Aは、同日、同原告にME検査を実施した上、ME写真コピーの余白に、分かりにくい図を描いた上で、「子宮筋腫、卵巣のう腫。子宮はさほど肥大の量は少ないが、硬く内容の悪い筋腫。両側卵巣は双方とも肥大している鶏卵半型大の水包性」などと記載し、右ME検査終了後、同原告に対し、コンサルをし、「卵巣が瓢箪のように大きく膨れている」「子宮がボールのように大きくなっている」「このままにしていたら命が危ない、すぐご主人に連絡して早く入院して手術をしなさい」などと告げ、前記医師相談指示票の相談課説明内容欄に「子供が欲しいとの願いですが一寸検査必要、なを筋腫もある子宮だから子供は一寸無理かも知れないと、検査の上どの様にするかは定めるため入院した方が可と申しておきました。来週6/12(月)主人と来院とす。相談」と記載し、これを医師に回付した。

同月一三日、同被告は再度コンサルをし、「子供がもう一人欲しい」と訴える同原告と夫に対し、「同原告の命と子供とどちらが大事だ」「とにかく入院するように」と告げ、同原告は夫と相談してとにかく入院することにし、同日入院し、結局、同月二三日被告Bから子宮全摘除術及び両側付属器摘除術を受けた、なお、同年七月一二日に退院したが、術後不調で、同月二六日再度入院し同月三一日に退院し、同年一〇月三日まで通院した。

(二) 同原告の左卵巣は嚢腫あるいは血腫であり、手術の適応があった(筒井証言によれば、同人が見た富士見病院における全摘手術中唯一手術の適応が認められる事例とされている。)が、子宮及び右卵巣には格別の異常が認められず、同原告が受けた子宮及び右卵巣の摘出は、無用な手術であったというほかない。

すなわち、富士見病院における子宮卵管造影の結果では左卵管に疎通が認められるなど、子宮及び右卵巣には異常がなく(同二の1ないし4)、血液検査の結果(同一のの八六丁、七九丁)も正常であり、子宮消息子診による内腔長(同三七丁)、ポラロイド写真による子宮、右卵巣の計測値(同三、五の「鑑定の細目7」、甲サ六七の1「第3章第2節」)、摘出臓器の重量(左卵巣は七七グラムであるが、子宮と右卵巣では一二〇グラム。甲カ30の一の1の三〇丁)から、子宮及び右卵巣の大きさは異常でなく、同原告の診療過程において子宮及び右卵巣の格別の異常は認められなかったものである(以上の全般につき、同五の佐々木鑑定書)。

そして、飯塚鑑定(甲サ六七の1)においては、同原告について、「年令、分娩数(児を希望)、チェックした臨床検査所見、摘出臓器写真等を併せ考察すると、開腹時に認められた、左側卵巣嚢腫茎捻転に対する左側付属器切除術が適応であって、妊娠の可能性のある子宮、及び卵管疎通性のある右側付属器は、温存が必要であり、全摘手術の適応が不適当と考えられる」との意見が付されており、筒井証言も同旨である。

(三) 同原告の初診を行い、入院中「受持医」であった被告Dは、同原告のカルテに「子宮筋腫」と記載している(甲カ30の一の1の二一丁)が、これは、前記のとおりの被告AのME検査「所見」及びコンサルの結果に従って記載されたものであり(同一の1の四丁の被告Dの当初内診所見、一五丁のME写真コピーの記載、同六の1のコンサル用紙の各記載内容を対比するとほぼ明らかといえる。)、同原告の入院手術は実質的に被告Aによって決定されていたものというほかない。

右手術を執刀した被告Bは、同原告が自ら子宮と右卵巣の摘出を希望したとして、子宮と右卵巣の摘出手術を正当化しようとしている(乙カ30の一、第八六回口頭弁論期日における同被告尋問調書五二頁)が、同原告もその夫も強く子を望んでいたものであり、むしろ、同被告は同原告に対し「二度切るのは大変だから一度に切る」と告げたのであって(甲カ30の四)、要するに被告Dも同Bも、医師として子宮、右卵巣の全摘手術をする十分な必要性を認めなかったのに、Aの「子宮筋腫 両側卵巣嚢腫」という「診断」に従い、同原告に子宮及び右卵巣の摘出手術をしたのである。

そして、被告Bは、手術時に子宮筋腫や右卵巣の病変等があったかのようにいうが、子宮全摘除術を相当とするような子宮筋腫があったとは到底認められないのみならず、右病変等が真実あったのであれば、摘出臓器について当然病理組織学的検査をすべきであるのに、同原告の場合も他の多くの患者原告らの場合と同様に何ら右のような検査をしていないのである。

(四) 同原告に対する医療行為には、被告D、被告B、被告Aのほか、入院中診察、処置をした被告C、入院中検査処置の指示、診察処置、手術の助手をした被告Fの当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(五) 同原告の場合、左卵巣には明らかに手術の適応があったので、開腹手術に及んだことには理由があったものである。しかし、同原告は挙児を強く希望していたのに、被告Aから「このままでは命が危ない」などという説明を受けて全摘手術を決意させられ、摘除の必要がなかったのに子宮及び右卵巣まで摘出されたものである。そして、その後、ホルモン注射のための通院や、頭痛、耳なり、じんましん、性交痛などの症状があるものである。

同原告の右被害についての慰謝料としては六〇〇万円、弁護士費用としては六〇万円が相当である。

28 原告番号31の<氏名略>について

(一) 原告<31>(昭和二三年八月二一日生。手術時二八歳。挙児一名)は、昭和五〇年八月に婚姻し、昭和五一年五月に長男を出産し、昭和五二年五月に妊娠に気付いたが、つわりの症状が重かったため、中絶についても考慮しながら、同月一二日、富士見病院を訪れた。初診を担当した被告Cの所見は、「子宮は前傾前屈、超鵞卵大、一部固く一部やわらかい。分泌物帯白色。リビド色プラス。びらんプラス。付属器触れにくい。ゴナビス検査プラス。妊娠二か月。筋腫様子宮」というものであり、同被告は、原告に対し、「中絶するかどうかよく考え、夫ともよく相談して、結果は理事長に話してください」と言った。

同原告は、夫と相談の上で、出産することを決め、富士見病院に電話し、被告Aに取り次いでもらい、「子供が欲しい」旨を告げたところ、同被告は、「つわりにはいい薬があるから、とにかく来なさい」と言った。

同月二八日、二回目の診察を受けた際、五分程度の診察で、被告Cから「赤ちゃんが発育していないようです。MEで調べてみましょう」と言われ、被告AによるME検査を受けたが、その際同被告は「卵巣が腐っている。右の卵巣は全く働きをしていない。左も腫れている。ひどいなあ子宮も駄目だ。これでは子供は育たない」などと言った。

右検査後、夫と共に同被告のコンサルを受け、医師であると思っている同被告から「卵巣のう腫に子宮筋腫だよ。子供はとっくに死んでいる」「腐って落ちてしまうと出血多量で死ぬ。癌の手前だよ」などと言われ、夫と共に驚いて、「癌なら手術でとってしまうのですか」と尋ねると、「しょうがないだろう。まず掻爬して、そのあと全摘手術する」などと言われた。

右コンサルによって、同原告は、死を免れるためには子宮及び両側付属器を摘出するほかないと誤信してやむを得ず入院することとし、同月三〇日に入院し、同月三一日、人工妊娠中絶手術若しくは子宮内容除去術を受けた。同原告は、右手術後に看護婦から、「この病院に来てかわいそうね」などと言われて不審を抱き、被告Cらに対し、子が欲しいので全摘を避けたい旨を再三にわたって強く訴えた結果、同年六月六日に途中で退院することができ、全摘手術を免れた。その後同月九日に一回外来で診療を受けた。

同原告は、その後病気がなく、昭和五四年一一月に二男を出産した。この時もつわりがひどかったが、他医に「あなたは健康です。立派な赤ちゃんを産ませてあげます」と励まされて出産したものである。

(甲カ31の二、三・同原告の陳述書、第六八回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 掻爬により胎児等の子宮内容を除去する手術は、患者の希望により優生保護法に基づいて行われるときは人工妊娠中絶と呼ばれ、疾患の治療として行われるときは子宮内容除去術と呼ばれる(同四・佐々木鑑定書の三頁の3)が、同原告が受けた手術は、右のいずれであるにせよ、以下のとおり違法なものであった。

右手術の前日(すなわち入院の日)の診断(同一の七丁表)によれば、同手術は、同原告が妊娠中絶を希望しており、さらに稽留流産の疑いがあったことを根拠としているようである。同原告の初診並びに入院中の受持医を担当した被告Cも、右手術の根拠をそのように主張している(同被告の平成四年七月二八日付け準備書面三項、四項)。また、被告Cは、「同原告に対し、「一応掻爬し後の検査とす」と決定し、子宮筋腫に関する手術をするか否かの決定は後の検査次第としたのである。そして、子宮内容除去手術が行われ、「子宮筋腫の疑いもなくなった」結果、被告Cは退院を認めたのである。同原告の陳述書及び本人尋問の結果によれば、被告Aから「癌の手前だ。すぐそのまま入院しなさい。まず掻爬してその後全摘手術をする」と言われたとのことであるが、そうであるとすれば、右のとおり、被告Cが同原告の退院を認めた事実は、被告Cが被告Aの診断等(これが仮にあったとしても)に従っていないことの裏付けになる」とも主張している(同被告の最終準備書面一五頁)。

しかし、前記認定のとおり、同原告は妊娠中絶を希望していなかったが、被告Aから前記のとおり虚偽の告知を受けたために、死を免れるためには子宮及び両側付属器を摘出するほかないと誤信して入院し、本件手術を受けたものであり、同原告が富士見病院の診療に不審を抱き、強く挙児を希望したことにより退院することができたものである。

稽留流産とは、前記一において検討したとおりの状態をいうもので、その「疑い」だけで子宮内容除去術を決定することは許されないものである。しかも、被告Cが主張する右「疑い」の根拠は、入院二日前(妊娠一〇週六日)の内診所見で子宮が超鵞卵大であったことなどから「最終月経に比し子宮小さい」と感じたことにあるというにすぎない。しかし、超鵞卵大という大きさは、妊娠一〇週六日の子宮として異常に小さいとはいえず、かつ、実際の妊娠日数はもっと少なかった可能性があり、胎児の発育に異常があると即断することはできなかったものである。そして、仮に稽留流産との疑いを抱いたのであれば、被告Aの非医学的なME検査「所見」などに依拠せず(同原告について、二回のME検査がされているが、そのME写真コピーはいずれも何ら判読できないものであり、付記されている「所見」内容も医師が信用することができないものである。被告Cがこれを認識していたことについては前記一で検討したとおりである。)、医師である被告Cが自ら超音波検査を実施し、あるいは経過を観察して胎児の生死・発育状況を確認すべきであった(以上の全般につき前記佐々木鑑定書)。したがって、本件手術は、胎児の発育状態はもとより、その生死については全く不明のまま、被告Cらが被告Aの出鱈目な診断に従って強行した違法な手術というほかない。

なお、被告Cは、被告Fが行った子宮内容除去術の結果として「胎児不明」と記載されている(同一の一三丁)ことは、被告Cの稽留流産との診断を裏付けている旨を主張する(同被告の前記平成四年の準備書面五項)。右主張は、胎児が発育せずに死亡していた、すなわち稽留流産であったから除去物中に胎児が不明だったのだと主張するものであろう。しかし、子宮内容除去術は、鉗子を用いて子宮腔内の胎児等を掻爬する手術であり、胎児等は寸断され、絨毛や脱落膜等と混合するので、除去物中に胎児の残滓が確認できない場合もあるから、同被告のそのような主張は採用することができない(同五)。

(三) 同原告は、前記一のとおり、もともと子宮及び両側付属器を全部摘出する前提で、その前の措置として本件手術を受けたものである。しかし、同原告は、受診時、妊娠によるつわり以外には何らの身体的異常も感じておらず、富士見病院における内診では、妊娠による子宮の増大やピスカツェック徴候と見られる所見があるものの、格別の異常はなく、子宮消息子診による内腔長が9.5センチメートルであったことも、妊娠の結果であり、また、血液検査の結果にも異常が認められなかった。そして、両側付属器については、何らの疾患を疑わせる症状も所見もなかった。

以上のとおり、同原告の診療過程において異常は全くなかったのであり、子宮、卵巣は正常であったというほかない(前記のとおり、その後出産しており、被告AのME検査「所見」がいかに出鱈目であったかを如実に示している。)から、子宮及び両側付属器を摘出する前提で、その前の措置として行われた本件手術は明らかに違法というほかない。

(四) 同原告に対する医療行為には、被告C、被告A及び人工妊娠中絶手術若しくは子宮内容除去術をした被告Fが関与している。富士見病院に当時在職していた医師のうち被告Bと被告Dの関与は証拠上明らかでないから、責任を免れる。

(五) 同原告は、被告Aから「子宮筋腫、卵巣嚢腫だ」「子供はとっくに死んでいる」「腐って落ちてしまうと出血多量で死ぬ」などという虚偽ないしいい加減な説明を受けて、子宮及び両側付属器の摘出手術を決意させられ、その前提で本件手術を承諾させられて、人工妊娠中絶手術若しくは子宮内容除去術をされ、母体を侵襲されたものである(なお、胎児の生死については前記のとおり不明である。)。

右被害についての慰謝料としては、二〇〇万円、弁護士費用としては二〇万円が相当である。

29 原告番号32の<氏名略>について

(一) 原告<32>(昭和二四年七月三〇日生。初診時二六歳。手術時二七歳。挙児二名)は、昭和四五年九月に長男を、昭和四八年四月に長女を出産し、昭和五一年七月ころ、そろそろ三番目の子が欲しいと夫と話し合っていた折柄、元来神経質であり、また、姉が富士見病院で子宮単純全摘術及び両側付属器摘除術を受けていたことから、いろいろなことを心配する性質で、同月二四日ころから下着をよく見るとうすいピンク色であり、気にすると下腹が痛いような気がし、同月二七日、下腹痛と少量の性器出血を主訴として、富士見病院を訪れ、被告Bの診察を受けた。同被告の内診所見は「子宮は、後傾後屈、大きさがやや大、固い。付属器触れない。分泌物は白い。びらんダブルプラス」というものであった。同被告から「子宮筋腫のようだ」と言われて超音波検査を受けるよう指示され、被告AによるME検査を受けた。その際、同被告は、「これはひどい」とか、「大変だ」とかつぶやいていたので、同原告は不安になった。

右検査の後、同被告のコンサルを受け、同被告から「子宮筋腫と卵巣腫瘍である。子宮筋腫はかなり大きくなっているから放っておくとこの先危ない。卵巣腫瘍も今は良性だが放っておくと悪性腫瘍になるといけない。癌になるおそれがある。ちょうど夏休みだから入院して手術するように」などと告げられ、同被告を医師と誤信していた同原告は衝撃を受けた。

翌二八日夫と共に富士見病院を訪ね、入院する手続をし、夫が手術承諾書を書いた。しかし、同被告のME写真コピーからは何も判読できず、ME検査「所見」も卵巣は両側に肥大して炎症が多いなどという他の場合と同様にいい加減なものであった。

同原告は、入院中は出血も下腹痛もなく元気であったが、同年八月四日、子宮及び両側付属器を摘除する手術を受け、同月一八日に退院した。

その後、昭和五五年六月まで、ほぼ一か月に一回の割合で、ホルモン注射を受けるため通院を続けた。

(甲カ32の一、四、第六二回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) しかし、同原告は、富士見病院における内診(子宮の大きさは「次鵞卵大」、手術記録では「鵞卵大」というもの。ただし子宮消息子診における内腔長は次のとおり7.5センチメートルであった。同一の一丁、四八丁表裏)、子宮卵管造影の結果(子宮の内腔に異常な像がなく、形態が正常。同二の1、2)、血液検査の結果(貧血状態がない。同一の四二丁)、手術所見(同四六丁裏)では、いずれも異常が認められず、子宮消息子診、診査掻爬における内腔長(7.5センチメートル。同四八丁表裏)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値(子宮は7×5.5センチメートル程度。同三、同五「鑑定の細目6」)、摘出臓器の重量(全部で一二〇グラム。同一の四六丁表)からして、子宮、卵巣の大きさは通常の範囲内であり、同原告の診療過程において他に格別の異常はなかったのである。なお、ポラロイド写真の卵巣像から多嚢胞卵巣であった可能性が認められるものの、仮にそうであったとしても、同原告には月経も出産経験もあり、不妊でもなかったのであるから、病的な卵巣としての治療の対象でなかったというべきである。(以上全般につき同五。多嚢胞卵巣につき第四〇回口頭弁論期日における証人佐々木静子)。

(三) 同原告の初診及び手術の執刀をした被告Bは、その陳述書(乙カ32の二)において、同原告が貧血であったと述べ、また、「旁結締織」の炎症があり、手術時に硬い筋腫を認めたなどと述べて、手術を正当化しようとしている。

しかし、同被告は、同原告の初診において、膣部びらんのほかには子宮にも卵巣にも異常を認めず診断もしなかった(甲カ32の一の一丁)ものであり、それにもかかわらず、入院のための診断としては「子宮筋腫」と記載した(同二二丁表)が、入院が初診の翌日であるという経過からして、これは、前記のとおり医学的根拠の認められない被告AのME検査及びME所見に基づくものであり、卵巣については、手術時の診断すらない(同四六丁裏)まま摘出されたものである。そして、同原告の血液検査の結果は、前記のとおり、手術前に貧血のあったことを示していないのみならず、術後も変わらないのである。また、「旁結締織」の炎症については、旁結締織炎を示す症状も検査結果も全く認められない(「旁結締織炎」につき証人佐々木静子の第四一回口頭弁論期日における尋問調書の一八丁以下)。さらに、手術時に硬い筋腫を認めたという点については、手術記録(同四六丁裏)には前記のとおり卵巣についての記載がなく、「硬い筋腫」のあったことを示す記載が全くないのである。

したがって、同被告の右陳述は容易に信用することができないもので、同被告は、不要な手術と認識しながら、子宮、卵巣の全摘手術をしたものといわざるを得ない。

(四) 同原告に対する医療行為には、初診、入院中の検査処置の指示、手術の執刀をした被告B、ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の検査処置の指示、入院中の診察、子宮卵管造影と子宮内膜掻爬の検査をした被告E、入院中の検査処置の指示、入院中の診察をした被告C、入院中診察、洗浄をし、手術の助手をした被告佐々木、手術中麻酔を担当した被告Dで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与しており、同原告は前記のとおりの富士見病院の診療システムによって不要な手術を受けたものである。

(五) 損害

同原告は、被告Aから「子宮筋腫、卵巣腫瘍がある。放っておくと癌になる」などという出鱈目な説明を受けて手術を決意させられ、手術の必要がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのものの外、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療や、手術後の頭重、頑固な肩こり、ひどい冷え症などの損害を被ったものである(前記同原告の陳述書、前記同原告本人)。

右被害についての慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

30 原告番号33の<氏名略>について

(一) 原告<33>(昭和二五年一月二四日生。手術時二七歳。挙児一名)は、昭和五二年一〇月一日に、入院中の東村山市所在の緑風荘病院において妊娠約九週目で切迫流産し掻爬手術を受け、残留掻爬後四ないし五日後に同病院を退院したが、その退院後、周りの知り合いから、富士見病院にはほかの病院にはない機械があると聞き、退院後少量の出血と腰痛が続いていたことや、第二子を早く欲しいが、体に異常があって流産したのかどうかを検査してもらいたいと考え、義姉とともに同月一一日富士見病院を訪れ、外来患者として被告Cの診察を受けた。同原告の主訴は、昨日まで性器出血があり、腰痛があるというものであったが、被告Cによる内診所見は「子宮後傾後屈、大きさは鵞卵大、固さは固い」というもので、診断は「子宮筋腫又は子宮復古不全の疑い」とされたが、付属器は触れにくいというものであった。同被告は、同原告につき被告AによるME検査及びコンサルを依頼したが、被告A(同原告は同被告を医師だと誤信していた。)は、同原告に対し、ME検査をしながら、「子宮がこんなに大きい」「卵巣がぐちゃぐちゃだ」「これは大変だ」等と告げ、ME検査終了後に理事長室で行われたコンサルにおいて、「あんた大変だよ。子宮筋腫に卵巣嚢腫で、卵巣はぐちゃぐちゃだ」「癌で半年の命だ。すぐに入院しなさい」等と告げ、同原告は落胆して帰宅した。また、被告Aは、同原告についての同日のME写真を再コピーした用紙に「子宮筋腫、卵巣嚢腫。子宮筋腫が凸立している。内容物は全く冗当がない。OV(卵巣)もcyst(嚢腫)あり、左は炎症し、右は肥大凸状」と記載して、被告Cへ回したが、このコピーされた写真は不鮮明で医師が診断に利用できるようなものではなかった。

同原告は、翌一二日、夫とともに再度富士見病院に出かけたが、被告Aから、夫とともに前日と同様のことを告げられ、特に、癌で今すぐ入院する必要があるといわれたことから、即日入院することを決めたが、被告Cによる入院時の診断は「子宮筋腫及び卵巣腫瘍。他院で流産後胎盤残置」とされ、同日、同被告から、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示が出され、同月二七日、被告Cにより子宮及び両側付属器を摘出する手術が行われた。

同原告は、同年一一月一六日退院し、一か月に約一回の割合で富士見病院に通院してホルモン注射を受けていたが、イライラしたり、鼻血が出たり、何も手が着かない状態となることがあったところ、昭和五三年一一月ころ、防衛医大病院で診察を受け、ホルモン注射に頼らないようにすることを指示され、それから半年ほど同病院に通院して、ようやくホルモン注射なしで我慢できるようになったが、その後も、肩こりや発汗、長時間立っていられないような症状がある。

(二) ところで、同原告の富士見病院初診時の内診所見は「子宮後傾後屈、大きさ鵞卵大、固さは固い」というものであり、また、同原告は、昭和五二年一〇月一日に流産しており、子宮復古不全の疑いもあったものであるが、子宮が固いという点から、可能性があるものとしての、子宮筋腫の疑いとの診断自体までは不当なものであったとは言えないが、同原告のカルテ(甲カ33の一)を見ても、初診時において、子宮筋腫と断定するまでの事実はなく、まして、入院の要否について判断できる材料もなく、さらに、卵巣については付属器は触れにくいというものであったにもかかわらず(同原告は、直前まで妊娠していたのであるから、卵巣機能の異常も直ちには考え難い。)、被告AのME検査における子宮筋腫、卵巣嚢腫の記載がされた翌日の入院時の診断では、子宮筋腫及び卵巣腫瘍とされたものである。そして、入院中においても、子宮の大きさについて同月一九日及び二六日には「手拳大」、同月一五日には「やや大」とされ、まちまちであり、子宮の固さについても同月一九日及び同月二六日を通じて「固い」とされているが、同原告は、同月一日に緑風荘病院において掻爬手術を受け、同月一三日にも富士見病院でも子宮内容を除去しており、このようなことからすると、子宮が固く触知されることがあり得るからといって、直ちに子宮筋腫に繋がるものでもなく、しかも、同月一二日に実施された同原告の血液一般検査の結果はほぼ正常値であって、同原告には子宮筋腫を疑うべき十分な根拠があったとはいえない。そして、右カルテにおいては、卵巣及びその他付属器の異常を疑わせる事情は全く認められない。

さらに、同原告が挙児数一人の経産婦で妊娠・掻爬後間もないことを考慮すると、摘出された子宮及び付属器の重量が一五五グラム(甲カ33の一の四一丁)であったことが直ちに異常であるともいえず、また、手術記録(甲カ33の一の四一丁)の子宮図には筋腫結節が示されておらず、その摘出臓器の写真からもこれを見出し得ない。

以上によれば、同原告については、子宮及び卵巣に、摘出を相当とするような異常があったとは認め難い。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、子宮消息診、手術の執刀、入院期間中の診察、処置をした被告C、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に入院し手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中に診察・内診・処置をした被告F、入院中の処置、麻酔を行った被告D、入院中の診察、処置を行なった被告Bという当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与した。

(四) 同原告は、被告Aから「癌で半年の命だ。すぐに入院しなさい」などという根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後も体の不調を訴えているもので、これらを慰謝する金員としては、金一〇〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

31 原告番号34の<氏名略>について

(一) 原告<34>(昭和三〇年八月一日生、手術時二四歳。挙児なし)は、一〇代のときに二回の中絶経験があり、昭和五四年に婚姻した者であるが、昭和五五年一月二四日に少量の性器出血があったことから、翌二五日東村山市内の産婦人科医院で受診したところ、異常ないとの診断で、同人にも他の自覚症状はなかったが、知人から、富士見病院にはMEという立派な機械があるから一度診てもらった方がよいと勧められ、念のためと考え、同月二六日に富士見病院を訪れ、外来患者として被告Cの診察を受けた。同原告の主訴は不正出血、月経時に下腹痛を伴うことがあるというものであったが、同被告による内診所見は「子宮前傾前屈、硬い、鵞卵大。軽度の膣部びらん。付属器触れにくい」というもので、診断は「子宮筋腫、卵巣嚢腫」とされ、同被告は、被告Aへ同原告のME検査及びコンサルを依頼した。同原告は、指示されたとおり排尿の後、被告A(同原告は同被告を医師だと誤信していた。)からME検査を受けたが、同被告は、同原告に対し、ME検査実施後、「卵巣嚢腫と子宮筋腫だ。卵巣はピンポン玉みたいに腫れているから、早く水を抜かないと破裂して死んじゃうよ。すぐに入院しないと命が危ない」旨告げ、同原告は、驚きの余り、入院について判断することもできず、帰宅した。被告Aは、不鮮明で、医師が診断に利用することができるようなものではない、ME写真を再コピーした用紙に「子宮筋腫で肥大量は少ないが、硬く後屈している。左OV(卵巣)ピンポン大の水包肥大。右は包硬くcyst(嚢腫)で内容悪い」と、ME検査では判明しないはずの子宮、卵巣の硬さを記載するなどして、これを医師に回した。

同原告は、被告Aから告げられた内容を信じ、いつ急激に悪くなって死んでしまうかもしれないと思って、同月二八日、入院を決意して富士見病院に出向き、入院したが、入院時の診断は「筋腫用子宮」とされ、同病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示が出され、同年二月七日、被告Cにより子宮及び両側付属器を摘出する手術を受けた。

同原告は、同月一八日退院し、富士見病院に、同年二月、三月中は週に約二ないし三回、同年四月中は週に約一回、同年五月以降は月に約一回の割合で通院してホルモン注射を受けるなどしていたが、同年九月になって、富士見病院におけるいわゆる乱診乱療報道がされるようになったことから、防衛医大病院で診察を受け、ホルモン注射に頼らないことを指示され、富士見病院への通院を止めた。

同原告は、富士見病院における右手術後、それまで問題のなかった性交痛、性欲の消失を生じるようになり、性欲の消失が大きな原因となって、昭和六一年に夫と離婚した(ただし、夫との離婚が、すべてこれらの症状によるものであるとまで認めるに足りる的確な証拠はない。)。

(二) ところで、同原告の富士見病院初診時の内診所見は「子宮前傾前屈、硬い、鵞卵大。軽度の膣部びらん。付属器触れにくい」というものであり、同原告の主訴は、その二日前に少量の性器出血があったこと、月経時に下腹痛を伴うことがあるというものであったが、同原告は通常の日常生活を送っていたものであり、これらからは子宮筋腫が一応疑われるが、子宮筋腫と断定するまでの事実はなく、まして、入院の要否について判断できる材料もなく、さらに、卵巣については付属器に触れにくいというもので、同原告のカルテにも他に異常を疑わせるような記載もないにかかわらず、卵巣嚢腫と診断されたものであった。そして、同原告については、昭和五五年一月二九日付け細胞診報告書によれば、細胞診の結果はマイナス、同年二月九日付け病理組織検査報告書では「悪性でない」とされたもので、子宮膣部の癌の疑いもなく、結局、同原告において、入院時前後に確実に認定し得た傷病は、通院治療で賄える「子宮膣部びらん」であったといえる。入院中においても、同年二月二日の子宮卵管造影術によれば、子宮内腔の大きさは正常であり、内腔拡大図、変形像、欠損像等の異常所見は見られず、腹腔内の拡散像からは卵巣嚢腫や子宮の輪郭は不明である(なお、被告Cは、子宮卵管造影術の結果記載部分に、PCO(多胞性卵巣嚢腫)と記載しているが、子宮卵管造影術で多胞性卵巣嚢腫を判断することはできないとされており、また、多胞性卵巣嚢腫が卵巣摘出の理由となるものではない。)。また、同月四日の子宮内膜試験掻爬手術の際測定された子宮内腔長は約七センチメートルで正常範囲内であり、血液検査の結果も貧血の傾向は見られず、過多月経でなかった。このようなことからすれば、入院中においても、同原告について子宮筋腫と断定するような材料はなく、また卵巣嚢腫を疑わせるようなものもなかった。

さらに、摘出された子宮の写真によれば、子宮表面は平滑で筋腫結節はなく、その大きさも正常であり、手術記録に記載のあるその重量六五グラムは、子宮のみ又は両側付属器を含むものと考えても、いずれにしても正常範囲内のものであるといえ、摘出された卵巣の写真によっても、その異常は見出し得ない。

そして、同原告は、手術時二四歳の挙児のない新婚の妻であって、右のような状況で、子宮及び両側付属器を摘出する正当性は全く見いだし得ないものであったといわざるを得ない。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、手術の執刀を行った被告C、超音波診断装置を操作し同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中に診察、検査処置の指示を行った被告B、検査処置の指示、手術の助手を行った被告F、検査処置の指示、手術の麻酔を行った被告D、検査処置の指示を行った被告Gと、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 同原告は、被告Aから「早く水を抜かないと破裂して死んじゃうよ。すぐに入院しないと命が危ない」などという根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めた不要な入院、治療を強いられ、結婚間もなく、挙児がないまま、出産の機会を失わされたもので、それらを慰謝する費用としては、金一三〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一三〇万円が相当である。

32 原告番号35の<氏名略>について

(一) 原告<35>(昭和一四年八月五日生。手術時三七歳。挙児数二名)は、昭和五一年一一月九日、避妊(リング挿入)中に妊娠したとして(妊娠四か月)、他病院で中絶手術を受けた者であるが、避妊が一〇年も奏功してきたのに妊娠したとされたこと自体に納得がいかず、同月一四日、右妊娠の有無と中絶後の経過の確認を主訴として、富士見病院(分院)を受診し、被告Dの診察を受け、同被告から指示されて、同月一五日に本院において被告AのME検査を受け、同月一六日に入院して、同月二六日に子宮摘出及び両側付属器を摘除(右卵巣摘出と左卵巣の一部切除)する手術を受け、同年一二月一一日に退院、以後昭和五二年九月一七日まで、一か月に一ないし四回の割合で、ホルモン注射を受けるため通院を続けた。

被告Dの右初診時の所見は「子宮は超鵞卵大、柔らかい。付属器は左側が卵巣のう腫。子宮膣部びらん小」というもので、「子宮筋腫、卵巣嚢腫」と診断されたが、同原告は、初診翌日の昭和五一年一一月一五日、被告Dの指示により受けた被告A(同原告は同被告を医師と誤信していた。)によるME検査終了後、同被告から「あなたの子宮は赤ちゃんの頭くらいに腫れていて、卵巣は五か所くらい破けて血が噴き出している。現在も少しずつ出血しているから、貧血がひどい」「こんな子宮で子供が産まれるわけがない」「これはもう一〇年も前から悪くなっている。子供二人が産まれたのも不思議なくらいだ」「もう腹膜炎になりかけている。お腹が張ってきたのもそのためだ」「腹膜炎になってしまうと大変だから、すぐに入院して手術しなさい」「この機械は日本に三台しかない最先端の機械で、その機械だからそこまで分かるんだ」「腹腔内の出血は、内診したくらいじゃ分からない」旨を告げられ、同原告は翌一六日、手術を決意して入院し、同病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示が出され、同月二六日、前記の手術を受けたものである。

(二) ところで、初診時における被告Dによる右の「子宮は超鵞卵大、柔らかい。付属器は左側が卵巣のう腫。子宮膣部びらん小」という内診結果からすれば、同原告には子宮ないし卵巣に何らかの疾患があった可能性もあるというべきである。

しかしながら、同原告の入院中の血液検査の結果(甲カ35の一の二二丁)や子宮卵管造影検査の結果(同三〇丁)にはいずれも格別の異常はなく、子宮消息子診による内腔長、ポラロイド写真(甲カ35の二)上の計測値、摘出臓器の重量(甲カ35の一の二五丁)等によれば、同原告が二児の経産婦で、かつ妊娠中絶手術の直後で妊娠の影響を残していることに照らせば、子宮の大きさは通常のものであったといえることからすると、同原告については更に手術の要否及びその内容について慎重に診断がされるべきであったといえるにかかわらず、入院時において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示が出され、そのまま右手術が行われたものであり、このようにして同原告に対して前記手術をしたことは、違法といわざるを得ない。

(三) 同原告に対する右医療行為には、外来初診、被告Aへのコンサル依頼、入院時の診断、入院中受持医として、検査処置の指示、診断書の作成交付、子宮卵管造影検査、診査掻爬を行い、手術で麻酔医を務めた被告D、ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中検査処置を指示し、診察し、手術を執刀した被告B、入院に当たって診断し、入院中検査処置を指示し、診察した被告C、入院中検査処置を指示し、診察し、手術でBの助手を務めた被告Fが関与した。

なお、在任期間末期の被告Eは、前記のとおり既に同年一一月一五日に被告法人の理事を辞めており、そのころには、既に富士見病院における医師として離脱していたものとうかがわれ、同原告についての具体的な関与を認めさせるに足りる的確な証拠がない以上、同被告については同原告に対する責任を負わないとするのが相当である。

(四) そして、右過大な手術を受けたことについての同原告の被害を慰謝するには金五〇〇万円の慰謝料が相当であり、その弁護士費用としては金五〇万円が相当である。

33 原告番号36の<氏名略>について

(一) 原告<36>(昭和二二年六月二一日生。手術時二七歳。挙児二名)は、昭和五〇年二月一〇日ころから、自宅階段を登ったり、子を抱いたときなどに軽い腰痛があり、その他の身体の不調はなかったが、近所の同年輩の女性が腰痛を主訴として、富士見病院で診察を受けたところ、すばらしい機械で検査を受けて子宮筋腫が発見され手術をしたと聞いたことから、自分の腰痛についても不安となり、同年二月一五日、富士見病院を訪れ、外来患者として被告Eの診察を受けた。同原告の主訴は腰痛及びおりものであったが、被告Eによる内診所見は「子宮前傾前屈、やや大。付属器触れにくい。分泌物白い」というものであった(甲カ36の一)。同被告は、同原告につき被告AによるME検査及びコンサルを依頼したが、被告A(同原告は同被告を医師だと誤信していた。)は、同原告に対し、ME検査時、及びその終了後の理事長室において、「子宮筋腫だ。早く手術をしなければならない」「子供がもう一人欲しいようだが仕方がないかもしれないよ」旨告げ、同原告は手術の覚悟を決め、帰宅した。被告Aは、ME写真の再コピーした用紙に「両側卵巣、アブノーマル、腫瘍でない。子宮筋腫でもあります。右卵巣嚢腫、鶏卵大。左やや小。筋腫と卵巣の区別は、子宮に卵巣が両側傘のように被さっているから場合によれば子宮は大きい可能性があります。再検査」と記載して被告Eに回されたが、これは不鮮明で医師が診断に利用できるようなものではなかった(甲カ36の一の六丁)。

同原告は、同月一九日、手術のために入院したが、被告Eの入院時の診断は「筋腫様子宮、右卵巣腫瘍、カンジタ、びらん」というものになり(甲カ36の一の一八丁)(そのうち右卵巣腫瘍については、被告Eには分からなかったが、被告AからのME検査の結果がそうなっているから記載したものであることを、被告Eはその本人尋問において認めている(第一〇〇回口頭弁論における同被告の供述調書七四頁)。)、同日、被告Eにより、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示が出され、同月二八日、被告Bにより子宮及び両側付属器を摘出する手術が行われた。

同原告は、同年三月一四日退院し、以後、同年七月ころまで、月三回くらいの割合で富士見病院に通院し、ホルモン注射を受けるなどした。

(二) ところで、同原告の初診時の主訴は腰痛であったが、同原告は、初診の一週間くらい前から、階段を登り降りする際に軽い腰痛を感じていたものであり、そのほかに子宮筋腫を疑わせる症状(過多月経、生理痛、月経困難症、貧血、下腹痛、不正子宮出血、圧迫症状、腫瘤感、帯下等)は全くなく、右腰痛が生理の際に増悪するということもなく、また、入院後の子宮卵管造影検査の結果(甲カ36の二)、血液検査の結果(甲カ36の一の五丁、三二丁)、写真による摘出後の子宮、卵巣の形状及び計測値(甲カの三)、摘出臓器の重量(甲カ36の一の四二丁)などから子宮筋腫、卵巣嚢腫を疑わせるような材料は見出すこともできず、右手術が相当であったとは認めることができず、本件手術は不必要なものであったといわざるを得ない。

なお、右手術記録においては「(手拳大の)子宮筋腫、左卵巣腫瘍(ゴルフボール大)」などの記載があるが(甲カ36の一の四二丁)、これらの記載は、前記の客観証拠に照らして(摘出臓器の写真についても、被膜が破れ、しぼんだりつぶれたりした形跡が認められない。)、信用性に欠けるといわざるを得ない。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告AへのME検査の依頼、入院中の診療及び手術に際し第一助手を担当した被告E、手術の執刀及び手術前後の診療を担当した被告B、無資格で超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に、入院して手術を受けることを決意せしめた被告A、麻酔を担当した被告Dが関与した。

なお、当時被告病院に在職した被告Cの直接的関与は不明であり、同原告についての具体的関与を認めさせるに足りる的確な証拠がない以上、同被告については同原告に対する責任を負わないとするのが相当である。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めた不要な入院、治療を強いられ、また、富士見病院退院後、約二年間は体がだるい状況が続き、また、突然に発汗に襲われることや、その他、手術前にはなかった動悸、のぼせ、頭痛、肩こり及び不眠などの症状も生じていたもので、これらを慰謝する金員としては金一〇〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

34 原告番号37の<氏名略>について

(一) 原告<37>(昭和一九年一〇月二六日生。子宮及び付属器摘出手術時三四歳。挙児二名)は、妊娠の有無確認及び人工妊娠中絶を希望して、昭和五三年一二月一一日富士見病院(本院)を訪れ、外来患者として被告Fの診察を受け、その内診所見は「子宮前傾前屈、約鵞卵大、固い。両側付属器触れない。膣部びらん。膣内容白色」というもので、妊娠との診断を受け(甲カ37の一の1の九丁)、引き続き、当日、被告Fから被告Aに対してコンサルの依頼がされた。右コンサルにおいて、同被告は同原告に対し、中絶手術をするには約三日間の入院が必要であると告げたところ、同原告は、過去二度行った人工妊娠中絶では入院しなかったことや、子が幼いことから、入院することができない旨告げたところ、同被告から「それじゃ、分院の方にいい先生がいるからそこで受けなさい。そっちなら入院しなくていいから」と告げられた(甲カ37の六の1)。そこで、同原告は、翌一二日、分院を訪れ、被告Dの診察を受けたが、同被告の内診所見は「子宮前傾前屈。鵞卵大、固い。両側付属器触れず。膣部びらん」というもので、妊娠二ないし三か月との診断をするとともに(甲カ37の一の1の一丁)、傷病名として「膣部びらん症、座骨神経痛」との診断(甲カ37の一の2の二七丁)をし、同月一四日中絶手術を実施した。同原告は、同月一六日及び同月二三日に、中絶手術後の処置や膣部びらんの治療のために分院に通院したところ、被告Dから同月二五日に本院でME検査を受けるよう指示されたものであるが、同月二三日における被告Dによる同原告の診察の結果は「膣部びらん症、座骨神経痛」のみであった(甲カ37の一の2の二三丁)。

被告Dは、同原告が座骨神経痛を訴えていたことから、何かあるのではないかという程度の考えから、同月二五日付けの「ME指示表」の探査指示内容の「卵巣腫瘍の有無と状態」欄に印を付け(甲カ37の五の1)、「医事相談指示」用紙に、「過日本院より中絶希望にて紹介された方です。一四日中絶施行しました。子宮内ゴリゴリしてました。三年前から座骨神経痛が痛むそうです。メンスも不規則にて、卵巣に異常があるのではないかと考え、ME外交致しました」旨記載して(甲カ37の六の2)、被告AにME検査とコンサルを依頼した。同月二五日、同原告は本院に出向き、被告AによるME検査を受けたが、同被告は同原告に対し、ME検査中及びその後のコンサルにおいて、「子宮が腫れてこぶし大になっているんだよ。卵巣も左右とも鶏の卵ぐらいになっている。このまま放っておくと子宮が腐って一年しか命が持たないよ。子供も二人いるのだから、子宮も卵巣もいらないだろう。腰痛、冷え性も治るし、きれいにもなる。すぐ入院した方がいいよ」等と告げ、これに驚いた同原告はしばらく考えさせてもらう旨述べ、帰宅した。被告Aは、右「医事相談指示」用紙の相談課説明内容欄に「出来れば早く入院して全摘目的の検査としました。家庭で相談して早く入院する様にしました」旨記載してきた。また、被告Aは、同原告のME写真の再コピーした用紙に「子宮筋腫と卵巣嚢腫」、また、ME検査で炎症の有無は判断できないにもかかわらず「卵巣は炎症的で内容は悪い」と記載して医師に回し、これは本院の被告Dの机に置かれたが、右ME写真の再コピーは不鮮明なもので、医師が診断に利用できるようなものではなかった。

同原告は、昭和五四年一月四日ころ、右鼠蹊部に痛みを感じるようになり、前記被告Aから告げられた子宮、卵巣の異常と関係があるのではないかと不安になったことから、同月五日、所沢市所在の国立西埼玉中央病院に出かけて診察を受けたところ、子宮びらん以外には、婦人科的にはその他どこも悪いところはないとのことであったが(甲カ37の二)、同原告は、これを聞き、かえって、同病院には富士見病院のような機械もなく、異常を発見できなかったのではないかと不安となり、更に、同月一二日には右鼠蹊部にこれまでよりも強い痛みがあったことから、翌一三日、分院を訪れ、被告Dに右鼠蹊部痛や左下腹痛があることを告げたところ(甲カ37の一の1の四丁)、同日のうちに、同被告の手配により、迎えの自動車で本院に行き、被告AによるME検査を受けた。被告Aは、ME検査をしながら、同原告に対し「それ見ろ。卵巣がこの前より大きくなっているじゃないか。すぐ切らないと駄目だ」と告げ、これを聞いて、同原告は直ちに入院を承諾した。

同原告は、同月一七日入院し、同月二四日、被告Bにより子宮及び両側付属器を摘出する手術を受けて、同年二月一〇日に退院した。

ところで、同原告については、昭和五三年一二月一四日の中絶手術後、昭和五四年一月一七日の入院に至るまで、内診は行われていないが、同月一三日のカルテに記載された被告Dの診断は「膣部びらん症、附属器炎」であり(甲カ37の一の2の一丁)、また、同被告は、同日付けの「ME指示表」の探査指示内容の「卵巣腫瘍の有無と状態」「卵管異常の有無と状態」「炎症の有無と状態」欄に印を付け(甲カ37の五の2)、「医事相談指示」用紙に、「一二月二五日にMEコンサルお願いした方です。OPEは夏休み迄待ちたい御希望でした。昨日外出した所又左下腹痛(いつも同じ所)があったそうです。二時間位の立ち仕事でも、同じ所が痛むとのこと、腹水でもあるのではないかと思う」旨記載したところ、被告Aは「出来れば入院検査必要その上でOPEの事は決めるにしても早く入院した方がよしと申しておきました。場合では本日主人と来院する予」と記載し(甲カ37の六の3)、また、被告Aは、不鮮明で医師の診断に利用できるとはいえない、同原告のME写真を再コピーした用紙に、「子宮筋腫で両側卵巣はピンポン小型大、左卵管溜水腫でこれは長5.2cm、巾4.3cm大の肥大」と記載して(甲カ37の一の2の一三丁)、これらを医師に回したところ、同日、被告Cは、同原告について「子宮筋腫及び卵巣嚢腫、附属器炎の疑い」とカルテに記載し(甲カ37の一の2の一二丁)、また、昭和五四年一月一六日、被告Dは「子宮筋腫、卵巣嚢腫、卵管溜水腫」との診断書を作成しており(甲カ37の一の一の四丁)、これら医師らは、被告Aの医学的根拠が不明の子宮筋腫等の判断にそのまま追随していたものと考えざるを得ない。

(二) なお、同原告については、同年一月一八日の内診所見において、子宮は「超鵞卵大、硬い」とされているが(甲カ37の二の六一丁)、被告Dは、それ以前、同原告の入院までの同原告からの左下腹部痛及び右鼠蹊部の痛みとの主訴(なお、同原告の鼠蹊部痛は、本件の摘出手術後も継続したもので、結果として、卵巣の異常とは関係がなかったものと考えられる。)と、子宮膣部びらんしか認めなかったにもかかわらず、被告AのME診断による子宮筋腫及び卵巣嚢腫との記載に従って、同原告につき子宮筋腫、卵巣嚢腫及び卵管溜水腫との判断をしたもので、同原告が富士見病院に入院する必要はいまだ明らかでなかったといわざるを得ず(なお、前記のとおり、同年一月一五日には国立西埼玉中央病院で、子宮膣部びらん以外の婦人科の傷病を否定されている。)、さらに、同原告の入院中に行われた腎盂尿管造影、子宮卵管造影術、内腔試験掻爬(子宮内腔長七センチメートル、甲カ37の二の六二丁)及び貧血検査の結果にはいずれも格別の異常はなく、また、ポラロイド写真上の計測値(子宮につき縦約九センチメートル、横約5.5センチメートル)、摘出臓器の重量九〇グラム等は、同原告が二児の経産婦であったことから見ると正常範囲と判断でき、前記のとおり、同月一八日の内診所見によれば子宮は「超鵞卵、硬い」とされていたとしても、子宮についても更に手術の要否について慎重に診断がされるべきで、いまだ子宮及び付属器の摘出の必要性は認められなかったもので、それにもかかわらず、同原告に対して前記手術をしたことは違法といわざるを得ない。

(三) 同原告に対する医療行為に関与したのは、入院中の検査、処置、被告Aへのコンサル依頼、手術の助手を務めた被告F、内診、Aの超音波検査結果に従った診断、入院中の検査、処置、手術時の麻酔医を務めた被告D、内診、コンサル依頼、ME指示、手術の執刀を行った被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、診断、検査、処置を行った被告C、入院中の処置を行った被告Gで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めた不要な入院、治療を強いられ、手術後の性欲減退、性交痛、疲労感などの後遺症等の損害を被り、これらを慰謝するための金員としては、金七〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金七〇万円が相当である。

35 原告番号38<氏名略>について

(一) 原告<38>(昭和二年三月一五日生。手術時四六歳。挙児二名)は、昭和四八年九月一七日、子宮癌の検診、婦人科検診等を目的として富士見病院分院を訪れ、被告Dの外来診察を受けたが、その内診は「子宮超鶏卵大、固さ固い。子宮膣部小びらん。リビドー着色(±)。子宮膣部浮腫状」というものであり(甲カ38の一の四丁)、同被告から、トリコモナス膣炎と告げられ、錠剤をもらい、薬がなくなったらまた来院するようにといわれた。その後、同原告は、同年一一月二日及び同月二八日にも分院を訪れたが、同月二八日の診察の際、同被告から、子宮癌の検査などは皆本院でやっているので本院に行くように勧められるとともに、「トリコモナスは治っているが、子宮筋腫があるような感じで小さいようですが、一度本院で見てもらった方がよい」といわれたが、特に身体の異常を感じていなかった同原告はそのままにしていた。

同原告は、昭和四九年二月八日、分院における外来診療の際に、被告Dから、本院にはMEというすごい機械がある旨を説かれ、富士見病院の車で本院に向かい、同本院のME検査に回されたが、被告AによるME検査の後、同被告から「卵巣が腫れており、破裂しそうだ。至急入院して手術しなければならない」との趣旨を告げられ、同被告を医師だと誤信していたことから、同被告の言うとおりに卵巣が破裂しては大変であると思い、入院を決意し、同月九日に入院し、同月一六日、子宮及び両側付属器を摘除する手術を受け、同年三月二日に退院し、以後同年五月一四日まで数回通院し、ホルモン注射を受けた。なお、同年六月五日、同原告は離婚した。

(二) 同原告は、受診時、格別の身体的異常を感じておらず、富士見病院における内診、血液検査の結果でも異常がなく、摘出臓器の重量からして、子宮、卵巣は正常な大きさの範囲内であった。この点について、外来初診を担当した被告Dからも、被告Bを除く他の被告らからも、格別の反論・反証はない。

(三) 手術の執刀をした被告Bは、昭和六〇年一一月二六日付け準備書面や、陳述書(乙カ38の一)や、第九三回口頭弁論期日におけるその証人尋問において反証を試みているが、その内容は、要するに、①同原告の子宮筋腫等の診断は、従前に、被告D、同E、同Cらが独自に行った、②同原告は「院長を信頼して、すべておまかせします」などと言った、というに帰するものであり、同原告に対する子宮及び両側付属器の全摘手術が必要であったとする医学的な根拠を何ら明らかにしていない。なお、被告Bは、外来初診時の内診所見では子宮の大きさについて「超鶏卵大」と記載があるのに(甲カ38の一の四丁)、これを「超鵞卵大」と陳述したり(乙カ38の一の一丁表)、また、昭和四九年二月一一日の内診所見では同右について「鶏卵大」と記載があるのに(甲カ38の一の三四丁表)、これを「鵞卵大」と陳述したり(乙カ38の一の三丁表)するなど、カルテの記載と違うことまで主張して反論しているものである(第九三回口頭弁論期日における同被告の証人尋問調書四六頁以下参照)。

(四) 同原告に対する医療行為に関与したのは、①被告D(初診、入院前外来診察とME検査の指示、入院中の検査等の指示、手術の麻酔を担当)、②被告B(入院中の検査・処置の指示、手術の執刀)、③被告A(ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意させた。)、④被告C(入院前の外来診察)、及び⑤被告E(入院中の診察、手術の助手)の五名であり、当時富士見病院に当時在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(五) 同原告は、全摘手術の適応のない正常な子宮、卵巣を摘出されたものである。なお、同原告の離婚と右手術との関係については、同原告が術後に「性交して感覚がない」と被告Bに訴えていたことが認められる(甲カ38第一号証の三丁、昭和四九年五月一四日)ものの、夫婦の離婚原因がそれのみであるとは到底考えられないから、手術の結果が離婚につながったとの同原告の説明(甲カ38の二の一一項4、第五八回口頭弁論期日における同原告の本人尋問調書二三、二四項)があるからといって、直ちに右が裏付けられているとは認められず、他にこれを認めさせるに足りる的確な証拠はない(些か理想論かもしれないが、同原告の年齢等からしても、一方が不調の時にこそいたわりあうのが通常の夫婦というべきであり、手術から数か月後に離婚したということからすれば、他に格別の離婚理由があったものと疑わざるを得ないところである。)。また、同原告は、手術後、冬でも大汗をかく、手足や皮膚の感覚麻痺、頭痛、手足の関節痛、性欲減退などの後遺症に悩まされた旨主張、陳述、供述するところ、それが全部本件手術による後遺症といえるかについては、証拠上必ずしも明らかでない。したがって、同原告の被害が、全摘手術を受けたその余の患者原告らの被害よりも特に大きいとは認められない(もっとも、その請求額自体は、右のその余の患者原告らと同額であるから、右離婚の点を含めて、同原告の右に係る主張には特別の含意があるわけではないと認められる。)。

(六) 以上による同原告の精神的苦痛を慰謝する慰謝料としては、金一〇〇〇万円、弁護士費用として金一〇〇万円が相当である。

36 原告番号39の<氏名略>について

(一) 原告<39>(昭和二四年四月三日生。手術時二八歳。挙児一名)は、昭和五二年五月二五日、住居近くの産婦人科医院で長女を出産したが、出産後一か月が経過しても少量ながら性器出血が続いたことから不安となり、知人から、富士見病院には日本に何台しかない素晴らしい診療機器があるので調べてもらえば原因が分かるかもしれないという助言を受けたことから、同年七月二八日に富士見病院を訪れ、被告Cの初診を受けた。同被告の内診等の結果は「子宮は前傾前屈、小児頭大から超小児頭大、硬い。付属器は触れにくい。リビドー着色(−)、びらん(±)、陳旧性頸管裂傷、軽度出血性、分泌物血性」というもので、「子宮復古不全、子宮筋腫」と診断され(甲カ39の一の七五丁)、同日、同被告から被告AにME検査が依頼されて実施されたが、同被告は、ME検査終了後、理事長室において、同原告に対し「子宮筋腫がかなり大きくなっている。今すぐ入院して手術をしなければ死んでしまう」「後で癌など心配しなくて済むから全部取ってしまいなさい」等と告げ、これを真実と受け取り驚いた同原告に入院を承諾させ、同原告は即日富士見病院に入院した。

また、被告Aは、同日のME写真の再コピーをした用紙の余白に「卵巣嚢腫(左)。子宮筋腫に復古不全を起こし、子宮の炎症も強度である。左卵巣の肥大○○○○○(判読不能)がある。内容物は子宮の下部に附着して○○(判読不能)内膜の炎症は最も強い。」などの記載をし(甲カ39の一の三丁)、これは被告Cに回されたが、同写真のコピーは不鮮明で、医師の診断に利用できるようなものではなかった。

同被告は、同日入院した同原告について、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示を出し(甲カ39の一の五二丁)、同月八月一一日に被告Cにより子宮及び両側付属器を摘出する手術が実施された。同原告は、同月三一日退院した後、富士見病院に通院してホルモン注射を受けていたが、その後、マスコミでいわゆる富士見病院事件が報道されるようになって通院を止めた。同原告は、本件手術後の昭和五二年一一月ころから、以前にはなかった腰痛や肩こりの症状を覚えるようになり、また、イライラすることも多くなった。

(二) ところで、同原告は昭和五二年五月二五日に出産を済ませたばかりであるから、子宮収縮剤、抗生物質を投与して子宮の十分な復古を待った上で子宮筋腫の治療に当たるべきものであり、また、同原告の子宮側面には筋腫核が認められるが、これは、核出手術を行っても子宮内腔の変形や卵管を損傷しない位置に存在しており、同原告が二人目の子を望んでいたことを勘案すると、たとえ手術を行うとしても、子宮に関しては筋腫核出手術にとどめるべきであったといえる。また、卵巣については、内診所見その他に、異常を認めるべきものはなく(唯一、開腹時所見に右卵巣PCOなる所見が記載されているが、同原告の右卵巣は、縦約一センチメートル、横約二センチメートルと推定され正常な大きさであり、表面も正常であるから、PCOとは認められず、同原告の卵巣は正常であったというほかない。)、正常な卵巣を摘出したものといわざるを得ない。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、入院中の検査処置の指示、診察、手術の執刀を行った被告C、ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、診察をした被告B、ラミナリア桿挿入、診察、手術の助手をした被告F、診察を行った被告Dで、当時在職していた医師全員と被告Aが関与した。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたもので、術後のホルモン注射を含めて不要な治療を強いられ、手術後も体の不調を訴えているもので、これらを慰謝する金員としては金七〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金七〇万円が相当である。

37 原告番号40<氏名略>に対する不法行為

(一) 原告<40>(昭和二七年一月八日生。手術時二二歳。当時挙児なし)は、昭和四九年一月八日婚姻し、それから約八か月後の同年八月二八日ころ、生理の時期でないのにおりものがあったことから、妊娠の可能性を疑い、同月三〇日富士見病院を訪れ、被告Bの初診を受けた。初診時の同原告の主訴は、同月二八日にピンク色の出血があったというものだけであり、同被告の内診は「子宮後傾後屈、大きさ鵞卵大、硬さは柔らかい」というもので(甲カ40の一の一丁)、また、ゴナビス妊娠反応の結果はマイナスであった(同五丁)。

同日、被告Bは、被告Aに対し同原告のME検査を依頼し(甲カ40の六)、同原告は、被告AによるME検査を受けたが、その終了後、同原告は、被告A(同原告は同被告を医師と誤信していた。)から「子宮外妊娠の疑いがある。すぐに入院しなければならない。今帰ると命の保証はしない」旨告げられ、そのまま富士見病院に入院することになり、同年九月三日、被告Bによって、右付属器摘出、左卵巣部分切除、虫垂切除、子宮後屈修正術の手術を受け、同年九月一七日に退院した。同原告は、手術後はそれまでなかった月経時の激しい下腹痛に苦しむようになり、そのために、その後も富士見病院に一ないし数日の入院をし、また、通院を昭和五三年一二月まで続けた。

(二) ところで、同原告については、初診時同年八月三〇日、被告Bから被告Aに対し、ME検査とコンサルを依頼し、医事相談指示事項「子宮と卵巣の状態 ME願います 結果で入院させてください」とされたところ、これに対する被告Aの説明内容は「外妊の疑いで入院」というものであり(甲カ40の六の二丁)、また、同被告は、同原告のME写真からは外妊の疑いなど到底読みとれる状況になかったにもかかわらず(第一〇三回口頭弁論期日における被告Bの供述調書六二ないし六五頁)、右ME写真の再コピーの余白に「子宮後屈症=外妊の疑い」と記載してこれを被告Bに回し、これを受けて、同被告は「外妊の疑い」と指示して同原告を入院させている(甲カ40の一の六四丁)。しかしながら、入院後、入院当日(同月八月三〇日)及び翌三一日にゲステートによる妊娠反応の結果がいずれもマイナスであったことから(甲カ40の一の八一丁、八二丁)、同月三一日、被告Bは、被告Aに対し、コンサルを依頼し、医事相談指示事項に「ゲステートは(−)ですので、外妊とはいまいえませんが腹痛もありますし、一週間位経過みたい」と記載し、これに対し、被告Aは「とにかく外妊か卵炎か、又はモウチョウなのか今検査してる。第一に外妊を疑い、外妊であった場合は大変だから、もう少し待てと申し添えた。七日は診て行かねばと」とし(甲カ40の六の二丁)、さらに、同年九月二日、被告Bは、被告Aに対し、再度ME検査とコンサルを依頼し、医事相談指示事項に「大部始よりはよくなってきているが、手術的に治療するか、ちらすか御相談ください」とし、これに対し、被告Aは「ovarian(卵巣嚢腫)の整型、後屈の治療の目的を以てOPとす」として手術内容を決め(甲カ40の六の四丁)、また、ME写真の再コピーの余白に「卵巣炎か外妊かの一つであると思います。確かに炎症状態の腫瘍がある。UTERIS(子宮)は後屈でその上MYOMA(筋腫)」である旨を記載して、これを被告Bに渡しており(甲カ40の一の八七丁)、同原告の手術は、被告Aが決め、被告Bはこれに従ったものであることが認められる。

このようにして、同原告は前記手術を受けたものであるが、同原告は、受診時、何らの身体的異常は感じておらず、初診時及び入院中の検査結果等を見ても、子宮卵管造影の結果(甲カ40の一の六四丁)、血液検査の結果(同八五丁)にはいずれも卵巣の異常を疑わせるものはなく、ポラロイド写真による卵巣の計測値(甲カ40の三、甲サ六七の3)からも、右卵巣の摘出を要するような異常は認められず、手術は不要であったといわざるを得ない。また、左卵巣の一部切除について、仮にこれが不妊治療目的であったとしても、正常な卵巣に対してその効果があるものではなく、その必要性や合理性は認められない。

なお、たとえ、同原告について、ダグラス穿刺の結果腹水が血性であったとしても、ほかの検査結果や症状と併せて判断すると、同原告の場合は開腹手術を必要とするような疾病の診断はつかず、まして、右手術の三年以上経過した昭和五二年一二月に行われたダグラス穿刺の結果も腹水は血性であったことからすると、右手術で摘出された部分がその原因であったともいえず、卵巣を摘出する理由とならない。

なお、同原告は、昭和五四年一二月二六日男児を出産した。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、手術の執刀を行った被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、手術の際の麻酔を担当した被告D、診察をした被告Eが関与した。

なお、当時被告病院に在職した被告Cの直接的関与は不明であり、同原告についての具体的関与を認めさせるに足りる的確な証拠がない以上、同被告については同原告に対する責任を負わないとするのが相当である。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、必要がない右卵巣摘出及び左卵巣部分切除を受けたもので、手術直後からの月経時の激しい下腹痛という後遺症等の損害を被っているもので、これらを慰謝する金員としては金三〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金三〇万円が相当である。

38 原告番号41の<氏名略>について

(一) 原告<41>(昭和七年一月七日生。手術時四七歳。挙児二名)は、帯下があり、二、三年前にポリープを取ったこともあったので、癌検診のつもりで、昭和五四年五月二二日に富士見病院を訪れ、外来患者として被告Bの診察を受けた。同原告の主訴は不正性器出血であり、同被告による内診所見は「子宮前傾前屈、超鵞卵大、固い。付属器触れない。分泌物白い。びらん(−)」というもので、同被告は同原告に「子宮筋腫がある」と告げた(甲カ四一の一の一丁)。同日、同原告につき、同被告は、被告AによるME検査及びコンサルを依頼したが、同被告(同原告は同被告を医師と誤信していた。)は、同原告に対し、「子宮筋腫、卵巣嚢腫、筋腫がだちょうの卵の大きさになっている。左の卵巣は紫色になって水が溜まっている。生まれつき左の卵巣が悪かった。早く手術をしないと命を縮める。悪いところは早く取った方がよい」旨を告げ、これを聞いた同原告は気が動転し、手術するしかないと考え、その場で入院することを決めた。

同原告は、翌二三日、富士見病院に入院し、同年六月六日、子宮及び両側付属器を摘出する手術を受け、同月二〇日に退院し、以後、昭和五五年九月まで、一か月に約一回、ホルモン注射を受けるため通院した。同原告は、手術後約一〇年近く、頭痛、右膝の痛み、疲れやすく、膀胱炎や膣炎にかかりやすくなるなどの症状があった。

(二) ところで、同原告につき、被告Aは、同年五月二二日に行ったMEの写真の再コピーの余白に「子宮筋腫、卵巣嚢腫。子宮は変型して筋腫で原型はないという状況。両側卵巣はcyst(嚢腫)、左特に悪く炎症し、水包と血腫と合併している。右も左に及ばない状況で肥大量は少ないが同型の嚢腫」(甲カ四一の二三丁)と、同月三〇日に行ったME写真の再コピーの余白に「子宮筋腫、卵巣嚢腫。右卵巣は炎症強度、左卵巣は血溜の状態」(甲カ四一の六四丁)と記載しているが、手術記録には、左卵巣は「萎縮」とあり(甲カ四一の六九丁裏)、摘出臓器のポラロイド写真でも通常より小さく(甲カ四一の四)、右ME所見は到底信用に値するものではない。

そして、同原告についての、富士見病院における子宮卵管造影の結果(甲カ四一の二の一ないし三)、血液検査の結果(甲カ四一の一の四五丁、五四丁)にはいずれも異常がなく、子宮消息子診における内腔長(同七三丁)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値(甲カ四一の四、甲カ四一の六)、摘出臓器の重量及び手術所見における子宮の大きさの記載(甲カ四一の一の六九丁裏)からすると、子宮及び卵巣の摘出を必要とするような状況は認められなかったといわざるを得ない。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへの超音波検査の依頼、入院中の検査処置の指示、手術の執刀を行った被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の受持医として検査処置の指示、尿管腎盂撮影、子宮卵管造影の検査、診察及び処置、手術の助手を行った被告F、入院中の検査処置の指示、診療処置を行った被告C、入院中診査掻爬、診察処置、手術において麻酔を担当した被告G、入院中の処置、手術において麻酔を担当した被告Dで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 同原告は被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後も体の不調が続いたもので、これらを慰謝する金員としては金七〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金七〇万円が相当である。

39 原告番号42<氏名略>、同58<氏名略>について

(一) 原告<42>(昭和二二年五月一〇日生。手術時三一歳。挙児二名(ただし、第一子は仮死状態で出生し、生後一二日目に死亡している。))は、昭和五二年八月ころ、少量の血性帯下と腰痛があったところ、姉や妹(原告番号32の<氏名略>)が同様の症状で富士見病院で子宮筋腫と卵巣嚢腫との診察をうけて全摘手術を受けていたことから、自分も心配となり、同年九月二日に富士見病院を訪れ、外来患者として被告Bの診察を受けた。原告<42>の主訴は、二、三日の性器出血と腰痛ということであり、被告Bによる内診は「子宮は前傾前屈、鵞卵大、硬い。分泌物白色。びらん(−)」というもので(甲カ42の一の二丁)、同日、同被告の依頼による被告AのME検査及びコンサルを受けたところ、右検査後、被告A(同原告は被告Aを医師と誤信していた。)は、同原告に対し「子宮も卵巣も腐って癌になるおそれがある。一日も早く入院して取った方がよい」「うちはMEという最新鋭の機械で診るから分かるんだ。他のやぶ医者には分からない」旨を告げ、同原告は半信半疑のまま帰宅した。

同原告は、被告Aからの説明が気になり、その後、国立埼玉病院、防衛医大、東京都渋谷区広尾所在の日赤医療センターや自宅近くの開業医二軒を受診したが、その結果は、いずれも子宮筋腫も卵巣嚢腫もなく、国立埼玉病院での癌検診の結果でも異常はなく、そのうち血性帯下や腰痛も消失したので、安心し、そのままにしておいた。

ところが、昭和五三年四月ころ、同原告は、急に下腹部が痛み出し、また同年四月二五日ころから少量の血性帯下があり、他の病院内科を受診しても異常がないと言われたことから、婦人科の病気ではないかと不安になり、前に被告Aから「うちはMEという最新鋭の機械で診るから分かるんだ」と言われたことを思い出し、約半年間放置しておいて病状を進めてしまったのかもしれないと後悔し、同年五月八日再度富士見病院を訪れ、外来患者として被告Fの診察を受けた。同原告の主訴は、性器出血と下腹痛であり、被告Fによる内診所見は「子宮は軽度後傾後屈、ほぼ鵞卵大、硬い、圧痛。右付属器部分に抵抗+、圧痛+。分泌物暗赤色、膣部びらん」というもので(甲カ42の一の三丁)、同日、同被告の依頼による被告AのME検査及びコンサルを受けたところ、右検査後、被告Aは、同原告に対し「やはり子宮筋腫と卵巣嚢腫だ。あのとき手術しておればいいものを、放っておいたからもうすっかり悪くなっている。もう手遅れだ。子宮も卵巣も腐って癌になるおそれがあるから、すぐ入院して手術しなければ駄目だ」などと告げ、同原告は入院を決意した。

また、被告Aは、医事相談指示用紙の医事課指示欄に「全摘OPEとす。四週間」と記載してこれを医師に送り(甲カ42の五の一丁)、被告Fは、同日Aから右の申し送りを受けて、初めてカルテの医師指示録入院要項に「子宮筋腫、全摘目的」の診断名を記載するとともに、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示を出した(甲カ42の一の二九丁表)。

同原告は、同月一一日、富士見病院に入院し、同月二三日、子宮、両側付属器及び虫垂を摘出する手術を受け、同年六月一〇日退院し、以後昭和五五年八月二九日まで月に一ないし四回の割合で、ホルモン注射を受けるため、富士見病院に通院した。

(二) ところで、同原告については、富士見病院における内診、子宮卵管造影検査の結果、血液検査の結果(子宮筋腫の場合に見られる貧血の症状がない。)には格別の異常はなく、子宮消息子診による内腔長(甲カ42の一の六九丁裏五月一七日欄、七〇丁表五月一八日欄)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値、摘出臓器の重量から、子宮・卵巣が正常な大きさであり、右ポラロイド写真の肉眼所見上も、子宮や卵巣に異常は認められず、結局のところ、同原告の下腹部痛は急性虫垂炎によるものであったと認められ、同原告の子宮及び両側付属器の摘出の必要性は認められないといわざるを得ない。

(三) 同原告に対する医療行為には、入院中の内診、手術の執刀を行った被告B、外来再診、被告Aへのコンサル依頼、入院時受持医として診断し、検査処置を指示し、入院中腎盂撮影、子宮卵管造影検査・子宮消息子診を行い、手術で助手を務めた被告F、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中診察、処置、診断し、手術の酸素吸入に関与した被告C、入院中前麻酔を行い、手術時麻酔医を務めた被告Dと、当時富士見病院に在籍した医師全員と被告Aが関与している。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な治療を強いられ、また、手術後、肩こり、のぼせや性交痛が生じるなど体の不調を訴えているものであり、同原告は急性虫垂炎には罹患していたことが認められ、手術の際に虫垂も摘出されていることを考慮しても、これらを慰謝する金員としては金九〇〇万円が相当であり、その弁護士費用は金九〇万円が相当である。

(五) また、同原告は、前記手術による後遺症、特に性交痛によって、夫である原告<58>との性生活が肉体的にも精神的にも苦痛となり、そのことで、同原告と同居しながらも、同原告との性生活ばかりか、同原告との接触さえ避けがちとなり、そのため、夫である同原告も、再び子を設ける機会も奪われたばかりでなく、妻である原告<42>との夫婦関係・生活関係を大きく損なわれ、憤懣と失望の生活を強いられるという損害を被ったもので、これらを慰謝する金員としては一〇〇万円が相当であり、その弁護士費用は金一〇万円が相当である。

40 原告番号43の<氏名略>について

(一) 原告<43>(昭和二三年三月一〇日生。富士見病院における子宮及び卵巣摘出手術時二九歳。挙児なし。本件当時の姓は「△△」で離婚によって復氏した。)は、昭和四六年四月の結婚後約四年経過しても妊娠しなかったことから、昭和五〇年三月一日、富士見病院を訪れ、妊娠検査と数日前からの下腹部の痛みを訴えたところ、同月一二日に、不妊の治療等として両側卵巣楔状切除術を受け、その後、昭和五一年六月まで通院して妊娠の指導を受けていたが妊娠せず、その原因は夫の無精子症にあることが判明して通院をやめていた者である。

同原告は、昭和五三年二月七日、右下腹痛のため再度富士見病院を訪れ、外来患者として被告Cの診察を受けた。同原告の主訴は、約七日前から時々右下腹痛があるというものであり、同被告の内診所見は「子宮は前掲前屈、やや大。左付属器索状抵抗あり、右付属器筋性防衛(+)。びらん(+)、分泌物黄色」というもので「付属器炎、子宮膣部びらん症」と診断された(甲カ四三の一の一の八、二四丁)。同日、同被告は、被告Aに同原告についてのME検査及びコンサルを依頼したが、被告A(同原告は同被告を医師だと誤信していた。)は、同検査時及び同検査後の理事長室において、同原告に対し、「子宮筋腫だ。子宮が大分大きくなっている。腹に水がたまっている。すぐ入院しなければならない」「子宮は血を食べて大きくなる。九センチの大きさだ。子宮を取らないと駄目だ。このままにしておくと貧血がひどくなる。手術しなさい」との旨を告げ、これを信じた同原告に入院して手術を受けることを決意させ、同原告は同月一七日入院した。

なお、被告Cは、同月七日、被告Aに右ME検査及びコンサルを依頼するに際し、医事相談指示の用紙に「(1)50.3.12、EDr OV OP(卵巣手術)をした方 (2)本日約二年ぶりに来院 右下腹痛いといいます(白血球略正常) (3)ME御依頼 ―上記ご相談下さい。―」と記載し、これに対し、被告Aは「相談課説明内容」欄に「主人は0(無精子の意味)であるし、自分はmyoma(筋腫)も発達して来てこれ以上待つ事は困難である。体力的もむりを及ぼすかも知れない。全摘としてしまう事が良いかも知れないので主人と相談して見ては……と申しておいた」と記載し、また、その「医事課指示」欄に、同月一七日に「全摘目的としました」と記載した(甲カ43の七の1)。また、被告Aは、同月七日のME写真を再コピーした用紙に「子宮は完全な筋腫で硬く。右卵巣鶏卵大半型の嚢腫(水胞)炎症があり左も同様状況。但し肥大の量は左は少ない。子宮は凸状多い」と記載し、これは被告Cに回されているが、このME写真の再コピーは不鮮明で、到底医師が診断に利用できるものではなかった(甲カ43の一の1の二七丁)。

被告Cは、同原告につき、初診時(同月七日)には子宮全摘までは考えていなかったが(被告Cの第一〇四回口頭弁論における供述調書六六、六七頁)、被告Aが医事相談指示の用紙等に記載した前記事項を見て、同月一七日の入院時、同原告を「子宮筋腫、卵巣嚢腫」との診断名で入院させ(甲カ43の一の1の二四丁、三二丁)(なお、前記のとおり、同月七日の被告Cによる診断は「付属器炎、子宮膣部びらん症」であったもので、その後右入院に至るまで、同原告の診察はなかった。)、また、同日、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示を出し(甲カ43の一の1の三三丁)、同年三月九日、子宮及び両側付属器を摘除する手術を行った。

同原告は、同月二七日に退院し、以後昭和五五年九月まで、一か月に約一回の割合で、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院を続けた。

(二) ところで、同原告については、富士見病院における右入院中の子宮卵管造影の結果、血液検査の結果にはいずれも異常がなく、右下腹痛は入院後消失して、風邪をひいた以外何らの症状もなく、摘出臓器のポラロイド写真の子宮に筋腫結節はなく両側卵巣も平滑均質で異常は認められず(甲カ43の四)、子宮消息診による内腔長(甲カ43の一の1の六七丁)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値、摘出臓器の重量(甲カ43の一の1の六四丁表)からも、子宮、卵巣が正常な大きさで、同原告の診療過程において異常は認められず、子宮、卵巣を摘出する必要性があったものとはいえない。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、尿管腎盂撮影、子宮卵管造影等検査、診察処置、手術の執刀を行った被告C、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の検査処置の指示、診察、診察処置、手術の助手を行った被告F、入院中処置、診察、手術の麻酔を担当した被告D、入院中診察処置を行った被告Bと、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後は、カーッと身体が熱くなり、全身から汗が出て手などが真っ赤になる症状が出ており、これらを慰謝する金員としては金七〇〇万円が相当であり、その弁護士費用として金七〇万円が相当である。

41 原告番号44の<氏名略>について

(一) 原告<44>(昭和一五年一月四日生。手術時三六歳。挙児二名)は、昭和五一年三月二二日を最後に、しばらく月経がなかったことから妊娠ではないかと考え、同年五月一三日富士見病院を訪れ、被告Cの診察を受けた。同被告による内診は「子宮前掲前屈、鵞卵大、一部硬い。付属器触れにくい。リビドー着色」(−)、びらん(+)、分泌物白色」というもので、また、ゴナビス検査による妊娠反応はマイナスであり、診断は「子宮筋腫、両側卵巣嚢腫の疑い、子宮膣部びらん」というものであった(甲カ44の一の一丁、四丁)。同被告は、同原告につき被告AによるME検査及びコンサルを依頼したが、被告A(同原告は同被告を医師と誤信していた。)は、同検査終了後、理事長室において、同原告に対し「子宮筋腫で、とても大きくなっているからすぐ手術しないと木の芽どきまで命が持たない。すぐ入院しなさい」と告げ、これに驚いた同原告は、同被告の言葉を信じて入院を決意した。また、被告Aは、同日同原告について実施撮影したME写真の再コピーした用紙の余白に「子宮筋腫、両側卵巣嚢腫で内容悪い」と記載して医師に回しているが、右ME写真の再コピーは不鮮明で、到底医師の診断に利用できるものではなかった(甲カ44の一の五丁)。

同原告は、同月二四日富士見病院に入院したが、被告Cは、同日の同原告の入院要項として「(1)子宮筋腫 (2)卵嚢 (3)全摘目的」と記載し、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A手術」の指示を出し、同年六月二日、被告Bにより子宮及び両側付属器を摘出する手術が行われた。同原告は、同月一六日退院し、以後昭和五五年九月まで、富士見病院に通院し、ホルモン注射を受けるなどしたが、手術後、手術前にはなかった発汗、のぼせ、頭痛、寒気、冷え性及び疲労しやすい、慢性湿疹等の症状に悩まされている。

(二) ところで、同原告は、妊娠の疑いをもって富士見病院を訪れたものであるが、受診時、月経が予定よりも遅れているという以外には、何らの身体的異常も感じておらず、子宮卵管造影術の結果(甲カ44の二)、血液検査の結果(甲カ44の一の三二丁)にはいずれも異常はなく、子宮消息子診による子宮内腔長(甲カ44の一の四二丁)、ポラロイド写真による子宮・卵巣の計測値、摘出臓器の重量から子宮・卵巣が正常の大きさであったと考えられ、子宮及び卵巣を摘出することに合理性があったとは到底認められない。

なお、同原告のカルテには、子宮卵管造影術検査において「子宮筋腫、両側卵巣嚢腫 確実!」との記載があるが(甲カ44の一の四二丁)、前記子宮卵管造影術の結果によれば、子宮の異常を認めることができず、また、卵管の延長像、腫瘍の輪郭も認められず、右記載内容は信用できない。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへの超音波検査の依頼、入院中の検査処置の指示と検査の施行、診察、手術の助手を務めた被告C、超音波診断装置を操作し、同原告に根拠のない診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、同原告に対する診察及び手術の執刀を行った被告B、同じく診察・処置を行い、かつ手術で麻酔を担当した被告Eが関与した。

なお、当時同病院に在職した被告Dの直接の関与は不明であり、同原告についての具体的関与を認めさせるに足りる的確な証拠がない以上、同被告については同原告に対する責任を負わないとするのが相当である。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後も身体の不調を訴えているもので、これらを慰謝する金員としては金一〇〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

42 原告番号45の<氏名略>について

(一) 原告<45>(昭和九年九月二一日生。手術時四二歳。挙児二名)は、昭和五二年一月二一日に他院で人工妊娠中絶を受けた際、担当医師から「子宮筋腫があるかもしれない」との指摘を受けたことから、特に自覚症状もなかったが、心配となり、友人から設備の整った大きな病院であると聞いていた富士見病院で診察を受けようと考え、同年二月七日に同病院を訪れ、外来患者として被告Fの診察を受けた。同原告は、他院で人工妊娠中絶手術を受けた際に子宮筋腫があるかもしれないとの指摘を受けたことと、自覚症状は特にない旨を伝え、被告Fによる内診所見は「子宮前傾前屈、超鵞卵大、固い。付属器触れない。子宮膣部異常なし。頸管分泌物白色少量」というもので、初診時には何らの病名の診断もされなかった(甲カ45の一の一丁)。同被告は、同日、同原告につき被告AによるME検査及びコンサルを依頼したが、被告Aは、同検査終了後、同原告に対し「子宮筋腫がすごいよ。すぐに手術をしなくちゃいけない」と告げ、さらに、翌八日、同病院を再度訪れた同原告及び同行した夫に対し、「子宮筋腫です。卵巣も相当悪い。すぐ入院して手術を受けなければ大変なことになる」と告げ、同原告に入院を決意させた。また、被告Aは、同日同原告について実施撮影したME写真の再コピーした用紙の余白に「子宮筋腫、卵巣嚢腫。子宮は凸状のある筋腫で完全に肥大しているが、特大ではない。左卵巣は一般よりヤヤ大きい程度で、右は鶏卵小型大嚢腫。内容は○○(「○○」は判読不能。)」と記載して、これは被告佐々木に回されているが、右ME写真の再コピーは不鮮明で、医師の診断に利用できるようなものではなかった(甲カ45の一の一〇丁)。

同原告は、同月九日富士見病院に入院したが、被告Fは、同日の同原告の入院要項として「①子宮筋腫+両側卵巣嚢腫 ②全摘目的」と記載し、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A手術」の指示を出し、同年三月一日、被告Bにより子宮、両側付属器を摘出する手術が行われた。同原告は、同月一九日に退院し、同年九月まで通院し、ホルモン注射を受けるなどしたが、手術後、肩こり、頭痛、イライラなどに悩まされている。

(二) ところで、同原告は、他院にて子宮筋腫の可能性を指摘されていたものの、富士見病院の受診時には下腹痛、不正性器出血その他の身体的異常を何ら感じておらず、子宮卵管造影の検査(甲カ45の一の六〇丁)、子宮消息子診(甲カ45の一の五九丁)にはいずれも異常がなく、摘出臓器のポラロイド写真(甲カ45の二)から計測される約9センチメートル×約6.5センチメートルとの値、摘出臓器の重量である一四〇グラムとの数値(甲カ45の一の五五丁、甲カ45の三)からすると、子宮が摘出を要するようなものであったとはいえず、また、同原告の子宮の左卵管付け根に小さな筋腫核は認められたものの、これをもって子宮を摘出することが必要となるようなものではなく、さらに、卵巣の異常は認められず、本件手術は不必要なものであったといわざるを得ない。

もっとも、被告Bは、同原告がひどい貧血であったこと、貧血は子宮筋腫に由来すること、左卵管付け根に筋腫核があること、右卵巣が「ガム状」であったことをもって子宮及び両側卵巣の摘出を正当化するが(第九七回口頭弁論期日における被告Bの尋問調書四六ないし五〇頁、乙カ四五の一)、しかし、同原告の貧血は、昭和五二年一月二一日に行われた人工妊娠中絶の際の出血が多かったことによるという可能性を否定できず、貧血と子宮筋腫の関連を結びつける他の検査結果もないこと、指摘される筋腫核らしいものが存在することは否定できないものの、それは小さなものであって、子宮の摘出を正当化することはできず、また、右卵巣が「ガム状」との主張もポラロイド写真との対照からして疑わしく、到底卵巣の摘出を正当化しうるものではない。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、手術の助手を行った被告F、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中同原告に検査措置の指示、手術の執刀を行った被告B及び入院中同原告に検査措置の指示を行った被告Cが関与した。

なお、当時同病院に在職した被告Dの関与は不明であり、同原告についての具体的関与を認めさせるに足りる的確な証拠がない以上、同被告については同原告に対する責任を負わないとするのが相当である。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後も身体の不調を訴えているもので、これらを慰謝する金員としては金九〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金九〇万円が相当である。

43 原告番号46の<氏名略>について

(一) 原告<46>(昭和一八年九月二九日生。手術時三五歳。挙児三名)は、月経が終わった後も少量の性器出血が続いていたことや、その二、三か月前から性交痛や右下腹部痛があったことから、昭和五四年六月九日に横浜市所在の横浜中央病院で問診、内診及び組織検査等の診察を受けて「子宮内膜症」の診断を得、投薬を受け、経過観察すると告げられ、同月二三日には、同病院の医師から、検査結果は悪性ではなかったと告げられ(甲カ46の四ないし六)、また、性器出血や右下腹部痛も消失していたが、かねがね、友人から、身体の中の状態が分かる超音波の良い機械があって、施設の整ったきれいな病院があると富士見病院のことを聞かされていたことから、機械による検査も受けたいと考え、同月二六日、富士見病院を訪れ、外来患者として被告Bの初診を受けた。同原告は、被告Bに対し、月経後約二週間続いた性器出血と横浜中央病院での診察の経過などを説明し、被告Bの内診所見は「子宮後傾後屈、超鵞卵大、固い。付属器触れない。分泌物白い(もはや出血はないことを示す。)。強い筋性防衛」というもので、病名の診断はせず(甲カ46の一の一丁)、また、同原告に対して病名等の説明もせずに、MEを受けるように指示して、被告Aに同原告のME検査とコンサルを依頼した。同日、被告A(同原告は同被告を医師と誤信していた。)は、ME検査後、同原告に対し「子宮が筋腫が大きく、子宮の形が崩れ、内部がただれている。卵巣は腫れて水が溜まっていて破裂寸前だ。手術せず放っておくと、癒着して命が危ない。癌になるおそれがある」と告げ、これに驚いた同原告は、入院して手術をする決意をした。また、被告Aは、同原告についての同日のME写真を再コピーした用紙に、「子宮筋腫で後屈している。肥大量も割合と多い。両側卵巣は共に鶏卵の肥大で、左は血腫状で炎症多い。右は水包状で下部は血腫これも炎症多い」と、ME検査では判明しないはずの炎症の点にまで言及した記載をして、これは被告Bへ回されたが、この写真再コピーは不鮮明で、到底医師の診断に利用できるようなものではなかった(甲カ46の一の一九丁)。

同原告は、同月二八日富士見病院に入院したが、入院時には「子宮内膜症、子宮筋腫、膣部びらん」と診断され、富士見病院において、子宮及び両側付属器の摘出手術(全摘手術)を予定した患者に行われていた「術前A検査」の指示が出され(甲カ46の一の二七丁、三〇丁)、同年七月六日、子宮及び両側付属器を摘出する手術を受けた。同原告は、同月二五日退院し、以後昭和五五年八月二五日まで、ほぼ一か月に一回、ホルモン注射を受けるため通院を続けた。同原告は、右手術後は、頭痛、吐き気が起こりやすく、イライラするようになった。

(二) ところで、同原告については、横浜中央病院において子宮内膜症は疑われたが、他の疾患は認められなかったところ、富士見病院における子宮卵管造影の結果、子宮内腔像に異常がなく(甲カ46の三)、血液検査の結果(甲カ46の一の三九丁、四七丁)からも異常が認められず、富士見病院での診査掻爬及び横浜中央病院での子宮消息診による内腔長(甲カ46の一の六三丁裏、甲カの四号証の二枚目)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の大きさ(甲カ46の三)、横浜中央病院での内診結果(甲カ46の四の二、六枚目)から、子宮、卵巣に異常があったとは認められず、子宮、卵巣を摘出すべきではなかったといわざるを得ない。

なお、横浜中央病院では、子宮内膜症が疑われたが、子宮内膜症であれば、子宮の表側に黒っぽい点ができたり、子宮の筋層がしこりになったり、チョコレート嚢腫を来したりするものであるが(第三七回口頭弁論期日の佐々木靜子証人尋問調書三〇、三一頁)、手術所見にはこのような子宮内膜症を思わせるような記載はなく、結局同原告は子宮内膜症であったとの診断もできないものであるが、仮に、子宮内膜症と診断したとしても、横浜中央病院でされたように、止血剤や鎮痛剤の投与により経過を観察すれば足りるものであり、子宮摘出の適応ではなかった。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへの超音波検査の依頼、入院中の検査処置の指示、子宮卵管造影検査、手術の執刀を行った被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告Aの外、入院中の「受持医」として検査処置の指示、尿管腎盂撮影、診察処置、手術の助手をつとめ、麻酔を担当した被告F、入院中検査処置を指示、細胞診その他の検査、診察を行った被告C、入院中診察処置を行い、手術で麻酔を担当した被告G、入院中診察処置を行った被告Dと、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後も体の不調を訴えているもので、これらを慰謝する金員としては、金一〇〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

44 原告番号48の<氏名略>について

(一) 原告<48>(昭和二〇年二月二六日生。手術時三一歳。挙児なし)は、幼いころから身体が余り丈夫な方ではなく、昭和五〇年一一月に結婚した後も、頭痛やめまい等の症状があり、体調がすぐれなかったことから、昭和五一年二月ころ、東京労災病院に約三週間入院して検査や診察を受けたところ、泌尿器科で「腎臓が下がっている。これから子を産むのなら、腎臓を上げる手術をした方がいいかもしれない」と言われていたことから、同病院退院後避妊を続けていたが、長年埼玉県所沢市に居住しており、被告Bを腕の良い医師だと思っていた同原告の実父から、同被告が院長を務める富士見病院で診てもらうことを勧められ、同年五月二六日富士見病院を訪れ、外来患者として被告Eの診察を受けた。同原告は、東京労災病院で告げられたことを同被告に述べ、「私の身体で子供は産めるのですか」と尋ねたが、同被告による内診所見は「子宮は前傾前屈、次鵞卵大、固い。付属器は触れにくい。膣部円錐状。分泌物帯白色」というもので、同被告は「筋腫様」と診断し(甲カ48の一の一丁)(第一〇二回口頭弁論期日における被告E本人の供述(同調書三一、三二頁)によれば、「筋腫様」とは子宮筋腫も一応考えられるという程度の意味であり、また、このときには卵巣腫瘍を疑わせる内診所見はなかったものである。)、同原告につき、被告AにME検査及びコンサルを依頼した。

同日、被告Aは同原告についてME検査を行った(なお、同原告は同被告を医師だと誤信していた。)後、理事長室において、同原告に対し「東京労災病院で言われたことは嘘だよ。腎臓は下がっていない」「左の卵巣が腐っているんだよ。右の卵巣も役に立たない。卵巣嚢腫だ。子宮にも筋腫がある」「(状態が)ひどい。早く入院して手術しなさい」「子宮筋腫に卵巣嚢腫だよ。これで子供なんかできるわけがない」「(子宮及び卵巣を)全部取って、夫婦二人で仲良くやりなさい」などと告げて、これを聞いて驚き呆然としている同原告に入院を承諾させた。

同原告は、翌二七日に同病院に入院したが、その後も、被告Aは、同原告や「何とか悪いところだけ治して、子供は産めるようにしておけないものか」との考えを有し、その旨を同被告に相談した同原告の夫や実父に対し、「子宮筋腫に卵巣嚢腫で、放っておいたら後二年で癌になって死んでしまう」と告げ、同原告やその夫に子宮及び両側付属器の摘出手術をすることを承諾させた。

結局、同原告は同年六月一二日、子宮及び両側付属器を摘出する手術を受けた。同原告は、同年六月二八日に退院し、以後昭和五二年三月ころまで通院して、ホルモン注射を受けたが、同原告は、右手術後、疲れやすく、イライラが収まらず、仕事も家事も飽きやすく長く続けられなくなり、また、性交痛や、性欲の消失が生じた。

(二) ところで、前記のとおり、同原告についての昭和五一年五月二六日の初診時の被告Eの診断は、「筋腫様」であって、子宮筋腫も一応考えられるという程度のものであり、また、卵巣腫瘍を疑わせるような所見はなかったものであるが、同被告が被告Aへの「医事相談指示」用紙に「筋腫様腎臓が下がっているのでOP必要(妊娠時に悪いから)と言われた。とりあえず上記の疑ありME願います」などと記載したところ、同日、被告Aは同用紙の「相談課説明内容」欄に「右側のOV(卵巣)の附近が異様、婦人科的にも入院し検査必要と申しておきました」と記載回答した(甲カ48の五の一丁)。同日のME写真コピーは不鮮明で、医師の診断には到底利用できないものであるが、その余白に付記された同被告のME検査「所見」は「右卵巣異常 子宮はネヂレて左より曲がってる」「これは右の卵巣の異常に肥大した傾向の様に描写でますか」「直を入院検査必要です」「子宮は大して大くないか硬く筋腫的になってる。一般よりヤヤ大きい」というもので(甲カ48の一の一〇丁)、同被告はこれを被告Eに回した。被告Eは、同月二七日の同原告の入院の際、このような医学的に根拠が不明の被告Aからの記載(同被告がME検査において適切な診断をする能力がなかったことはこれまでに述べたとおりである。)に追随して、入院時診断として「筋腫様、腎下垂」のほか「(卵巣腫瘍?)」とする診断を加えて入院を指示し、富士見病院において全摘手術を予定した患者について行われていた「術前A検査」の指示を出した(甲カ48の一の一四丁、第一〇二回口頭弁論期日における被告Eの尋問調書四六頁)。

そして、同原告は、他の病院で腎臓が下がっていると告げられていたのみで、富士見病院における初診時、何らの身体的異常も感じておらず、その後も含めた同病院における内診(甲カ48の一の一丁、四三丁表、四四丁表裏)、子宮卵管造影の結果(同二の1、2)、血液検査の結果(同一の三四丁、二九丁)、子宮消息子診による内腔長(同四四丁表)、摘出臓器のポラロイド写真による子宮・卵巣の計測値(甲カ48の三)、摘出臓器の重量(同一の四〇丁表)からは、子宮及び卵巣のいずれについても、その摘出を必要とするような異常は認められない。

なお、同原告の初診を担当した被告Eは、同原告入院の理由について、基礎体温を測るためとか、検査のためなどという(第一〇二回口頭弁論期日における同被告本人尋問調書三八ないし四五頁)が、結局、診断や手術の医学的根拠については何も説明できていない(戊カ48の一、第一〇〇回及び第一〇二回期日における同被告本人)。

また、同原告の手術の執刀を行った被告Bは、同原告の父親が全摘手術を希望したとか、同原告と夫が全摘手術を頼んだなどと弁解するのみで、子宮筋腫、卵巣嚢腫と診断したことや全摘手術を行ったことの医学的根拠を何ら示すことができない(戊カ48の二の三項、第九七回口頭弁論期日における同被告の証人尋問)にとどまらず、同被告は、外来初診時の同原告の主訴が下腹痛であった、内診で子宮の大きさは超鵞卵大であったなどとカルテの記載(甲カ48の一の一丁)に反する陳述をしている(乙カ48の二の一項。これがカルテの記載に反することは第九七回口頭弁論期日の同被告の尋問からしても明らかである。同尋問調書五八ないし六三頁)。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査・処置の指示、検査や内診、検査・診察、手術の麻酔を行った被告E、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意させた被告A、入院中の内診、手術の執刀を行った被告B、入院中の診察・処置、手術の助手等を行った被告Cが関与した。

なお、被告Fは右手術の約五日前から当時富士見病院に勤務するようになったもので、右医療へ加担したことを認めるに足りる的確な証拠はなく、いまだ責任を負うべきものと認められない。また、被告Dについては、同原告についての具体的関与を認めさせるに足りる的確な証拠がない以上、同被告については同原告に対する責任を負うべきものと認められない。

(四) 同原告は、結婚して約半年後で、まだ子がなく、将来挙児の希望も有していたにもかかわらず、被告Aから「子宮筋腫に卵巣嚢腫だよ。これで子供なんかできるわけがない」などといういい加減な説明を受けて入院させられ、さらに入院後には夫や実父とともに同被告から、「放っておいたら後二年で癌になって死んでしまう」などという出鱈目な診断を告げられて手術を承諾させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、生涯出産の機会を奪われるとともに、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後も身体の不調が生じているもので、これらを慰謝する金員としては金一二〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一二〇万円が相当である。

45 原告番号50の<氏名略>について

(一) 原告<50>(昭和一二年五月三日生。子宮及び付属器摘出手術時三八歳。挙児二名)は、昭和五〇年二月二二日ころから生理がなく、その数日前から生唾が出て気持ちが悪いことから、妊娠したのではないかと考え、その検査のため、同年四月九日富士見病院分院を訪れ、被告Dの診察を受け、内診所見は「子宮は超鶏卵大、硬さ正常。左付属器触れる」というもので、妊娠と診断され(甲カ50の一の三丁)、翌一〇日中絶目的のために本院に入院し、翌一一日掻爬手術を受け、同月一三日に退院した。同月一四日の被告Dによる同原告の内診所見によれば「子宮収縮良好、左卵巣触れる、出血少量」というものであった(甲カ50の一の五七丁)。

同原告は、右掻爬手術を受けてから、下腹部痛が続いたことから、その旨を通院先の分院でDに話していたところ、同月二二日、同被告から翌日本院に行くように告げられた。同原告は、翌二三日本院に出向いたところ、被告DからME検査とコンサルの依頼(甲カ50の一の五七丁)を受けていた被告A(同原告は同被告を医師と誤信していた。)による右検査を受けたが、同検査終了後、理事長室において、被告Aから「子宮筋腫と卵巣腫瘍があるので、手術をするように」「ご主人を連れて来なさい」と告げられ、同月二六日に同原告が夫とともに富士見病院を訪れたところ、理事長室において、被告Aから「奥さんは子宮筋腫と卵巣嚢腫で、このまま放っておくと癌になる」「すぐ入院しなさい」「このまま放っておくとますますひどくなって、取り返しのつかないことになる」など告げられ、同原告及びその夫は気が動転するとともに、手術をしなければ大変なことになると考え、被告Aが勧めるとおり手術を受けることを決めた。なお、被告Aは、同月二三日のME写真の再コピーをした用紙の余白に「子宮筋腫、卵巣嚢腫 子宮の筋腫としては余り大きくないが、非常に固く子宮の下に固い腫瘍がある。そして、卵巣は、左はヤヤ肥大で炎症度は高い、右は皮様嚢腫の様な全体的に珍しい様な状態でそれらは子宮下部に皆着いている」旨記載して(なお、子宮の硬さや炎症はME検査では判読できないものである。)、これを医師に回しているが、この再コピーされたME写真は不鮮明で医師が診断に利用できるようなものではなかった(甲カ50の一の二丁)。

同原告は、同月二八日に入院し、同年五月六日に子宮及び両側付属器を摘出する手術を受け、同月二〇日退院し、退院後約六か月間、約三週間に一回の割合で通院してホルモン注射を受けた。

(二) ところで、同原告は、初診時妊娠の疑いで富士見病院分院を訪れたもので、婦人科の病気を疑わせる身体的異常を感じていなかったところ、富士見病院における内診は同年四月九日(妊娠六週四日)が「子宮は超鶏卵大、硬さ正常、左卵巣触れる」(甲カ50の三丁)、同月一四日が「子宮収縮良好。左卵巣触れる。出血少量」(及び主訴として「以前から左下腹部シクシク」)(甲カ50の一の四丁)、同月三〇日が「子宮前傾前屈、大きさ硬さ異常なし。右付属器周辺抵抗。分泌物黄色、子宮小さい」(甲カ50の一の四四丁)というものであったところ、子宮卵管造影の結果(甲カ50の二の1、2)、血液検査の結果(甲カ50の一の一二丁、三八丁)にはいずれも異常はなく、子宮消息子診による内腔長(甲カ50の一丁、七丁)、ポラロイド写真(甲カ50の三)から判断される子宮、卵巣の測定値、摘出臓器の重量(甲カ50の一の四六丁)からしても、子宮、卵巣に摘出を相当とするような異常があったとは認め難く、右摘出手術は必要のないものであったといわざるを得ない。

(三) 同原告の医療行為には、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、入院中の診察、手術の麻酔を行った被告D、入院中の診断をし、手術の執刀をした被告B、超音波装置を操作し、同原告及びその夫に根拠のない診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意させた被告A、入院中の診察を行った被告E、同じく入院中の洗浄を行った被告Cで、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(四) 同原告は、被告Aから根拠のない説明を受けて手術を決意させられ、摘出する必要がない子宮及び付属器を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含めて不要な入院、治療を強いられ、手術後、強い腰痛、肩こり、性交痛と性欲消失、膀胱炎に罹りやすいなどの身体の不調が生じているものであり、これらを慰謝する金員としては金一〇〇〇万円が相当であり、その弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

46 原告番号52の<氏名略>について

(一) 原告<52>(昭和一六年一〇月二三日生。手術時三七歳。挙児三名)は、昭和五二年ころ美容体操等で身体を大きく前屈させた時に腰が痛く、下まで頭を下げることができなくなったことから、一度医師に相談をしてみようと考えており、友人に相談したところ、富士見病院に優秀な機械があると言われて、昭和五四年四月三日、右腰痛を主訴として、富士見病院を訪れた(外来カルテには「腰痛」としか記載されておらず、下腹痛もあったかのようにいう被告A、被告B及び被告法人の主張(昭和五九年一一月二〇日付け準備書面)は採用することができない。なお、被告Bはその後作成された陳述書(乙カ52の2)においては、もはや腰痛があったことしか述べていない。)。同被告の内診所見は「子宮は後屈でやや大きく硬い」というものであった。

同原告は、内診している被告Bから「あっ、ここにこぶがある」、「ME検査を受けるように」と指示され、引き続き被告AによるME検査を受け、これに引き続いて行われたコンサルにおいて、同被告から「お腹に水がたまっている。卵巣も腫れている。娘の時から悪かったのではないか」と告げられ、「すぐ手術することが必要なので、四月六日にご主人を連れてもう一度来院してほしい」と言われ、同月六日にも、夫と共に被告Aの説明を受け、「子宮筋腫と卵巣嚢腫で、子宮と卵巣の全摘出手術以外に治療法がない。子供の夏休みまで待っていては大変なことになる」と言われた。同原告は同被告が医師であると信じきっており、やむを得ず、同月九日の子供の入学式を終えた同月一〇日に入院することとした。同被告によるME写真コピーからは何も判読できず、付記されたME検査「所見」には、「子宮筋腫、両側卵巣嚢腫」で「左卵巣は炎症強く鶏卵大型大の2分肥大」(「2分」というのは記載のままであるが、二倍という意味か二割ということかよく分からない。)「卵管の炎症も強い」「右は一般的のう腫ですがこれも2分……判読困難……皮包一部特に硬い」「腹水多量あります」などという非医学的な内容であった。なお、その内容は開腹手術の所見とも全く異なる極めていい加減なものであった。初診の外来カルテには、腰痛の記載しかないが、保険カルテには「子宮筋腫」と記載された。

同原告は、同日入院したが、その診断名は「子宮筋腫、左卵巣腫瘍」であるが、その根拠としては初診時の内診と右ME検査「所見」のみであり、およそ入院の必要性など全くなかったものである。

同原告は、同月一七日子宮及び両側付属器を摘出する手術を受け、同年五月二日に退院した。その後、昭和五五年八月二九日までホルモン注射を受けるため通院を続けた。しかし、術後も腰痛があり、疲労しやすく、何をするにしても根気がなくなり、疲れ目、頭痛、手足の痛み等がある。

(以上、甲カ52の一の1、2、四・同原告の陳述書、五・佐々木鑑定書、第六七回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告の子宮卵巣には格別の異常がなく、同原告が受けた前項の手術は、手術の適応のない子宮卵巣を摘出したものというべきである(同五・佐々木鑑定書)。富士見病院における子宮卵管造影検査(同二の1ないし3)によっても内腔の大きさは正常で、子宮筋腫を疑わせる陰影欠損はなく、同時に行われたゾンデ診でも八センチメートルと正常範囲であった。摘出臓器のポラロイド写真(同三の1、2)にも一見して異常はない。両側付属器の重量込みで一〇〇グラムという子宮重量も、何ら異常ではなく、大きさも縦約8.5×横約6センチメートルで正常範囲である。子宮内膜検査、子宮膣部組織診がされたが、その結果は明らかでなく、血液検査上貧血もない。子宮膣部びらんが三プラスであるが、その鑑別をしなければ、手術の必要性が認められないものである。そして、入院の根拠とされたと思われる後壁の腫瘤について手術時まで何ら記載がない。したがって、手術の適応のある子宮筋腫のあったことが到底認められない。

また、術前の四月三日の内診では付属器は「触れない」とされており(同一の1の一丁表)、また、四月一一日の内診でも付属器は「触れない」とされており(同一の2)、他に卵巣の異常を疑わせる所見もない(同五)。摘出臓器のポラロイド写真上も卵巣には異常が認められず、写真計測上、左卵巣は横約3.5×縦約3センチメートル、右卵巣も約1.5×2.5センチメートルで正常であった。したがって、卵巣腫瘍も認められない。

なお、被告Aらの主張(前記昭和五九年の準備書面)について反論する原告ら準備書面(五四)の第三(同原告部分)に記載するところは理由がある。被告Bの陳述書(乙カ52の2)中の同原告の症状に関する陳述ないし主張は採用することができない。

(三) 同原告に対する医療行為に関与した被告医師らは、当時富士見病院に在職した全医師であり、外来初診、子宮腔部塗抹細胞検査、手術は被告Bが執刀し、被告Fが助手をし、被告Dが麻酔を担当している。また、昭和五四年四月一〇日の子宮卵管造影検査、同腎孟撮影検査は、いずれも被告Cが担当し、被告Gも四月一三日に試験掻爬を実施している。

本件手術が富士見病院における前記診療システムに従ってされたことは明らかであり、右の被告医師ら及び被告Aは同原告に対する損害賠償責任を負う。

(四) 同原告は、被告Aの前記のようないい加減かつ脅迫的な言辞により、子宮及び両側卵巣単純全摘出術を受け、全く手術の必要がない子宮卵巣を奪われたもので、手術後の状況は前記のとおりで、術後も腰痛があり、疲労しやすく、何をするにしても根気がなくなり、疲れ目、頭痛、手足の痛み等があり、また、手術を受けなければ不要なホルモン注射を余儀なくされたものである。

右被害の慰謝料としては一〇〇〇万円、弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

47 原告番号53の<氏名略>について

(一) 原告<53>(昭和二二年一〇月二八日生。手術三二歳。挙児二名。二回自然流産、二回中絶。最初の挙児前の二四歳時に子宮外妊娠で手術)は、昭和五四年一一月二六日他医で人工妊娠中絶を受けたが、左下腹部の圧痛があったので、これを主訴として、同年一二月一日に富士見病院を訪れた。初診時の被告Cの内診所見は「子宮は後傾後屈、動く、手拳大、固い。付属器は左に腫瘍様の抵抗あり、筋性防衛なし、右は異常なし。リビド色マイナス。びらんプラス。膣分泌物は血性少量。食欲良好。便通順調。基礎体温マイナス」というものであり、主訴らしいものは外来初診カルテに記載がなく、膣内細胞塗抹検査は陰性で、診断として「中絶後の子宮復古不全。子宮筋腫。左卵巣嚢腫」とされた(この診断は、後記のME検査「所見」によるものとしか考えられない。)。

同原告は、同被告からME検査を受けるよう指示され、被告AによるME検査を受けた。その後、夫と共に同被告のコンサルを受け、ME写真コピーなどを見せられた。なお、同原告は同被告を医師であると誤信していた。右ME検査及びコンサルには被告Gが立ち会っていたが、同被告はほとんど全く発言しなかった。

同原告は、右コンサルにおいて、被告Aから「卵巣癒着、子宮筋腫」「これはどうしようもないね」「手術は一日も早い方が良い」「悪い所を取ると、元気になり過ぎるくらい元気になる」などと告げられ、やむなく入院して右手術を受けることにしたものである。

そして、手術するなら一日でも早い方がよいと考え、夫が神戸の親戚に子を預けに行き、同月四日一人で富士見病院に入院した。

同月一〇日に子宮及び両側付属器を摘出する手術を受け、同月二五日に退院したが、術後、めまい、いらいら、耳なり、頭痛、腰痛、肩こりなどの症状があり、昭和五五年八月二八日まで、一か月に一回、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院した。

(甲カ53の一の四・同原告の陳述書、同五・佐々木鑑定書、第五五回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告が受けた前項の手術は、手術の必要がない子宮及び卵巣を摘出したものというべきである。

同原告は、富士見病院における子宮卵管造影の結果(同一の七六丁)や血液検査の結果(貧血症状が全くない。同四八丁、五六丁)にはいずれも異常が認められず、子宮消息子診による内腔長(7.5センチメートル。同の七一丁、七六丁)、ポラロイド写真による子宮及び卵巣の計測値(子宮が7.8×4.7センチメートル程度。右卵巣が2×2.9センチメートル程度。左卵巣が3×3.1センチメートル。同三)、摘出臓器の重量(全部で九七グラム。同六五丁)から、子宮及び卵巣の大きさは、同原告が三児の経産婦であることなどからして、正常な大きさの範囲内というべきであり、同原告の子宮及び卵巣には緊急の入院手術を要するような異常はなかったものというほかない(以上全般につき、同五の佐々木鑑定書)。

(三) 被告Cは、その陳述書(乙カ53の二)において、同被告は、内診時子宮外妊娠手術が左側であったことに気付かなかったこと、左側の卵巣の癒着部分は結局ME検査により初めて発見された旨述べるとともに、前記佐々木鑑定書が、初診カルテ(同一中の同カルテの反訳部分参照)に記載されている「凝血プラス」「月経症状プラス」「腰痛」との主訴があったことを無視しており、不当であると非難している。同原告は、右のような主訴のあったことを述べていないので定かではないが、数日前に人工妊娠中絶を受けたばかりであるから、そのような主訴があったとしても格別不自然でないので、そのような主訴があったのであろうと考えられる。しかし、同被告は、そのような主訴があれば何故手術を要する子宮筋腫といえるのかについて何ら説明をしておらず、開腹後子宮後面に中指頭大の子宮筋腫核があったので裏付けられるというに尽きる。しかし、手術記録によれば右筋腫核を「手指で摘出する」と記載されており(同一中の同手術記録の反訳部分参照)、そのようなことが可能なのかよく分からないし、仮にそうであれば、その程度の筋腫核があったにすぎず、右が「手指で」摘出されたのかメスによって摘出されたのかにかかわらず、いずれにしても、子宮単純全摘術の適応などなかったことをうかがわせるにすぎない。そして、「ME検査により初めて発見された」とされる「左側の卵巣の癒着部分」についてはS字結腸と癒着していたことが開腹後確認されたというのであり、手術記録中にその状態が図示されているが、右側の卵巣については何らの記載がなく、そのまま両側付属器摘除術がされたものであり、同被告の陳述書はその点について言及していない。被告AのME検査「所見」が信用することができないことは前記のとおりであるところ、同原告の所見が重篤なものではなく、数日前に中絶手術を受けたばかりであるから、当面経過観察をするべきであったことは明らかであり、結局、被告Cは、富士見病院における前記診療システムに従って、無用かつ著しく拙速な入院手術を敢えてしたものというほかない。

(四) 同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、入院中の検査処置の指示、診察、手術の執刀をした被告C、超音波診断装置を操作し、同原告に出鱈目な診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、診察をした被告B、診察をした被告F、手術の助手をした被告G、手術で麻酔を担当した被告Dであり、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(五) 同原告は、被告Aから前記のような出鱈目な説明を受けて手術を決意させられ、手術の必要がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め、不要な入院、治療、めまい、いらいら、耳なり、頭痛、腰痛、肩こりなどの症状を被っているものである。

右被害についての慰謝料としては金九〇〇万円、弁護士費用としては金九〇万円が相当である。

48 原告番号54の<氏名略>について

(一) 原告<54>(二三年四月二八日生。手術時三一歳。昭和四七年五月に結婚したが、同年一二月離婚。会社員で庶務などの事務職。挙児なし)は、昭和五二年ころから、月経前二週間前ころからひどい下腹痛や腰痛に悩み、時に吐き気を催し、月経が始まると解消するという症状に苦しむようになった(甲カ54の七)。月経周期が三〇日から四八日と不規則で、痛みがピークになると食事も喉を通らず、夜も眠れないという状態になることがしばしばであった(他医で、月経困難症と言われていた。)ので、昭和五四年五月二四日、これを主訴として、従姉妹に紹介され、姉に付き添われて富士見病院を訪れた。被告Fの内診所見は「子宮は前傾前屈、約鵞卵大で固い、圧痛軽度あり。両側付属器ふれない。子宮膣部は肥大し、びらんあり。膣内容物は白色」というものであった。

同原告は、初診時に、同被告から、病状等について何も告げられず、超音波の検査を受けるようにとの指示を受け、同日、被告AのME検査を受けた。これに引き続いて行われたコンサルにおいて、撮ったばかりのME検査のポラロイド写真を見せられながら、同被告から「子宮筋腫と卵巣嚢腫という病気にかかっている」「このまま放置しておくと、今秋までには体がガタガタとなって、とりかえしがつかなくなる」「早急に手術が必要なので、このまま入院しなさい」などと言われ、動転して大声で泣き出した。なお、同原告は同被告は医師であるものと信じきっていた。コンサルの部屋から泣きながら出て、姉に説明すると、そうであれば、すぐに手術した方がよいと言われて、手術を受けることを観念した。そこで、診断書(子宮筋腫と卵巣嚢腫)を発行してもらい、会社に行き、休暇申請、入院準備などあわただしくして、翌日の五月二五日に入院した。

同原告は、子宮筋腫による全摘手術を勧められたが、まだ子供が欲しいと言ってこれを断り、結局、同月三一日、被告Fによって、卵巣から細々と無数のカプセルをはぎ取るという内容の手術(両側卵巣一部切除術)を受けた(同被告の陳述書(乙カ54の一)には卵巣嚢腫の部位のみを切除する「卵巣形成術」をすることを決定し、結局「両側卵巣楔状切除術」をしたと述べているが、前記富士見病院独特の「卵巣整形」と同じなのか、証拠上明らかでない。ポラロイド写真(甲カ54の三の1ないし3)によれば、「切除」といえばいえなくもないが、ほとんどは卵巣の上皮を剥がすかのように切り取ったもので(同八の佐々木鑑定書)、卵巣嚢腫の手術とは異なるものと考えられる。)。手術記録(同一の五七丁裏)には、病名として「子宮筋腫、卵巣嚢腫」とされており、手術所見として、極めて多くの疾患があったことが記載されているのに、実際にした手術内容は右のとおりで、同被告が何を目的としてした手術なのかよく分からないものである。なお、被告Bが右の上皮を剥がすかのように切り取る手術についてはよく分からない旨を述べていることは前記一のとおりである。

同原告は、同年六月一五日に退院したが、症状はほとんど全く改善せず、その後通院しても治癒せず、同年八月八日から同年一〇月二日まで再入院をし、注射、投薬等を受けたが回復せず(ただし、カルテからすれば、一時的に腰痛が治まるなどしたようである。しかし、これと本件手術との間の因果関係は認められない。)、結局、昭和五五年九月まで月三ないし五回の割合で富士見病院に通院し続けた。

(同七、第六一回口頭弁論期日における同原告本人)

(二) 本件手術の対象である同原告の卵巣についての所見を見ると、外来初診時は「ふれない」(同一の一頁)、五月二五日の内診でも「何もふれない」(同六三丁)、翌二六日の内診は「左ふれない」(同六三丁裏)、同月二八日の内診は「触れない」(同六四丁表)というもので、異常を疑わせる所見はなく、同月二六日の子宮卵管造影検査(同六三丁裏)によっても、卵管の延長像や腫瘍の輪郭像も見られず(同八)、ポラロイド写真(同三の1ないし3)によっても、黄体期にあったものとして、何らの病変も認められないし、大きさも正常範囲内である(同八)。

(三) そもそも、原告の主訴は、月経前二週間ぐらい前から下腹痛と腰痛に苦しみ、月経になると軽快するというものであり(同一の一頁、四ないし八、甲アAの一の六七ないし六九頁、前記同原告本人)、月経前症候群ないし月経前緊張症というべきものであって、卵巣嚢腫と関係しているものとは認められない(同八)。

そして、月経前緊張症の原因は機能性に由来するものであり、黄体ホルモン期における複雑な内分泌機構の変調、すなわち、エストロゲンの過剰、プロゲステロンの作用の低下、副腎におけるミネラルコルチコイドの分泌の異常、更には下垂体後葉からのADHの増加等によって生じるものと考えられている。したがって、その治療法としては投薬による排卵抑制療法が最も効果的であり、精神安定剤の投与が行われることもある(同一)。

(四) 以上によれば、同原告に子宮筋腫その他の婦人科的疾患のあったことが強く疑われる(被告Fは前記同被告の陳述書において、同原告の子宮筋腫がいずれ全摘手術を要する重篤な症状であった旨を述べているが、仮にそうであれば、なぜそれに相応する治療をせずに、卵巣についてのみ前記のような些か中途半端な手術をしたのか理解に苦しむところである。なお、同被告は、本件手術によってどのような効果を期待し、現実にどのような効果があったというのかについて明確な説明をしていない。)が、卵巣については前記のとおりであって、前記富士見病院における診療システムに従って、卵巣嚢腫と認められる十分な資料がないまま、本件手術がされてしまったものというほかない(子宮筋腫による全摘手術を同原告から拒否されたので、卵巣について中途半端な手術をしたと考えざるを得ない。本件手術によって症状が改善されたと認められないことは前記のとおりである。)。

(五) 本件については、被告Aに責任があることはもとよりであるが、原告の医療行為には、当時在職した全医師らが関与している。すなわち、被告Fが初診以来一貫して関与し、腎孟撮影検査等を指示し、手術を行っているほか、被告Gは内診、投薬指示をし、診療処置をし、手術に助手として関与しており、被告Dは手術に際し麻酔医を務めており、被告Cは、子宮卵管造影検査等を担当している。被告Bも、五月二九日に、再度ME検査、コンサルを指示している。

(六) 同原告は、前記のとおり、被告Aからいい加減な説明を受けて、無用な不安感・恐怖感を煽られて入院・手術を承諾させられた上、被告医師らによって、原告の罹患していた疾病である月経前緊張症ないし月経困難症とは無関係の不要不急の開腹手術により卵巣の一部を摘出され、不当な身体の侵襲を受けたものである。この被害については、慰謝料として金三〇〇万円、弁護士費用として金三〇万円が相当である。

49 原告番号55の<氏名略>について

(一) 原告<55>(昭和一六年三月一七日生。手術時三八歳。挙児一名)は、虫垂炎の手術をしたことがあり、便秘に悩まされ、冷え性であった。昭和四四年婚姻し、死産、流産の後、三七歳で女児を得たが、昭和五四年春、友人が卵巣癌で死亡し、以前から右下腹痛があり、年齢的に一度検査を受けようと考えていたことなどから、同年六月二六日、右下腹痛、腰痛、癌検診(健康診断)を主訴として富士見病院を訪れ、被告Bの診察を受けた。同被告の所見は「子宮は後傾後屈、やや大。付属器は触れない。分泌物は白色。びらんダブルプラス」というものであった。同原告は、同被告から内診結果について何も告げられないまま超音波検査を受けるよう指示された。

被告AによるME検査を受けた後、コンサルにおいて、同被告から「このままにしてると死んじゃうよ」「子宮におできがあり、卵巣は腐っている。すぐ入院して取ってしまわないと死んじゃうよ」「病名は子宮筋腫と卵巣嚢腫だが、このまま放っておくと癌になる。子供は一人いれば十分だ。死んでもいいのか」などと告げられた。帰宅して夫に相談すると、「何の症状もないのにおかしい。他の病院で検査を」などと言われたが、同被告を医師と信じていた同原告は、同年七月二日入院した。入院中、同原告は、被告Bから「旦那さんは手術を承諾したか」と聞かれたので、同被告に対し、「本当に全部取らなければ駄目か」と聞くと、「子宮筋腫はまだ小さいが、二、三年たったら大きくなる。その時どうせ痛い思いをしなければならないので、この際手術しておいた方がよい」と言われた。

それでも夫は、手術承諾書に判を押さなかったところ、被告Aから理事長室に呼ばれて「アメリカの上流社会では二〇歳代でも子供を産み上げるとめんどくさくないから全摘するのが流行っている。前よりセックスも良くなるし、しみがなくなり、つやがでてきれいになる」「うちの病院を退院していった人達はみんな喜んでいる。どうしても、もう一人子供が欲しいというのだったら命の保証はしない」などと告げられ、やむなく手術承諾書に押印し、同原告は右手術を受けることにした。

同被告によるME検査は二回されているが、そのME写真コピーはいずれも何ら判読できないものであり、付記されたME検査「所見」は、重篤な子宮筋腫や卵巣嚢腫があるかのように記載されたいい加減な内容である(例えば、「右OVは三ケに肥大し炎症多い」「左はピンポン大の一般的なcyct」「腹水あり」(以上一回目)、「myomaが発達してて、両側OVもcyctで炎症は多い」(二回目)というものである。)。

同月一一日、同原告は、子宮及び両側付属器を摘出する手術を受け、同月二五日に退院したが、以後昭和五五年八月一九日まで、一か月に一回、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院した。

(甲カ55の一・診療録、四・同原告の陳述書、第五三回口頭弁論期日における同原告本人)

(二) 同原告は、富士見病院における内診(同一の一丁、六二丁。子宮は鵞卵大)、子宮卵管造影の結果(同二。異常が全く認められない。)、血液検査の結果(同一三五丁、四五丁。問題となる貧血が認められない。)において格別の異常が認められず、子宮消息子診による内腔長(七センチメートル。同六一丁)、ポラロイド写真(同三)による子宮、卵巣の計測値(子宮が8×4.5センチメートル。同五)、摘出臓器の重量(全部で九四グラム。「次鵞卵大」であった。同一の五四丁)から、子宮、卵巣が正常な大きさの範囲内であったことは明らかであり、同原告の診療過程において格別の異常は認められなかったものであり、同原告の子宮、卵巣は正常であったというほかない(子宮は「軽度に筋腫様」ということができるが、疾患とはいえない。両側卵巣については「軽度に筋腫様」とはいえない。以上の全般につき同五・佐々木鑑定書)。

同原告の主訴である下腹痛、腰痛は本件手術によって回復せず、これら、婦人科疾患以外に起因する可能性が高い。

(三) 同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、入院中の検査処置の指示、診察、子宮卵管造影、手術の執刀をした被告B、超音波診断装置を操作し、同原告にいい加減な診断を告げ、入院し手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の受持医として診察をし、手術で麻酔を担当した被告F、入院中の検査処置の指示、診察をした被告C、診査掻爬をした被告D、入院中の診察をした被告Gであり、右の全員に責任が存する。

(四) 同原告は、被告Aからいい加減な説明を受けて入院手術を決意させられ、何ら手術の必要が認められない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め、不要な入院、治療、頭痛、吐き気、視力低下などの損害を受けている(前記同原告の陳述書及び同原告の本人尋問)。

右被害についての慰謝料としては、金九〇〇万円、弁護士費用としては金九〇万円が相当である。

50 原告番号56の<氏名略>について

(一) 原告<56>(昭和二七年三月三日生。手術時二三歳。既婚。挙児なし)は、昭和四七年三月及び昭和四九年六月、いずれも妊娠早期で流産し、その際富士見病院で被告E及び被告Cの診療及び手術を受けた。昭和五〇年三月一八日妊娠と思い、こんどこそ安全に出産しようと考え、富士見病院分院を訪れ、被告Dの診察を受け、妊娠を診断されたが、流産のおそれがあるので入院した方がよいと言われた。同月一九日富士見病院本院で被告Eの診察を受け、流産を防止し、安静を保つため、同月二〇日、富士見病院に入院した(妊娠初期(約七週間)の切迫流産の疑いがあり、入院措置自体は理由があった。後記の佐々木鑑定書)。

入院中格別の異常がなく、医師からも異常を告げられていなかったが、同年四月七日ME検査に回され、被告AによるME検査を受けた。同原告は、前にも富士見病院に入院していたので、同被告の顔は知っていたが、いつも白衣を着ていたので、同被告を医師だとばかり思い込んでいた。ME検査中、突然同被告から、「卵巣が悪く胎児は奇形児であり、子供にならない」「中絶しなさい」「子宮筋腫だ」などと告げられ、さらに「このままではまた流産してしまうか、奇形が生れる。卵巣整形手術を受けなさい」と告げられた。同原告は、我が耳を疑ったが、異常妊娠で出産できないと言われたので、ショックを受けるとともに、やはり駄目だったかというあきらめの気持ちが込み上げ、同被告のいうとおりにすることにした。

同原告は、同月九日被告Eの「掻爬手術」による人工妊娠中絶を受け、さらに同月一二日被告Bの「両側卵巣楔形切除術」を受け、同年四月二六日に退院したものであるが、この間同原告は担当医であった被告Eや他の医師から病状、診断、手術内容について何も告げられ、あるいは説明を受けることはなかった。

その後、同原告は、昭和五一年五月に長男を、昭和五二年八月に二男を出産した。

(甲カ56の一、三・同原告の陳述書、四・佐々木鑑定書、第六〇回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告は、妊娠初期の切迫流産の疑いで入院し、安静第一の加療を受けており、入院中、同原告の診療過程には何らの異常もなく、流産を確認しうる、いかなる徴候も発現していなかった。

尿を用いた妊娠反応検査の結果は原尿のみならず一〇倍希釈でも一貫してプラス(妊娠していること)を示している(同一の七一丁「三月二一日検査」、六八丁「三月二八日検査」、六六丁「四月四日検査」)。同原告には出血等流産を認めうる事態は何ひとつ生じておらず、同原告の妊娠には格別の異常が認められなかったというべきであり、ドップラー検査(三月三一日、四月二日、同月七日)による胎児心拍はマイナスであるが、胎児心拍の検出が確実にされるのは妊娠一二週経過後とされており、同原告は三月三一日は妊娠九週目、四月七日は一〇週目であるから、右ドップラー検査の結果によって胎児死亡を認めることはできない(同四の佐々木鑑定書「鑑定の細目」3、6)。胎児の奇形は超音波診断装置によらなければ判断できないが、大きな奇形でも一二週を超えなければ、発見が難しく、一〇週前後ではほとんど不可能である(実際、被告AのME検査「所見」中は、「(発育不全))」「妊娠中の子宮筋腫、卵巣嚢腫」「子宮は筋腫であり、更に両側卵巣嚢腫、右大、左は包皮様の疑い、左嚢腫でそれぞれ鶏卵大」というもので、ME写真コピーは例によって何も読影できないものであるが、肝心の胎児の状態についての記述は全くないものである。)。また、右のようなME検査「所見」にもかかわらず、入院中のカルテには卵巣疾患についての記載はない。

被告Aの「胎児が奇形である」との虚偽の告知をもって同意させて中絶を行った行為は、生命の尊厳を踏みにじる違法な行為といわざるを得ない。

(三) 担当医であった被告Eは「流産の進行によって、母体の安全のため流産手術を行った。これは妊娠中絶ではない」旨述べて(戊カ56の一)手術を正当化しているが、胎児死亡あるいは、流産と認めうる事由は診療録上見出すことはできず、かえって、同被告は、同被告提出の診療録(の反訳。同三の2の四七丁裏)に、赤い字で「流産防止効なく流産進行」などと勝手に加筆するなどして証拠の捏造をしており(甲カ56の二の四七丁裏と対比して明らかである。)、そのような「流産」がなければ、右手術が正当化できないことを自認しているとしか考えられない。

(四) 同原告の両側卵巣には異常が認められなかったのに、同原告は、両側卵巣の一部切除をされたものというほかない。同原告の妊娠が異常の認められなかったものであることは前記のとおりであり、同原告は受診時また入院中何らの身体的異常も感じておらず、卵巣の手術をするまでの内診の結果に、卵巣異常を認めうる所見はなく(同一の二丁、一四丁、七三丁表裏、七四丁表裏。掻爬手術後の内診でも「触れない」とされており、被告AのME検査「所見」が信用できないことは前記のとおりである。)、手術「所見」欄で、左卵巣について「超鳩卵大」「陳旧大黄体」「えぐりとる」、右卵巣について「大きさは正常」「突起物切除、縫合」との記載があるが、腫瘍の部位、大きさ、性状等についての記載がなく、黄体があることは妊娠直後であるから異常でなく、手術写真(同二の1ないし3)からもいずれの卵巣にも腫瘍の存在を認めることはできない。以上同原告の診療過程においては異常は全く認められなかったのであり、同原告の両側卵巣は正常であったというべきである。なお、麻酔記録の臨床診断の項(同一の七八丁)に、術後診断として「子宮筋腫」「スタインレーベンタール症候群」との記載があるが、医学的に間違いというべきものである。(以上の全般について、同四)。

同原告に対する卵巣切除は、前記妊娠中絶と一体となって重大な不法行為を構成するものである。

(五) 同原告に対する医療行為に関与したのは、内診、検査の指示及び検査、妊娠中絶手術及び卵巣手術の執刀をした被告E、ラミナリア挿入、処置(同一の七四丁裏四月八日欄)を行い、手術時に麻酔医をした被告C、入院中の検査、処置、卵巣手術の助手をした被告B、初診、入院中の診察をした被告D、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意させた被告Aであり、富士見病院に当時在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(六) 同原告は前述のとおり、被告Aの虚偽の説明を受けて、中絶と卵巣手術を決意させられ、その結果かけがえのない子(胎児)を失い、かつ、不要な開腹手術を受けて手術の必要がない卵巣の一部を切除、摘出されたものである。

右被害についての慰謝料としては金三〇〇万円、弁護士費用としては金三〇万円が相当である。

51 原告番号57の<氏名略>について

(一) 原告<57>(昭和一五年一〇月一四日生。診療時三七歳。挙児なし。ただし、二回流産しており、その後、養子縁組による養女を得た。)は、昭和四一年四月山口県で結婚し、昭和四六年夫の転勤で上京し、ネクタイの縫製下請業をし、一か月に一万本程度の仕事をしていた。昭和五三年一月ころ、富士見病院に入院中の原告<10>の見舞いに訪れていた際、同原告の診断内容を聞いたり、雑談で自分のことを引き合いに出して「仕事(ミシン踏み)のせいか腰が痛い」「それは卵巣が悪いからかもしれない」などというやりとりする間に、折角仕事を休んで病院に来ているので婦人科で診てもらおうと考え、同年一月九日、健康診断と腰痛を主訴として同病院の外来を受診した(なお、原告<57>は親から名前は「花子」であると言われていたので、高校入学まで「花子」の字を使用しており、そのため、その後も「花子」と「華子」の双方を適宜使用し、富士見病院の場合には「花子」の字を使用した。)。外来の担当医(カルテの医師指示録(甲カ57の八)の筆跡によれば、被告Fと認められる。)から、診察結果について何も告げられないまま「いい機械があるから、診て貰ってください」と言われて、ME検査を受けるように指示され、被告AによるME検査(同七)を受けた。検査中、同被告から、ブラウン管を見ているよう指示され、「あそこの黒くなっている所が悪いんだ」と言われ、「白っぽいのは何ですか」と訊くと、「あれは全部膿だ。お腹の中が腐って膿だらけになっている」と言われた。その後の翌一〇日(同日は夫も一緒)と二回にわたる同被告によるコンサルにおいて、「子宮筋腫と卵巣嚢腫だ。お腹の中がぐちゃぐちゃに腐って、盲腸が癒着して、腹膜炎を起こしている」「早く子宮と卵巣を取って手当しないと手遅れになる」「このままではあんたの命は後一〇日だ」と告げられ(以上の全般につき同三)、同年一月二〇日に入院することを予定した(同八)。なお、夫が「(普通の主婦と違って)社会保険に入っていて、病気の診療なら原則負担はないはずで、五五万円もかかるというのはどういうことか」と訊くと、同被告は「うちでは薬品は特別のものを使うし、手術の糸もアメリカ製の溶ける糸を使う。それに保険がきかないから、それに五五万円かかるんだ」と答えた。

(二) しかし、同原告の夫が被告Aの右診断告知に対して強い疑念を示し、同原告に対し、他医でも診断を受けることを勧めたので、同原告はこれに従い、約一〇日間の間に、田無市の笹病院、東久留米市の前沢病院、田無市の田無病院、東久留米市の植村病院、都内板橋の日大付属病院の産婦人科を次々と受診したところ、いずれも子宮、卵巣に異常は認められないとの診断を受けたので、前記の予定日に富士見病院に入院することを中止した(同三)。

(三) 右のとおり、同原告は、被告AのME検査「所見」において「子宮筋腫」と診断され、「全摘目的」の入院、検査、手術を予定されていたが、同原告の子宮、卵巣には異常はなく、その診断と全摘手術の予定は、正常な子宮、卵巣の摘出を目的とした不当なものである。すなわち、同原告は、受診時、仕事の疲れと思われる腰痛があっただけで、他に婦人科疾患を疑わせる症状はなく、前述した一連の他医の再診察(富士見病院で子宮筋腫、卵巣嚢腫と診断告知されたことに対する検診)の結果は、一様に内診所見も、超音波所見も異常がなく(同一、二)、以後一四年間婦人科疾患の症状を訴えることなく推移している(同三の八頁)。一五年目にまつしま産婦人科病院で行われた佐々木静子医師の診察によっても、子宮の大きさは正常大で子宮消息子診による子宮内腔長は6.0センチメートルであったから(同四ないし六)、同原告の子宮及び卵巣が正常であったことは明らかである。被告Fを含めて被告Aらは、同原告に対して「術前A」として入院させ、全摘手術をしようとしたことに理由があったという主張立証を全くしていない。

(四) 同原告に対する医療行為には、右のとおり、外来初診を行い、被告AにME検査と同診察結果のコンサルを依頼し、その後、同原告の入院を見越して、「子宮筋腫、全摘目的」の入院診断を下し、「術前A」として入院させようとした被告Fと、ME検査及びコンサルをして、同原告に出鱈目な診断を告げ、同原告に入院手術を受けることを決意せしめた被告Aである。

仮に同原告がAから言われるままに同年一月二〇日に入院すれば、既定のコースに従って、他の被告医師らの関与の下、同原告の正常な子宮、卵巣が摘出されていたであろうことは、本件における他の多くの患者原告らの診療手順から十分に認められる。同原告は、前記同月九日にAの診断告知を受けたきり、一度も富士見病院を受診していないから、入院時診断や入院時指示は、右のA診断が下された同日の段階で、被告Fにより、事務的・自動的に記載されていたことが明らかであって、このことは同病院における被告医師らの入院時診断の在り方、すなわち、Aが診断名と治療方針を決めて、被告医師らが無条件にこれに従うという異常な診療システムを、端的に示したものというべきである。

(五) 同原告は、前述のとおり、正常な子宮、卵巣をまさに摘出されようとしたものであり、夫の機転により他の医院を六件も受診して、最終的に安心はできたものの、その安心に至るまでの一〇数日間を中心として、医師を標榜した被告Aの出鱈目な診断告知により、「もし万一、あのME機器の方が正しくて、『一〇日の命』だったら、どうしよう」という不安におののき、精神的に落胆し、仕事も生活も全て犠牲になり、無用な診療費用も支出する等の損害を被ったものである(同三)。

(六) 右被害については、前記(四)のとおり、同原告に対する医療行為に関与した被告F及び被告Aにその責任が認められるが、その他の被告医師らについては、直接関与が認められないので責任を負わないものとする。

(七) 右被害についての慰謝料としては金二〇万円、弁護士費用としては金二万円が相当である。

52 原告番号Ⅱ―1の<氏名略>について

(一) 原告(昭和一六年一月二三日生。手術時三五歳。挙児二名。母子家庭)は、妊娠が七回で、うち二回が出産、五回が中絶で、昭和四九年一〇月から避妊リング(IUD)を挿入していた(昭和五〇年一〇月ころ新しく交換した。)ところ、昭和五一年二月ころ、生理でないのに性器出血があり、二つの他医で受診し、「異常なし」「癌検査異常なし」と言われたが、勤務先の「ママさん」と雑談中に「被告Bとはゴルフ仲間である」「富士見病院には世界に三台しかない良い機械があり、お腹の中が全部分かる」などと言われて、紹介状を書いてもらい富士見病院を受診することとし、同年三月一二日、性器出血、接触出血、頭痛を主訴として、富士見病院を訪れ、外来患者として被告Eの診察を受けた(甲カⅡ―1の二・同原告の陳述書。なお、同原告は、性器出血はなく「うすいピンク色のおりものがあった」のみであり、初診が被告Bであったというが、カルテの記載や、被告Eの第一〇二回口頭弁論期日における供述、被告Bの第八三回口頭弁論期日及び第八七回口頭弁論期日(主として反対尋問)における供述に照らして、にわかに採用することができない。もっとも、以下の理由によって、初診が右両名のいずれの担当であったか、同原告が初診時医師に対し「うすいピンク色のおりもの」に関してどの程度の話をしたのかということは、本件の結論を直接左右しないものである。)。

被告Eの内診所見は、「子宮は後傾後屈、やや大、固い、圧痛なし。付属器は触れにくい(戊カⅡ―1の二の1)」というものであり、同被告は、同原告について、「子宮内膜炎、筋腫様」と診断し、同原告に対し、排尿した上でME検査を受けるよう指示した。なお、膣内細胞塗抹検査はされていない(入院後にされたが、その検査結果は見当たらない。)

同日、同原告は、排尿後、被告AによるME検査を受けたが、同被告は、ME写真コピーの余白に、「子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮筋腫で両側卵巣の肥大と共に左卵巣の炎症多く、腹部への出血が多い。子宮内にも通じている。内容かなり悪い」などと記載し(戊カⅡの1の二の2)、また、右ME検査終了後のコンサルとして、同病院理事長室において、同原告に対し、「子宮筋腫だ。すぐ手術しないと明日にも命が危ない」などと言った。同原告が「入院の用意がない」と言うと、同被告はやさしく「明日は土曜日であるが、特別に入院させてあげる」と言い、同原告は、紹介があるので特別の取扱いをしてくれると思い込み、右言に従い、翌一三日に入院した。右のとおり、同被告のME検査「所見」には、「炎症が多い」「出血が多い」等のME検査では分かるはずのない所見が記述されており、また、検査後医師に回されたME検査結果の画像は読影に耐え得るものではなく、結局、右ME検査結果は、医師の診断の資料にはなり得ないものであった(甲カⅡ―1の三・佐々木鑑定書)。

同原告は、「術前A」として入院したが、入院時の診断は、「筋腫様子宮、付属器炎、子宮内膜症、貧血、風疹」というものであった。右の「付属器炎」は、初診時の診断にはなかったものであり、被告AのME検査結果によったものと認めるほかないが、右佐々木鑑定書も指摘しているように、入院中の白血球数は、六一〇〇と正常値の下限値に近いもので(甲カⅡ―1の一の2の三八丁)、炎症性疾患を否定する結果を示している。「風疹」については、約一週間隔離されて治療を受けた。

同月二九日、同原告は被告Bから子宮膣上部切断術、両側付属器切除術の手術を受けた。その手術時の所見は、「子宮は手拳大、かたい、子宮膣部きれい(残す)、腹腔内暗赤色出血多量(約五〇CC)」というものであった。

同年四月一二日に退院したが、以後同年六月七日まで数回通院し、ホルモン注射を受けた。

(二) 被告Bは、「腹腔内の出血は、それが少量の場合は吸収されるから、腹腔内に五〇CCの出血がたまっていたことは、絶え間なく流出する出血があった証拠であり、このような出血は自然には止血しないから、放置すれば次第に腹腔内に一杯となり、患者の全身状態が悪くなり、時間の経つにつれて他臓器との癒着も増して、手術は困難となり、生命に関わってくる」とし、本件手術の正当性を主張する。また、「切断した摘出子宮が八〇グラムであることと、子宮の大きさの手術時所見が「手拳大」であることは、炎症の著しい子宮や肥大している子宮は、周囲の支持組織から順次離して、切断してゆく過程で次第に縮小することはままあることだから、少しも矛盾しない」とも主張する(前記被告Bの供述・第八六回口頭弁論期日人証調書一七項)。同被告は、その昭和五九年七月一〇日付け準備書面やその陳述書(乙カⅡ―2の一)においても、本件手術の正当であったことを主張しているが、その内容は、要するに、初診時に性器出血があった、手術所見から卵巣出血が肯定されるというに帰するもので、その余は、カルテ記載の手術所見等から同原告の主張を断片的に攻撃するのみで、手術の適応について積極的に論証するものではない。

同原告の外来初診を担当したと自認する被告Eは、被告Bが手術を決定したと主張するのみで、格別の反論・反証をしてない。

(三) しかし、同原告は、受診時、格別重篤な身体的異常を全く感じていなかったものであり、入院してしなければならないような検査もなかったものである。そして、入院中のカルテには性器出血など子宮筋腫を疑わせる記載が全く見当たらない。初診時仮に同原告の主訴中に性器出血が含まれていたとしても、IUD(避妊リング)による出血又は中間期出血の可能性が大きく、それだけでは子宮筋腫の診断を下す根拠には全くなり得ない(前記佐々木鑑定書一ないし三頁)。また、「卵巣出血」については、それを疑わせる所見も、貧血や急激な下腹痛などの症状も、術前には皆無であったし、無論同原告が卵巣の異常や摘出の必要性を告知されたことも全くなかったのであるから、卵巣出血があったとは到底考えられない(同九、一〇頁)。また、入院中の内診(三月二二日分では「子宮は後傾後屈、やや大、固い。付属器は触れない。びらんなし。頸管裂傷ひどい」で、同月二五日は「強度に後傾後屈、やや大」というもの)及び血液検査の結果にも異常が認められず、子宮消息子診による内腔長(7.0センチメートル)及び摘出臓器の重量(全部で八〇グラム)から、子宮、卵巣が正常な大きさであったというべきである。なお、初診時「子宮内膜炎」、入院時の「付属器炎」が手術時には「子宮周囲炎」とされているが、入院後に白血球数の異常は認められず、炎症性疾患に陽性を示すCPR試験結果も陰性であるから、子宮周囲炎を含めて本件手術の適応及び必要性の認められるような炎症性疾患はなかったと認められる(佐々木鑑定書八頁では「子宮周囲炎を含めて炎症性疾患は否定される」とされているが、右のみで完全に炎症疾患がなかったと断定できるのか疑問があり、同原告には何らかの炎症があったのではないかと疑われる。しかし、手術の適応までは到底認められない。)。結局、同原告は、入院後も、風疹による頭痛・発赤・発熱以外には何らの症状もなかったというほかない。

そして、子宮筋腫というのであれば、手術所見として、筋腫の部位、位置等が記載され、その割面を図示するはずであるのに、それがない(なお、子宮膣部を残すのであるから、どのような筋腫かについての検査も必要のはずであるが、されていない。)。

以上によれば、同原告の子宮及び卵巣については、右診療過程において格別の異常が認められなかったのであり、本件手術がされたのは、前記二の富士見病院における診療システムに従って、被告Aが同原告に出鱈目な所見を述べて入院させ、結局本件手術に及んだものと認められる。

(四) 同原告に対する医療行為には、入院時及び入院中の検査等の指示、診察をしたほか、手術の麻酔を担当した被告E(同証の四五丁)、入院中の内診、輸血、検査の指示、手術の執刀をした被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意させた被告A、入院中の診察、処置、手術の助手をした被告Cの四名である。

富士見病院に当時在職していた医師のうち被告Dの関与は不明である。

(五) 同原告は、被告Aから「すぐ手術しないと明日にも命が危ない」などという虚偽の説明を受けて入院手術を決意させられ、手術の必要が認められない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのものの外、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を強いられた。また、同原告は、手術後、疲れやすい、肩がこる、お腹の中がちくちく痛むなどの症状に悩まされてきた(前記同原告の陳述書及び供述)。

右被害についての慰謝料としては金九〇〇万円、弁護士費用としては金九〇万円が相当である。

53 原告番号Ⅱ―2の<氏名略>について

(一) 原告<Ⅱ―2>(昭和一四年三月一九日生。手術時三九歳。挙児二名)は、昭和五三年六月ころ軽い左下腹痛を覚えたことがあり、友人が富士見病院で子宮及び卵巣の全摘術を受け、婦人科疾患に神経質になっていたので、同年七月一四日に健康診断を目的として富士見病院を訪れた(健康診断では保険を使用できないので、「左下腹痛」を主訴とした。被告Bは、その陳述書(乙カⅡ―1)において、同原告の居住地から富士見病院までが遠方であることなどからして、健康診断のためのみで富士見病院まで来ることはあり得ず、実際に左下腹痛があったものであると強調しているが、その点についてはそのとおりかもしれない。ただし、本件の結論を直接左右しないところである。)。同原告は、初診時に被告Bから「膣の入り口がただれている。一度MEを受けなさい」と指示され、被告AによるME検査を受けた。なお、同被告の所見は「子宮は、前傾前屈で大きさはやや大。付属器は触れない、付属器部分は抵抗がある。膣分泌物白い。びらんダブルプラス」であった。膣内細胞塗抹検査は検査結果の記載が見当たらないので、分からない。

その後のコンサルにおいて、同被告から「左の卵巣はメチャメチャで形がない。右の卵巣も半分位やられている。すぐ手術をしないと大変なことになる」「このまま放っておくと癌になる。この病院で手術をしないのなら癌センターを紹介する」などと告げられ手術を勧められた。同原告は、同被告を医師であると誤信していたが、同原告は自分一人では決められないとして帰宅することとした。帰宅間際に、同被告から「日をあけすぎると手後れになる」と言われた。なお、右によるME写真コピーは他の場合と同様にどの部分をどの方向から撮影されたのか全く分からないもので判読できず、付記されたME検査「所見」は「子宮筋腫、卵巣嚢腫」という内容で、説明らしいものが付加されているが、医学的に了解できるものではない。なお、入院中にもME検査がされたが、右初診時のME検査「所見」との整合性が認められず、要するに、同被告は、再度のME検査において、最初の自らのME検査「所見」すら考慮していなかったのではないかとうかがわれるもので、いずれにしても、右ME検査「所見」はいい加減もので、医師が依拠すべきものではない。

右のとおり、同原告が入院手術を承諾しないで帰宅すると、翌日又は翌々日、富士見病院から「いつ来院されますか」と電話が入り、同原告は、わざわざ病院から電話があるので自分の病状がよほど悪いのかと思い、同月一八日、同原告は夫戊木三郎とともに再度同病院を訪れた。同病院に着くと受付から直接理事長室に通され、被告Aが同原告に話した前記内容を再度戊木三郎に繰り返した。そこで、同原告と戊木三郎は被告Aの言葉を信じ、入院し手術を受けることを同意した。

同原告は、同月一九日に入院した。入院時の被告Cの所見は「子宮は後傾後屈、手拳大ないし超手拳大、固い。付属器は触れない。リビド色あり、びらん。膣分泌物白い。子宮筋腫」というものであった(卵巣嚢腫の記載はない。前記ME検査「所見」を信用できないものとしたのか、定かでない。なお、手術記録での病名は子宮筋腫のほか「卵巣嚢腫」とされているが、何時卵巣嚢腫とされたのか、証拠上明らかでない。)。

同原告は、同月二八日に子宮単純全摘術及び両側付属器摘除術を受け、翌八月一六日に退院した。その後、昭和五五年九月九日まで、一か月に一回、ホルモン注射を受けるため通院を続けた。

(甲カⅡ―2の一・カルテ、四・同原告の陳述書、第五三回口頭弁論期日における同原告)。

(二) 同原告は、富士見病院における内診(甲カⅡ―2の一の一丁)、子宮卵管造影の結果(同二。子宮内腔の大きさは正常で、拡大像、変形像が認められず、軽度の単頸双角子宮又は鞍状子宮であった可能性があるものの、右をもって子宮筋腫とは診断できない。また、卵巣嚢腫を疑わせる像も認められない。)、血液検査の結果(同一の三七丁、四四丁。問題となるような貧血が認められない。)では、子宮が大きく固いとされたことのほかには、格別の異常が認められず、子宮消息子診による内腔長(八センチメートル同号証の五九丁)、ポラロイド写真(同三)による子宮、卵巣の計測値(子宮が6.8×5.6センチメートルで、右子宮卵管造影法による検査結果を加えて、前記被告Cの入院所見及び手術記録中の被告Bの「超手拳大」というのはにわかに信用できない。同五・佐々木鑑定書の8項)、摘出臓器の重量(全部で一四〇グラム。同一の五一丁)から、子宮及び卵巣が正常の範囲内の大きさであったというべきである。そして、卵巣嚢腫については、腫瘍を確認するための積極的な検査が入院中に全くされていない。

以上によれば、手術時までに同原告を子宮筋腫、卵巣嚢腫と診断できる十分な医学的資料はなかったものであり、また、手術所見によっても、子宮単純全摘術及び両側付属器摘除術の必要のある子宮及び卵巣であったとは到底認められず、右手術は前記認定に係る富士見病院における診療システムに従って、されたものとしか認められない。(以上の全般につき、前記佐々木鑑定書)

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、入院中の検査処置の指示、子宮卵管造影、手術の執刀をした被告B、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中の診察をし、手術で助手をした被告F、診察をした被告C、手術で麻酔を担当した被告Dが関与しており、当時在職していた医師全員と被告Aが関与しており、その責任が存する。

(四) 同原告は、被告Aからいい加減な説明を受けて手術を決意させられ、前述のとおり手術の必要がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め、不要な入院、治療を強いられ、手術と関連があると認められる貧血、めまい、腰痛、冷え性、疲労感などの症状がある(前記同原告本人の因果関係及び供述、佐々木鑑定書)。

右被害についての慰謝料としては金一〇〇〇万円、弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

54 原告番号Ⅱ―3の<氏名略>について

(一) 患者原告である<Ⅱ―3>(昭和一五年五月一六日生。手術時三九歳。挙児一名)は、昭和五一年から自宅で鶏肉店を始め、毎日一三時間以上働き、過労気味で、肩凝りや便秘に悩まされていたところ、昭和五四年の七月末ころから腹部(へそより下の部分)に鈍痛があり、その診察を受ける目的で、同年八月八日に富士見病院の外来を訪れた。その主訴は「肩凝り、頭痛、腹痛、便秘気味」というものであった。外来で被告Fの診察を受けたが、同被告の所見は「子宮は後傾後屈、やや大、固い、筋腫様。両側付属器触れない。子宮膣部びらん」というものであった。

同原告は、同被告から格別の説明も受けずにME室に行くように言われ、被告AによるME検査を受け、被告Aが写真のようなものを見ていたので「何ですか」と聞いたところ、「君のような素人には判らない」と言われた。同原告は、同被告を医師であると誤信していた。

その直後に同原告は、被告Aから「子宮筋腫で右の卵巣がグチャグチャだ。左も駄目だ。腹膜炎で水がタッポンタッポン入っている。放っておくと癌になるから手術して子宮も卵巣も全部取らなければいけない。取れば、今よりずっときれいになる。家族と相談して主人と一緒に印をもってきなさい」と言われた。なお、他の場合と同様に、右によるME写真コピーには身体のどの部位、方向、割面を示すのか記載がなく、画像自体も読影不能のものであり、付記されたME検査「所見」も「子宮筋腫、卵巣嚢腫」としているが、「両側卵巣はのう腫で、皮包硬く、内容水包性」というもので、皮包が硬いかどうかはME検査では分からないし、「水包性」などという医学用語もなく、例によって出鱈目なものであった。

原告は、子が一人いたが、もう一人産みたかったので、そのことを同被告に告げたが、同被告は聞き入れず、翌日、同原告は夫と共にコンサルを受けたが、結局、前日と同様の説明を受け、癌になると脅かされ、やむを得ず入院手術に同意した。

翌日の八月一〇日に入院し、諸検査を受けた後、同月二〇日子宮単純全摘術及び両側付属器摘除術を受けた。

同年九月七日に退院したが、その後肝臓が悪いからと言われて同年一一月まで毎日のように通院して点滴を受け、その後も月に一回はホルモン注射に通い、同五五年九月富士見病院の乱診乱療事件が社会問題になるまで通い続けた。

(甲カⅡ―3の一の1、2・同原告についての診療録、四・同原告の陳述書、第五四回口頭弁論期日における同原告)。

(二) 同原告には、初診の際に診療録に病名の記載がない。被告Fの陳述書(己カⅡ―3の一)によれば、内診所見として「子宮は後傾後屈、やや大きめで固く、子宮筋腫様、両側付属器はふれない。子宮膣部びらんあり、膣内容物は白色増量している。以上から子宮筋腫の診断でME(超音波検査)に回した」とある。

しかし、同被告は、前記ME検査「所見」のほかには、同原告を子宮筋腫と裏づける資料は全く有していなかったものであり、また、同被告は、右陳述書でも同原告が卵巣嚢腫であると初診では診断していない。そして、入院後の内診において子宮の大きさは、「次手拳大」「超鵞卵大」「鵞卵大」というもので、子宮卵管造影写真(甲カⅡ―3の二の1、2)でも、子宮内腔に拡大像、欠損像、変形像などの異常が認められない。血液検査でも貧血などの異常は認められていない(同五)。摘出臓器のポラロイド写真(同三)によっても、子宮については筋腫結節は認められず、一緒に写っているメジャーを基準に測定すると縦八センチメートル、横六センチメートルで正常の範囲内であり、手術記録の摘出物重量一〇〇グラムというのも、両側卵巣、卵管を含めた重量であることからして、実際の子宮はより小さく正常範囲のものであったといえる。卵巣についても、右ポラロイド写真をみると、両側卵巣とも表面が平滑、均質で、嚢胞性の変化が認められず、大きさも正常である。(以上全般につき、同五・佐々木鑑定書)。なお、同原告は、手術後、被告Bから肝臓が悪いからもう一度入院するように勧められたが、カルテによれば、GOTは正常値を示し、他の検査結果でもGOT、GPTに異常値は認められず、入院の必要があったとは認められず、また、点滴が必要であったとも認め難い(前記佐々木鑑定書)。

以上につき、被告Fらからは、子宮及び両側付属器の全部摘出の医学的必要性、合理的理由があったことについて何らの主張、立証がされていない(弁論の全趣旨)。

(三) 同原告に対する医療行為には、初診、被告AへのME検査依頼、入院中の検査処置の指示、入院中の診察、手術の執刀をした被告F、ME検査をし、同原告に出鱈目な病名を告知し、手術を決意せしめた被告A、入院中、診察をし、試験掻把をした被告C、手術に際し麻酔医を務めたり、入院中の原告の診療をし、手術にも協力した被告D、入院中の原告を診察した被告Bが関与しており、当時富士見病院に在院した被告医師ら全員が関与している。

(四) 同原告は、被告Aから「放っておくと癌になる」などという全く医学的根拠のない虚偽の説明を受け、もう一子産みたいという願いを無視されて、やむを得ず手術を決意させられ、手術の適応が認められない子宮、卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療、手術後、めまい、吐き気、ふるえ、性交痛などの症状がある(前記同原告の陳述書及び供述、佐々木鑑定書)。

なお、同原告は、手術後体調悪く苦しみぬいた(前記同原告本人)が、平成四年七月四日死亡し、夫丁田一郎、長男二郎が本件訴訟手続を承継した。

右被害者の慰謝料としては金九〇〇万円、弁護士費用としては金九〇万円が相当である。

55 原告番号Ⅱ―4の<氏名略>について

(一) 原告<Ⅱ―4>(昭和二九年一〇月六日生。手術時二四歳。挙児なし)は、昭和五三年一〇月結婚し、電話の交換手をしていたが、結婚前から月経周期が三〇日から六〇日と一定せず、昭和五四年三月五日、朝から突然ひどい腹痛があったので、腹痛と妊娠の疑いで富士見病院を訪れた。尿検査の妊娠反応はマイナスであったが、担当の被告Fから、「まだ小さいのでよく分からないから、もう少し様子を見ましょう」と言われて、流産防止の薬をもらい、次の予約をして帰った。同月一五日に再度訪ねると、尿検査の妊娠反応はマイナスであったが、同被告から「妊娠みたいだが、よく分からないので、MEで見てもらって」と言われ、被告AのME検査を受けた。その後、同被告のコンサルを受け、「こんな卵巣じゃ子供は育たない。子宮筋腫もある。放っていると大変なことになるので、すぐ入院して手術を受けるように」「子供は死んでいる」などと言われて、直ちに夫を呼んで一緒に再度コンサルを受けたが、右と同様に言われて、結局、手術を受けることにした。なお、同原告は同被告を医師と誤信していた。

同原告は、右の翌日である同月一六日に入院し、同月一八日掻爬手術を受けた(この手術の必要性、妊娠の有無につき問題がないわけではないが、請求原因とされていないと解するので、更に論じないこととする。)。

右手術後、同原告は、三月二〇日被告Aによる再度のME検査を受け、同被告から「あんたの卵巣は腐っている。子宮筋腫もあるから子供はできない。しかし卵巣の手術をすれば丈夫な赤ちゃんが産まれる」「このまま放っておくと、いずれ卵巣も子宮も取らなければならないし、そうなれば命にかかわる」「卵巣が腫れてこのままでは破裂する」「子宮全体を筋腫が覆っているが、あんたは結婚したばかりだから、子宮は取らないでおく」「卵巣は悪いところだけとる」「卵巣が元に戻るから卵巣整形手術というのだ」などと告げられ、同被告の言を信用して、手術を受けることにし、同月二二日「両側卵巣の楔状切除手術」を受け、同年四月五日退院した。なお、同原告は、昭和五五年二月富士見病院に入院して頸管縫縮手術を受け、同年八月一日長男を出産した。

(甲カⅡ―4の三・同原告の陳述書、第六八回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 被告Fは、その陳述書(己Ⅱ―4の一)において、同原告の「卵巣嚢腫」につき手術(卵巣形成術)が必要と判断した旨を述べているが、ME検査「所見」のほかには、同原告につき卵巣嚢腫を疑わせる所見は全く見当たらない。カルテには、三月一六日、一七日、一八日、二一日と四回もの内診所見があるが、付属器触れないとの記載があるのみで、卵巣についての記載が全くない。なお、被告Fは、右陳述書において、「稽留流産」であることが分かったので、このような異常妊娠は、多分に卵巣の働きが悪いためであり、卵巣嚢腫もあることから、卵巣形成手術を必要と認めた旨を述べるが、全てごまかしと飛躍としか思えない。

(三) そして、カルテには、同原告が「両側卵巣嚢腫(PCO)」と記載されているところ、卵巣嚢腫とPCOとは別個のもので、症状も治療も全く異なるので、そのような記載方法自体からも、無用な手術の正当化を企図していることが疑われるものである。しかも、同原告に「両側卵巣の楔状切除手術」がされたというものの、実際には卵巣を楔状に切除したわけではなく、左右の卵巣の一部を何個所も細かく切除したものにすぎない。被告Fが何の治療のために同被告のいう「卵巣形成手術」をしたのか全く理解できない(なお、同被告のいう「卵巣形成手術」なるもの自体、何故「卵巣形成」というのか分からない。)。

(四) 富士見病院における前記内診所見、ポラロイド写真(甲カⅡ―4の二の1、2)による卵巣の外観等には異常はないから、その両側卵巣は正常であったというほかない(以上の全般につき、同四)。

(五) 同原告の医療行為には、初診、被告Aへの超音波検査の依頼、入院中の検査処置の指示と検査、入院中の診察、さらに手術の執刀を担当した被告F、入院中の診察をした被告B、超音波装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けることを決意せしめた被告Aのほか、手術の助手をした被告G、手術の麻酔医を担当した被告Dである。当時在籍していた被告Cについては関与が認められないので、責任を負わない。

(六) 同原告は、被告Aから、「このまま放っておくと、いずれ卵巣も子宮も取らなければならないし、そうなれば命にかかわる」などという出鱈目な説明を受けて、無用な不安感・恐怖心を煽られた上、被告Fによって何ら医学的根拠なく開腹手術を受け、手術の必要がない卵巣の一部を切除され、不当な身体の侵襲を受けたものである。

右についての慰謝料としては二〇〇万円、弁護士費用としては二〇万円が相当である。

56 原告番号Ⅱ―5の<氏名略>について

(一) 原告<Ⅱ―5>(昭和一二年四月三日生。手術時三七歳。挙児四名)は、七回妊娠して三回流産し、虫垂炎、腸捻転などで三回開腹手術を受けていたが、六五キログラムあった体重が三か月で約一〇キログラム減少し、月経時に下腹が重く張る感じになり、便秘気味でもあったので、他医を受診し、入院もしたが、格別の異常がないということで退院したものの、癌の恐れなど一抹の不安を払拭できず、昭和四九年七月二二日、体重の減少、月経時の下腹部の不快感を主訴として、富士見病院を訪ねた。担当医の被告Eの所見は「子宮は後傾後屈やや大きい。両側付属器周辺に圧痛」というものであったが、同被告からME検査を指示され、被告AによるME検査を受けた。右検査中に、同被告は「あっ、大変だ、お腹の中がグチャグチャだ。早く手術しないと命にかかわる。ご主人を呼んでくれ」などと述べ、これを聞いた同原告は血の気が引いた。同被告のME写真コピーからは他の場合と同様に何も判読できないが、そのME検査「所見」は「右卵巣嚢腫。子宮筋腫状態ですが拡大ではない。旧手術の癒着と、右卵巣に接続している。卵管などの炎症ではありませんので、良く精査して下さい。卵巣と子宮であることを強調します。更に古い手術痕との癒着にて子宮周辺を阻害している」というものであった。

右検査後、駆けつけた夫の母と共に同被告によるコンサルを受け、同被告から「子宮も卵巣もグチャグチャ」「このままにしておいたら一〇日もつかもたないかの状態で、命にかかわる」「子供が四人もいて、命が大事でしょうから、一日も早く手術をして、子宮と卵巣を取りなさい」などと告げられ、驚いた義母が「命には替えられない一日も早く手術してください」と言い、そこで入院手術が決定された。なお、同原告の一家は夫の失業や義父の病気などのため生活が苦しかったが、三五万円の入院手術費について同被告は何ら配慮してくれなかった。

同原告は、翌二三日入院し、同年八月五日子宮単純全摘出術及び両側付属器摘除術を受け、同月一九日に退院し、その後、昭和五二年一一月一一日まで同病院へ通院してホルモン注射を受けた。なお、同原告は、本件手術後体調が悪く、本件手術後間もない昭和四九年九月一二日から三日間、高熱、下痢、水便で入院し、昭和五二年一〇月三〇日から同年一一月一一日までも性器出血によって入院した。

(甲カⅡ―5の一の1、2・診療録、四・同原告の陳述書、第五九回口頭弁論期日における同原告本人)。

(二) 同原告は受診時、体重が減った、月経時に下腹部が張るようになったという他には格別の身体的異常を感じておらず、富士見病院における内診の結果(甲カⅡ―5の一の1の一六丁、四四丁)においては、同原告の子宮の大きさは終始「鵞卵大」あるいは「やや大」に留まるものであり、子宮卵管造影検査の結果(同二の1、2。子宮はその内腔像からして正常であった可能性が高く、両側卵巣の通過性は認められないが、卵管の通過性は僅かにあったと考えられる。)、子宮内膜試験掻爬時に確認された子宮内腔長(七センチメートル。同一の1の四五丁)、貧血検査(二回とも正常)、CRP等の検査(血沈が正常で、肝機能検査がいずれも正常)、摘出臓器のポラロイド写真(同三)によって確認しうる子宮及び両側卵巣の形状並びに大きさ(子宮が8×5.5センチメートル程度。右卵巣が3×2.5センチメートル程度で、左卵巣が三×三センチメートル程度。形状及び表面に病変が認められない。同五・佐々木鑑定書「鑑定の細目」6)からは異常が認められない。摘出臓器の重量が全部で一〇〇グラム(同一の1の四九丁)というのも、経産婦としては正常範囲内にあり、結局、同原告の子宮及び両側卵巣には手術を要するような異常は何らなかったものというほかない。同原告の診療過程において、子宮及び両側卵巣摘出を正当化する根拠を見出すことはできない(以上の全般につき、前記佐々木鑑定書)。

(三) 右の点に関して、被告Bは、同原告の主訴が「月経血の多量と頻繁な不正出血及び下腹痛」であり、さらに、同原告が、「月経の際の経血量の過多、血塊が出る」「七月一八日から現在までなお出血が継続している」と訴えていたなどと陳述する(乙カⅡ―5の一)が、診療録上には「頻繁な不正出血」とか「経血量過多」「血塊」「出血の継続」などの記述など存在しておらず(例えば、甲カⅡ―5の一の1の一六丁)、同被告の右陳述は、何ら客観的な裏付けのないもので、他の場合にもしばしば見られる同被告の患者の症状についての虚偽ないし誇大な説明、表現の一つとしか考えられず、採用することができない。

被告Eの陳述書(戊カⅡ―5の一)は手術の適応があったことについて全く言及していない。

同原告には、手術を要するような子宮筋腫や卵巣嚢腫があったとは全く認められず、前記認定に係る富士見病院の違法な診療システムに従って、本件手術がされたものと認められる。

(四) 同原告に対する医療行為には、初診、ME指示、入院中の検査の指示、内診、手術の助手をした被告E、入院中の内診、手術の執刀をした被告B、入院中の処置、手術時の麻酔医をした被告D、超音波診断装置を操作し、同原告に虚偽の診断を告げ、同原告に手術を受けさせることを決意させた被告A、検査、入院中の処置をした被告Cという、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(五) 同原告は、被告Aから「子宮も卵巣もグチャグチャ。このままにしておいたら一〇日もつかもたないかの状態で命にかかわる」などという虚偽かつ脅迫的な説明を受けて手術を決意させられ、手術の必要がない子宮及び両側卵巣を摘出されたものであり、摘出臓器の喪失そのもののほか、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を強いられ、かつ、めまい、体のだるさ、肩のはり、頭痛、性交痛などの症状に悩まされている(前記同原告の陳述書及び供述、佐々木鑑定書)。

右被害の慰謝料としては金九〇〇万円、弁護士費用としては金九〇万円が相当である。

57 原告番号Ⅱ―7の<氏名略>について

(一) 原告<Ⅱ―7>(昭和一六年三月一五日生。初診時三五歳。挙児数一名)は、昭和五一年一二月二一日、癌検診のため富士見病院を訪れ、被告Dより「子宮筋腫があるようだ」と超音波検査を受けるよう指示され、被告AによるME検査を受けた。

その後のコンサルにおいて、同被告から「子宮筋腫は拳大。卵巣嚢腫で二つとも腐っているので手術して全部とるように。寝返りをうつと、腐った卵巣がひっくり返って痛むから、痛くなったら救急車を呼ぶように」などと告げられた。

しかし、右告知に驚いて他医で診察を受けたところ、全く正常であったので、以後富士見病院では受診せず、手術を免れたものである。

(甲カⅡ―7の一ないし四、第六一回口頭弁論期日における同原告本人尋問)

(二) 同原告の子宮及び卵巣には異常がなく、全く正常であった。同原告は、昭和五一年一二月二八日及び同五二年一月一一日ころ銀座七丁目の東央診療所で二回の診察を受け、平成二年八月九日賛育会病院で診察を受けたが、その結果はいずれも正常であり(同二、三)、同原告はその後も健康に過ごしている(同四。これを否定すべき証拠はない。)。

(三) 同原告の場合は、幸いにも他医の診察を受ける機会を得て入院手術に至らずに終わったものであるが、同原告のケースは、富士見病院が子宮、卵巣の正常な患者に対し不要な手術を行うシステムを構築していたことを明示しているものといえる。

(四) 同原告は富士見病院における前記のシステムに則り、被告Aから子宮筋腫、卵巣嚢腫であると告げられて脅迫され、入院、手術を勧められ、精神的打撃を被ったものである。

しかし、現実に入院・手術をしたわけではなく、実害がないことからすれば、右の精神的苦痛に関しては、被告A及び被告法人のみが、慰謝料として金二〇万円、弁護士費用として金二万円の損害賠償責任を負い、被告医師らは責任を負わないとするのが相当である。

58 原告番号Ⅲ―1の<氏名略>について

(一) 原告<Ⅲ―1>(昭和一六年三月五日生。手術時三六歳。挙児数二名)は、昭和五三年一月四日、妊娠・出産に差し障りがないかどうかを診断してもらうべく富士見病院を訪れたところ、初診時に被告Fから「お腹の中は普通じゃない」などと言われてMEを受けるよう指示され、被告AによるME検査を受けた。

その後、同被告から「子宮筋腫に卵巣嚢腫である」「子宮と卵巣を全部取らないと、あと二、三日の命だ」などと告げられ、翌五日に入院して、同月一三日、子宮及び両側付属器を摘除する手術を受け、同年二月一〇日に退院し、以後同年一〇月三一日まで、一か月に二回くらいホルモン注射を受けるために富士見病院に通院した。

(甲カⅢ―1の三、第六六回口頭弁論期日における同原告)。

(二) 同原告は、前記の目的で富士見病院を訪ねたものであって、受診時、格別の身体的異常も感じておらず、富士見病院における内診(同一の一丁、九〇丁)、血液検査の結果(同八五丁)にはいずれも異常がなく、子宮消息子診による内腔長(同九〇丁)、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値(同二、四の「鑑定の細目5」)、摘出臓器の重量(同一の九七丁)からして、子宮、卵巣は通常の大きさであったものと認められる(以上の全般につき同四)。

(三) 同原告の入院中の内診、手術の執刀は被告Bであったところ、同被告は、同原告の子宮は筋腫であったとして、右全摘手術を正当化する(乙カⅢ―1の一)が、子宮筋腫と診断した医学的根拠は全く示しておらず、卵巣の摘出についても、その根拠が全く示されておらず、右弁解は到底採用することができないものである。

(四) 同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、入院中の検査処置の指示、手術の助手をした被告F、入院中の診察・内診、手術の執刀をした被告B、超音波診断装置を操作し、コンサルによって同原告に入院・手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中に中絶手術を行い、麻酔医として加わった被告D、入院中に処置をした被告Cであり、当時富士見病院に在職していた医師全員と被告Aが関与している。

(五) 同原告は、Aから「子宮と卵巣を全部取らないとあと二、三日の命だ」などという、いい加減な説明などを受けて手術を決意させられ、何ら手術の必要がない子宮、卵巣を摘出されたものであり、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を強いられ、手術後の腰痛、腹痛、吐き気、めまい、ぜんそくなどの症状に悩まされ、夫との夫婦生活も困難となって離婚のやむなきに至った(甲カⅢ―1の三、第六六回口頭弁論期日の本人尋問。ただし、右症状の全部及び離婚が本件手術によるものと認めるものではない。)。

以上について慰謝料としては金一〇〇〇万円、弁護士費用として金一〇〇万円が相当である。

59 Ⅲ―2の<氏名略>について

(一) 原告<Ⅲ―2>(昭和六年二月五日生。手術時四九歳。挙児数二名)は、昭和五五年四月三〇日、下腹部鈍痛を主訴として富士見病院を訪れ、同年五月一日入院し、同月八日子宮及び両側付属器を摘出する手術を受け、同年六月一〇日退院し、以来本件の富士見病院に係る事件が発覚する同年九月一二日まで、月に一ないし三回、ホルモン注射を受けるため富士見病院に通院し続けた。

同原告は、右初診時に被告Fから「まだ検査がありますから」と言われて、被告AによるME検査を受けた。その後、同被告から「子宮は拳骨位の大きさになっている。卵巣もピンポン玉位に腫れて、膿みが流れ出ている」「すぐに手術が必要です」などと告げられ、入院して右の手術を受けたものである(甲カⅢ―2の六、第六六回口頭弁論期日における同原告)。

(二) 同原告は、受診時、自律神経失調等によると思われる下腹部鈍痛があったが、他に格別の症状がなく(被告Fはその陳述書(己カⅢ―2の一)において、これを認めている。)、富士見病院における内診、血液検査の結果や子宮卵管造影検査の結果にはいずれも異常がなく、子宮消息子診による内腔長、ポラロイド写真による子宮、卵巣の計測値や摘出臓器の重量からすれば、子宮、卵巣が正常な大きさであったというべきである。

なお、富士見病院に係る刑事捜査事件の過程で行われた東京都監察医務院部長監察医乾道夫の鑑定(甲サ六六の8)でも、同原告の子宮及び卵巣は正常なものとされている(前記のとおり、右乾の鑑定があるのは、患者原告ら中、右の原告<Ⅲ―2>のみである。)。

(三) 同原告に関する被告Fの陳述書(前記)は、ただカルテで診療経過を追うだけであるが、結論として「(同原告が)もし「癌ノイローゼ」でなかったなら、手術は勧めなかった」というのであり、「仮に手術をしなかった場合を想定しますと、一生癌ノイローゼは治らず、病院を転々と移り自分の思うように処置してくれるまで訴え続けたと思います」というのである(同陳述書第五項)。

しかし、「癌ノイローゼ」が子宮単純全摘出術及び両側付属器切除術の適応とならないことはいうまでもなく、まさに、「子宮を摘ってしまえば、子宮癌の心配はなくなる」ということ以外に摘出手術の根拠がなかったこと、すなわち、「子宮筋腫、卵巣嚢腫」としては手術の適応がなかったことを認めているものというべきである。

(四) 同原告に対する医療行為に関与したのは、外来初診と診断、被告Aへのコンサル依頼、入院中受持医として検査処置を指示し、子宮卵管造影検査、診査掻爬・子宮消息子診をし、手術で執刀をした被告F、ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意せしめた被告A、入院中、内診をした被告B、入院中検査処置を指示し、塗抹細胞検査・コルポスコピー・診査切除、診察をした被告C、被告AのME診断に立ち会い、入院中検査処置を指示し、診察をし、手術に助手として関与した被告G、入院中腎盂撮影、診察をし、手術に麻酔医として関与した被告Dで、当時富士見病院に在籍した医師全員と被告Aが関与している。

(五) なお、同原告についてのコンサル用紙(同四)とカルテ(同一)によれば、被告Fは、初診時に何の診断も下さず、主訴と受診の動機だけを被告Aに伝えて、診断と入院手術の判断を全面的にAに委ね(同四の四月三〇日欄)、翌五月一日、Aから「入院とす。全摘目的とする」との申し送りを受けた(同号証中の同日欄)段階で、医師指示録に「子宮筋腫、卵巣のう腫」との診断名を記載し(同一の一〇頁)、諸検査を終えた同月七日の段階で「子宮はそれ程巨大ではありませんが、筋腫のようです」として最終的に被告Aの診断を追認したのであり、他方、他の医師らは、これらの経過がカルテやコンサル用紙に記載されているにもかかわらず、その診断と治療方針について何らチェックや是正の措置を講ぜず、逆に、このAに従っただけの被告Fの診断等を、前記認定のとおりの富士見病院における診療システムないし方針に従って追認し、その診療に関与し、「子宮筋腫のよう」というだけで、手術の必要がないのに、子宮、卵巣を摘出する手術をしたものである。

右は、富士見病院における前記診療システムを介して、同原告の子宮、卵巣につき不要な摘出手術が、被告Aら全員の共謀によって、又は少なくとも暗黙裡に意思を相通じてされたことを示す、一典型例というべきものである。

(六) 同原告は、子宮、卵巣を摘出されたという被害を受け、そのため、術後のホルモン注射を含め不要な入院、治療を強いられ、術後、頭痛、肩凝り、冷え性、倦怠感等に苦しんでいる(同六、前記の同原告本人尋問。ただし、右全部の症状につき右手術との間の相当因果関係を認定するものではない。)。

同原告についての慰謝料としては金一〇〇〇万円、弁護士費用としては金一〇〇万円が相当である。

60 原告番号Ⅲ―3の<氏名略>について

(一) 原告<Ⅲ―3>(昭和二七年五月一一日生。手術時二四歳。挙児なし)は、昭和五二年四月二五日、尿道炎様の頻尿、残尿感と挙児希望を主訴として富士見病院を訪れ、被告Fの診察を受け「別に何もないようですね」と言われたが、続けて「でも、よく調べた方がいいでしょう」と言われて、ME検査を受けるよう指示された。

同日、被告AによるME検査を受けた後、コンサルにおいて、同被告から「子宮に筋腫があり、子宮の半分以上を占めている。卵巣は両方とも卵巣嚢腫だ。このまま放っておいたら一生子供はできない。一刻も早く手術をしなくては駄目だ」と告げられ、翌二六日入院し、同年五月四日、両側卵巣の一部を摘出する手術を受け、同月一八日に退院し、以後同年六月にかけて三回通院した。

(甲カⅢ―3の五、第六〇回口頭弁論期日における同原告)

(二) 同原告は、受診時尿道炎様の残尿感などがあったものの、投薬治療で入院直後には消失し(同六丁裏、同六の一頁)、他に出血や下腹痛等子宮筋腫や卵巣嚢腫を疑わせる症状はなく、富士見病院での内診(同二の五一、三二頁)、子宮卵管造影の結果(同四の1、2)、手術時及び切除された部分のポラロイド写真(同三の1ないし3)の外観などによってもいずれも異常が認められないものであった(以上の全般につき同六・佐々木鑑定書)。

(三) 同原告は、初診も手術の執刀も被告Fであったところ、同被告は、同原告を不妊症と診断し、開腹時にPCO(多嚢胞卵巣症候群)の存在を認め、その治療として卵巣を楔状に切除した旨を述べ(己カⅢ―3の一の同被告の陳述書及び後記同被告本人の供述。なお、右陳述書はカルテ上の記載を羅列しているのみで、手術の適応についての具体的、積極的な記述がほとんどない。同被告の陳述書にはそのようなものが多く、遺憾といわざるを得ない。)、この手術を正当化しようとしている。

しかし、不妊症の診断は無排卵の確認を要するのにその診断根拠を欠いている(第九五回口頭弁論期日における被告F本人尋問の調書六一、六四頁)。また、手術記録における「両側卵巣の各半分近くがPCOで、それぞれその二個所をいずれも大きく摘出した」という趣旨の記載内容は、摘出物のポラロイド写真と、個数・形状・性状・大きさ等において大きく違っており、記録としての信用性に欠けるというほかなく(前記被告F尋問調書九二ないし九七頁)、摘出物のポラロイド写真を見てもPCOの所見を得られない。しかも、実際に行われた手術も卵巣を楔状に切除したものとは容易に認められない。(同六)

(四) 同原告に対する医療行為に関与したのは、初診、被告Aへのコンサル依頼、入院中の検査処置の指示、子宮卵管造影検査の施行、手術の執刀をした被告F、ME検査をし、コンサルによって同原告に手術を受けることを決意させた被告A、後記のとおり被告Aの右コンサルに係る記録に目を通してその内容を承知し、院長回診で診療に加わった被告B、入院中の検査処置を指示し、入院中診察し、手術にも麻酔医として加わった被告Cである。

しかし、被告Dは、右診療に関与したと認められない。

(五) なお、同原告を診察した被告Fは、自己の診察において格別の異常を認めなくても(同五の三丁表)、同原告をAのME検査に回して、Aに診断を仰ぎ(同七)、Aが子宮筋腫・卵巣嚢腫と診断すればそのままそれに従い(同二の六頁)、一旦指示した「術前A」(全摘目的)の治療方針も、翌日Aが「卵巣手術目的」に変更すれば、自動的にこれに従うなどしており(同号証同頁と同七。以上の全般につき前記被告Fの本人尋問調書三二ないし四六頁)、前記認定のとおり無資格者で医学知識のない被告Aに文字通り無原則に従って、本件の手術を行っていたものである。なお、被告Fは被告Aの刑事事件において証人として尋問されている(甲タ一九)が、その証言からして、被告Fが医師として独自の判断をすることなく、被告Aに従って出鱈目な診療をしていたことが明らかである。

また、被告Bにおいては、同原告を含めて被告医師らと被告Aとの間に行われていたME検査やコンサル上のやり取りの全てについて、日々コンサル用紙をチェックするなどして把握しており、被告医師らが前記のとおりほぼ無原則に被告Aに追随していた事実関係を十分に承知しながら、これを陰で支えていたものである(前記被告F本人尋問調書六九、七〇頁)。

(六) 同原告は、前記のとおり、被告Aから「卵巣は両方とも卵巣嚢腫だ。このまま放っておいたら一生子供はできない。一刻も早く手術をしなくては駄目だ」との虚偽ないし医学的根拠が全く明らかでない説明を受けて、卵巣の一部をその必要がないのに摘出されたものであり、その間、無用な不安感・恐怖感を煽られた上、開腹手術により卵巣の一部を摘出されるという不当な身体の侵襲を受け、術後長期間左下腹痛に悩まされるなどしているものである(甲カⅢ―3の五の一一丁裏。ただし、右下腹痛と本件手術との間に相当因果関係があることについては、証拠上必ずしも明らかでない。)。

右に係る同原告の被害についての慰謝料としては金三〇〇万円、弁護士費用としては金三〇万円が相当である。

四  被害及び損害額について

1 被害内容について

被害の実状については、右三で個別に検討したとおりであり、基本的に原告らの主張のとおりと認められるが、なお、後遺症等に係る相当因果関係の問題があるので、ここでまとめて検討することとする。

(一) 前記認定事実からして、患者原告らは、被告Aから「子宮が腐っている」「卵巣が腫れてぐちゃぐちゃだ」「放っておくと癌になる」「このままにしておくと破裂して命取りになる」などと告げられ、家族も含めて大きな精神的苦痛、打撃を受けたこと、富士見病院における前記診療システムによって、自己の症状・治療方法等について合理的な説明を受けることなく、無用な手術を余儀なくされ、かけがえのない臓器である子宮・卵巣等の全部または一部を切除されたこと、あるいは切除されかかったこと、無用な入院・手術のため、高額な医療費を支払わされた上、卵巣を摘出した患者原告らは、ホルモン注射を受けるため、長期の通院を続けざるを得なかったこと、子宮又は両側卵巣を摘出された患者原告らは妊孕(にんよう)性を喪失し、子宮を摘出した患者原告らは、手術による癒着、膣・膀胱・直腸などの脱落又は下垂、膣炎や膀胱炎に罹患しやすくなり、性交痛があり、他方、両側卵巣摘出をした患者原告らは、膣炎や性交痛などの局所症状や一種の自律神経失調症を来し、のぼせ、めまい、動悸、不眠、発汗、頭痛、肩こり、腰背痛、便秘、イライラ、記憶力の減退、易疲労感、全身倦怠、毛髪の異常(脱毛、白毛増)等の障害に悩まされていること、片側卵巣の全部、両側卵巣の一部、片側卵巣の一部などと摘出した患者原告らの場合も、開腹手術一般の弊害・後遺症のほか、卵巣摘出の悪影響と思われる腰痛や頭痛あるいは脱力感や易疲労感などの後遺症に悩まされ、かつ、それが一因となって夫婦仲まで悪化した者が多いことが認められる。

(二) しかし、手術後について、患者原告らが訴える右のような各症状が全部専ら本件手術によって生じた後遺症であるとまでは容易に認められない。けだし、前記検討結果によれば、手術の適応までは認められないとしても、元来何らかの婦人科的疾患を有していたことから富士見病院を訪ねた者が多く、また、例えば癌検診のみの目的で富士見病院を訪ねた者であっても、何らかの婦人科的疾患を有していたとうかがわれる者も全くないわけではないというべきであるからである。加えて、夫婦仲の悪化等についても、夫婦仲の悪化等については、右のような後遺症以外の種々の原因があり得ることが容易に考えられるのであって、ほとんどの場合、その点についてまで十分な証拠がない(証拠調べを尽くしていない。)ので、慰謝料額の算定に際して原則として考慮しないこととする。

(三) そして、子細に見れば、手術後の右のような症状が手術によるものであるというその寄与度については、相当のばらつきがあるというべきであるが、それによって以下の慰謝料額に差異を設定するのが相当であるとまでは考えられないので、被告Aらが前記のような後遺症をもたらすことがあり得るような重大な手術をその必要がないのにしたという趣旨で、患者原告らに全般的に共通する慰謝料額を決めるに際して間接的に考慮するにとどめる。もっとも、婦人科的疾患がほとんど全くなかったとうかがわれる者については、次の2のとおり適宜考慮することとした。

2 慰謝料額について

本件に現われた一切の事情を考慮して、以下のとおり認める。なお、本件当時における損害賠償額の一般的な算定標準や、本件が特異な事案であることに加えて、認容慰謝料額及び弁護士費用額が遅延損害金を含めると全体としてほぼ二倍の金額となること(それも二倍以上の原告が多いこと)なども考慮しているものである。

(一) 子宮及び両側付属器を摘出された患者原告の諸々の苦痛を慰謝するには一〇〇〇万円が相当である。ただし、およそ手術の適応が認められないというべき患者原告で、手術時子供がなく、挙児希望を表明しているにもかかわらず、子宮単純全摘術及び両側付属器切除術を受けた者や、その余の患者原告らについても、右一〇〇〇万円を基準とした上で、年齢、挙児数、その症状、手術に至る経過等々により、加減することとする。

(二) 片側卵巣の全部、両側卵巣の一部、片側卵巣の一部等を摘出された患者原告の諸々の苦痛を慰謝するには、三〇〇万円が相当であるが、右と同様に加減することとする。

(三) 人工妊娠中絶を受けた原告31の<氏名略>の前記苦痛を慰謝するには二〇〇万円が相である。

(四) 頸管縫縮術を受けた原告の<氏名略>の苦痛を慰謝するには一〇万円が相当である。

(五) 手術を免れたものの、原告57の<氏名略>及び同Ⅱ―7の<氏名略>が不要不適な手術を強要されかかったことによる苦痛を慰謝するには、二〇万円が相当である。

(六) 原告42<氏名略>の夫である原告58<氏名略>は、右<42>との間に自らの子をもつ可能性を奪われたもので、その精神的苦痛を慰謝するには一〇〇万円が相当である。

(七) 本件の一切の事情を考慮して、弁護士費用のうち各原告に認められた右慰謝料額の一割を相当因果関係のある損害と認める。

五  被告Aらの損害賠償責任についてのまとめ

1 総論

前記のとおり、被告芙蓉会は、昭和三三年三月二五日に設立された法人で、昭和四二年月一日から富士見産院を開設し、翌昭和四三年九月九日に診療所の開設許可を受けて同月一〇日から芙蓉会産婦人科医院を開設し、その後、昭和四六年六月一七日に右富士見産院を芙蓉会富士見産婦人科病院(富士見病院)と改称し、昭和五四年一二月一三日に右芙蓉会産婦人科医院を芙蓉会富士見産婦人科病院分医院(分院)と改称したものである。

被告Aは、右昭和四二年の富士見産院の開設当初から被告芙蓉会の理事の地位にあり、理事長として被告芙蓉会を統轄してきた者である。

そして、前記二で検討したとおり、遅くとも昭和四八年の末までの間に、富士見病院の独特の前記のとおりの違法な診療システムが確立していたものであり、患者原告らは富士見病院においていずれもそのような違法な診療を受け、重大な被害を受けたものである。

前記認定に係る被告Aの患者原告らに対する所為は、民法七〇九条による不法行為を構成するものである。そして、被告芙蓉会は、被告Aの右不法行為につき、民法四四条による損害賠償責任を免れない。

また、被告Bは、産婦人科を専門とする医師で、被告Aの妻であり、本件当時被告芙蓉会の理事で、富士見産院の管理者(院長)に就任し、富士見病院の管理運営をしていた者であって、前記検討結果からして、被告Aと意思を相通じて、同被告と共に、患者原告らに対して前記不法行為に及んでいたものであるから、民法七〇九条、七一九条による不法行為責任を免れない。

さらに、右の点に関しては、本件手術当時富士見病院に勤務していたその余の被告医師らについても同断というべきである。すなわち、前記検討結果によれば、右のその余の医師らは、被告A及び被告Bが主導していた富士見病院における前記のような診療体制につき、仮に内心では批判的であったとしても、結局は、被告Aの出鱈目なME検査「所見」とコンサルの結果に依拠して患者原告らに対して前記認定に係る各医療的侵襲をすることに加担したにほかならないものであり、その限りで、少なくとも被告Aと暗黙裡に意思を相通じて違法行為を共にしていたものといわざるを得ない。

なお、被告Aらは、患者原告らに対する子宮及び両側付属器摘出手術等の手術が実際に実施されるか否かは、最終的には、患者原告らに対し開腹手術を行った際の執刀医の判断に委ねられていると主張する。しかし、右は医療における一般論を主張しているにとどまり、本件においては、右のような一般的な処置がされておらず、開腹した結果無用として手術を取り止めた例はほとんど全く見当たらないのであり、しかも、前記のとおり、摘出臓器の所見や病理検査からして、明らかに問題のない臓器とされたものが沢山あったはずであるにもかかわらず、手術を取り止めず、予定した手術をそのまましていたというのが実情だったというほかない。そして、そのような実情となっていたのは、手術の適応という判断が、前記認定に係る富士見病院独特の無責任で違法な診療システムの下に、医師の資格がなく、かつ、医学に何ら精通しているわけでもない被告Aによって基本的に決定されていたからである。したがって、本件については、右のような一般論によって、被告Aらが本件手術につき責任を免れることはあり得ないことというべきである。

2 被告A、被告B及び被告芙蓉会の責任

右のとおりであるから、被告A及び被告芙蓉会は原告ら全員に対して損害賠償責任を負うものである。

そして、被告Bは、同被告が診療に全く関与していない患者原告を除いて、その余の患者原告らに対して損害賠償責任を負う。

もっとも、被告A及び被告Bは、前記のとおり、平成六年九月一六日にそれぞれ破産宣告を受け、その破産管財人において本件訴訟を受継しているものであるから、本件訴訟においては、各自の破産債権を確定するという形となる。なお、遅延損害金に関しては、原告らが劣後債権となる破産宣告後の遅延損害金についてまで債権届出をしているものとは認められないので、遅延損害金については破産宣告日の前日までとする(理論上は破産宣告日の翌日から劣後債権となるとも考えられるが、ここでは破産実務の大勢に従うこととする。)。

3 被告Cの責任

被告Cは、昭和四六年八月一六日から昭和五〇年七月一四日まで分院の管理者(分院長)を務め、昭和四七年一〇月一〇日以降は被告芙蓉会の理事であって、本件当時終始富士見病院に医師として勤務していたものであり、右1の理由によって、初診から手術までの間に自ら何らかの医療行為に関与した患者原告ら全員について損害賠償責任を負うものである。

4 被告Dの責任

被告Dは、昭和四六年一〇月一日から富士見病院に医師として勤務しており、昭和五〇年七月一四日には分院の管理者(分院長)となり、昭和四九年七月三〇日以降は被告芙蓉会の理事でもあったものであり、右1の理由によって、被告Cの場合と同様の損害賠償責任を負うものである。

5 被告Fの責任

被告Fは、昭和五一年六月七日以来富士見病院に医師として勤務しており、昭和五一年一二月二四日以降は被告芙蓉会の理事でもあるから、右勤務開始以降の在職期間中につき被告Cの場合と同様の損害賠償責任を負うものである。

6 被告Eの責任

被告Eは、昭和四七年一二月ころから昭和五一年一二月一日まで富士見病院に医師として勤務しており、昭和四九年七月三〇日から昭和五一年一一月一五日までは被告芙蓉会の理事の地位にあったものであり、右1の理由によって、その在職期間中につき被告Cの場合と同様の責任を負う。なお、被告Eの在職期間及び35の<氏名略>に対して損害賠償責任を負わないことは前記のとおりである。

7 被告Gの責任

被告Gは、昭和五四年一月四日から昭和五五年一一月七日まで富士見病院に医師として勤務していたものであり、昭和五四年六月一八日から超音波主任管理医師との名称でME室勤務となり、昭和五五年一一月七日に退職した(争いがない)ものであるから、その在職期間中につき被告Cの場合と同様の損害賠償責任を負うものである。そして、同被告の死亡により、その債務を、妻である被告G1が二分の一、子である被告G2及び被告G3が各四分の一の割合で相続したことになる。

なお、前記認定のとおり、被告Gは、被告Bから、ME検査は医師の立会いがないと具合いが悪い、立ち会うだけでよいからME検査室に入って下さいと言われ、それまでME検査の経験がほとんどなく、その能力もなかったが、被告Aに対し特に指導・監督する必要はなく、単にME検査室で被告AがME検査を実施するのを見ているだけでよいということで、超音波主任管理医師を引き受け、以後、被告Aが刑事事件の関係で逮捕されるまで就任していたものである。同被告は、その間実際にも、被告Aに対しME検査の指導をしたことは全くなく、また、被告AのME検査を受ける患者原告らを超音波主任管理医師の立場から診察・診断したこともなく、ただME指示表に目を通したことを確認する意味のサインをしていたにすぎなかった。それゆえ、前記のとおり、富士見病院においては被告AのME検査に対して医師による指導・監督なるものの実態は、実体のない名目的なものにすぎなかったと認めるものであって、被告Gの右のような所為は、前記の被告Aの無資格診療を助けた関係にほかならず、そうである以上、被告Gが共同不法行為責任として損害賠償義務を負うことやむを得ないところというほかない。

この点について、被告Gは、「①被告Gは、医師としての義務違反行為を行っていない。なぜなら、被告Gは、被告AがMEを操作した場に立ち会い、ME検査の結果をコピーしたものに記載して診断し、被告Aの結果説明に誤りがあれば、その都度これを訂正したものであり、入院手術等の指示は、被告Gではなく各担当医が行ったからである。②仮に、被告Gに超音波主任管理医師としての義務違反行為があったとしても、その義務違反行為と原告らの損害との間に相当因果関係はない。なぜなら、手術をしたのは執刀医であり、執刀医は、手術の際、他のいかなるものにも影響されず、すべての情報を総合して独自に適正妥当な判断をしたのであり、手術が必要と判断した場合にのみ手術を実施し、他方、不要と判断した場合は手術を実施しなかったからである。③仮に、被告医師らに共同不法行為が成立するとしても、被告Gの寄与度は小さい。にもかかわらず、原告らに対し全額賠償責任を負うとすることは、あまりにも苛酷であり、信義衡平に反する。したがって、信義則上、被告Gは原告らに対し寄与度に応じた責任のみを負う」との主張をしている。

しかし、右①、②については、前記のとおり当裁判所が採用しないところである。また、右③については、本件の全証拠によっても、被告Gの寄与度が格別に小さいとは容易に認められないのみならず、仮にその寄与度が若干少なかったとしても、前記検討結果、前掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、前記のとおり同被告が共同不法行為責任を負う以上やむを得ないところというほかないものである。したがって、同被告の右主張は、採用することができないものである。

六  被告県及び被告国の責任について

1 厚生大臣及び県知事の医療行政に対する権限

原告らの主張のとおり、医療行政につき、次のような法規が存する。

(以下の法律につき本件当時から頻繁に改正がされているが、本件で問題となっている部分については、基本的な改正がないので、特に右改正について言及しないこととする。)

(一) 厚生大臣は、医師に対し、免許を与え(医師法二条)、医師が医事に関し犯罪又は不正の行為を行った場合は、医師免許を取り消し又は医業停止を命ずることができ(同法七条二項、四条三号)、公衆衛生上重大な危害を生ずるおそれがあり、危害防止に特に必要がある場合は、医療又は保健指導に関し医師に対し必要な指示をすることができる(同法二四条の二)。また、病院等に対しは、「必要があると認めるときは」その開設者又は管理者に報告を求め、当該官吏に立入検査を命じて、診療録等の検査を行わせることができ、そのための医療監視員をおかなくてはならない(医療法二五条一項、第二六条)。

(二) 県知事は、国の機関委任事務として、病院に対し、開設許可を与え(医療法七条)、病院の開設者・管理者に犯罪又は医事に関する不正行為があった場合は開設者に管理者の変更を命ずることができるほか、開設許可を取り消し又は閉鎖を命ずることができ(同法二八条、二九条一項三号)、「必要があると認めるときは」報告の聴取・立入検査・診療録等の検査(同法二五条)をする権限を有しており、医療法人に対しては、その設立を認可し、医療法人が法令に違反し又は県知事の命令に違反した場合は設立の認可を取り消すことができる(同法四四条、六六条)。

2 本件及びその後の推移

(一) 富士見病院における診療システムの内容及び患者原告らに対する不法行為(本件手術等)の態様は前記のとおりであって、そのほとんどは犯罪的なものであったというほかない。

(二) 昭和五五年九月一〇日、埼玉県警察は、富士見病院を経営する被告法人被告A理事長を医師法違反で逮捕した。この摘発を契機に、マスコミにおいて、富士見病院の医師らにおいて故意に正常な子宮や卵巣を摘出していたとして、乱診乱療を告発する報道が繰り返し報じられた(例えば、甲サ各号証中の多くの新聞記事からも明らかである。)。

なお、当時の斉藤邦吉厚生大臣(衆議院福島県三区選出)、渋谷直蔵自治大臣(同二区選出)、新自由クラブの山口敏夫幹事長(衆議院埼玉県二区選出)、平塚勝一所沢市長らが被告Aから政治献金を受けており、同被告の逮捕後、右政治献金等が大きく報道され問題となって大臣を辞任し、重要な党ポストを辞任するなどし、富士見病院における乱診乱療は単にその周辺地域における社会問題となっていたにとどまらず、全国民的な一大政治問題ともなっていたものである(甲サ三二ないし四五)。

(三) 富士見病院事件に係る昭和五五年一〇月から昭和五六年二月までの間の行政処分等の内容は前記二の事案の概要2記載のとおりであり、少なくとも、被告Aの逮捕後においては、極めて迅速かつ的確にされたものと認められる。

(四) そして、元患者合計三五名が、昭和五五年一〇月から昭和五七年二月までの間に、被告A及び被告医師ら六名を傷害罪で告訴し、浦和地方検察庁は、この告訴事件につき、昭和五八年八月一三日までに右七名全員について不起訴処分とした。これに対して、元患者数名から浦和検察審査会に対し、右不起訴処分が不相当である旨の申立てがされたが、不起訴処分相当の決定が出された。

もっとも、同年一月一三日ころ、元患者一名に関する不起訴処分は不当であり、二名についても容疑濃厚だが、時効が成立しているので不起訴処分は相当であるとする決定もあった(甲サ九〇の新聞記事。右決定内容の詳細は分からないものの、この新聞記事からすれば、「医師の裁量権の範囲内で一応その手術の妥当性は認められる」とした上で、「被告Aが超音波診断装置を操作し、独断的に診断をして患者に伝え、手術をすすめていたのは明らかで、手術の承諾書は、意思を抑圧されるなど患者の有効な同意を得ておらず、全体的にみて、正当な治療行為(手術)と認められない」としたもので、不起訴不当とした患者については、「真に手術を必要とするものであったか、患者の同意が有効であったかについて疑問があり、容疑は濃厚である」としたもののようである。)。

(五) 元患者の一部は、このように刑事責任を追及する一方で、本件損害賠償請求訴訟を提起したものであり、昭和五六年五月一日、元患者五七名が甲事件を提起し、その後、乙事件、丙事件などが提起された。

3 被告国及び被告県との関係における争点

(一) 原告らの主張は、厚生大臣及び埼玉県知事が、富士見病院において違法な診療、治療、入院手術がされていることを認識し、又は予見することができたのであるから、被害の発生、拡大を防止するために医師法、医療法上の適切な措置をとるべき作為義務があり、それにもかかわらず、何らの有効・適切な措置を講じなかった不作為が違法であるとして、被告国らに対し、国賠法一条一項、三条一項に基づき、損害賠償を求めているものである。

したがって、被告国らに対する損害賠償責任が認められるためには、被告国らが主張するとおり、「厚生大臣ないし埼玉県知事が故意又は過失によって違法に患者原告らないしその夫に対し損害を加えた」ということが認められなければならない(国賠法一条一項)。そして、同項にいう違法とは、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することをいうものである(国会議員の立法活動と国家賠償責任に関する最高裁判所昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁参照)。

(二) 行政権限の不行使による違法性について

(1) 作為義務の存否

処分庁の不作為に違法性があって不法行為が成立するためには、その前提として処分庁に作為義務が存在することが必要であり、違法を問われている不作為の時点において、権限不行使によって損害を受けたと主張する特定の国民との関係において、当該公務員に規制権限を行使すべき義務(作為義務)が存し、かつ、そのような作為義務に違反してその職務行為を行わなかったということが必要である。

(2) 規制権限の存在

行政の規制権限不行使が違法であるというためには、行政庁において、当該規制を行い得る権限を有することが前提となり、右規制権限を問題とするときには、右権限の行使が多かれ少なかれ規制を受ける側の国民の権利を侵害するものであるから、法律による行政の原理から、その権限行使が恣意的に行われることを防止するため、原則として、その存在について法律上の明文の根拠を要する。そして、本件において問題とされているのは、前記医師法、医療法であり、原告らが援用する法規の解釈適用ないし運用につき当事者間に争いがある。

(3) 裁量権について

ところで、権限行使の要件が定められているものの、権限を行使するか否かにつき裁量が認められている場合や、権限行使の要件が具体的に定められていない場合には、被告国らが主張するように、規制権限の存在から直ちに作為義務が認められることにはならず、国賠法の適用については、当該事案において、行使可能とされた行政権限につき、これが個別の国民との関係で法的義務とまでなっていたといえるかどうかについて検討する必要があるというべきである。

ちなみに、国民の生命、身体の侵害に関わる薬事法上の厚生大臣の規制権限が問題となった、いわゆるクロロキン訴訟において、最高裁判所平成七年六月二三日第二小法廷判決(民集四九巻六号一六〇〇頁)は、厚生大臣の右事案(厚生大臣による医薬品の日本薬局方への収載及び製造承認等の行為の違法性、その副作用による被害の発生を防止するために薬事法上の権限行使(クロロキン製剤の日本薬局方からの削除、製造承認の取消し等)をしなかったことの違法性)における権限行使の特質として、①権限行使の前提となる医薬品の有用性の判断が効能、効果と副作用との比較考量による高度の専門的、総合的判断であること、②医学的、薬学的知見が常に変化し得るため、有用性の判断もその時点における知見を前提としたものにならざるを得ないこと、③各種の規制権限の選択及び行使の時期について厚生大臣の裁量が認められることを挙げた上で、厚生大臣による規制権限の不行使が、当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、権限の不行使が国賠法上違法となるとする。したがって、少なくとも薬事法にあっては、行政庁に一定の裁量権を与えているのは、判断の専門技術性や公益判断の必要性などによるものであるから、その権限の不行使の適否については、第一次的には行政庁の判断が尊重されるべきであって、裁判所が事後的にこれを論ずるに当たっても、行政庁の判断がその裁量の範囲を逸脱して著しく不合理と認められるか否かという観点からされるべきこととされていることになる。

4 医師法・医療法等の規定

(一) 医師法と医療法

医師法と医療法は、共に医療の供給体制を規律する法律であるが、被告国らの主張のとおり、医療法は主に医療を行うべき場所を規定する医療施設法であるのに対し、医師法は、医業を独占的に行うことのできる者としての医師の資格等について定めた資格法として位置付けられる。1で既に言及したところと一部重複するが、より詳細にみると次のとおりである。

(二) 医師免許取消し及び医業停止(医師法四条三号及び七条二項)について

医師法は、特定の知識と訓練を受けた者に対し、特別に医療行為を許す医師免許制度を設け、医師になるには、大学において六年の課程を修めて卒業し、医師国家試験に合格し厚生大臣の免許を受けなければならないが、国家試験の受験及び医師免許の双方について絶対的欠格事由及び相対的欠格事由を定めている。そして、医師の免許の取消し、医業の停止等の行政処分は、行政官庁の独断に陥ることを避けて公平な立場にある第三者の意見を聞くことによって客観的妥当性を保障することが望ましいことから、医道審議会の設置が規定されている(同法二五条)。医師法は、右のように、医師の資格を厳格に規制するとともに、他方、行政処分が独断に陥らないように客観的妥当性を保障し、医療の普及向上に遺憾なからしめようとしているものといえる。

医師法四条三号は、医事に関し犯罪又は不正の行為があった者に対し、免許を与えないことがある旨を規定し、同法七条二項はこれを受けて、一旦免許を与えた医師に対しても、その免許を取り消し、又は期間を定めて医業の停止を命ずることができる旨を定めている。この免許の取消し、医業停止の処分については、処分対象者はもちろんその関係者の利害に関係するところが大きいので、行政官庁の独断に陥ることを避け、その客観的妥当性を保障するため、医道審議会への諮問(同法七条四項)及び本人に対して十分弁明の機会を与えることを定めている(同法七条五項)。これらによれば、医師の免許の取消しや医業停止の処分については、慎重な手続を経た上での専門的立場からの判断と、厚生大臣の合理的な裁量に委ねられていると認められる。

(三) 医師に対する必要な指示(医師法二四条の二)について

同条は公衆衛生上重大な危害を生ずるおそれがあり、かつ、その危害を防止するため特に必要があると認められる場合に、医師の行為による危害をできるだけ防止しようとする政策的見地から、公衆衛生の向上及び増進を図ることを一般的任務としている厚生省(厚生省設置法四条)の長たる厚生大臣に対し、医療行為について一応の訓示的指示を与え得る道を開いておく必要があって設けられた権限規定であるといえる。「厚生大臣は、公衆衛生上重大な危害を生ずる虞がある場合において、その危害を防止するため特に必要があると認めるときは……」と規定し、「公衆衛生上」「重大な危害」「生ずる虞」「特に必要」という不確定ないし多義的概念を用いていることからすれば、右指示を発する要件を認め得るかどうかなどの判断について厚生大臣の合理的な裁量に委ねられているものといえる。

そして、右指示の内容は、医業の自主性、裁量性を損なわないものでなければならず、かつ、それが医学的専門性の判断にわたるため、医師法二四条の二第二項は、「厚生大臣は前項の規定による指示をするに当たっては、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。」と規定している。したがって、医師法二四条の二の指示についての権限行使も、厚生大臣の専門的立場からの合理的判断に委ねられていると考えられる。

(四) 医療法の規定

医療法は、医療施設に関する基本法であって、病院・診療所・助産所の開設、施設・管理等の基準、行政庁の監督、公的医療機関の設置・国庫補助、医療法人、医業等の広告などについて定め、行政庁の監督の内容として、都道府県知事に対し、病院等の開設者若しくは管理者からの必要な報告の徴収、病院等への立入り、清潔保持の状況・構造設備・診療録その他の帳簿書類の検査の権限・職務(医療法二五条一項)等を付与している。なお、地方自治法により、右権限と職務は機関委任事務とされる(地方自治法一四八条一項、二項、別表第三の三一)とともに、都道府県知事はその権限に属する事務の一部をその管理に属する行政庁に委任することを許されており(同法一五三条二項)、埼玉県においては、右の医療法の定める知事の権限のうち、医療監視権限(医療法二五条一項)は、各保健所長の専決事項とし、病院の開設者の変更命令の権限につき各保健所長に委任している(埼玉県出先機関事務の委任及び決裁に関する規則三条、五条、別表第二)。

(五) 医療監視(医療法二五条一項)について

医療法は医療監視につき定めている(同法二五条)ところ、これは、基本的には、病院等の管理、構造設備を検査対象とするものであって、対象となる病院の診療内容自体の当否に対する監視ではなく、診療録等帳簿書類の検査も診療内容自体の当否を直接検査するための権限ではない。少なくとも、厚生省医務局作成に係る「医療監視要綱」(後記)には非常に多数の検査項目が定められているが、その「診療録」の項目としては「診療録に必要な事項が記載されているか」を検査すると規定されているのであり、その診療内容に関する事項は規定されていない。被告国らにおいては、医療監視は、医療内容の当否について監視又は検査することを目的とする性質のものではないと主張しており、少なくとも、本件当時における実際の運用もそのとおりであったと認められる。

そして、同条の定める厚生大臣や都道府県知事等の権限については、その権限行使の要件が「必要があると認めるとき」と定められており、右に係る必要性の判断については都道府県知事あるいはその委任を受けた保健所長等の専門技術的立場からの合理的判断に委ねられているものといえる。被告国らは、同法に個別の国民の側からの権利保護のための格別の規定が設けられていないことからしても、同条項が、厚生大臣又は都道府県知事の個別の国民に対する職務上の義務を定めたものと解することはできないと主張しているが、その点については後記のとおりである。

(六) 病院の管理者の変更命令(医療法二八条)及び病院の開設許可取消し及び閉鎖命令(同法二九条一項三号)について

管理者は病院の管理運営についての責任者であるから、不適格と判断されるような場合には、都道府県知事は、病院の管理運営に支障のある管理者の変更を命じることができる。また、都道府県知事は、病院の開設許可の取消し又は一定期間の閉鎖命令を行うことができる。

これらの権限は、管理者又は開設者に犯罪又は医事に関する不正行為があった場合に「できる」とされている。「犯罪」を実行したというためには、相当程度の事実関係の把握が必要であり、「医事に関する不正行為」の有無についても、具体的適用に当たって社会通念に従って個々に判断するほかない。したがって、これらの処分については、慎重な手続を経て事実の確定をした上で、都道府県知事の合理的な裁量に基づいて行われるべきものである。そして、これらの処分については、処分対象者はもちろんその関係者の利害に関係するところが大きいので、その客観的妥当性を保障するため、原則として本人に対して十分弁明の機会を与えることとされている(同法三〇条一項)。

(七) 医療法人への設立認可の取消し(医療法六六条)について

都道府県知事は、医療法人が法令の規定に違反した場合等に、医療法人の設立の認可の取消しをすることができる旨規定している。

しかし、本条は、「他の方法により監督の目的を達することができないときに限り」、「取り消すことができる」ものであって、例外的な措置として位置付けられており、その権限の行使については、極めて例外的にしか行使し得ない性質のものというべきであって、仮に行使するとしても、都道府県知事に広範な裁量が認められているものというべきである。

5 本件との関係における右行政権限の行使について

(一) しかし、医師法や医療法が、厚生大臣及び都道府県知事の権限について、個別の国民に対する義務の定立という規定形式をとっていないことをもって、右権限を行使するか否かが挙げて自由裁量に委ねられており、かつ、個別の国民に対する義務を一切負わないものであると解することは相当でない。その理由は次のとおりである。

(二) 原告らが主張するとおり、医療法は「この法律は、……国民の健康の保持に寄与することを目的とする」と定めている(同法一条)。そして、医師法は、同法の目的を定める条項は置かないものの、医師の任務につき「医師は、……国民の健康な生活を確保するものとする」(同法一条)と定めており、その趣旨は、医師の資格を規律することによって医療法と同一の目的を達成しようとするものと解するのが相当である。

医療法及び医師法の基本的な趣旨が前記4の(一)のとおりであることと、右法規がいずれも国民の生命・健康を守るための法律であることとは、何ら矛盾することではなく、医療機関又は医師によって現に国民の生命・健康が害されようとしているときについてまで、厚生大臣及び都道府県知事がその権限を行使するか否かが全くの自由裁量に委ねられていると考えるのは明らかに相当でない。

右は、被告国らが援用する前記クロロキン訴訟における最高裁判所第二小法廷の薬事法についての判断からしても明らかであって、「厚生大臣による規制権限の不行使が、当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、当該権限の不行使が国賠法上違法となる」とされていることは、一定の場合には、右権限を行使することが当該個別の国民に対する義務を構成するものであることを当然の前提としているものである。

(三) そして、医師法や医療法について、薬事法の場合よりも厚生大臣や県知事の権限行使の裁量範囲を広く解釈すべき合理的な理由は見当たらない。のみならず、医薬品の有用性、効能、副作用が常に変化する高度の専門的知見に依拠するほかないのに対して、本件において問題とされている富士見病院の乱診乱療については、それが許されないものであること自体について格別の高度の専門的知見を要するわけではない。

ただし、前記のとおり、多く医師らが関与し、「○○ファミリー」ともいうべき病院ぐるみで、組織的に一見もっともらしい形を整えてされていた医療的侵襲であったから、沢山ある個々の診療内容について専門的医学知見に基づき精密子細に吟味しなければ、乱診乱療であることが容易には判定できないという、医薬品の副作用に対する製造承認の取消し等の場合とはやや異なる別途の困難があったものといえる。すなわち、富士見病院における知事等の行政権限行使に係る問題は、右のような薬事法の場合における裁量の問題とは異質な、むしろ乱診乱療という異様な事態の認定上の困難さというべき問題であったといえる。両者が結局専門的知見を要する点で同じというべきものであるかどうかについては措く。

(四) 以上の点に関して、原告らは、医療行政に関する公務員の権限不行使により国又は地方公共団体について国賠法一条一項の責任が問われるためには、①国民の生命・身体に重大な危険が迫っており、かつ、このことを予見することが可能であったこと、②権限行使により結果発生を防止することができたこと、③他に危害防止の手段が容易には見いだし難く、権限行使が可能であって期待されることで足りるかのように主張する。

原告らの主張に係る右の要件のみで、直ちに行政庁が規制権限を行使すべきことが個別の国民に対する義務として生じ、その不行使が直ちに違法となるというべきかについてはなお疑問が残る(あえていえば、特に、右③の「権限行使が可能であって期待されること」という要件が些か曖昧であり、規制権限の行使について比例原則の適用のあることとの関係が十分に検討されていないように考えられる。恐らく「可能」及び「期待される」という要件中にその点が含意されているのであろうが、些か抽象的にすぎるように考えられ、結局、以下のように言うのと大差ないのでないかと思われる。)。

しかし、どのような要件事実を組み立てるにせよ、結局は、被害発生の予見可能性や結果回避の可能性に関する諸般の事情はもちろん、規制される側の諸般の事情、権限行使に積極・消極に作用するその他の諸般の事情を具体的かつ総合的に考慮した上で、厚生大臣等に裁量の逸脱があったといえるか否かを判断する必要があり、かつ、そのような総合判断によって決するほかないことは明らかといえる(原告らは本件につき被告国らに責任があるとし、右被告らはこれを否定しているので、その帰結に関する限り先鋭に対立しているというべきであるが、右のように具体的事案毎に諸般の事情を総合的に判断して決するほかないという点においては、双方の主張にさほど大きな差異があるわけではないと考えられる。)。

そして、ここでその要件事実を包括的に一般化抽象化することは容易でなく、かつ、必ずしもその必要があるとも、それが相当であるとも認められないので、以下、本件における個別の具体的事情につき検討する。

6 富士見病院における乱診乱療についての予見可能性等について

(一) 事案の概要記載のとおり、原告らは、厚生大臣及び被告県知事は、殊更積極的にその権限を行使しなくても、医療行政の制度上当然に届けられる情報として(例えば病院報告)、又は地域医療に深く関わる保健所活動を通じて、乱診乱療の徴表というべき各事実を知っており、かつ一部については具体的に認識していたはずである旨を主張する。

そして、右において、原告らの指摘する事情とは、①厚生大臣及び埼玉県知事は、病院報告(医療法施行規則一三条に基づくもの)により、富士見病院では入院患者延べ数が外来患者延べ数に比べて異常に多いこと(特に昭和四七年以降前者が後者を上回る事態が発生していること)、すなわち、他の同規模の産婦人科病院に比べて手術を受けた患者の割合が異常に高いこと、②富士見病院につき、被告Aの無資格診療にかかる「ニセ医者」疑惑や、病院ぐるみで健康な子宮や卵巣を不法に摘出している疑いが、噂(風評)として、地元所沢市周辺住民、地元医師会の医師らや、埼玉県や東京都周辺の病院・診療所等で、早くも昭和四〇年代から流布しており、昭和五二年一二月に所沢市内に新設された防衛医大病院では、富士見病院の診断に疑問を抱いて訪れた患者を診察した経験から、開設後わずか数か月で、富士見病院では健康な臓器を不法に摘出しているとの疑いを持ったとされ、所沢保健所は、地域医療情報に精通している機関として右風評を知っていたはずであり、さらに、単に風評を耳にしたにとどまらず、地元医師会と緊密な関係にあることから、医師間に流布していた信憑性の高い富士見病院についての疑惑を知っていたはずである、③厚生大臣及び埼玉県知事は、被告法人の理事長が医師でない被告Aであることを昭和四二年八月九日の富士見病院開設許可の当初から知っており、また、同病院の物的、人的規模の顕著な増大は医療監視等により、外来及び入院患者数の顕著な増加は病院報告により刻々に認識しており、富士見病院が「もうかっている病院である」との認識があった、④富士見病院につき、昭和五〇年より前から、既に「診療費が高い」旨の苦情にとどまらず、「超音波検査をしているA理事長というのは、本当に医者なのか」などという疑問の申し出も含まれており、昭和五〇年以降になると、違法手術を指摘する苦情が増加し、特に昭和五三年以降は同種苦情の申し出が相次いでいた、⑤富士見病院は昭和五一年一一月に「芙蓉会友の会」を組織し、著名人を利用するなどして宣伝に力を入れており、また、超音波検査を他の病院にない特色として喧伝しており、これらの事実は、地域医療に関する情報に精通している保健所を通じて、埼玉県知事さらには厚生大臣が知っていたはずであり、あるいは、医療監視の際に富士見病院外来待合室等に置いてあった右「友の会」の案内・勧誘文書や「入院案内」パンフレット等を見ることにより、当然に知り得たはずである、⑥厚生大臣及び埼玉県知事は、健康保険診療報酬の請求に対する審査・支払を通じて、富士見病院においては、大多数の患者について超音波検査関係費用の請求があること、他の病院と比較してもその件数が著しく多いことなどを知っていた、⑦富士見病院のHが、昭和五〇年春ころ、所沢保健所のP計画課長に面会を求め、患者一〇人のリスト等の資料も用意して被告Aが無資格でME検査を行っている事実を告発したので、所沢保健所を通じて、右事実は、厚生大臣及び埼玉県知事の知り得た事実である、⑧T所沢保健所長は、富士見病院に関する苦情を認識し、また、富士見病院で異常と診断され手術を勧められたが他病院で再度診察を受けた患者全員が、他病院では正常(少なくとも手術の必要がない)と診断されたことを認識しており、四件の苦情や富士見病院に対する医療監視による資料だけでなく、富士見病院の違法手術を免れ防衛医大や国立西埼玉中央病院や都立府中病院に駆け込んだ患者の具体的情報を把握しており、防衛医大に駆け込んだ患者二二名についてはそのカルテ等を収集していたので、同事実も、厚生大臣及び埼玉県知事の知り得た事実である、というものである。

(二) しかし、まず、ある病院が「もうけ主義」の診療をしている疑いが濃厚であるとき、厚生大臣及び都道府県知事において直ちに乱診乱療を疑ってその診療内容について調査し、適正な処置を講じなければならないとまでは到底いい難く、厚生大臣及び都道府県知事が医師法ないし医療法上そこまでの義務を負っていると解することはできない。もとより、原告らもそのような主張をしているわけではなく、前記事情は富士見病院における乱診乱療を知り得る一つの徴表としているものであるが、「もうけ主義」の徴表から直ちに立入検査権限を行使し得ると解することは、行政権限の行使につき配慮すべき比例原則からして無理というべきであり、かつ、仮に右権限があるとしても、それを行使しないことが違法となるというのは、他に極めて特殊な事情がある場合に限られるものというほかない。

そして、原告らが強調する病院報告(壬一の1ないし72(昭和四八年四月分から昭和五四年三月分までの毎月のもので、昭和四九年以降「病院報告(患者票)」と題する書面)、二の1ないし6(昭和四八年から昭和五三年分までの毎年のもので、「病院報告(従事者票)」と題する書面))のみからは、入院患者延べ数が外来患者延べ数と対比して極めて多いこと、他の同規模産婦人科病院に比べて手術を受けた患者の割合が極めて高いこと、ひいては富士見病院において相当の「もうけ主義」的な診療がされているのではないかということがうかがわれるにとどまり、それ以上には、乱診乱療について参考となるような情報をほとんど何も得られないものであったというほかない(しかも、右入院患者人数の点を除いて、富士見病院が乱診乱療をうかがわせるような情報を書面で行政側に報告するということは、後記のとおりおよそ期待できないものとしかいえない。)。そのような病院報告でよいのかという別の大問題があり得るとしても、実際の病院報告は一か月に一度(一部は一年に一度)右のような事項につき統計的数字が報告されるという程度のものであったといわざるを得ない。

ちなみに、厚生省医務局が作成して、県を介して保健所に毎年配布される「医療監視要綱」(壬三はその昭和五〇年版である。なお、T証言からして、別件民事訴訟では昭和五三年版、昭和五四年版が提出されていたものである。)は、二〇〇項目を超える検査事項を定めており、保健所がこれに従って検査すれば、規定人員、設備その他の運営状況が分かるというシステムとなっていたが、病気に対する診療については医師が対応すべきもので、保健所が深く関与すべきものでないとの考え方によって、診療録等については、必要な記載がされているかどうかという観点からチェックする程度で、手術件数は検査項目とされておらず、手術の適応を含めてその診療内容が適切かどうかについてまでは立ち入らないものであった(T証言。甲サ八一の1の四丁以下)。

なお、極めて遺憾ではあるが、右のような病院報告や「医療監視要綱」による検査をいかに精緻なものとしても、富士見病院のように、集団的に犯罪的行為に及んでいる者が、そのような一律の些か形式的な定期的な報告や検査によって判明するような正直な措置を講じることはあり得ず、秘匿措置を講じ、歪曲した報告をすることは明らかというべきであるから、原告らにおいて、保健所が入手し得る情報が豊富であるはずであると主張するのは、富士見病院の診療による被害が大きいことから回顧的に見た、いわば過大な要求といわざるを得ない。そのことについては、後に、本件当時のT所長の場合について再度検討する。

加えて、我が国において、些か曖昧な表現であるが、「もうけ主義」的な診療をしている病院が極めて特異なものであるのかどうかについては、証拠上必ずしも明らかでなく、それ自体で社会的に強く非難されるべきであるのかについてすら定かでない。例えば、診療所や私立病院の経営及びその在り方については、仮にそれが医療の理想的な在り方には全く合致していないものであったとしても、多少なりとも「もうけ主義」的な診療をせざるを得ない実情があるのかもしれず、いずれにしても、本件当時における富士見病院以外の産婦人科医師や産婦人科病院などの実態がどのようなものであったのかについては証拠上ほとんど明らかでない。

しかるところ、右(一)の①及び③ないし⑥の各事実に関しては、④中の被告Aが「本当に医師なのか」という疑問の申し出があったという点を除き、基本的に右のような「もうけ主義」的な診療に関する事柄というべきである。富士見病院が昭和五一年一一月に「芙蓉会友の会」を組織し、著名人を利用するなどして宣伝に力を入れており、また、超音波検査を他の病院にない特色として喧伝していたという事実などは、その典型である。

したがって、本件当時、原告らの主張する富士見病院の風評や、外来患者数と対比して入院患者の割合が極めて高いことや、ME検査が頻回に実施されていたことなどから、仮に厚生大臣及び埼玉県知事において、富士見病院が極めて「もうけ主義」的な診療をしていることを容易に予見することができたとしても、その診療内容自体が患者に対して違法な侵襲を加えているものであるとまで直ちに疑うことはできず、そのような違法な診療がされていることを具体的にうかがわせる相当な資料がない限り、医師法ないし医療法に基づき富士見病院に対して直ちに右診療内容について格別の調査を開始すべき義務があったとまでは到底認められず、ひいては格別の措置を講じなかったとしても、その不作為をもって違法と評価することはできないものといわざるを得ない。

そして、右の被告Aが「本当に医師なのか」という疑問の申し出があったということについては、前記二で検討したとおり、それが富士見病院における乱診乱療の中核となっていた事項というべきであるので、以下で検討する(主として後記(八))。

(三) 富士見病院における乱診乱療とは、前記のとおり、被告医師らが患者を被告AのME検査に回し、同被告において、出鱈目なME検査「所見」とコンサルによって、被告医師らの指示に基づかないで入院手術を決定し、患者に対して出鱈目な説明をして入院手術を承諾させてしまうという過程と、被告医師らが被告Aの敷設したそのような診療システムに追随して手術を敢行してしまうという過程とが、混然一体となっていたものいえる。そのような診療は単なる違法というにとどまらず、明らかに常軌を逸した集団的異常行為というべきであって、単なる「もうけ主義」とは全然別個の異質なものである。

適法に設置され、産婦人科の専門医師が数名おり、県内でも有数の規模の産婦人科病院において、医師でないのみならず、医学的知見もほとんどない者による出鱈目な診断に、多くの医師が追随して、長期間にわたり、正々堂々と、次から次へと何人もの正常な子宮、卵巣等を摘出するという手術を続け、それに見合う診療録、手術記録を整え続けるなどということは、通常あり得ない異様な事態というほかない。

したがって、ここで論じる厚生大臣や知事の「予見可能性」の対象となるものは、あくまでも、当該病院ないし診療所において、医師が患者に対して違法な侵襲を加えていることを認識ないし予見することができたかどうかであり、本件に即していえば、前記認定に係る富士見病院の乱診乱療、特に正常な子宮、卵巣等を摘出していることにつき認識ないし予見することができたかどうかというべきである。もとより、原告らの主張もその点に重点を置いているものと解される。

しかるところ、そのような異常な診療がされているとの具体的かつ相当の疑いを抱いた場合には、原告らの主張するとおり、厚生大臣や知事は立入検査をするなどの調査に着手し、適正な行政措置を講じるべきものといえる(被告国らの主張が、そのような場合においても、なお権限行使をすることができず、又は権限行使をすべきかどうかが厚生大臣、知事の自由裁量に委ねられており、また、あくまでも個々の国民に対する義務とはなり得ないとしているのかについては、判然としない。しかし、仮にそのように主張しているものとすれば、何のための医療法や医師法であるのか、厚生大臣や知事は権限を有するのみで、誰に対しても法的責任を負わないのか、という疑問が直ちに生じるのである。恐らく、被告国らの主張は、医療法や医師法は前記のような法規によって間接的に国民を保護しているものであって、その点において責任を負うものの、直接個々の国民に対する法的義務を負うものでないとする趣旨であろうが、富士見病院においてされていたような異常な診療について相当の根拠をもって疑いを抱いたときには、当然その行政権限を十分に行使することが関係患者らに対する法的義務となり得るというべきであり、被告国らの主張も、いかなる場合にも個々の国民に対する法的義務となり得ないとしているものではないと解される。ちなみに、前記のとおり、被告Aの逮捕後においては、埼玉県知事は実際にも迅速的確に行政権限を行使して、富士見病院における乱診乱療を実質的に終焉させたものであり、右は、関係する個々の国民に対する法的義務の履行としてされたものとも十分にいえるのである。)。

(四) しかし、前記一ないし三で検討したとおり、富士見病院の診療録、手術記録等はそれ自体としては概ね整っているのであり、それらを点検するのみでは、右のような通常あり得ない異様な診療がされていることを認識することは全くできなかったものといわざるを得ない。昭和五三年ないし昭和五四年ころ、富士見病院につき原告らの主張に係る「悪い風評」があったとしても、それはごく一部からのものにとどまり、そのような悪い風評があると同時に、被告医師らが強調するとおり、富士見病院において実際に子宮全摘除術及び両側附属器摘除術を受けた患者ら中には、手術を受けたことを感謝し、肉親、友人、知人に富士見病院を紹介している者が極めて多数おり、患者原告ら中にもそのような患者が少なくなかったものである。そのように富士見病院における多くの患者には被告Aが逮捕されるまでの間乱診乱療の被害者であるとの自覚が全くなかったのであるから、後記のTにおいても、その余の医療行政担当者の誰であっても、富士見病院において異様な診療がされていることについて肝心の富士見病院の多数の患者から協力を得られるという見込みがなかったのであり、事柄が子宮、卵巣等の疾患という、大きな声では会話しにくい主題であることも関係して、患者からの右のような協力が得られない以上、富士見病院における乱診乱療の実態を解明することはほとんど不可能であったといわざるを得ないものである。

この点に関して、原告らは、被告Aが無資格でME検査をしていることについて調査すれば、富士見病院における乱診乱療が防止できたかのように主張する。しかし、前記二で検討したとおり、被告Aは、その入手経路は明らかでないものの、警察の内偵があることなどを察知して、富士見病院において、昭和五三年一二月から被告Cを、昭和五四年六月から被告Gを超音波主任管理技師とする体勢を整えていたものである。したがって、単なる風評ではなく、個別の多くの患者から事情聴取して取り組まない限り、右のME検査についてすら、容易に言い逃れされてしまう余地があったものである。そのような状況下で、厚生大臣や、埼玉県知事において、富士見病院におけるME検査につき、医療法二五条に基づく立入検査をすることを命じることが可能であったとはにわかに認められないし、仮に可能であったとしても、同条三項が、わざわざ、右立入検査の権限について「犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない」と規定しており、かつ、右立入検査権限の行使につき比例原則が適用され、さらに権限行使をするかどうかにつき知事に一定の合理的な裁量が認められることからすれば、右ME検査のことのみで、直ちに右のような立入検査等の調査に着手することが富士見病院においてME検査を受ける患者らに対する法的な作為義務となっていたとまでは容易に認められないといわざるを得ない。

そうであれば、被告Aが無資格でME検査をしていることについて調査すれば、富士見病院における乱診乱療が防止できたということについては、結果的に見ればあるいはそうであったかもしれないという程度の因果関係が認められるにとどまり、仮に被告Aが無資格でME検査をしていることが判明したとしても、大勢の医師が集団的に関与して違法な子宮全摘術等をしているという異様な診療についてまで認識することは到底できなかったものといわざるを得ない。

(五) すなわち、富士見病院においては、悪い風評があったとしても、全患者と対比するとき、さほど多くない一部分の患者に関する情報にとどまるのであって、多くの患者は、診療料金が高いということを除いて富士見病院の診療内容自体について苦情を申し出るという状況には全くなかったのであり(後記(七)のとおり、T所長が得たのは、当初わずか四通という投書であり、うち三通は基本的に料金に対する不満であった。)、しかも、その診療内容に関しては、前記のとおり、多くの医師が診療に関与し、その診療録、手術記録等が整えられていたものである。そのような状況の下で、実際には大勢の医師が集団的に関与して次から次へと正常な子宮、卵巣等を摘出し続けているという異様な事実を確定的に把握するためには、本件において警察がしたように、富士見病院の診療録、手術記録を強制的に押収し、多くの患者及び多数の専門医の協力を得て、摘出された多くの子宮、卵巣を点検し、あるいは「卵巣整形」を受けた多くの患者につき開腹して再度検査するなどして、徹底的に調査するほかなかったものというほかない。もとより、富士見病院における実態が明らかとなった現時点において回顧的にみれば、厚生大臣や埼玉県知事が例えば昭和五四年中に断固そのような立入検査をしていれば少なくともその時点以降の乱診乱療を防止できたであろうと考えられるが、それは乱診乱療があったことが判明したからであって、多少の疑いがあるのみで、結果的にもほぼ正常な診療がされているにもかかわらず、そのようなことをすれば実際上病院の機能が麻痺し、診療中の多数の患者に理不尽な甚大な被害が発生する恐れが十分にあるから、仮に乱診乱療がなかった場合に発生する諸般の混乱などを考慮するとき、厚生大臣や埼玉県知事において断固右のような立入検査をし、富士見病院の診療録、手術記録を点検し、多くの患者及び多数の専門医の協力を得て、徹底的に調査するという措置が実際上可能であり、かつ、許されるのは、乱診乱療を疑うに足りる相当高度で相当確実な情報を得ていた場合に限られるというほかない。逆に、そのような情報がないのに、単なる疑い程度に基づいて、特定の病院について右のような調査をすることは、公正と認められず、許されないことというべきである。そのようなことを考慮すると、富士見病院に係る乱診乱療については、本件の推移が示すとおり、結局警察による強制捜査をしない限り確定することが極めて困難なものであったというほかない。

以下、本件当時厚生大臣や知事が入手していた富士見病院についての原告らが指摘するその余の具体的な事実関係から、右のような徹底的な調査をすべき義務があったといえるかにつき更に検討する。

(六) まず、右(一)記載の⑦の、富士見病院のHが昭和五〇年春ころに所沢保健所のP計画課長(昭和四八年八月一日から昭和五三年三月三一日までの間在職。壬一二)に面会を求めた際の目的や内容が問題となる。

原告らは、Hは患者一〇人のリスト等の資料も用意して被告Aが無資格でME検査を行っている事実を告発したものであり、その際、被告Aの無資格診療や本件不法行為に関するものが問題となっていたものであると主張し、昭和五五年一二月二五日付け朝日新聞の記事(甲サ三)は、事件発覚直後にH(右新聞記事の「Aさん」)及びP(右新聞記事の「B課長」)から取材した結果に基づいたもので、両者とも未だ記憶が鮮明であり、しかも富士見病院事件が社会的に大きな関心を集めている中で、同事件に直接・間接の関わりある立場の者として襟を正して発言した内容なので、その信用性は高い旨主張する。

しかし、仮にその一般論自体は正当であるとしても、右記事は、「Aさん」と「B課長」との間の会話内容を正確詳細に記載し報道しているわけではない。そして、Hが、右訪問後においても再三再四所沢保健所を訪問して、富士見病院の乱診乱療ないし被告Aの無資格診療についての苦情申し出をしたなどということを認めさせる証拠は全くない。かえってHは、被告Aと喧嘩しつつも(右新聞記事によれば、三度も辞表を出したが、何故か受理されなかったというのである。)、同被告が逮捕される昭和五五年九月まで富士見病院に勤務していたものである。そして、そもそも、Hが手術の適応について判断する能力を有していたことを認めさせるに足りる的確な証拠も全くない(右新聞記事によれば、Hは、摘出された臓器の容器を自ら富士見病院の畑に埋めていたというのである。)。そのような事情などを考慮すると、HのP課長に対する申し出が、ここで問題とされている富士見病院の乱診乱療、特に「医師らが正常な子宮、卵巣等を摘出している」ということについてまで及んでいたものではなかったと考えざるを得ない。

なお、壬第一二号証、第一三号証は、昭和六一年一一月二〇日に、被告県が、本訴に備えるため、元所沢保健所職員であったP及びSから事情聴取を行った結果を記録したものであることは原告らの主張のとおりであるが、右両名は、「Hが、患者一〇人のリスト等の資料も用意していたこと」及び「被告Aが無資格でME検査を行っている事実を告発したこと」につき、いずれも記憶がないとしている。右両名の右供述を全部鵜呑みしてよいかどうかについては疑問があるものの、いずれも、昭和五〇年のHの話というのは、超音波診断装置の点についてではなく、X線検査について問題としていた旨を述べており、特に、Sは、Hから、X線検査の資格がないのに富士見病院でそれをさせられているとの相談を受けたので、困ったことであるとして保健所に行くように助言をしたが、超音波診断装置(ME)については、昭和五〇年当時埼玉県の施設にすらその機械がなかったので、そのことを言われても全く分からなかった旨を述べており、それ自体として何ら不自然ではないといえる(当時「技士法」の改正問題があったようであるが、Sはそのような関係でHと接触していたようである。)。一方、右に係るPの供述については、Hの苦情につき、被告Aから「絶対不正はない」旨を聞いたというのみでHの申し出ないし苦情を放置したことが妥当かどうかという問題は残り、前記朝日新聞の記事と対比して些か不自然な点が全くないわけではなない。しかし、いずれにしても、前記のとおり、Hがその後四年間以上そのまま富士見病院に勤務し続けていたことなどを考え併せると、Hは、結局、主として機械装置の操作上の資格に関して何らかの訴えをしたにとどまるものと考えざるを得ず、他にこれを認めさせるに足りる的確な証拠がない以上、Hは、ここで問題とされている乱診乱療、特に「医師らが正常な子宮、卵巣等を摘出している」ということを意識した上で、そのことについて格別の訴えをしていたわけではなかったものというほかない。

したがって、昭和五〇年春のHの右申し出をもって、埼玉県知事らが富士見病院が乱診乱療につき何らかの調査や行政処分に着手すべきであったとは到底認められない。

(七) そこで、右(一)記載の⑧の点について検討する。

昭和五三年一月に所沢保健所長に就任したT(以下「T」という。なお、昭和五八年まで在職)は、昭和五三年九月に所沢地区の荻野光男医師会長(以下「荻野」という。)及び副会長の訪問を受け、女性からの投書一通を見せられ、富士見病院の悪い噂についての相談を受けた(T証言によれば、富士見病院で非常に悪いとの診断を受けた患者が防衛医科大学校を訪ねて再診察を受けたところ、別段異常がないという者が多かったので、同医科大学校が右医師会に対処するように申し入れたようである。荻野証言によれば、昭和四八、九年ころから富士見病院では非常に手術が多い、行くと何でもかんでも切られてしまうという風評があり、昭和五三年八月に医師会の役員会で富士見病院の実態調査をすることにし、防衛医科大学校を訪ねたとのことである。荻野は国立西埼玉中央病院にも行って調査した。)。

荻野らの話を聞いたTは、正確な情報が必要と判断して、防衛医科大学校などを調査した(当時、埼玉県所沢、狭山、入間地区では右大学と富士見病院にしか超音波診断装置がなかった。)。その結果、富士見病院においては、手術の必要のない患者に手術を施しているのではないかとの疑念を抱いたが、同医科大学校にカルテ等の提供を求めたところ、断られ、「医療監視でしたら」という返事であった(医療監視というのであれば、断れないという建前論をサジェストしたもののようである。)。そして、Tは、同年一一月ころ、府中病院(当時、超音波診断装置がある東京でも数少ない病院で、所沢から一番近かった。)も訪ねたが、防衛医科大学校の場合と同様の該当者が三人いると聞いたものの、五、六年前の古いカルテですぐには出ないということでそのままとなった。

防衛医科大学校への医療監視は同年一二月二一日に実施され、Tは、富士見病院で受診した約二二名についての診療録を見た。そのほとんどは異常なし(前記「o.B.オーネベフント」)というもので、二、三例は、子宮筋腫であるが手術の必要まではないというものであった。

その後、Tは、昭和五四年一月に、市役所を介して右同様の投書を合計四通(うち一通は右昭和五三年の分)交付されたが、うち三例は既に臓器を摘出されたが料金が高いという不満であり、かつ、匿名希望のものであった。同月末日ころ、Tは、苦情電話を受け、当該患者本人及びその夫と面談したところ、子宮や卵巣が悪いということで入院させられ、なかなか退院させてもらえず逃げ出してきたという内容であり、保健所が何とかせよというものであった。

Tが関与した富士見病院に対する第一回目の医療監視は昭和五四年二月一日に実施されたが、Tは、警察が富士見病院につき捜査しているらしいとの噂を聞いていたので、捜査との兼ね合いを考慮して(場合によっては告発の必要があるとも考え、そのことも考慮していたようである。)、その前日に所沢警察署を訪ね、中村署長と面談し翌日医療監視をすることを告げたところ、同人の話は、「パッとしてほしい」ということであった。右医療監視は、比較的簡単に済まされ、Tは二、三名の診療録を見るにとどめた。Tは、ME検査をするには検査技師の資格が必要であることを知っており、それから間もなくして、被告Aと面談したが、同被告に対してME検査を止めるように注意したことはなかった。(真相は不明であるが、Tは、警察の捜査の支障にならないように配慮していたようにもうかがわれる。)

右のように、Tは、富士見病院の診療に問題があると考えていたが、どのように事実関係を調査すればよいのか迷っており、県の担当者には、口頭で富士見病院の診療に問題のあることを告げてたことがあったものの、正常な子宮につき全摘除術をしているなどということまでは告げていなかった。昭和五五年二月二五日、Tによる第二回目の富士見病院に対する医療監視が実施されたが、監視人員を増やし、手術簿(本件訴訟で提出されている手術記録とは全く異なるもので、便箋に一〇名以上の分が記載されているもの)を抜き取り、手術件数を調査するなどしたが、結局、乱診乱療の点については格別の対処をせず、その問題をどのように解決すべきか迷っているまま、同年九月の被告Aの逮捕まで推移した。Tは、的確な情報が入手できなかったので、埼玉県に対しても、その後格別の報告をしなかった。

なお、Tは、所沢保健所の職員に対して自己の富士見病院についての疑惑を公開したことがないようであって、かえって、密かに単独で調査していたようである。それは、被告Aらに情報が漏洩することを恐れたためであろうと考えられるが、それゆえ、Tの右のような疑いというものが公的機関としての疑いであるのか、Tの個人的な疑惑にとどまるのか、判然としないところがある。また、Tは、医師の医療内容について保健所がどこまで立ち入ることができるのかという点で逡巡していたようでもある。

(以上全般につきT証言、荻野証言)

(八) 右の点について、原告らは、右のTの調査に基づく行政処分が可能であったとし、「厚生大臣及び埼玉県知事に求められた処分は、いうまでもなく民事・刑事の責任を根拠とする処分ではないのであって、医療法及び医師法上の行政処分なのであるから、不要不適の手術すなわち傷害行為が行われているとの事実確定は必要でない。行政処分の前提となる事実は、被告Aが無資格でME検査を担当し、更には診療行為を行っている事実であった。これらの事実の確定は、診療内容の医学的当否にまで立ち入るわけではないから、「医学的な専門的知識」が不要であって、警察・検察による捜査結果を待つことも不要であった。厚生大臣及び埼玉県知事は、違法手術すなわち傷害行為が行われているとの疑念を抱いた以上は(ただし、この疑念にかかる傷害行為それ自体を処分の前提事実とするものではない。)、医療法及び医師法の存在目的が関わる事態であるから、処分に慎重でなければならぬ理由など存在しなかったものであり、一刻も早く行政処分を行い、もって富士見病院の診療システムを瓦解せしめ、本件不法行為を終焉させるべきであった。」などと主張する。

しかし、それは本件において富士見病院における乱診乱療が認定されたことから回顧的に見るからであって、Tが得た右程度の情報による疑惑のみでは、富士見病院において不要不適の手術がされているとの相当の疑いについての十分な根拠とは到底ならないというほかない。すなわち、前記のとおりの防衛医科大学校からの情報があっても、それは疑惑を深めたというにとどまり、個別の患者についての富士見病院の診断と防衛医科大学校の診断とのいずれが正しいのか、専門的にかつ多数の症例について精密に検討しない限り、何ら客観的な疑惑となり得ないことが明らかである。そして、右のような検討が極めて困難であったことは前記のとおりであり、Tの内心については明らかでないものの、右のような検討をすることについて、相当の時間と費用を要することも明らかである。保健所長としてのTの右のような態度は、些か曖昧で、理想的な医療体勢から見れば遺憾な点があるものの、前記のとおり、基本的に保健所が医師の診療内容の適否についてまで監視するという体勢になっていないのであるから、Tを非難することはできないというべきである。

したがって、右程度のTの調査結果に基づいて富士見病院につき行政処分をすることは全く不可能であったものであり、また、厚生大臣及び埼玉県知事において、仮にTから右程度の疑惑を告知されていたとしても、右程度の疑惑のみで、(五)の末尾で言及したような富士見病院に対する徹底的な調査を直ちに命じることが可能かつ相当であったとは容易に認められないというほかない。なお、被告Aが無資格でME検査を担当しているという事実を確定することすら、前記のような富士見病院における防衛措置からして、必ずしも容易といい切れないのであって、まして同被告が診療行為まで行っているという事実については、前記のとおり、実際に医師が内診等をしており、診療録上当然医師が診療したことになっており、かつ、医師が入院中検査をし、開腹手術等をしているのであるから、行政上の措置としての立入検査等によって被告Aの無資格診療の事実を確定することは、恐らく不可能であったと考えざるを得ない。

加えて、原告らの立論は、行政処分であるから、民事刑事の責任の場合と異なり、右事実確定が容易であるか、又はそれらの場合よりも低い心証によって事実確定をしてよいことを前提としているかのようであるが、仮にそうであるとすれば、到底採用することができない。行政処分においても、それが国民の権利義務に直接関わるものである以上、前提となる事実について十分な根拠に基づいて確定されるべきことはいうまでもない(原告患者らの被害の重大さを考えると、それをもって医療監視体勢に不備があるといえば、そのとおりというべきかもしれないが、全国に沢山の医師や医療機関があること、のみならず、そもそも、他にも無数の職種、職業があるが、我が国は、基本的にその中で不正行為、犯罪行為がされていないかどうかについて網羅的に監視するという体制となっていない(なお、そのような体制を採れば、より大きな別の弊害が生じることも直ちに想定し得るところである。)ことなどからすれば、結局、医療に対する監視は国民一人ひとりが自覚的にすることによって図るほかないともいえる。現に、本件の富士見病院における乱診乱療問題を契機として、そのような自覚がそれ以前よりも格段に深まったものと考えられるところである。)。

(九)  以上のとおりであって、結局、Tが所沢保健所長に就任するまでの間については、厚生大臣及び埼玉県知事の権限不行使が違法であるとは明らかに認められないものである。

そして、Tの就任後については、前記のとおりであって、Tにおいて前記の疑惑を抱いてある程度の調査をしたものの、富士見病院における診療の実態を把握することは極めて困難であったものである(T証言からして明らかである。)。富士見病院の病院報告に現れた入院患者数等の統計数値が明らかに異常であるということや、被告AのME検査が無資格でされていたということなどについては前記のとおりであって、Tの右程度の調査による疑惑を含めて、以上のようなことからうかがわれる程度の疑惑をもって、厚生大臣や埼玉県知事が富士見病院に対して直ちに立入検査をすることが相当であり、許されるのかについてすら、公正な行政、権限行使についての比例原則などからして、疑問があるというほかなく、加えて、前記のとおりの裁量が認められることからすれば、厚生大臣や埼玉県知事において、富士見病院に対して直ちに立入検査をし、その余の前記諸般の徹底的な調査をしなかったからといって、それが作為義務に反するものであるとまでは容易に認められないといわざるを得ない。

なお、仮にME検査資格などのいわば形式犯に係る調査をしたとしても、富士見病院が前記のとおりいわば「○○ファミリー」ともいうべき実態であったことからして、ここで問題としている乱診乱療の具体的な実態を知ることはやはり困難であったであろうと考えざるを得ない。

7  まとめ

以上のとおりであるから、患者原告らが受けた被害の大きさを思えば、厚生大臣及び埼玉県知事の権限不行使につき遺憾と思われる点が全くないわけではないというべきであるが、損害賠償責任の有無という観点からすれば、前記検討結果からして、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの主張に係る厚生大臣及び埼玉県知事の権限不行使が不合理であって、違法であるとまでは到底認められないというほかない。したがって、原告らの被告国らに対する請求は理由がない。

七  以上によって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤剛 裁判官本多知成 裁判官林潤は転勤につき署名押印することができない。裁判長裁判官伊藤剛)

別表

富士見病院における被告Aらの在職機関

46

8

16

46

10

1

47

12

51

6

7

51

12

1

51

1

4

55

11

7

46

47

48

49

50

51

52

53

54

55

56

A

B

C

D

E

F

G

C 46.8.16~

D 46.10.1~

E 47.12~51.12.1(ただし、本文記載のとおり)

F 51.6.7~

G 54.1.4~55.11.7

別紙第二

認容金額目録

(ただし、判決主文の直後に記載した【略称関係】のとおり略称する。)<原告の氏名省略>

原告

番号

被告

認容慰謝料額

認容弁護士費用

認容金額

起算日

(昭和・年・月・日)

1

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一二〇〇万円

金一二〇万円

金一三二〇万円

五二・七・一

2

芙蓉会、

A、B、C、E

金三〇〇万円

金三〇万円

金三三〇万円

五〇・二・二六

3

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五三・一・一五

4

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

五〇・三・一

5

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五二・三・三一

6

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金二〇〇万円

金二〇万円

金二二〇万円

四九・三・五

7

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

(ただし、被告G1は五五〇万円、被告G2及び被告G3は各二七五万円)

五五・一・一四

8

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一二〇〇万円

金一二〇万円

金一三二〇万円

五二・六・三〇

9

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金三〇〇万円

金三〇万円

金三三〇万円

五二・二・九

10

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金七〇〇万円

金七〇万円

金七七〇万円

五二・一二・三一

11

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一三〇〇万円

金一三〇万円

金一四三〇万円

五二・五・二七

14

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金一二〇〇万円

金一二〇万円

金一三二〇万円

五〇・一一・二九

15

芙蓉会、

A、B、C、E

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

五〇・三・八

16

芙蓉会、

A、C

金一〇万円

金一万円

金一一万円

五二・九・二二

17

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金七〇〇万円

金七〇万円

金七七〇万円

(ただし、被告G1は三八五万円、被告G2及び被告G3は各一九二万五〇〇〇円)

五四・一・三一

19

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五三・三・二八

20

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五一・一・二一

21

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

四九・一二・二〇

22

芙蓉会、

A、B、C、F、G

金三〇〇万円

金三〇万円

金三三〇万円

(ただし、被告G1は一六五万円、被告G2及び被告G3は各八二万五〇〇〇円)

五四・七・二七

23

芙蓉会、

A、B、C、F、D

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

五二・八・三

24

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金五〇〇万円

金五〇万円

金五五〇万円

五〇・五・一四

25

芙蓉会、

A、B、C、E

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五一・六・九

26

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五三・七・二五

27

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

五〇・七・二

28

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

(ただし、被告G1は五五〇万円、被告G2及び被告G3は各二七五万円)

五四・一一・一二

29

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金八〇〇万円

金八〇万円

金八八〇万円

五一・二・九

30

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金六〇〇万円

金六〇万円

金六六〇万円

五三・六・二三

31

芙蓉会、

A、C、F

金二〇〇万円

金二〇万円

金二二〇万円

五二・五・三一

32

芙蓉会、

A、B、C、D、E、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五一・八・四

33

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五二・一〇・二七

34

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金一三〇〇万円

金一三〇万円

金一四三〇万

(ただし、被告G1は七一五万円、被告G2及び被告G3は各三五七万五〇〇〇円)

五五・二・七

35

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金五〇〇万円

金五〇万円

金五五〇万円

五一・一一・二六

36

芙蓉会、

A、B、D、E

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五〇・二・二八

37

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金七〇〇万円

金七〇万円

金七七〇万円

(ただし、被告G1は三八五万円、被告G2及び被告G3は各一九二万五〇〇〇円)

五四・一・二四

38

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

四九・二・二六

39

芙蓉会、

A、B、D、E

金七〇〇万円

金七〇万円

金七七〇万円

五二・八・一一

40

芙蓉会、

A、B、D、E

金三〇〇万円

金三〇万円

金三三〇万円

四九・九・三

41

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金七〇〇万円

金七〇万円

金七七〇万円

(ただし、被告G1は三八五万円、被告G2及び被告G3は各一九二万五〇〇〇円)

五四・六・六

42

芙蓉会、

A、B、C、D

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

五三・五・二三

43

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金七〇〇万円

金七〇万円

金七七〇万円

五三・三・九

44

芙蓉会、

A、B、C、E

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五一・六・二

45

芙蓉会、

A、B、C、F

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

五二・三・一

46

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

(ただし、被告G1は五五〇万円、被告G2及び被告G3は各二七五万円)

五四・七・六

48

芙蓉会、

A、B、C、E

金一二〇〇万円

金一二〇万円

金一三二〇万円

五一・六・一二

50

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五〇・五・六

52

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

(ただし、被告G1は五五〇万円、被告G2及び被告G3は各二七五万円)

五四・四・一七

53

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

(ただし、被告G1は四九五万円、被告G2及び被告G3は各二四七万五〇〇〇円)

五四・一二・一〇

54

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金三〇〇万円

金三〇万円

金三三〇万円

(ただし、被告G1は一六五万円、被告G2及び被告G3は各八二万五〇〇〇円)

五四・五・一三

55

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

(ただし、被告G1は四九五万円、被告G2及び被告G3は各二四七万五〇〇〇円)

五四・七・一一

56

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金三〇〇万円

金三〇万円

金三三〇万円

五〇・四・一二

57

芙蓉会、

A、F

金二〇万円

金二万円

金二二万円

五三・一・三一

58

芙蓉会、

A、B、C、D

金一〇〇万円

金一〇万円

金一一〇万円

五三・五・二三

Ⅱ―1

芙蓉会、

A、B、C、E

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

五一・三・二九

Ⅱ―2

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五三・七・二八

Ⅱ―3

の夫

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金四五〇万円

金四五万円

金四九五万円

五四・八・二〇

Ⅱ―3

の長男

金四五〇万円

金四五万円

金四九五万円

Ⅱ―4

芙蓉会、

A、B、D、F、G

金二〇〇万円

金二〇万円

金二二〇万円

(ただし、被告G1は一一〇万円、被告G2及び被告G3は各五五万円)

五四・三・二二

Ⅱ―5

芙蓉会、

A、B、C、D、E

金九〇〇万円

金九〇万円

金九九〇万円

四九・八・五

Ⅱ―7

芙蓉会、A

金二〇万円

金二万円

金二二万円

五一・一二・二一

Ⅲ―1

芙蓉会、

A、B、C、D、F

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

五三・一・一三

Ⅲ―2

芙蓉会、

A、B、C、D、F、G

金一〇〇〇万円

金一〇〇万円

金一一〇〇万円

(ただし、被告G1は五五〇万円、被告G2及び被告G3は各二七五万円)

五五・五・八

Ⅲ―3

芙蓉会、

A、B、C、F

金三〇〇万円

金三〇万円

金三三〇万円

五二・五・四

別紙第三 請求金額目録

(ただし、判決主文の直後に記載した【略称関係】のとおり略称する。)<原告の氏名省略>

なお、被告欄にGとの記載のあるものは、同請求金額欄の会員につき、被告G1に対してその二分の一、被告G2及び被告G3に対してそれぞれの四分の一を請求しているものである。

原告番号

被告

請求金額

遅延損害金の起算

(昭和・年・月・日)

国、埼玉県、芙蓉会、

C、Dは各原告に共通

1

F

金三〇〇〇万円

五二・七・一

2

E

金一五〇〇万円

五〇・二・二六

3

F

金三〇〇〇万円

五三・一・二五

4

E

金三〇〇〇万円

五〇・三・一

5

F

金三〇〇〇万円

五二・三・三一

6

E

金一〇〇〇万円

四九・三・五

7

F、G

金三〇〇〇万円

五五・一・一四

8

F

金三〇〇〇万円

五二・六・三〇

9

F

金一〇〇〇万円

五二・二・九

10

F

金二〇〇〇万円

五二・一二・三一

11

F

金四〇〇〇万円

五二・五・二七

14

E

金三〇〇〇万円

五〇・一一・二九

15

E

金三〇〇〇万円

五〇・三・八

16

F

金二〇〇万円

五二・九・二二

17

F、G

金三〇〇〇万円

五四・一・三一

19

F

金三〇〇〇万円

五三・三・二八

20

E

金三〇〇〇万円

五一・一・二一

21

E

金三〇〇〇万円

四九・一二・二〇

22

F、G

金一〇〇〇万円

五四・七・二七

23

F

金三〇〇〇万円

五二・八・三

24

E

金一五〇〇万円

五〇・五・一四

25

F、E

金二〇〇〇万円

五一・六・九

26

F

金三〇〇〇万円

五三・七・二五

27

E

金三〇〇〇万円

五〇・七・二

28

F、G

金三〇〇〇万円

五四・一一・一二

29

E

金三〇〇〇万円

五一・二・九

30

F

金二五〇〇万円

五三・六・二三

31

F

金七〇〇万円

五二・五・三一

32

F、E

金三〇〇〇万円

五一・八・四

33

F

金三〇〇〇万円

五二・一〇・二七

34

F、G

金四〇〇〇万円

五五・二・七

35

F、E

金二五〇〇万円

五一・一一・二六

36

E

金三〇〇〇万円

五〇・二・二八

37

F、G

金二〇〇〇万円

五四・一・二四

38

E

金三〇〇〇万円

四九・二・一六

39

F

金一〇〇〇万円

五二・八・一一

40

E

金一五〇〇万円

四九・九・三

41

F、G

金二〇〇〇万円

五四・六・六

42

F

金三〇〇〇万円

五三・五・二三

43

F

金二〇〇〇万円

五三・三・九

44

E

金三〇〇〇万円

五一・六・二

45

F

金三〇〇〇万円

五二・三・一

46

F、G

金三〇〇〇万円

五四・七・六

48

F、E

金三〇〇〇万円

五一・六・一二

50

E

金三〇〇〇万円

五〇・五・六

52

F、G

金三〇〇〇万円

五四・四・一七

53

F、G

金三〇〇〇万円

五四・一二・一〇

54

F、G

金一〇〇〇万円

五四・五・一三

55

F、GE

金三〇〇〇万円

五四・七・一一

56

E

金一〇〇〇万円

五〇・四・一二

57

F

金一〇〇万円

五三・一・三一

58

F

金八〇〇万円

五三・五・二三

Ⅱ1

E

金三〇〇〇万円

五一・三・二九

Ⅱ2

F

金三〇〇〇万円

五三・七・二八

Ⅱ3の夫

F、G

金一〇〇〇万円

五四・八・二〇

Ⅱ3の長男

金一〇〇〇万円

Ⅱ4

F、G

金一〇〇〇万円

五四・三・二二

Ⅱ5

E

金三〇〇〇万円

四九・八・五

Ⅱ7

F

金一〇〇万円

五一・一二・二一

Ⅲ1

F、G

金三〇〇〇万円

五三・一・一三

Ⅲ2

F、G

金三〇〇〇万円

五五・五・八

Ⅲ3

F

金一〇〇〇万円

五二・五・四

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